岩盤規制のよい解説だけど

「歴史は発展する」というのは,社会主義や共産主義がいいふらした幻想にすぎないが,なんとなく聞き流したひとほど,洗脳されているから注意が必要だ.
「退化する」こともあるからだ.

それで,いいふらしたひとたちは,「退化」もヒトの尾てい骨のように「進化」だといいはるのだ.
これは、とんでもない人権侵害を正当化する.
政治犯を収容する場所で,どんな「教育」がおこなわれているのか?をかんがえればよいだろう.

日本という国の「特殊性」については,内外から指摘されつづけてきたから,「日本論」は山ほどの著作がのこされていて,そのほとんどが,やっぱり「特殊性」を摘出している.
それが日本「人」の特殊性に転換されるのは,国家の構成員なのだから道理である.

「革命」を経験した欧米諸国では,英国の「名誉革命」とフランスの「フランス革命」が,およそ正反対の立ち位置で対峙している.
そういう意味では,おおむね世界はこの二つの革命を源流とした二本の大河のどちらかにある.

英国の流れは,その後の「ピューリタン革命」になって,アメリカ合衆国の源流にあることはまちがいない.
一方,フランス革命は,ロシア革命や中国共産党に流れ,かつてもいまも社会主義の源流になっている.

さて,それではわが日本国はというと,他国より若干複雑ではないかとかんがえるから,「特殊性」のはなしに与する.
それは,二重構造で,表面を流れるものは英国からであるが,もうひとつ地下水脈があって,これはフランス革命というより強くロシア革命を源流としたものだ.

日本を「鵺(ぬえ)的」だというひとがいるのは,この二本の流れをさしたのではなかろうか?
「鵺」とは,頭は猿,胴は狸,尾は蛇,手足は虎,声はトラツグミという伝説上の怪物で,そこから「正体不明」をさすことになった.

だから,二つの革命の流れが日本のすがたであると特定すれば,それこそが「正体」であるから,「鵺」ではなく,「結合双生児」のような状態とかんがえる.
本物の結合双生児は,ベトちゃんドクちゃんでしられたが,産まれてきた彼らに罪はない.
しかし,国家のばあい,これは国民にたいして「罪」であるから,彼らのこととは別にしてかんがえるひつようがある.

日本という国は,表面上は自由主義・資本主義体制だが,地下での実態は社会主義・統制経済体制である.
戦時中の近衛文麿内閣が目指したのも,社会主義・統制経済体制であったが,大政翼賛会をつくってあびた批判から腰砕けになった.それでも,統制経済体制は実行された.

日本本土より,強力に計画経済・統制経済体制であったのは満州国だった.
スターリンが成功させた(というがほんとうはウソだった)「五ヵ年計画」を,ロシア人が逆立ちしてもできない完璧な事務能力で真似たのが,岸信介次官率いる満州国官僚群だ.
バリバリの自由主義者,阪急創業者の小林一三商工大臣と統制経済を主張して対立したのも岸だった.

戦後の混乱は,自由主義がはびこって,各地に「闇市」ができた.
「闇」なのだから,政府の統制にない,という意味だが,それならなぜ「自由市」と呼ばないのか?
政府の統制が正統で,これに従わないのは犯罪的,という価値感があったからである.

時間の経過という「歴史が進捗」して,役所も丸焼けになってしまった混乱から,役人の体制がととのいだすと,経済警察がこの「闇市」を取り締まった.
そして,闇市の側も,「歴史が進捗」して,駅前の雑居ビルに入居した.これらの建物は,いまだに残っているが,店舗の狭い区画とそのコピーという構造的特徴をみれば判断できる.

こうした時間の経過をみれば,「自由市」の弾圧からスタートしたのが戦後日本経済の特徴なのだ.
それが,どんどんと,あらゆる方面に「統制」が浸透するが,その主体は国民ではなく,役人と政治家たちだった.

自由と民主主義など,じつは一顧だにされていない.
それをまとめた本がでた.

筆者の上念司氏は,経済評論家として活躍中の有名人だが,はなしのところどころに冗談ではすまされないような冗談をはさんでくる.

この本も,最後のすかしっぺなのか,「おわりに」がいただけない.
「新自由主義の定義」にたいそうな混乱があるからだ.
日本の岩盤規制が,新自由主義の権化だ,という主張は,完全におかしい.

また,岸信介の孫である安倍総理が官房長官とふたりだけで,まるで岩盤規制と対峙しているという主張も,いいすぎだ.
上念氏には誇大妄想があるのではないかと疑いたくなる記述があるから,鵜呑みは禁物の本ではある.

彼のアベノミクス支持も,いいだしっぺの浜田宏一教授に師事したからだと著者略歴にあって納得したが,わたしは「戦後レジーム『回帰』」のアベノミクスを支持しているわではない.
そういう意味で,たいへんな矛盾にみちた本である.

多忙をきわめる上念氏は,新自由主義の本家,ミーゼスの著作や,その弟子にして同僚だったハイエクを読む暇がないのだろう.ましてや,ミルトン・フリードマンをや.
わが国の「流れ」の構造上,新自由主義がサッチャーの英国からの流れではなく,ロシア革命の流れからの批判という歪みを修整できていないことなのだろう.

本書本文における上念氏の主張は,新自由主義そのものであるからだ.
しかし,彼はその新自由主義を無視するアベノミクスを支持するという.

よいこは「おわりに」だけは読んじゃいけないよ.

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