寿命が縮む

むかしは、びっくりしたときに、「寿命が縮むかとおもった」といって心臓あたりに手を添えたものである。

そんな一瞬の行動をとったひとたちは、たいがい明治生まれだった。

このひとたちが生まれたころの日本人の寿命は、50歳台、だから、いまの「人生百年時代」というだけで2倍、実質的に80歳台であることでいえば、1.6倍の長さになったのである。

そこで、有意義な人生を送る、ということが萎えて、とにかく長生きすること=死なない、が最優先となったのは、戦後の価値観形成に理由があるのだろう。
「命は地球より重い」といって、超法規的措置を実行したのは、1977年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」における犯人側の要求をのんだ福田赳夫首相のことばであった。

「超法規的措置」とは、法(治)を無視する、という意味である。

つまり、福田氏は「独裁者」としての行動を選択したのである。
そこには、「人質」となった一般人の救出・保護という大目的があった。
だが、問題なのは、その後も、このような事態が発生したときの「法」が用意されていないことにある。

つまり、わが国は、一般人が理不尽にも人質とされた場合の緊急事態に、いつでも「超法規的措置」がとれることを、「解釈改憲」したも同然ということになったので、「法治」を放棄した。

それが、2015年にアルカイダに囚われた、フリージャーナリストの救出劇にも発揮されたのである。

こうした日本政府の行為は、国際社会、から大層非難された。
テロに屈する、という解釈となるからである。
だが、戦後のわが国の「(絶対的)平和主義」というイデオロギー下の体制では、テロに屈することが「正義」なのである。

もちろん、日米安全保障条約でいうなら、わが国をそんな国にしたアメリカ(民主党)が、強力なテロ対策(=テロリストの撲滅)をすべきであって、いざとなったときに日本人をアメリカが救出できないのは、十分にアメリカを非難する理由となる。

ところが、そのアメリカがトランプ政権2.0になって、掌を返した。

日本は日本を自分で守れというだけでなく、日米安全保障条約の片務条件に文句をつけて、日本(軍)は、アメリカ(軍)を救助せよともいっているのである。

それで、「自・公・立憲」政権は、あろうことか集団的安全保障を条件とするNATOに接近して、「準」から「正規」加盟を意図しているようにみえる。
軍事同盟そのものであるNATOの事務所が、東京に設置された理由がほかにみつからない。

しかるに、もしもNATO以外の国が、NATOに加盟した日本を攻めることがあれば、一致団結して「戦争状態に突入する」という加盟国義務が、あたかも防衛上の有利とみる外務省高官がいるからだろうし、防衛省の内局官僚も同調しているので、「自・公・立憲」政権も馬車馬のように邁進することが「国家安全保障」だとかんがえているにちがいない。

しかも、それが戦争屋のヨーロッパ主流派にとって、日米分断策となるから、より望ましいのだろう。

けれども、ウクライナをみれば明らかなように、NATOに防衛力なぞ存在しない。
武器すら、もっといえば、弾丸の一発すらも、域内に製造ラインをもっていない。
さらに、最新・最強を自慢した兵器システムが、ロシア軍に打ち負かされて、質と量の両方で圧倒されてしまったのである。

戦争屋にとっては、勝敗はどうでもいいから、とにかくウクライナ人がどれだけ死のうが、武器が売れればいい。
だから、和平を結んではならない、から全力で妨害する。
それで30日間の「停戦」中に、プーチン氏がいうように「塹壕を掘る時間稼ぎ」をしたい。

こんな見え透いたことに、日本政府が加担しているのである。

しかし、政治そのものに興味を失わせる訓練を施された日本人大衆は、興味もないのである。
こうしたことが、日本人の寿命をも縮めることになるとは、夢にも思っていない「お花畑」状態で、ますます確定的になるのである。



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