旧約聖書を読むべきだ

日本人には宗教を医学化してしまうくせがある。
つまり、薬のように「効く」か「効かない」という選択を、宗教に対してするのである。

この列島のもともとのオリジナル宗教は「神道」である。
だれでも「八百万神」はしっているが、具体的な神様となるととたんに「天照大神」のほかによくしらない。
戦後の教育がそうさせた。

韓国ではハングル教育に特化して、漢字の教育をやめようとしたのは李承晩政権下1948年施行の「ハングル専用に関する法律」だったが、これを「禁止」にまでしたのが朴正煕政権下1970年だった。
そんなわけで、漢字が読めないことがふつうになったのである。

かくして、教育の「成果」には、「退化」もふくまれることがわかるのである。
もちろん、日本だって、ついぞ明治期の文学すら原文で読めるのがふつうだとはいいがたい。

学校教育が明治のはじめに制定されたからといって、すぐに江戸時代の教育がすたれたこともない。
身分制における教育だから、武士階級とそれ以外では根本的にことなる。

支配層としての教養は、武士階級だけに伝播すればよく、幕府が朱子学を奨励したのは、将軍という君主に対する臣下のありかたを解いたからで、各藩もこぞってこれにならうのは将軍に対する叛意のなさを示すと同時に、藩主への忠誠をまなばせる必要があったからである。

しかしながら、朱子学とは儒学の解釈でもあった。
日本では「儒学」だが、本家では「儒教」であるから宗教なのだ。
宗教が禁じられる共産社会をのぞくと、儒教がいきているのは韓国で、いまでも「宗教」なのである。

インド発祥の仏教も、病気平癒をはじめとして、わが国に伝わるとどうしたわけか「薬」になって、寺院は「学問化」して学僧ができる。
学僧は森羅万象に通じるべく修行にはげむが、求められるのは「薬」としての効能なのである。

どの宗教が「効く」のか?

庶民に余裕ができてくると、庶民向けの宗教がうまれる。
それが爆発的なエネルギーとなってあらわれたのが「一向一揆」だった。
法然を始祖とし、親鸞が完成させた。

それで、為政者はいかにして一向宗を鎮めるかが重要課題になる。
そんなときに、キリスト教が伝播して、どんなものかときけば一向宗に似ているので、代用として採用をはかるのである。
けれども、宣教師には別の目的(植民地化)があることをさとって、これを禁止したのは、近代日本の成功における根本につながる。

そんなわけで、キリシタンはあやしい、ということになっているが、これを支えたのが、東西に分裂させられた本願寺の存在ではないかとかんがえるのである。
真宗の教義は、キリスト教に酷似しているからである。

徳川幕府における「奉行」でも、とくに重要で将軍直属という別格が「寺社奉行」だった。老中直下の勘定奉行・町奉行とは組織上も段違いなのである。

しかし、残念ながらグローバル化したいまの時代において、「儒学」の価値観では外国人相手には通用しない。
世界観として、最低でも『旧約聖書』は読んでおきたい。

明治の知恵は、「日本教」という独自の宗教をあみだして欧米に対抗し、成功した。
これが「国体」の正体である。

すなわち、キリスト教世界における「神」を「天皇」に読み替えたのだった。
だから、天皇は「現人神」である必要があった。

現代のひとびとはかんたんに「バカな」と嗤うが、当時のひとびとだって、天皇が人間であることは承知している。
にもかかわらず、「現人神」としたのは、欧米のような中心がないゆえの想像上の中心を天皇に仮託していたからである。

つまり、「イリュージョン」である。
しかし、「イリュージョン」を「イリュージョン」としてあつかうことの意味を承知していた。
だから、最貧国から急速に一等国たりえたのである。

明治人のおそるべき欧米研究の深さとその理解、そして応用実務なのである。
これができたのは、江戸時代をつうじて「儒学」の完成があったからで「儒教」としなかったことだ。

ところが、三島由紀夫が「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と嘆じたように、新憲法発布前に「人間宣言」をしてしまった。(させられた)
これをもって、明治以来の「イリュージョン」が溶けてしまったのである。

山本七平が、「『戦前の日本人が神話を事実と信じていた』という”神話”を戦後の日本人は信じている」というのはこのことである。

しかし、その「溶け方」が緩やかだったのは、「イリュージョン」であることを意識できる世代が生き残っていたからだった。
端的にいえば、「昭和一桁」世代のことである。
このひとたちが、明治期教育の最後の世代だからである。

もはや「昭和二桁」がほとんどとなったから、急速にわが国の中心が溶解しているようにみえるようになった。
つっかえ棒を完全喪失したからである。

いまさら「日本教」に戻れない。
ならば、せめて明治人が原典とした『旧約聖書』を読むしかない。

「薬」になるからである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください