「城崎」のおわりとカジノ法

城崎をからめた道中をつづってきた.
この旅のさなか,カジノ法が成立したから,いよいよどこで開業するのか?に話題がかわる.
往復の旅でお世話になった宿はしめて6軒.
どちらさまも,カジノは他人事の風情であった.

政治家や役人が先行してからむと,かならずトンチンカンなことになる.
それは,彼らは決して直接のプレイヤーではないからだ.
どんな意図があるのかしらないが,これにマスコミが迎合するから,つねにトンチンカンがはびこる.

「国家戦略」といえば聞こえがいいように思えるが,それは国民への命令をともなうから,聞こえもなにもぜんぜんいいものではない.
「カジノ」も国家戦略である.

あらゆる博打は胴元が儲かるようになっている.
これは博打開催の仕組みであり,博打になるゲームの確率論でもある.だから二重の意味での数学のこたえであって,いまさらのはなしだが,公営ギャンブルがそれを証明している.

この国では,パチンコ以外は公営でないと罰せられる.
カジノ事業をやろうと投資するのは,どうやら外国企業のようだ.日本企業に,カジノをやろうという動きがないのは,ノウハウがないとかんがえられているからである.
しかし,国内のカジノ学校は盛況である.

つまり,カジノ事業のノウハウとは,カジノ学校でおそわるルーレットやカードゲームの手さばきとは次元がちがうことを意味する.
ここが,カジノの本質なのだ.

城崎で最近話題になったのは,文化財として指定されていた射的やスマートボールなどの遊技場(かつては大人の男性向け劇場だった)が,管理していた女性の退去により取り壊されたというものだ.
じっさいに,その場所は駅から直線で橋をわたった一等地で,道路をはさんで隣が外湯の「地蔵湯」である.すでにあたらしい建物の基礎工事が炎天下急ピッチで進行していた.

これは,あたかもカジノの時代の幕開けに,かつての遊技場が完全引退したという絵でもある.
地元ではどうせカジノができても大阪あたりの都会になるにちがいないから,城崎のような遠い場所では関係ない,とかんがえているはずである.
これは,全国の温泉宿でもおなじだろう.

問題はたくさんあるが,そのなかでもかなり基本的な認識不足は,温泉地でなくなりつつある遊技場や劇場と,自分たちとをシンクロしてかんがえることができないことである.
「温泉地の文化」としてかならずあった遊技場や劇場がなくなるのは「寂しい」といって,むかしを懐かしむのだが,その人たち自身も利用しなくなったのである.だから,ないものねだりにすぎない.

これは,「日本文化」としての旅館がつぎつぎと廃業するのは「寂しい」といって,最新のホテルに宿泊するようなものだ.
しかも,「コスパ」がいいという.
ところが,利用側でなくてビジネスホテルを経営している方がよほど「コスパ」がいいのである.部屋と朝食の提供だけで,余計なことはしないから,当然に利益率は高くなる.

街として,夕食提供にパンクするという現象も今回の旅で体験した.
諏訪湖畔の温泉地では,周辺にできた宿泊施設での夕食提供がないかわりに,街の飲食店を利用しようとするひとたちがさ迷っている.
事情をしるリピーターは,先に「予約」という手段をつかうから,事情をしらない旅人たちは夕食にあぶれるという悲惨をあじわうことになる.頼みの綱は,コンビニのお弁当である.これが,「コスパ」の結果でもある.

ふだん,こんな混雑どころか閑散としているから,この季節限定なのだと地元人は苦笑した.
笑えないのはあぶれた側で,夏の諏訪湖周辺は鬼門とこころえた.
満席オペレーションがめったにないから応対が遅く,それがまた混雑をまねく.
蕎麦屋で,もう蕎麦がないからうどんかご飯ものになるといわれ,しかたなく納得してから着席してようやく注文をしたら,うどんもご飯もなくなったという.

一体,想定客数をどう勘定していたのか?
それとも,すばらしい在庫管理というべきなのか?
こうなると,笑うしかない.

この蕎麦屋,自社ビルの上では宿もやっているというので,来年の予約をきいてみたら,「来年,この商売をやっているかわかりません」といわれた.
正直なのか?なんなのか?

