「聞かせてよ愛の言葉を」を聴きたい

蓄音機のSP(standard playing)盤は、あとからでてきたLP(long playing)と区別するための用語だ。
いまとなっては「special」ではないのか?といいたくもなる。

一枚ごとに交換を要する鉄製の針(針圧は120gもある)でこすって音を出すのだから、盤じたいの硬さも相当であった。
一回の使用で鉄針が削れてしまうから、かならず針をあたらしく交換しないと、盤の溝をいためてしまうのだ。

LPがプラスチック製だったのに対して、SPは酸化アルミニウムなどの微粉末を天然樹脂でかためたものだったから、衝撃に弱いだけでなくカビが発生するという弱点があった。

しかしながら、「蓄音」という技術は人類史上の「画期」であって、前回書いたように、モノラルでしかない、というのも、いまとなっては人間の耳にもっとも適しているのである。

技術はめぐって、モノラルの最高スピーカーがあらわれるとおもったら、とっくに世にでていた。
やっぱりなー、なのである。

それで、どんな曲を聴きたいか?
もちろん、発明者のエミール・ベルリナーのつながりでいけば「グラモフォン」なのだから、なかでもドイツ・グラモフォンの名盤を聴いてみたい。

しかし、気になるのは「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-moi d’amour)」なのである。
フランスで最初にレコードをリリースしたのは、レオナール・フジタのモデルにもなっていたリュシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer:1901-1983)で、1928(昭和3)年のことである。

「聞かせてよ愛の言葉を」の発表は、1930年。
シャンソンの古典ともいわれているが、なにせ教科書でならう歴史でいえば、1929年の10月、アメリカ発の「世界大恐慌」がおきているさなかなのである。

哀愁が漂いながらも、どこか華やかなよき時代が表現されているのだが、29歳でこの曲を歌い上げる力量のすさまじさは「時代」の力というべきか。

第二次大戦中の『リリー・マルレーン』とは、趣を異にする。
むしろ、戦後シャンソンの名曲『枯葉(Les Feuilles mortes)』が、ヘンデルの『パッサカリア』に似ているといわれることにこじつければ、イタリア語だが、おなじくヘンデルのオペラ『リナルド』のアリア『わたしを泣かせてください(Lascia ch’io pianga mia cruda sorte)』に、なぜか起源をもとめたくなる。
現代の歌姫、サラ・ブライトマンのアルバムにもある。

これを、生の蓄音機ではなく、YouTubeで聴ける時代なのだ。
しかして、生の蓄音機で聴いてみたい。

シャンソンの本場フランスで、この曲があらためて注目されたのはジュリエット・グレコ(Juliette Greco:1927-)が1964年に出したからだという。
34年間も他に歌ったひとがいなかったわけではないだろうが、「味わい」という点で光が当たるものだ。

しかし、ジュリエット・グレコはこのとき37歳。
人生の機微を歌うのに要する時間は、確実に延びている。
はたして、いまの日本人で、二十代にしてこの曲を歌い上げて「味わい」をだせる歌手がいるものか?

ところで、西洋からの輸入品を我が物にしてしまう日本人の特性は、この曲にもあらわれて、3年後の1933年に、山田道夫が日本語版をリリースしている。なぜ男性がこれを歌ったのか?

淡谷のり子は、1951年、44歳の時の録音があるのは、「ブルースの女王」よりも以前、わが国シャンソン界の先駆者としての矜持か。
「なるほど」の一枚である。

さて、わたしがこの曲に興味があるのは、じつは全く別の理由で、ピアニストのフジ子・ヘミングが、NHKのETV特集「フジコ-あるピアニストの軌跡-(1999年2月11日放送)」で鮮烈な紹介をされたのをたまたまリアルに観ていたからである。

この番組のなかで、母親が残した古いピアノを、タバコを片手に弾き語ったのがこの曲だった。
観ていて灰が落ちないものかと気をもんだが、そんなことはなんのその、じつに切ない響きであった。

齢を重ね、かつては天才少女と賞賛されラジオにも出演し、ヨーロッパにいけば「リストの再来」と記事にもなったひとの、なんとも厳しい人生がそこにあった。

しかし、軌跡のはずが奇跡がおきて、三度も再放送され、さらに続編がでて、いまや世界的ピアニストとして光を放っている。
ホンモノがもつ力である。

そう、あの番組中のあの歌が忘れられないのだ。

曲と歌手と時代と人生が一致すると、とてつもない「味わい」がうまれるのは、もはや偶然でしかなされないものなのか?

平たい人生と平たい時間が、平たい音楽をつくるといえばいいすぎか。

そういえば、とあるクラッシック名盤を聴いていて、テンポの遅さに気がついた。
いまよりずっと「遅い」。

これも、ひとの生活リズムの変化なのだろう。
しかし、この遅さこそ、歌心ではあるまいかともおもう。

「聞かせてよ愛の言葉を」を、蓄音機でじっくりと聴いてみたい。

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