愚かなワンパターン

なんどもおなじ失敗をくりかえせば、ふつうのひとなら気がついて、ちがう方法をかんがえだすか、その行為自体をやめるものだ。
しかし、そうしたことをしないで、またまたおなじ失敗をくりかえせば、他人はその本人の能力をうたがうものだ。

ましてや、それによってなんども莫大な損失をだすのなら、ふつうは「無能」の烙印をおして、二度とそうした業務にもつけることはしない。
ばあいによっては、わざと損失を出しつづけているのだと疑われて、損害賠償の請求があってもおかしくはない。

大手チェーンの寿司店で、アルバイトの若者が職場での不適切な行為を動画で撮影し、それをアップしたことで、この会社の株価は時価総額で二十数億円分もすっ飛んでしまった。

それで、会社は彼らを解雇しただけでなく、多額の損害賠償をもとめる訴訟を用意しているという。
これに対して、マスコミ世論は肯定的で、今後の予防にも「当然だ」とする論調が多数ある。

その根拠は、別のチェーン店でも同様の不適切な行為がおこなわれ、同様の損失が発生しているから、ということだ。

ならば、経済産業省という役所が主導して、莫大な金額を投じた半導体や液晶パネル事業をどうするのか?
アルバイトの個人がやった損失額と、比較にならない損失が正々堂々と発生しているのだ。

たとえば、液晶パネル事業では、台湾企業の連合体が投資することで、事実上の売却がきまったという報道が4月4日の新聞にある。
この記事の、経産省によるコメントに唖然としないものはいないだろう。

「液晶パネルで利益をだすことは、すでに困難」だというのだ。
だったら、なぜこのひとたちは途中で傷をうすめる努力をしなかったのだ?

この「無能」を、マスコミは一切書かないのはなぜだ?

ようするに、経済産業省という役所に、当事者能力など最初からないのである。
しかも、この莫大な損失を国民は請求できない。
つまり、窃盗をしておいてもその責任は一切とろうともしないのである。

政治家は、経済産業省に経済に関わらせない法律を立案すべきだ。
もっといえば、「解体」であって、全員解雇が適当である。

旧大蔵省銀行局や証券局のように、なくしても、あらたに金融庁という役所に「異動」させただけでは、なにもかわらない。
むしろ、かえって権限が強化されたのではないか?

その金融庁は、地方銀行の検査方針を大幅に変更するという。
向こう5年間ほどの経営計画と実績の比較で、利益が確保できないとなれば、「業務改善『命令』」をだすという噴飯物である。

すくなくても、わが国の「銀行」は、地方銀行でも「株式会社」なのである。
だから、株主が責を負うことになっている。
資本主義を否定する、金融庁という役所も、百害あって一利なしである。

しかも、全国銀行協会会長がいうように、日本の金融機関の利益がでなくなった根本は、日銀のマイナス金利政策によるところが大きい。
この春、九州の地方銀行に、現職の金融庁幹部が就任するのは、その意味ではじめて経営の困難さをしるだろう。

このブログでなんども指摘しているように、文系・法学部出のかれらは、「法律」と「現実」が合致するという「教育」を、日本を代表する難関大学でたたきこまれている。

これが、「倒錯」の「幻想」でしかないと、勉強エリートたちにはわからないのだ。
もちろん、この勉強エリートたちには、教授陣もふくまれる。
つまり、そこは一種の「宗教団体」、すなわち「カルト」ではないのか?

そんな卒業生ばかりで構成されるカルト集団が、わが国の役所だ。
その役所がつくった、都合のよい報道制御の手法が「記者クラブ」だ。
報道の対象となる「ネタ」を、クラブに入会を許されたすくない報道機関で分け合うのだから、結局この国から「ジャーナリズム」が消滅する。

こうして、政府の記事は報道制御されたものだから、国際機関から日本に「報道の自由がない」などという指摘をうけるのだ。
これを、特定の政治家のせい、にすれば「記者クラブ」の秘密はまもられるというワンパターンもある。

そんなわけで、記者クラブを持ちようのない一般人は、報道の攻撃にさらされて、家に閉じこもるしかなくなる。
先の問題をしでかした学生アルバイトたちが、精神的ショック状態にあるというのは、さもありなん、なのである。

この国のゆがんだ社会主義が、役所の「無謬性」という「神話」をアンタッチャブルにして、道からはずれた個人をたたくのに専念する。
もはや、全体主義の定義にあたることを、だれもいわないことに戦慄さえおぼえるのである。

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