長野県の別の地域では,システムが半年先しか対応していない,といわれてフロントで一年後の予約ができなかったことがある.二年連続でお世話になった宿だったが,これで利用をやめた.
ちなみにこの宿は,大浴場入口横の館内に居酒屋があって便利なのだが,部屋への料金付けはおろか,カードもつかえず現金のみの扱いで,「テナントですから」と意味不明な説明を「わたしパートですから」さんから受けた.
温泉宿の館内で,浴衣姿に財布持参でないと飲食できないという不思議であった.

これを劣化というのだろうか?
それとも,単なる無神経なのか?
経営者が経営をしないとこうなるのだ.

すると,カジノも経営の目線でおおくが見ていないということになる.
その証拠は,既存の公営ギャンブルの国庫納付との「公平性」を期したとおもわれる「納付金」の規定である.
「法」には,これをいくらとするのかが「別に法律で定めるところにより」となっているから,現状ではわからない.報道では「収益の30%」とある.これに法人税も課すはずだ.
すると,構造が中央競馬と似ているが新参のカジノにより厳しくなる.
競馬では,控除率が25%で,うち10%が国への納付で,さらに利益の半分が国という構造になっている.25%の10%(2.5%)ではなく,国10%と中央競馬会15%に取り分を分けているという意味だ.これが,対カジノでは既得権になった.

つまり,「日本版」というガラパゴス化したカジノは,数字的に最初から追い込まれている.
国も自治体も,カジノがほしいのは,この「納付金」がほしいからだ.30%を国と自治体が折半するはなしになっている.
そして,これを「観光振興」につかうというから,業界を補助金漬けにして支配するというのだ.
ほんとうに,誘致を希望する「観光業界」も補助金がほしくてたまらないのだろうか?

ただし,この原資を負担するのはお客様である,という根本が抜けている.
収益の30%が最初から他人に抜かれるギャンブルをどうおもうのか?
「勝てない」となればパチンコだって行かない.
ましてや,高額入場料とマイナンバーカード提示による個人情報までとられて,「勝てない」なら,こんなばかばかしいものはない.

経営をしたことがないひとたちがやると,こうなる.
おそらく,世界のどこにもないキラキラな「建物」をつくればいいとかんがえているのだろう.
中身のない建物なら,お隣の半島国家の北側にたくさんある.
発想があのお坊っちゃまとおなじで,この国では超難関大学出身のエリートなのだ.

気が滅入ることこのうえない.

夏休み 城崎から その4

桶狭間から高速に乗って,中央道小牧東で一般道にはいった.
城崎に向かうときはここで国道19号にはいったから,これから中央道をつかわずに甲府にむかえば,片道分は一般道になる.

JR中央線に沿って木曽川を眼下に進むと,木曽義仲挙兵の地の看板がみえた.
信長の時代から,さらに時間をさかのぼって源平のたたかいだ.
義仲は,木曽川をくだって名古屋にでたのではなく,逆にすすんで越後にむかうという意外性がある.

いわゆる「倶利伽羅峠の戦い」で,敵将は平家直系,清盛の孫の維盛だ.
維盛といえば光源氏の「再来」といわれたというほどの美形で有名だが,光源氏は小説のなかのひとだから,「再来」ということはないだろう.
それに,美形でも,残念ながら戦下手で,富士川の合戦に水鳥の羽音に驚いて大敗し,義仲との決戦にも敗れて行方不明になっている.

それにしても,通信が不便だったはずの平安時代とて,武将たちの行動には「情報」の裏付けがある.桶狭間の織田側勝利の要因に,敵方の動きを察知する情報戦としての側面が重要であるし,義仲の「都を目指す」はずの挙兵でありながら,越後への行動も情報あってのはなしである.
情報が過多になった現代,「情報」の取扱方法で明暗が分かれるというのは,義仲や信長からいわせればあたりまえすぎて「笑止」といわれるだろう.

