関数電卓考

伝票などの計算をするとわかっていたら,コンパクトな加算(置数)式の電卓がいい,というはなしは書いた.
事務実務での計算のほとんどが足し算だから、加算(置数)式の電卓が圧倒的に有利なのだ.
この機種には,イコールキーが独立していない.「+=」「-=」と加算キーと減算キーがイコールと一緒になっている.

1+2+3=6 を計算するだけなら,算式どおり方式と変わらない.
算式どおりなら,「1+2+3+」か「1+2+3=」で「6」になる.
加算式では,「1+=2+=3+=」で「6」になるから,キー操作はおなじだ.

ところが,「1+=2+=4+=」と,まちがって「4+=」を入力してしまったら,加算式なら「-=」キーだけをおして「3+=」とすればよいが,算式どおりなら,まちがった数を入力して減算しなければならないので,桁数がおおきな数をまちがえて入力したら,お手上げである.もちろん,数字の入力だけで「+」や「+=」を押すまえなら「C」で修正できるのはどちらもおなじだ.

加算(置数)式の電卓は,前に入力した数字を「置数」として記憶しているからできるのだ.
だから,おなじ数が連続して出てくる場合は,数字の入力がいらない.
たとえば,「2+2+2」なら,「2+=+=+=」と「+=」キーをおなじ数字のくりかえし数分おすだけでよい.

ふだん持ち歩く電卓は,関数電卓であることがおおい.
わすれてしまっても,スマホのアプリに関数電卓があるから,もしものときも安心になった.
しかし,スマホのタッチパネルが意外ないたずらをするから,実機があるほうがいい.
わたしは,TI(テキサスインスツルメンツ)の小学生用関数電卓を愛用している.

これは,アメリカの小学生がつかっているが,たぶん大学二年生まで愛用できるはずだ.「文系」なら一生である.大人のわたしが便利な理由だ.
世界の先進国における算数・数学教育の現場で,すなわち授業で,電卓をつかわないのはなんと日本だけになったという.(ごく一部の学校でつかっているが,おそろしくすくない.指導要領にないからだ.)

その日本では,小学校で「プログラミング」を必修にするという学習指導要領の改正予定があるから,どうもはなしがいびつである.電卓はつかわないが,パソコンはつかう,どこかいやな香りがするのはわたしだけか?

上述のように学校現場で電卓をつかわないから,日本製の教育用電卓は日本で入手困難である.
それで,アメリカ製の電卓が,教育用として発達した.
「電卓」なんて,日本製が世界を席巻した,とおもったら大間違いなのだ.
もちろん,授業で電卓をつかうから,試験でも電卓は持ち込み可能である.
さすがに,プログラム電卓は持ち込み禁止だというが,ちょっとした驚きである.

ついでにいえば,日本ではプログラミングをパソコンでやると決めつけているが,上述のように電卓でもプログラミングはできる.だったら,先進国日本は,小中学校の授業でプログラミング電卓を試験持ち込み可能にした方が,よほど生徒のインセンティブになるのではないか?

日米の電卓で,思想のちがいがあるのも興味深い.
さいきんの関数電卓は,数式どおりの入力ができるので,「数式の解釈」というものがうまれる.
6÷2(2+1)=?
アメリカの電卓のこたえは「9」になる.6÷2×(2+1)と解釈している.
日本の電卓のこたえは「1」になる.6÷(2(2+1))と解釈している.
6÷2(2+1)=と入力すると,わざわざ,6÷(2(2+1))と書換変換してから「1」と表示するというから念がはいっている.

義務教育の学校の授業では電卓をつかわない日本でも,土地家屋調査士などの試験には関数電卓が持ち込み可能である.それで,「公平」をきすために,電源オフですべてのメモリーもクリアされるような機種が指定されている.
いつのまにか,日本製の関数電卓は,電源を落とすとメモリーが消えるものだけになった.

