ミリタリースカウト

英国の元気な小中学生のおもに男子が,課外授業として選択するのが「ミリタリースカウト」だ.
軟弱ものは「ボーイスカウト」に入って,女の子の「ガールスカウト」から分離された,男だけの世界にいくけれど,やんちゃ組から軽蔑の目でみられるそしりは免れないという.
それで,本当はボーイスカウトでジャンボリーを歌っていたいけど,見栄でミリタリースカウトに入るのが多数いるというから,子どもの世界ではある.

ミリタリースカウトの制服は,正規の英国陸軍が採用する迷彩服で,装備のほとんどが本物かその模倣品だ.
もちろん,銃はニセモノだが,案外強力な水鉄砲を携行する.
このなかに仕込む水は,蛍光特殊インキだというから,手が込んでいる.

週に二回の訓練日は,本物の英国陸軍軍曹が学校にやってきて,様々な訓練が実施される.
座学では,捕虜についての国際法も学ぶというから,ジュネーブ四条約が要求する,国民への教育義務に則している.

さらに,夏休みには二泊三日の森の中でのサバイバル訓練がある.
渡される食料は一日分なので,残りは自分たちで森の中から調達する.
そのため,事前に昆虫や小動物の処理方法と食しかたを学ぶし,水は携帯浄水器である「特殊な」ストローが支給される.
いざとなれば水たまりの水や,自分の尿を飲むことになるが,このストローをつかえば万全だという.

一日分の食料として支給されるものは,特殊な缶詰で,下痢防止の薬剤入りだ.
それで,上記の飲食をしても,死なない,ということになっている.
経験者のはなしによれば,この特殊缶詰をいつ食べるかのタイミングが重要で,やはり空腹から我慢できずに森のなかの生きものを食べた後にとっておくというが,たしかに下痢はしないらしい.
なお,特殊なストローは,いまだにどこが「特殊な」構造だったのかわからないという.

それで,かれらは森でなにをするのかといえば,事前に教えられた作戦どおりの行動を5・6人のグループが小隊となって活動しながら,別の小隊を敵と定めて会合すれば特殊インキの水鉄砲で交戦するという.
このインキは簡単に落ちないので,戦闘が終了すると死亡や負傷の度合いが「評価」されて,評価されたものはその場で離脱させられる.
だから,最後まで「無傷で生きのこった小隊」が,英雄として帰還するそうだ.

ものすごいことを小中学生が体験するが,プロの軍人が子どもにつけた発信器でちゃんと見守っているので,事故はないという.
こうした体験から,自分の才能に気づいて,本物の軍人を目指す子どももいるから,れっきとした採用プログラムにもなっている.

また,この体験でのエピソードは,参加した子どもたちの一生の思い出でもあり,語り草になるから,みっともないことはできないと,子どもながらに発憤する.
そうやって,この訓練を終えると,精悍さがくわわった子どもにかわるというから,親も積極的にミリタリースカウト入りをすすめるのだ.

現代の日本では,想像もできないことが,ユーラシア大陸の反対側の島国であたりまえとして実施されている.
1976年に放送された,「刑事コロンボ」の第四シーズン「祝砲の挽歌」の舞台は,私立の陸軍幼年学校という,これもわが国ではありえない舞台設定であった.

学校の「部活」が,教師の負担として話題になっているが,どうもはなしがちいさい.
設立も,校庭の面積や教室も,教科書も,授業も,ぜんぶ国が決めている.
この息苦しさが,どうにもおさまらない.
選択の自由を失った,国家統制の息苦しさである.

わが国の学校で,軍事教練がおこなわれたのは,大正時代になってからだ.
しかし,旧制中学でのことだったから,ほとんどが義務教育の尋常小学校を卒業すれば社会にでた時代なので,これはエリート教育の一環だった.
陸軍から将校が派遣されたが,一人で何校も受け持つから,あんがい「一期一会」的になって,恨みっこなしの鉄拳がとんだらしい.

「少国民」として,ナチス・ドイツにまねた国民学校では,さわりをおこなったが,うまくはいかなかった.
空襲で集団疎開が必要になったが,結局は親戚をたよる個別疎開のほうが一般的になって,クラスが崩壊する.
集団であろうが個別であろうが,疎開先がなく都会に残った子どものおおくが,空襲の被害をうけて,孤児にもなった.

私の母や叔母も,個別疎開したといっていたが,従兄弟たちからのイジメがひどく,とうとう一度も帰省しなかった.
イジメた側の小父さんたちは,なぜ母や叔母が遊びにこないのか?なんどもなんども口にしていたから,そういった意識がまるでなかったのだろう.

1990年に公開された,篠田三郎監督の映画「少年時代」は,井上陽水のテーマ曲でも有名だが,「少女時代」の母や叔母は,こんなもんじゃなかったと,一生恨み節を語っていた.
都会と田舎の軋轢は,戦後の集団就職を起点にしてはいない.

わたしは,横浜で生まれた「横浜市健民少年団」に,小学生で入っていた.
団の制服は,共通のシャツとベレー帽,それにネッカチーフで,シャツは自分で編んだロープで飾ったものだ.
それに,男子は紺の半ズボン,女子はおなじ紺のスカートだったが,これは「指導」だったと記憶している.

活動中,手旗信号やロープの結び方をやらされたが,自衛隊とは関係がない.
帰宅すると水兵だった父からの熱い指導で辟易した.それがこうじて,モールス信号まで覚えさせられそうになった.
週末,ボランティアとかの活動で街をあるくと,ボーイスカウトとよく間違えられたが,服装がぜんぜんちがうし,女子もいる.ここに,隊員としての「誇り」があった.

かつては全国組織にまでなったというが,ずいぶん縮小した.
発祥地の横浜すら全18区中4区だけだが,もしかしたら,これは、当時とかわっていないかもしれない.
「健民」であって「県民」でないのも,神奈川県をほとんど意識しない横浜人の特性か?

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