朝方には木曽川河口の長島をみたのに,昼過ぎにはもう木曽の山奥深くにいる.
なんとも便利な時代である.
整備された国道365号にはいって,伊那から諏訪に向かう.
伊那といえば,先回ふれた伊那食品のお膝元である.

この会社も「すごい会社」で,社是は「いい会社になりましょう」である.
「良い会社」ではないのがミソだ.
言わずと知れた寒天の世界シェア7割という超優良会社である.
和菓子の材料からはじまって,いまでは医薬品や航空宇宙分野というところまで果てしなく成長している.若いひとに人気の「10秒チャージ」の基剤も,この会社が開発した固まらない寒天である.

長年社長を務めた塚越寛現会長は,「年輪経営」を表明している.

ずいぶん前に小布施を旅したとき,そこの喫茶店の主人が,「目の前の家の高校生が子どものときから優秀で近所ではしられていたけど,ことし,伊那食品に就職がきまって,それはもう近所中の自慢になりました」とほんとうに嬉しそうに語ってくれた.
こういうことをいわれる会社である.

投資銀行で事業再生を担当していたとき,新入社員を募集しようにも,地元県立高校の就職担当の先生が,「お宅に就職させる生徒はいません」といって面会もしてくれないことがあった.
前経営者の素行がわかるというものだ.再生計画をひっさげて説明にあがり,父兄会でもようやく理解を得たのがおもいだされる.

グンゼもそうだが,地域からの「信用」を得るには,ただしい思想が必要なのだ.
ただしい思想で経営をしないから,事業再生という事態になる.当然だが,おおくの再生案件で,従業員の気持ちの荒みかたにも共通点はおおい.
なにを勘違いしているのか,従業員を奴隷扱いして省みない経営者はおおい.にもかかわらず,「従業員を大切にしている」と口にしてはばからないから,人格をうたがうのである.

そういえば,グンゼ博物苑の展示で,金融機関からの「信用」のはなしもあった.
日露戦争後の不況で,地元銀行からの多額の借入があったが,その銀行が破綻して当時大銀行の安田銀行がこれを引き受けるにあたってのエピソードである.
郡是の借金のおおくが無担保融資だったので,安田善次郎が不審におもって現地を視察すると,農家や工女たちの「日本一の糸をつくる」という気概に感銘し,「創業者の魂を担保」に経営支援を約束した,とある.

いま,銀行という事業の困難さがいわれだしている.
例によって,金融庁に依存してなんとかしてほしいという論調が多数だが,この元凶をつくった日銀もほっかむりはしていられなくなった.
それでも,地銀の苦境はたいへんな事態だとおもわれるが,「不動産担保価値しかみない」という悪しき因習を強制したのが金融庁の検査マニュアルだった.

明治の末期に,金融庁という役所が「なかった」ことが郡是を救った.
借りる側も貸す側も,「事業の本質」を見きわめる目があればよいのである.その目をもつはずもない役人が,法律をたてに命令すればどうなるかは,子どもでもわかる.
ところが,昭和の役人は法律ではなく,勝手に書いた「通達」一枚で命令するから,「法治」ですらない.

これに裁判所も知らんぷりしているから,どこにも役人を規制するものがいない.
統治の仕組みが制度疲労しているのがいまのわが国である.
地方優良企業の歴史がそれをしっかり教えてくれる.

ついこの間まで羨望だった静岡県の銀行が一転しての不祥事でやり玉に挙がっているが,経営責任を経営責任として果たせばよいものを,またぞろ金融庁のお役人になんとかせよと依存するのはいかがなものか?とおもっていたら,今度は有力政治家による金融庁の情報漏洩が問題になった.
こちらにこそ,役人と政治家という恣意的な歪みの本質的問題がある.

「信用」というものを踏みにじると,あたりまえのように存在していた「秩序」がたちまちのように崩壊する.
そして,いちど失った「信用」を回復するには,並大抵のことではない努力をようするのは,ふつうのひとなら心得ている.

「情報」の取扱をまちがえて,「信用」をなくすのは最悪だ.
平安末期の,言っては悪いが山猿的武将すら心得ていたことだ.
そして,育ちからでるどうしようもない乱暴な振る舞いが,都人の信用を失って自滅した.
千年もまえのことを繰り返す愚が,今日も目のまえでおきている.

夏休み 城崎から その1

京都といっても府内は美山が目的地である.いま美山町は,京都府南丹市に吸収されている.
途中,綾部市のグンゼ綾部本社の博物苑に立ち寄った.
ここは以前「京都府何鹿(いかるが)郡」の郡役所があった地で,波多野鶴吉が地域産業振興を目的として明治29年に設立したのが郡是製絲株式会社である.社名を「グンゼ」にしたのは昭和42年だと社史にある.

とにかく貧しい地域をなんとかしようとした,が創業者の原点である.

それが「絹」だったわけで,養蚕に関しては西高東低の歴史があるから,あとからすれば起きるべくしておきた事業だった.
「東低」の群馬県の富岡製糸場が明治5年に開業しているのは,「西高」の標準化だから,「国土の均等ある発展」という昭和高度成長の象徴「全国総合開発計画(全総)」の思想は明治からある.その国営冨岡製糸場は明治26年には三井に払い下げ民営となったから,「郡是」創業は時期として遅れていたのではないだろう.

有名な「女工哀史」はプロレタリア文学ではないと前に書いた.
郡是では創業の翌年だから明治30年に「夜学」を開始して女工の人財教育をはじめ,大正6年には学校を設立するにいたっている.それで,「表から見れば工場,裏から見れば学校」と世間から評されたというから本物である.

「働く本人のため,当社に信任しておられる父兄に報いるため,自分の娘としてよく面倒を見て立派な人にしなければならない」というのが創業者のかんがえであった.
いま,こうした発想の企業がどれほどあるのか?

長野県伊那市にある伊那食品の本社工場と資料館も同様で,「いい会社」にはちゃんとした施設がちゃんとつくられて,ちゃんと運営されている.
「いい会社」とは,「ちゃんとしたかんがえがある会社」だとわかる好例である.
だから,「まぁちゃんとしてる」が「Merchant」になったのではないか?と本気でおもいたくなるのだ.

昨今の「ブラック企業」という言いかたや「働きかた改革」の薄っぺらさの正体がここにある.
あのチェスター・バーナードが,名著「経営者の役割」を書いたのが昭和13年だから,グンゼ経営者の先進性がわかるというものだ.
つまり,資本主義にあっては経営者と労働者は対等で「労働契約を結ぶ」という概念こそが基本であって,これを現代の政府も日本企業のおおくも忘れているということの証左なのである.

その政府のトンチンカンぶりが,地方政府としての綾部市広報にみつけることができた.
日本が独立を回復したのが昭和27年であるから,占領中の昭和25年に,綾部市は「日本初となる『世界連邦都市宣言』を行いました.」と大書していまだ今日まで自慢している倒錯がある.
まさにGHQによる「War Guilt Information Program」そのものではないか.

いわゆる「財閥解体」指令によって,グンゼも免れることができなかったから,市の産業保護政策が,グンゼを解体消滅からまもるためにゴマをすったのかもしれないと邪推する.
もちろん,綾部発祥の「大本教」という宗教もわすれてはならない.ちなみに,大本教が生まれたのは明治25年である.

さらなるトンチンカンは,商店街にいくつもはためく幟旗にみつけた.
縦書きに「ライバルは東京です」とある.
だれがこれを考案したのかしらないが,どうしてこうなるのか?
グンゼという世界企業があるから,ライバルが東京になるという理屈なのか?としても,解せない.

そもそも,東京への憧れじたいがそうとうに古くないか?
グンゼを産んだ綾部こそ,独自の価値感があるとする「世界連邦都市宣言」を貫けば,「ライバルは東京」などという陳腐な標語は発想の外のはずだから,この一言をひねりだしたのは東京のひとではないかとうたがうのだ.

つまり,「世界連邦都市宣言」というトンチンカンと,「ライバルは東京です」というトンチンカンで,トンチンカンの二乗になっている.
この証拠物件が,綾部グンゼ博物苑のなかにある,「あやべ特産館」という施設である.

あたかもグンゼ商品の展示即売場かとおもったらさにあらず,管理・運営は「綾部商工会議所」だから,内部は推して知るべしであって,じっさいそのとおりだった.
ということで,これでトンチンカンの三乗になったから,「惨状だ」とおもわず苦笑するしかない.
館内には,申し訳程度のグンゼ商品があって,あとは魅力に乏しい地元商品と他地域の商品の混在である.

グンゼにおんぶに抱っこしてもらいながら,じつは蹴飛ばして自己主張してはばからない.
「自然」「手作り」「ぬくもり」などのお決まり表現で,逆に商品の陳腐さを演出するのは,俳句の夏井いつき先生ならなんと評するものか?絶望的な「才能なし」だと言われるだろう.
この人たちは,ほんとうに商品を売りたい,とかんがえているのだろうか?

このセンスが,ほとんど全国の商工会議所・農協・漁協に蔓延している.
まるで,ソ連のコルホーズの印象になるのは,原点の発想を同じくしているからだろう.
そういえば,この光景,どこかで見たような?
それは、豊岡の「じばさん但馬」という一般財団法人但馬地域地場産業振興センターがやっているショップだ.

かんがえ方が狂うと,結果がちがう.
こんなことに気がつかないひとたちが,この国にはごまんといる.

いや,そうではない.
さいしょから,売りたい,とかんがえてはおらず,商品の展示をすれば補助金がもらえるのだ.
つまり,補助金がほしいのであって,地元のどーでもいい物品に興味はない.
だから,店番の半分お役人風情のひとたちは,つまらなそうにレジ前に立っているだけだ.

「じばさん但馬」では,観光客にとってどーでもいいローカルラジオのトークが大音量でラジカセから流れていた.
ブルガリアの首都ソフィアの目抜き通り一等地にある,かつての国営デパート「グム」をおもいだした.

もっともグムは商品も入居する商店すらなく広大な空間があるだけだが,消費者がほしい商品がないままに多数展示してあるだけなら,むしろなにもない方がいさぎよい.
グムはいちど入れば二度と行かないが,日本の公共的特産館は,なにかありそうだとしてかならず裏切られるから,たちがわるい.

グンゼのすばらしい展示がかすんで,トンチンカンだけが印象づけられた綾部であった.

夏休み 城崎にて その2

城崎はスイーツ天国と化していた.
「湯上がりスーツ」としてもっとも手軽なのが,ソフトクリームだった.
温泉街中程から上流の店舗は,軒並みソフトクリームの形をした立体看板が立っている.
材料の牛乳にこだわる店,製造する機械の最新鋭を誇る店,バニラ味一筋にこだわる店,そして、ソフトクリーム専門店などなど.

これらの店は,本来土産物屋だったのだろうが,ソフトクリームで店内に引き入れる戦略をだれかがはじめて,一気に横並びの競争になったとおもわれる.
ただし,6カ所もある外湯を,一泊で制覇しようとすれば烏の行水のような入浴方法でなければ,湯あたりするのではないかとおもわれるほどの高い湯温だから,あくまで「仕上げ」のソフトクリームであって,外湯からあがる都度に食べるひとはそういないだろう.

わが家は当地での二泊を素泊まりにした.
一泊目は朽木の鯖ずしと,城崎地元の気の利いたスーパーから仕入れたミニトマトなどの野菜ですませた.
投宿した宿で,ひとつだけいただけなかったのが冷蔵庫である.
昔なつかしい,自動カウント式の瓶物専門販売機のアレであったが,とにかく市販の3倍という値付けがいけない.

しっかりコンビニがある現代で,これをやると商品が回転しなくなる.
いかに瓶にはいった飲み物でも,「賞味期限」というタイムアウトは確実にやってくる.
それでも,宴席での消費という技を駆使すればよいのだが,一部屋ずつの在庫管理と期限管理は面倒だから,おそらく人手不足のいま,これはしたくてもできないはずだ.

すると,「鮮度がいのち」と宣伝していたビールの鮮度がどんどんおちて,瓶だと缶より印刷がみにくいが,「日付」を確認するお客があらわれて,いらぬ謝罪までしなければならなくなる.
もちろん,そのとき,お客は市販の3倍という値段も意識してのクレームになる.