実務として,これはたいへん不便である.
だから,実務家は日本製の関数電卓をつかわない,という現象がおきている.
TI小学生用関数電卓は,もちろん電源をおとしてもまえの計算を式ごと覚えている.しかも,過去の式を一発コピーして数字の上書きができるので,よくつかう式は,最初から入力しなくてよいというすぐれものなのだ.

わたしが関数電卓をつかういちばんの理由は,複利計算ができるからである.
「金融電卓」という,ローン計算に特化したような関数電卓もある.
年率7%の複利で,1万円を10年間預金したら,10年後にいくらになっているか?
一万円×1.07の10乗がこたえである.

ふつうの電卓なら,1万円×1.07を10回くりかえす定数計算をすれば面倒でも計算できる.ところが,ふつうの電卓では,この逆ができない.
10年で1万円が2万円になる金利はいくらか?
10√(2万円/1万円)というべき乗根をだす計算のことである.

ふつうの電卓に√(ルート)キーがあれば,2の乗数分なら計算できる.
今年の売上高を昨年からの伸び率で知りたければ,そのまま割り算.
今年の売上高を一昨年からの伸び率で知りたければ,√(ルート)キーをつかえばいい.
では,3年前は?4年前なら√(ルート)キーを二回おす.5年6年7年前は?
8年前なら√(ルート)キーを三回おす.というぐあいだ.

45年前に80円だったラーメンが,いま800円とすれば,年率でどのくらいの値上がりなのか?
45年√(800円/80円)=1.0525 つまり,年率5.25%の上昇をしたのだとわかる.
45年前に57,000円した小学生垂涎のウインカーつきサイクリング自転車が,いま200,000円とすれば?子どもの自転車に20万円なんて,とおもうかもしれないが計算すると,
45年√(200,000円/57,000円)=1.0283 つまり,2.83%.

さあ,ラーメンと自転車の価格上昇率,どうおもいますか?
工業国日本がデフレから脱却できない原因がみえてくるようではないか?
最新の電動アシスト自転車は,およそ100,000万円だから、念のために計算すると,
45年√(100,000円/57,000円)=1.0126 年率1%ちょっとしか値上がりしていない.
ぜんぜん達成できない日銀のインフレ目標は2%だということをおもいだすと,国内で自転車をつくっても儲からないことがわかる.ラーメン屋で成功すると,自転車の5倍儲かるのだ.

このほかに,便利な関数電卓として,HP(ヒューレットパッカード)の逆ポーランド式電卓がある.逆ポーランドとは,ふつうの計算式をポーランド記述式というから,その逆だ.
この電卓は,計算に()カッコがいらない.

加算(置数)式電卓は置数が一個しか記憶されないが,この電卓は入力の順番に四個まで記憶する.たった四個というなかれ,文系では式をみてもわからない計算をさっさとこなす電卓だ.
最近のスマホのアプリでは,無限に記憶するものもあるらしいが,そんな複雑な計算はわたしの人生で一生しないだろう.
こうしてみると,ふつうの電卓のなかでもばつぐんにつかいやすい,加算(置数)式電卓は逆ポーランド式でもある.

40万円の収入にたいして,源泉所得税(10.21%)がかかる.
いまは震災の増税分があるから,0.1021が係数になる.
それで,手取りを計算するには,40万円-40万円×0.1021 という式だから,ふつうのメモリー付き電卓なら,
400,000 M+ × .1021 M- MR 359,160円 と,メモリーキーをつかう.メモリー機能がないと,メモがいる.
TI小学生用関数電卓なら,400,000-400,000×.1021 Enter 359,160円
HP電卓だと,400,000 Enter Enter .1021 × - 359,160円

わかるかなぁ.
TI小学生用関数電卓は,数式内の引き算と掛け算の順番のルールをちゃんとまもっている.
HP電卓は,400,000円を二回記憶させて,二回目の記憶と係数を掛けて,一回目の記憶から引いている.これは,元の数式の解きかたを日本語で読んだときとおなじなのだ.それで,なれると「中毒」になって,ふつうの(ポーランド式)電卓がつかえなくなるといわれる電卓だ.

これらアメリカの電卓に共通なのは,イコールキーがなくて,Enterキーになっている.パソコンのキーボードとおなじだから,そもそもコンピューターを起源にしている電卓である.

すばらしい関数電卓の世界だが,かなしいかな文系にはつかいこなせる機能がすくなすぎる.
それでも,やはり便利なことにちがいはない.

ふつうの電卓考

ソロバンをならったひとをのぞくと,ふだんの計算には電卓をつかう.
その電卓も,スマホのアプリになったから,ほとんど計算しないひとはスマホですますことができる.
もっとも,買いものでの比較計算とか,アプリによっては本物の電卓より便利なものもある.

「実務」では,PCの表計算ソフトがある.
こうしてみると,電卓はスマホとPCに挟まれたせまい領域にいきているようだ.

さて,そのせまい領域にかおを突っ込むことにしよう.
ここで,電卓の種類を確認する.
ふつうの電卓と関数電卓がある.
ふつうの電卓とは,四則演算の機能にしぼったもので,事務での計算につかう.
大きさもさまざまで,カード型から卓上型まであるし,プリント機能がついているものもある.

ところが,このふつうの電卓にも二種類あって,算式どおりのものと加算(置数)式のものとがある.
また,√(ルート)キー付きのものとそうでないものに分類できるし,数字のキー配列,とくにゼロの位置とクリアキーの位置のちがいや,ゼロゼロキー(ゼロ二つ)があるもの,ゼロゼロゼロキー(ゼロ三つ)があるものと,バリエーションが豊富である.

わたしが不思議におもうのは,かつてあったコンパクトな加算(置数)式の電卓がいまは存在しないことである.あるのは,卓上型クラスのおおきさだけである.
なぜなのか?わからない.

20年以上まえに,職場で誕生日プレゼントとしていただいた電卓が,コンパクトな加算(置数)式の電卓で,さいわいいまも健在である.
これになれると,いまはこれしか売っていない算式どおりの電卓が不便で,ときにイライラすることがある.
それで,とっくに廃盤になったこの機種はどうなっているのかと調べたら,たまにネットオークションに出品されるらしい.最近終了したオークションの落札価格は,35,000円だった.

最近おなじメーカーが,超高級アルミ削り出しボディーの算式どおり電卓をだして話題になったが,そのお値段は30,000円だから,市場は廃盤の電卓によりたかい価値をつけている.
液晶テレビ事業で大失敗し,外国メーカーに買収された会社の電卓製品は,キー配列で「士業系」のひとたちに人気がある.
やはり不思議なことに,このメーカーも,コンパクトな加算(置数)式の電卓をつくっていない.

以上,ふたつのメーカーが,国内二大メーカーである.
算式どおりで比較しても,キーポジションのちがいは上述のとおりなのだが,じつは定数計算のキー操作がちがう.
わたしにとっては,コンパクトな加算(置数)式の電卓ではないので興味がうすい.

第三のメーカーとして,カメラで有名な会社が,コンパクトな加算(置数)式の電卓をだしていた.これは,「高級実務電卓」としての売りだしだったそうで,算式どおり式と加算(置数)式の選択スイッチ付きだった.しかし,これも不思議なことに,√(ルート)キーと+/-(サインチェンジ)キーがないのだ!
どうしてなのだろう.この二つのキーがなくて「実務電卓」といえるのか?しかも,すでに廃盤になっている.

コンパクトな加算(置数)式の電卓がないことは,生産性の低さの象徴かも知れないが,外国製の実務電卓をみる機会がほとんどないから,欧米先進諸国ではどうしているのか,さらに不思議である.
かれらは手がおおきいから,加算(置数)式の電卓が卓上型クラスであってもちょうどいいのだろうか?
しかし,それでは国内のネットオークションでの落札価格はどうなのだ?

まぁ,しつこく個人的要望をいえば,コンパクトな加算(置数)式の電卓を復活生産して欲しい,につきる.
わが家の優秀なコンパクトな加算(置数)式の電卓が不調になったら,とおもうと不安になってしまう.

