いまさらですがソ連邦という本

ベストセラーだというが,これは異色である.
なにがって,「表紙」がである.
なんだか今様の「萌え」た感じがするが,この表紙の絵,背景をよくみるとよくできている.
そして、内容も,「いまさら感」がたっぷりだけど,かなり専門的でしっかりしている.

ロシア語に翻訳すれば,けっこう売れそうだ.
東欧ではどうなのだろう?

「東西冷戦」という時代は,その思想対立から,日本語での知識には限界があった.
「賛美」か「恐怖」かという選択肢しかなかったからだ.
それに,かんじんの「ソ連」という国や「衛星国」といわれた東欧諸国も,かんたんに旅行できることはなかったし,くわしい暮らしぶりが直接レポートされることもなかった.

横浜の谷間にあったわが家は,なぜかAMラジオにモスクワ放送がよくはいった.
短波ラジオがはやって,よりハッキリしたモスクワ放送とBBCの日本語放送はよく聴いていた.
子ども心に,BBCの方が信用できたのはなぜだったかわからないが,ふだんからの情報量の差だったかもしれない.

冷戦が終結したのが1989年だから,日本の「平成」という元号と,たまたまかさなる.
つまり,いまから30年という一世代の年月を経て,「歴史になった」ということが,この本のしめす最大のメッセージではないかとおもわれる.

世界が冷戦の終結を肌で感じていたとき,わが国ではバブルがふくらんでいた.
国内の地価と株価の上昇に沸いて,冷戦ということの他人事が,文字どおりとなって,マネー・ゲームに狂想していたのだ.
このころの記憶があるのは,乳幼児ではないから,いまでは三十路もなかば以上のひとたちからになる.

すなわち,これよりも若い人たちにとっては,すでにバブル経済も,その崩壊も,同時にあった東西冷戦の終結も,ぜんぶ「歴史」になってしまっている.
これを,たまたま自分にあてはめれば,わたしに東京オリンピックの記憶がないのは,バブルをしらないギリギリ世代とおなじだからだ.

そのつぎの国家イベントだった,大阪万博は,小学校の高学年だったから,それなりに記憶しているし,その二年後の札幌オリンピックは鮮明だ.
スキージャンプでの金銀銅メダル独占は,おおくの少年を沸き立たせ,フィギュアスケートのまっ赤な衣装が印象的だったジャネット・リンの世紀の尻もちも,リアルにカラーテレビで観ていた.

「国威発揚」というのは,この時代は素直に受けとめられていたし,じっさいに東側は真剣にメダルの数をかぞえていた.
それでか,いまでもわが国はメダルの数にこだわっている.

歴史は資本主義から進歩して社会主義になるというのが「科学」とされていたから,進歩主義は社会主義の基盤になっている.
それをテーマにしたのが「大阪万博」だった.
この博覧会のテーマが「進歩と調和」だったのだ.

日本は,資本主義国のふりをした社会主義国である.
だから,「世界でもっとも成功した社会主義国」という表現は,けっしてジョークではない.
さいきんでは,中国がこの表現をつかっているが,その前に「日本を追い越して」がつくから,その本気さがわかる.

そうやってかんがえると,改革開放という政策は,表面的にも内面的にも日本を鏡にして実行したのではないかとおもえる.
表面的には資本主義,しかし,その実態は社会主義なのだから,わが国とおなじなのだ.

ただし,化学反応の順番が逆になっているようにみえる.
中国は,革命をつうじた共産党から資本主義に,わが国はやや複雑で,戦前の近衛新体制という社会主義から米軍の占領をつうじた資本主義をへて戦前回帰の社会主義化をはたした.

だから,こんどは中国のやり方にわが国が近づくようにならないと,バランスがとれない.
そういう意味で,いまわが国は自由を失う危機にあるのだ.

ちょうどいいタイミングで,中国が反面教師にしたソ連の解説がでた.
わが国も,ソ連を反面教師にして,ついでに中国も反面教師にしないと,おぞましい社会になりかねない.

本書のあとに,自由主義哲学の本が,秋の夜長の役だけでなく,わたしたちの人生や子孫たちの役に立つだろう.
まずは,フランクリン自伝で,いっとき正しきアメリカ人になってみるのはいかがだろうか?

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