いったいいくらで仕入れているのか?
冷蔵庫に商品をいれて,「便利さ」「手軽さ」を売るのなら,おなじコンセプトのコンビニ価格とおなじにして「回転」させるほうがよほどこれらを「売る」ことの目的に合致している.
どうせいまどき,コンビニ商品を持ち込まないお客などめったにいないだろうから,すくなくても飲み物という持つと重いものは,部屋での買い物にしてもらう方がよほど気が利いているから好印象にもなる.

接客業は,「接客しているとき」にしかサービスをしているとかんがえない不思議なひとたちがいる.
旅館の「客室」という「商品」で,人間による接客は到着時に浴衣とお茶を煎れてくれる程度だが,お客はあとのほとんどの時間を,「部屋」ですごすのだから,「部屋が接客している」のである.この「無人の接客」を意識しないで接客業をしているのをどうおもうのか聞いてみたくなることがある.

おおくの温泉旅館街には,食堂が少ない,という傾向がある.
今様にいえば「ワンストップショップ」としてだが,ほんとうは「お客の財布の囲い込み」をはかるため,自館から外にださない戦略が有効だったから,宿の外には「歓楽的」な飲食店はあっても,「食堂」や「居酒屋」がすくない.これは,外湯の有無と関係なさそうだ.

だから,これらの店は地元人たちのオアシスになっていることがおおいから,地元人たちとの「ふれあい」には,もってこいの場所なのである.
城崎ではないが,中部地方の街の居酒屋で,家内が常連客の年配女性から抱きつかれて泣かれたことがあった.このひとは,漏電による火事で家族写真アルバムまでなくしたのを残念がっていた.自分の人生の記録がなくなったことを慰めたのが涙の原因であった.

城崎唯一の中華料理屋さんにお世話になった.
常連さんたちは忙しい主人の手間を省くため,勝手に冷蔵庫から飲み物を出して飲んでいた.
会話の様子から,今日は主人の気ままで開店したそうで,それで従業員がいないという.
「こう暑くっちゃうちにいてもね」といいながら,汗をかきながら中華鍋を振っていた.

街で一軒しかない貴重な店だから,お客の居ずまいもくだけている.
常連家族の会話やお一人様の様子には,日常そのものがある.
それに高校生ぐらいの主人の孫娘が友人を連れてきたのか,お手伝いは一切せずに飲み物とつまみを厨房奥からとると,そのまま座敷席に入ってふすまを閉じた.究極の「勝手知ったる」である.
今日店を開けた本当の理由は,これかもしれないとおもった.

城崎は十代の若者住人には厳しい街だろう.
都会といえば,豊岡まで行かねばなるまい.
歩いて行ける距離ではないから,孫にねだられたら断れない.
円山川沿いの県道一本が生命線になっている,この道が遮断されると城崎は孤立する.

ところで,城崎と豊岡の間,しかも城崎からみれば対岸側に「玄武洞」という名所がある.
ここは太古のむかし,火山活動によって地上に出た溶岩がつくった自然の造形でできている.
地質学では,「玄武岩」の名前のいわれになった地だと解説にあった.
城崎を愛した文人たちも,ここを訪れた.

JR山陰本線には,「玄武洞」という駅があって,その目のまえの対岸が「玄武洞」のある「玄武洞公園」になっている.ちなみに,豊岡のゆるキャラは,ここからとった「玄さん」だった.
ところが,直線で4~500mはあるこの川をわたる橋がこの駅周辺にはない.
「玄武洞」を見学したくて,うっかり「玄武洞駅」で下車したら,豊岡か城崎にしか橋がないから,上下線どちらかが来るまで最短30分は足止めされる.

日本人の「優しさ」を疑いたくなる「駅」である.
もちろん,ソフトクリームもない.
「玄さん」は,なにもしてくれず,つぎの列車を待つしかない.

夏休み 城崎にて その1

なんといっても志賀直哉の「城崎にて」が城崎を城崎にしたといっていいだろう.
この小説家が城崎を訪ねたのは,まだ環状線になっていなかった山手線にひかれたケガの湯治だったというから,当時としては地の果てのような気がしたのではないか.