じゃがいもパンケーキ

料理といえるのか?というほど単純なのだが,おいしいからつくってしまう.
必需品は,四面のチーズおろし器.もっとも粗めの面でじゃがいもを削る.
これがあんがい売っていない.
大根おろしのおろし金ばかりが目につく.

たまたまポーランドに出かけたので,スーパーの雑貨コーナーで購入した.
日本円で300円くらいだった.輸入したら千円ほどになるのだろう.
よく切れる.
なべをかき回す木製のヘラは,一本70円だった.

そういえば,どこかの道の駅で木のしゃもじを買った.
水に濡らすと,ごはんがくっつかない.
寿命がみじかいエンボス加工されたプラスチックのしゃもじよりよほど便利だ.
進化しているのか退化しているのかわからないことがある.

ベルギーでは,「フリッツ」と呼ぶポテトフライ.
そのむかしアメリカで,フランス語をはなす人がつくっていたから「フレンチフライポテト」というようになったとの説がある.
ベルギーで,「フレンチフライポテト」といっても通じない.

そのベルギーの家庭の必需品が,「フリッツ揚器」で,雑貨コーナーにはかならずあるし,電気屋さんにも専用の電気器具として何種類かおいてあった.「専用」なのは,どうやら油の温度管理機能のようだ.日本だと「天ぷら専用」となるのだろうが,天ぷらは主食ではない.
北ヨーロッパの緯度は高すぎるから,糖質であるでんぷんは,じゃがいもからとるのがふつうなのだ.だから、「フリッツ揚器」は,日本の「炊飯器」に匹敵する.

そもそもじゃがいもは南米が原産だから,コロンブス以降にヨーロッパにひろがる.
ルイ14世がベルギーを占領したのが原因で,ベルギーにじゃがいもが普及するから,ヨーロッパにつたわってもじゃがいもはちなまぐさい.

プロイセンのフリードリヒ大王といえば,大バッハが晩年の傑作「音楽の捧げ物」をまさに献げたあいてだが,この大王は「じゃがいも大王」とも呼ばれている.
じゃがいもの栽培を強制したからである.それで,ロシアまでじゃがいもの栽培が伝播する.

その「プロイセン」は,じつは広大で,東西にわけたあとの「東プロイセン」は.いまのポーランドとロシアの飛び地「カリーニングラード州」まで,バルト三国のリトアニアに接している.
ポーランドの「ポー」は,「ポーラ」というそうで本来は「ポーラ・ランド」.その意味は「原っぱ」とか「野っ原」であるから,邦訳するとポーランドは「原っぱ国」である.

首都ワルシャワの「文化科学宮殿」というスターリン時代の建物の30階が展望台になっているから,周辺をぐるりとみわたせば,その「平ぶり」が確認できる.
日本人の目線で,ここまで山がない景色はなかなかない.360°のパノラマが,地平線なのである.

それではと,鉄道の旅でもすれば,家や集落がなければ小麦かじゃがいも畑が延々とつづく.
ときどき森にはいるが,ほとんど坂がない.
「森へ行きましょう」という歌はポーランド民謡だ.
深い森はかならず山の中,というのは,日本人の錯覚で,地面は真っ平らなのに森が深い.
だから,危険なのだ.迷ったら帰れない.
「ヘンゼルとグレーテル」や「赤頭巾ちゃん」にでてくる「森」が,どんなところかはじめてわかった.

ドイツ機械化部隊が蹂躙した,というはなしは,じゃがいも畑を戦車隊が通過したにちがいない.
しかし,ロケット砲がある現代では,戦車だけではあまりに無防備だろう.
かくれる場所がないからだ.
それでNATOは空軍力を強化していると納得する.

こんなことをぼんやりかんがえていると,じゃがいもパンケーキはできあがる.
じゃがいもを削って,塩コショウしてフライパンで焼けばいい.
すこしチーズを入れてみてもいいだろう.

ポーランドのレストランで,単品でじゃがいもパンケーキを注文するのは,日本の食堂なら「ごはん」を単品で注文するようなものだ.
なるほど,これをたっぷり毎日食べていたら,あんな体型になるのは不思議ではない.

