いまどきの「防災無線」考

わたしが子供のころの横浜市中心部(西区)は、いまでもある古河電工の当時は工場(いまは研究所)から、「時報のサイレン」が鳴っていた。
もしや空襲警報のサイレンもこれだったのか?
生まれる前のことなのでしらないで生きている。

それで、横浜市には「防災無線のスピーカー」が設置されていなかったので、工場が研究所になったら、ずいぶんと静かになった。
しかし、令和2年から、どういうわけか小中学校を拠点にした、防災無線を設置しはじめたのである。

幸いなことに、わが家がある地域には設置されていないので、いまのところ静かさは保持されている。
なのでたまに地方へ旅して、防災無線を通じた「下校の放送」やら、「音楽」を聞くと、全体主義的な雰囲気を味わえる。

ときに、徘徊中の老人を探す放送があったり、その後無事保護された旨の放送があって、とりあえず「よかった」とはおもう。
この「牧歌的」な感じがいい、というひともいれば、ただの騒音だとおもうひともいる。

それで、裁判になったこともあった。
とりあえず、行政側は「無罪」で、「原告は敗訴」することになったようである。
しかし、原告の希望は通って、「音を出さない」ことが認められている。

防災無線だから、ずっと音を出さないのではなくて、「試験放送の音」のことをいう。
つまり、あの「音楽」や「下校の放送」は、防災無線システムの「試験放送」だったのである。

すると、徘徊中の老人を探す放送はどんな位置づけなのか?
たぶん、「よかれ」として「応用」した、「試験放送」だとおもわれる。

なので、「騒音」を止めさせたいというひとは、原告になって敗訴して裁判費用を負担すれば、とにかく「試験放送」をやめてもらえる、というルールができたというわけである。

にもかかわらず、千葉県富津市で、24日、この防災無線が「騒動」となった。
この原因は、市の防災安全課に寄せられた「苦情」の処理だ。

「騒音」とした苦情に、「廃止」を決めたら、「文化」だという反対の苦情が殺到して、こんどは「廃止を撤廃」したのだった。
それでかんがえついた「苦肉の策」が、「下校の放送」と「時報の音楽」が1時間違いだったのでこれを「統合」するとした。

なんだかなぁの結論になったのである。

ここで、ちょっとかんがえたいのは、「市議会」の存在が見えないことだ。
もちろん、「市長」はどう判断したのか?という意見もあるようだ。
ただ、「市長」は、「行政の長」だから、防災安全課の決定とは、そのまま「市長の決定」を意味する。

だから、市長が「聞いていない」なんてことになると、たちまちよくある「組織の意志決定問題」になる。
このことを「忖度」したのかはしらないけれど、ニュース報道はここには触れずに、「担当者」の回答としている。

すると、「大マヌケ」は、「市議会」になる。

市民からの意見がことなる苦情に、完全しらんぷり=役人に丸投げ、しているからだ。
まさに、「市議会」での議論にふさわしい「議題」ではないか?
これぞ、市民の「生活密着」問題だからである。

これは、「大袈裟」ではなくて、わが国の民主主義が、ぜんぜん機能していないことの実例なのである。
なんのため、だれのための「議員」で、なんのため、だれのための「議会」なのか?がそのまま問われるからである。

この「お客さん」感覚に、違和感すら感じない「市民」という「住民」たちのお目出度さ。
おそらく、役人に向けた「批難」が起きているだろうけど、このばあいは役人をバカにする話ではない。

むしろ、市民たちが民主主義を理解していないことの「深刻さ」が、よほど「痛い」のである。

すると、富津の市民たちはバカなのか?
そうではない。

もっと大きな、「巨悪」が見えてくるのである。
それが、国家が仕込んだ「非民主主義」に仕向けたる「国民教育」の悲惨なのだ。

その被害者が、市民であり、議員であり、担当した役人なのである。

ならば、わが国の「公教育」を仕切っている文部科学省がバカなのか?
確かに、日本国民は、国家公務員「界」という世界における、「最低カースト」にあたる役所が、文部科学省だという位置づけをしらなければならない。

しかしながら、べつだん文部科学省を擁護するつもりは毛頭ないが、国家公務員試験の成績で最低ランクばかりを毎年採用させられている、ということもしらないといけない。

つまるところ、「東大卒」はおなじでも、卒業時成績という「序列」における最低の集合体が、文部科学省を構成しているのだ。
それゆえに、風俗好きな「変なひと」が事務次官になって、「天下り斡旋で違法行為」をして解任されても、公衆の面前に臆面もなく出てこられる神経だけはある。

ところが、そんな「カースト」をつくったのが、GHQなのだ。

占領軍が去ったわが国は、主権回復したことになっているけど、ほんとうは、在日米軍によってずっと占領されている。
在日米軍とは、わが国を防衛するためにいるのではなくて、第一義としてわが国をいまだに「軍事占領」しているのである。

その被占領下の国民意見が割れたとき、議会が機能しないのも、占領目的に適っていることをしらないといけない。
これぞ、「防災無線」が「無意味」の意味なのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください