むかしからある、からといって今後もずっとある、というわけにはいかない。
けれども、ひとは、「希望」と「現実」が一緒くたになってしまうほど、特に自分のことは「希望」が優先するので、悪くかんがえることもやめてしまうものだ。
そうやって、家族も家も、仕事もなにも、永遠に続くと勝手に解釈して、「放置」するのである。
だから、突然、その「終わり」がみえてきたとき、かならず狼狽して冷静さを失い、最悪の事態になってしまうことがある。
これは、そのときになって「最悪をかんがえた」結果なのだ。
ひとは、自分がかんがえたことを実行するからである。
まさに、『ゴーストバスターズ』(1984年)での、「マシュマロマン」のごとくである。
ほんの一瞬でも、頭に浮かんだら、それが現実になってしまう。
まさか、この期に及んで「マシュマロマン」をイメージしたら、そうなった、というのはお笑い種ではないのだ。
脳とは、量子コンピュータであるという「説」は、意識が量子でできているという意味なので、宇宙空間を満たしている「ダークマター」やら「ダークエネルギー」とは、量子のことだという仮説になんだか説得力があるのである。
しかし、人類はまだ、その量子がなんだか特定できていない。
なので、現時点で量子として宇宙空間をさまよっている「意識」が、「永遠なるもの」にもっとも近い。
ただし、宇宙自体が永遠なるものかどうか?すらわかっていない。
将来のどこかの時点で、こうした「仮説」が証明されたら、人類が発明した「宗教」のほとんどが消滅する可能性もあるし、復活する宗教もあるやもしれぬ。
すると、「正しさ」ということを軸とした、証明された事実と合致しない宗教の信者と、合致するひととの間で、想像を絶する対立が生まれる可能性があるし、合致しない宗教のなかでも、どんな「崩壊」が起きるのか?
よくある科学における「もしも」であるのが、次の二題だ。
・もしも月が突然消滅したら
・もしも地球の自転が急に止まったら
どちらも、地上では悲惨が起きるとかんがえられている。
つまり、「かんがえた」ひとがいる。
あんがいとしられていないのは、太陽に対する地球の公転にあたって、地球と月は、あたかもダンスを踊るように、「ブレ」ながら公転している。
恒星でいう「連星」のようになっている。
しかも、月ができたのは、別の星が地球に衝突して、えぐれた地球の一部が剥がれて月になったという説がいまでは「定説」となっている。
だから、アポロ計画で持ち帰った「月の石」が、地球のそのへんにある石とおなじ組成だった、のだと。
一方で、地球側は、衝突によって内部が露出してかく乱された。
ために、本来はずっと内部にあったはずの物質が地表に出てきたというのである。
ちなみに、人類がこれまで掘った「穴」で、最深のものは、1万2261メートル(およそ12㎞)である。
日本記録は、新潟県にある6310メートルだ。
90年代に1万メートル級を目指した「日本列島における超深度掘削と坑井利用観測(JUDGE)計画」はあるものの、その後進展がないのは、「科学技術」の研究予算配分に、「役に立つ」という条件がついたためである。
それでもって、「文系」の官僚が予算を牛耳っている。
もう一つの「急に自転が止まったら」どうなるか?は、偏西風がとてつもない「風速」になって地表を襲う。
それに、赤道の円周は約4万㎞だから、これを24時間で割れば時速になる。
4万㎞ ÷ 24時間 ≒ 1700㎞ となる。
音速は、秒速約340m だから、時速(3600秒)にすると、約1225kmだ。
つまり、地球はマッハ1.4の超音速で自転している。
なので、急に止まると、慣性によって、ありとあらゆる地上のものはすっ飛んでいく。
残念ながら、人類などは生存できない。
ありがたいことに、地球の自転が急に止まることはない。
これが、「現実」だからかんがえることすら「ムダ」だというひとがいるけれど、果たしてそうなのか?
うつろいゆく時間とともに、老いていく「現実」を無視できるひとはいない。
ただ、若いときは除いて、という条件があるのは、「若さ」とは「時間を気にしない」時期をいうからである。
しかしていま、小学生が「老後」をかんがえる時代になった。
これこそが、「老化」なのである。
過去・現在・未来とは、個人の短い一生のことではなくて、「人類史」という観点からのことをいう。
すると、「永遠なるもの」がほとんど存在しないことに気づくのである。
あるのは、なんと「精神=意識」なのである。
なるほど、われわれの意識が宇宙にあるとすれば、それすら「幻想」かもしれないけれど、「永遠なるもの」にもっとも近しい。
まことに不思議なものである。