問題を発見できない

問題がいっぱいあってどこから手をつけていいのかわからない.
よくきく経営者の悩み事である.

いっぱいある,というのが本人の実感なら,いっぱいあるにちがいない.
それで,紙にランダムに書き出してもらうと,モヤモヤして三つも書くとペンがとまることがある.
どうやら,そのモヤモヤが問題なのだ.

紙とペンはそのままに,雑談をしていると「出てくる」ことがよくある.
忘れないように書き出して,さらに雑談をつづけると,何日目かでスッキリしてくる.
けっこう時間をようするが,スッキリしないことにはわからないから,なるべくスッキリするまで根気よく雑談をする.

さて,その「雑談」だが,これまでの事例をはなすことが大切だ.
どんなことが起きてこまったのか?記憶を呼び起こす作業である.
すると,だんだんとパターンがみえてくる.
それは,問題を放置したパターンのことだ.

日報がない

なんらかの書式がきまっているものもあれば,ふつうのノートに書き出すだけのこともある.
だから、「日報」といっても範囲がひろい.堅くかんがえてはいけないのだ.
現場には,かならず「日報」を用意するとよい.
人数や金額などの数字は,なるべくあったほうがいいが,「目的」によっては必要ないこともある.

経営者がほしい「日報」には,どんなことがかいてあるといいだろう?
いちど,白紙から項目だけでも書き出してみることをおすすめしたい.
数字の情報,記号の情報,文章をふくむ文字の情報,そしてビジュアル情報.
これを,だれが記入するのかをかんがえる.
担当部署はもちろんだが,担当者まできめたほうがよい.そこで,あんがいわすれがちなのは,経営者本人の記入すべきことと,確認すべきことの整理である.

宿事業や飲食事業は,基本的に「日銭商売」だから,日々の「日報」こそが,もっとも重要な一次資料になる.
そして,経営にはこれらの日報から「将来を読む」という重要な役割がある.
ただ記録するのが目的ではない.

問題発見が問題解決の第一歩

問題がわからなければ,解くことはできない.
小学校の学年があがると,算数にも「応用問題」がふえてくる.
「国語」がわからないと,解くべき問題が理解できないから,計算力のまえに国語力がとわれている.

企業のなかの業務には,おおきく二つの系統がある.「作業」と「仕事」である.
「作業」は,一見して「単純作業」というものと,「熟練作業」がある.
「単純作業」をこなして時間がたてば,だれでも「熟練」するかといえば,そうではない.
「作業」のなかにひそむ,問題発見ができて,それをみずから解決できるひとを「熟練工」といい,ひとは「職人」とよぶ.

「仕事」とは,「問題解決」のことをいうから,「熟練工・職人」の作業の結果を「仕事」という.単純作業のばあいは,たんに「作業結果」といって区別する.
「いい『仕事』してますねぇ」の「仕事」は,以上のことを指す名言である.

「作業」しかしていないのに,それを「仕事」だとかんちがいしてはならない.
たとえば,つかう道具がたとえ最新の高速処理ができるパソコンというものであっても,紙にあるデータを入力するとか,表計算のシートを作成する,というのは「問題解決」をしていないから「作業」である.その作業に,「熟練の技」もなければ,ひとは「単純作業」とよぶだろう.

だから、正規雇用だろうが非正規雇用だろうが,業務が「問題解決」であれば,「仕事」をしていることになり,その解決方法を独自にみつけるひとを「プロフェッショナル」という.
過去に話題になった「すごいひと」は,みなこの部類である.
かつての山形新幹線で,社内販売のカリスマと称された斉藤泉さんは,パートタイマーだったことが印象的だ.

いかにして,カリスマになったのか?
それは,問題を整理して理解し,仮説をたて実行する,という意識と行動のたまものである.
だれにでもできることではないが,本人にすれば,だれにでもできることなのだろう.

こういうひとを,いかにふやすのか?
それが,経営手腕である.