この地がある兵庫県豊岡市は,鞄とコウノトリで有名だが,玄武洞という玄武岩の命名にもなったみごとな自然の造形も観ることができる.
コウノトリが生息するのは,わが国ではこの周辺にかぎられるそうで,温泉オリジナルグッズもコウノトリをモチーフにしていた.

城崎温泉は一級河川の円山川の鳥取側にあって,その対岸に湿地をかかえている.ここがコウノトリの栖だという.
東欧のルーマニアからブルガリア,ポーランドの川沿いにもアフリカ大陸から飛来するコウノトリの営巣が観られるが,ここでは,煉瓦作りの家の煙突や電柱の上に巣をつくる.

それで,本物の煙突に巣作りされると下に住む人間の暖がとれなくなるから,ダミーの煙突を屋根にすえてそちらに巣作りさせるので,一軒の家にいくつもの煙突があるようにみえる.だから,住民のやさしさがダミーの煙突の数になって,屋根が煙突だらけになった家もある.
電柱の頂上には,金属の網で床をつくってそこに営巣させている.

城崎では,そのようなものはなく,湿地にある巣のリアル映像が文学館のロビーで放映していた.
ヨーロッパ人は,人間がいないと生息できない鳥としてコウノトリをみて,その営巣をたすけているが,日本人は珍しいがふつうの野鳥としてみているようだ.

志賀直哉が,城崎温泉を日本の典型的な温泉地の代表と評したそうだが,自動車を通すための道路拡張で,ずいぶんと情緒は犠牲になったろう.これは文学館にある写真でわかる.
谷間の狭い地域が温泉地だから,道路づけ計画は大変だろうが,裏通りの拡張ができなかったのが「痛恨」といってよさそうだ.

それに,例によって貧しい昭和の急速な「近代化」がつくった鉄筋コンクリート造りの旅館群が,自ら情緒ある景観をこわして,いまはそれがよごれ寂れてさらに悪化させている.
「景観」という美的センスが乏しいことだけは,アジアの共通点ではないか?と確信するのは,日本全国共通であるから,城崎温泉が特別であるとはいえないし,むしろこれでも「保存」に涙ぐましい努力をしているはずだ.

電線の地下埋設工事がはじまっていたが,長野県の妻籠宿のような成功にはほど遠いだろう.
もっとも,この「無秩序」が日本的であるという外国人旅行客がいるから,本質とはちがった安心感でごまかすことができる.

USO放送局のNHKが「インスタ映えする街」としてこの温泉地を特集したそうで,それから若いカップル客が増えたと旅館の女将が説明してくれた.
たしかに浴衣姿のカップルが目立ったが,欧米人がきちんと浴衣を着こなして,ふつうに下駄を履いているのが印象的だった.

慣れないわたしには,下駄の鼻緒が痛いからと旅館でサンダルをすすめられたが,いかにもというビニールサンダルであったから,ならば自分のサンダルを持参すればよかったと後悔した.
雑貨店で足袋型の靴下をみつけたが,帰投間近のため購入しなかった.
あつらえた足袋を欲しいとおもう.なぜ下駄のあう温泉地で売っていないのか.

街を一望する温泉寺の横をゆくロープウェイは,有形文化財にもなっている.
頂上まで中間駅をいれてたった7分間だから厳しいが,外国語の観光案内がない.同乗する係員が英語で運転上の注意をうながしていたが,このロープウェイも温泉寺も,なにがすごいのか彼らにはわからないだろう.
こういうところが,「遅れている」ではすまされない放置感とガッカリがあるはずだ.

それは外湯も同様で,建築様式から湯の成分にいたって外国語案内がない.
だから,外国人観光客はかなりの情報を事前に,自分で得ないといけない.
すると,城崎自慢の「文学館」も,日本の近代文学をささえた文豪たちについて,どうやってしることができるのか?音声ガイドしか方法がなさそうなのは,たいへん残念だ.
それに,一般応募の短歌や俳句の秀作が展示されてはいるが,この説明は外国人にはしないのだろう.

