理由がちがう電子決済

日本は世界から遅れている、というと「いけないこと」だと思い込む「いけない癖」がある。
この癖がいけないのは、つねに「世界のトップ」にいないと気がすまないという「傲慢さ」がベースにあるからだ。

かつての謙虚だった日本人はもういない。
そんな日本人たちが住む日本を愛したドナルド・キーン氏も、もういない。
キーン氏こそが、日本人以上の日本人だった。

勲二等や文化勲章をもらったひとだから偉い、のではなくて、偉いから勲章をもらったのである。
順番をまちがえることが、たまに起きることがあるのは、政治家と役人のお手盛りで、偉くないひとがもらうことがあるからだ。

「電子決済」をしたくてしたくて、おねだりしている役人たちがいる。
それで、しかたがないからその要望をかなえようと、大金をかけて準備する銀行がでてきた。
これを、おねだりした役人たちが絶賛する、という順番になっている。

役人たちのおねだりは、無い物ねだり、だから幼児の要求とおなじである。
ヨーロッパであたりまえでも気に入らないのに、中国で普及して、来訪する中国人観光客がいう「日本は遅れている」が気に入らないのだ。

これは、一種の人種差別ではないのか?
横目でみて、アメリカでもそこそこ普及しているから、いよいよ「まずい」と思いこむのである。
ここに、日本の立ち位置が相対化されて、たいそうな「不安」になるという病理である。

前にも書いたが、ヨーロッパの銀行制度では、当座預金が資産管理口座になっているのが「ふつう」なのだ。
それに、小切手がさかんに流通していた歴史があるから、クレジットカードが発明されたのは、小切手の延長であった。

小切手は当座預金をつかう方法なので、ヨーロッパ人にとってのクレジットカードは、いまでも当座預金をつかう方法になっている。
だから、クレジットカードの「色」が、「ステイタス」を語るのである。

それで、ヨーロッパ人は、小切手やクレジットカードを利用すると、自身の「与信が減る」とかんがえる。
取引先銀行は、与信をポイント化して管理しているから、これまでに問題をおこしていなければ高いポイントを付与してある。

もしも、残高よりも使いんでも、自動的に貸し越ししてくれるので、不渡にならない。
もちろん、貸し越した金額がすぐに補充されれば、本人への与信ポイントにボーナスポイントも加算されるのである。

とはいえ、一般人にとって、当座預金に余裕があるわけではない。
自宅を所有していれば、それも与信に加算されるが、都心部のサラリーマンなら賃貸暮らしのほうがたくさんいる。
だから、日本と同様に、給与の振込口座である普通口座が、生活口座になる。

ところが、生活口座を原資とする、クレジットカードが存在しない。
それで、普通口座から引き落とすデビッドカードが普及した。
くわえて、ユーロを導入していない国では自国通貨とユーロという二本立て通貨になったから、自動的に計算できるデビッドカードの電子版がいよいよ普及したのである。
これに外国からの観光客も、その便利さを享受している。

日本では、とうぜん明治期に銀行制度も輸入したが、江戸時代からとっくに飛脚による「為替」が普及していた。
経済の中心地大阪は「金貨」、江戸は「銀貨」が普及していたから、これを通用させる「両替商」が「銀行」の看板をかかげる。

そんなわけで、わが国では小切手はふつうにならず、いまでも「郵便為替」があるようなことになっている。
一般人で当座預金をもつひとなんていないから、普通預金でクレジットカードがつかえるようになって、年会費で「色」がかわる。

後発のデビッドカードが、ぜんぜん普及しないのも、CDで現金をおろしてつかう方が便利だからである。
カードなら、クレジットカードをつかった方がポイントがつく、という発想になるのは当然だろう。

中国での普及は、紙幣がよごれて残念な状態であるのと、偽札問題だ。
信用できない汚い「紙」をもつより、電子決済が便利なのはいうまでもない。

ただし、すでに運転資金なら「与信システム」と連動して、その場で融資がきまるようにもなっている。
これは、不動産担保をかならず要求せよという金融庁がないからで、中国が優れているというよりも、日本がたしかに劣っていることになる。

つまり、国家依存していたら、金融の中心である「与信システム」まで、中国の後塵を拝すことになったというお粗末である。

昨夜、NHKの「100分de名著」という本来の娯楽番組で、「オルテガ『大衆の反逆』」が最終回だったようだ。
わたしはテレビをみないので、書店でテキストを購入した。

 

どうやら、このあたりに起点をおいて、電子決済をおねだりする役人が存在する社会をかんがえた方がよさそうだ。

昨年、自裁した西部邁氏は、東大時代に全学連の中央執行委員をもって60年安保闘争に邁進するが、その後「転向」し、保守論客となった。
その西部氏を師と仰ぐ、番組解説者の中島岳志氏の推薦書が『大衆への反逆』である。

なるほど、日本人なら、オルテガとの併読がのぞましいだろう。

結局、社会はわたしたち多数がつくっているからである。

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