偽ブランド品といえば,中国製という条件反射ができた.
アメリカ大統領がこれに「罰金を課す」といったら,いきなり中朝の「外交」で対抗した.
暴力的でこまった人たち,なのだが,この人たちの手本は日本ではないか?とおもったので書いておく.
明治からこの150年間,日本という国のコンセプトは,「もたざる国の悲哀をいかに克服するか?」であったのではないか?
世界で最初に産業革命をなしとげた英国は,典型的な「持てる国」だった.
おなじ島国ではあるが,このちがいは決定的である.
日本が開国したとき,英国はすでに「持てる国」だったから,こちらからみれば相手ははるか先を走っているし,相手からみればこちらはよく分からない存在だったのだろう.アーネスト・サトウを読めば,そのへんの事情がよくわかる.
産業史を働くひとの方からみると,労働組合のなりたちの日英でのちがいも,「持てる国」と「持たざる国」のちがいとなってあらわれてくる.
岩波新書にある大河内一男「戦後日本の労働運動」(1955年)をみれば,丁寧な解説がある.
ついでに,この本の出版年に注目してほしい.
このテーマを,広くみているのが片山杜秀の「未完のファシズム」(2012年)であるから,あわせてみるとよいだろう.
さて,ここからが中国のはなしである.
わたしはもちろん近現代史の専門家ではない.しかし,近現代史で彼の国を「中国」とよぶとわからなくなることがおおいにある.「わからなくなる」とは,主語のことである.
つまり,いったいそれは,いつの時代なのか?とか,支配者はだれだったのか?とか,地域的にはどこだったのか?とかという,基本的なことが,「中国」ではおおきすぎてわからなくなる.
日本とちがって,200もの民族がすむといわれるから,それなりの大きさや時代における区分が必要だということだ.
ありていにいえば,「日清戦争」というように,近代のはじまりにおける彼の国は「清」だった.
ところが,この国は,「満州族」という外国人による征服政権だから,自分たちの出身地ではない南方の土地にたいする執着がない.それで,アヘン戦争とよばれる「英清(清英でもよい?)戦争」で,香港を引き渡すことになってもあわてなかった.
「満州」は,いま「東北部」とよばれているが,万里の長城の東側であるから,古代以来の歴代も,直接支配したことはない.清のラストエンペラーだった,溥儀氏をおしたてて日本は「満州国」をつくり,そこの初代に溥儀氏をすえたのは,故郷にかえってきたということだった.
だから,当時の地図をみると,いまの「中華人民共和国」がやたらと膨張しているのがわかる.
辛亥革命で,清王朝が滅亡し,できたのが「中華民国」だ.それがうまくいかなくて,結局は,毛沢東の共産党と,蒋介石の「中華民国」が内戦をしたり手を結んだりして,おわってみれば「中華人民共和国」になっていた.どちらも略すと「中国」になるから,ややこしくなるのだ.それで,蒋介石が逃げ込んだのが「台湾」だから,これを「台湾」とし,大陸を「中国」とよんでいる.
日本領だった台湾の帰属問題は,いまだに放置されているが,本来はいまも日本領のはずである.
これを,李登輝元台湾総統も指摘している.台湾独立問題のそのしたの概念には,国際法的にも日本領のはずだという問題がひそんでいる.
毛沢東が国内に引きこもってくれたおかげで,日本はおおいに「輸出」で稼げた.
その毛沢東が,大陸を支配できたのは,うまく蒋介石と日本軍が戦ってくれたからだとして,日本軍に感謝の発言をしていることは,とっくに封印されている.
ところで,明治以来の「持たざる国」の日本では,いかに人件費を安くするかが国家戦略でもあり,企業戦略でもあった.資源がない,とはこれを意味する.
この大戦略は,いまもつづいている.ここをおさえないと,おおきな物語を見失う.
それで,毛沢東が死んで,改革開放になったとき,中国人は日本のシステムをパクった.
ソ連と大げんかしたなかで,じつは日本がソ連型社会主義でもっとも成功しているとみえたのではないか?
日本にかわって,「世界の工場」になったその中国の労働者対策は,労働者の国のはずなのになにもしないという政策で,支配者がふとることしかしない.
よーく観察すると,中国は日本型社会主義の国なのだ.