プラハ市の決断は連鎖反応に?

「姉妹都市」を結ぶという、地方自治体による「外交」がある。
都市の住民交流という「文化性」がおもな柱であるから、国家間の「外交関係」とはことなる次元にある。
国家間なら「条約」が、姉妹都市なら「提携書」がむすばれる。

昨年の10月に、チェコ共和国のプラハ市が、これまで提携していた「北京市」との姉妹都市を解除した。
そして、一昨日の14日に、「台北市」との姉妹都市提携書を締結したことがニュースになった。

チェコは、もともと「チェコスロバキア」(表記としてチェコとスロバキアの間に「ハイフン」をいれない)だった。
建国は1918(大正7)年であるから、ようやく百年。ヨーロッパの「複雑性」がこれだけでもわかる。

第二次世界大戦のヨーロッパ側での「原因」のひとつ、「ミュンヘン会議」(1938年)で、この国の「ズデーテン地方」のドイツへの帰属が認められ、国家の「解体」がはじまる。
われわれ日本人がしっておくべきは、「ミュンヘン会議」における「出席者」に、当事者のチェコスロバキア代表が「いない」ことだ。

これは、1772年から1939年まで、なんと5回もおこなわれた「ポーランド分割」もおなじだ。
周辺の「強国たち」によって、「勝手に自国が分割」されてしまうことがあるのだ。当事者の小国は哀しいかな「さからえない」のである。

とうぜんに、国民は悲惨な目にあうが、それすら国際社会はみない振りをするのである。
なんとこれが「国際法」ということになっている。

つまるところ、強国は「国際法」を「破る」ことで、強国たらんとする行動をとることも、国際法は「内包」しているとしるべきだ。

犬社会における「ボス」だけが、群れの低位の犬がとらえたエサを横取りしてもゆるされるのとにている。もちろん、このばあい、低位の犬は抵抗できないし、抵抗をゆるされない。
けれども、犬の記憶力は都合よく、この理不尽を忘却するようになっているから、ストレスにならない。

家庭の愛玩犬におきる「問題行動」のほとんどは、飼い主が、じぶんが「ボス」であることを犬におしえないために発生する、「精神疾患」といわれる。
おおくの犬は、ボスに依存したい欲求があるから、その欲求不満が強いストレスになって「問題行動」になっているだけなのだ。

その意味で、犬をコントロールできる飼い主は、強国とおなじ行動を犬に対して「できる」ひとである。
だから、戦後の日本人は、犬もまともに飼えなくなった。

すなわち犬をコントロールできないのは、じぶんが「弱小国の発想」と行動パターンをしていることを犬に見破られてしまって「問題行動」を、飼い主が犬に起こ「させている」のにも気づかない。
「毅然とした態度」が、なんと犬に対してさえもできないのだ。

「やさしさ」が「仇」になることがある。
それは、勘違いのやさしさなのである。

「プラハ」といえば、1968年の「プラハの春」が連想される。
背景にあるのは、「スターリン批判」による「精神ショック」だ。
強制的に「悪」を「善」とする全体主義において、「絶体善」であったはずのスターリンが、「悪」とされたから、「なんだったんだ」になった。

これも「強制」をともなう価値観の転換だから、犬の群れにたとえれば、「ボス」の交替で、犬たちにはありえないことがあたらしいボスによって強制され、犬たちが「問題行動」をおこしたようなものだ。
ぜんぜん、いいたとえではないが。
ただし、人間は都合よくわすれはしない。

しかし、現実におきた「プラハの春」は、ソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍による軍事介入にまで発展する。
これで、チェコスロバキアは全土を占領されてしまうが、市民が無差別に殺戮される過程があった。

なので、プラハ市民には、わすれることができない事件なのだ。
それで、「人間の顔をした社会主義」が「正義」となった。
鉄のカーテンの内側では、ここまでが「限界」だった。

それから、とうとう、東欧の自由革命となってチェコスロバキアも自由化された。
力のたががはずれたのを機に、チェコとスロバキアは別々の国になった。

ソ連圏内での「分業体制」で、工業を割り当てられたチェコには工業力がある。
この経済力と、プラハの春で英雄になった人物が投獄の経歴をもって「初代大統領」になってソフトランディングに成功する。

いまの大統領は、「親中路線」を突き進んでいるが、プラハ市長は初代大統領の系統にある。
それで、今回のニュースになったのだ。
つまり、筋金入りの「人権派」ともいえる。

根っこに「プラハの春」があるから、東欧圏では理解がはやいはずだ。

はたして、「シラッと顔の社会主義」をやっているわが国では、他人事である。
ふだん「人権」を「口にする」ひとたちの仮面が剥がれるときなのだが、全員が仮面をかぶっているから剥がれもしない。

日本社会党が衰退をはじめたのは、「プラハの春」の悲惨な顛末である市民殺戮に「加担」したからともいわれる。
このときから「仮面」が剥がれないのは、もう顔に食い込んでとれないのだろう。「拉致」を認めなかったのがこれだ。

カジノ反対運動が、市民投票実施派と市長リコール派とに分裂している横浜市は、「大連港」「上海港」という「港」を相手にしながらも、「上海市」と「北京市」ともに姉妹都市になっている。
注目は、2006年に「台北市」と提携していることだ。

つまりは、中田市長二期目のスタート時にあたる。
「基隆港」がないのが不思議だが、地方都市による台湾重視は、もっとあっていい。

はたして連鎖反応になるのか?
世界は?国内は?
あたらしい「踏み絵」になるかもしれない。

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