酷暑の平日とはいえ,文学館の入場者はわたしたち夫婦だけだった.
館内撮影禁止でインスタ映えするはずもないから,日本人の若者も来ない.
どこかズレているのは,どういうわけか?
特別展が,「劇場法」制定で話題になった平田オリザによる宮沢賢治「銀河鉄道の夜」で,さらに満面の笑顔の市長とのツーショットが展示されていたのも原因か.まるで花巻温泉にきたようだった.

城崎温泉は高温の源泉を外湯に回して供給しているから,じつはどの外湯もおなじ湯である.
それで,温泉資源保護のため循環と消毒がおこなわれている.
これは,温泉マニアには痛い.

名物は日本海の「蟹」だから,いたるところに「蟹の宿」はあるが,シーズン外の夏場は休館状態のようだ.
おそらく冬場の「蟹」も,略奪的な乱獲で数がなく,だからといって客前に出さないわけにもいかないから,旅館の利益を圧迫していることだろう.伊勢の伊勢エビと似たような状態だとおもわれる.
だから一層の「雰囲気作り」という街中をテーマパークにした演出が重要になるだろう.これは,スポット地点でインスタ映えすればいいというものではない.

役所に依存せずにできるのか?
役所に依存しないでやり遂げた妻籠宿のすごさを改めてかんがえた.

夏休み 城崎まで その2

「略奪」が成立しないのは,「法」と「自由」を前提とする資本主義の原則である.
「法」とはあらかじめ決めたルールのことで,「自由」とは他人から命令や強制されない,つまり自分で決めることの自由である.だから,自由は法によって制限されるから,これはよくいわれる「自由放任」の「自由」ではない.

ところが,わが国ではこの大原則が歪んでいることが散見されるから,この国の「資本主義」をうたがうのである.それに,「自由」を「自由放任」の「自由」としか解さないから,ことはあんがい深刻である.

資本主義以前の経済体制を,「前資本」とか「前期資本」という.
わが国では,明治からはじまる「文明開化」が,資本主義導入のはじまりだから,いわゆる「江戸時代」は「前資本」の経済体制であった.

幕藩体制下における「法」は資本主義をささえるものではないし,身分制のもとでの「自由」は,資本主義の「自由」でもない.
大商人が存在しても,それは財力はあれど資本というかんがえ方があったわけでもなかった.

「前資本」の時代には,いまでいう「正統に稼ぐ」概念がなかった.
つまり,お互いの「自由」意志にもとづく同意による取り引きよりも,詐欺や略奪が一般的で,これに冒険がくわわった.もちろん今様の「正統」もあったろうが,ときにそれは「正直者が馬鹿を見る」といわれた.
初期のオランダ海軍もイギリス海軍も,海賊との区別がつかないのはそのためである.他国の商船を勝手に拿捕,略奪して戦費を調達したからで,「国際海事法」の基礎は,これらの行為の自主規制が原点にある.

東京にいると,あたかもわが国は資本主義国にみえてうたがうことが少なくて済むが,地方を旅すると,その仮面が剥げて透けていることがある.
これをみつけることが国内旅行の醍醐味だとすると気分が滅入るが,一方で,どうしてわが国の観光業や人的サービス業が,世界的に見て生産性が低いのかの理由をしることにもなる.

長浜から城崎を目指すコースはいろいろあるが,鯖街道の朽木宿の鯖ずしが食べたくて,いったん逆行した.おととしの旅でしった「味」がわすれられないから予約したのである.
ところで,わが国の漁業の実態はこのブログでも書いたからここでは重複をさけるが,「鯖」もおおくは獲れない魚になったのは,その略奪的な漁業に原因があると専門家が指摘してひさしい.それなのにいっこうに改まらないのは,漁業の発想が資本主義的でなく「前資本」のままだからである.

その鯖を獲るための基地が小浜港だ.
港よりも,商店街をみればその衰退ぶりがわかる.
漁業が成長産業になった北欧の国々と,なにがちがうのか?は,人口減少が問題なのだという前に,「成長産業」だったらどうなったのかをかんがえたい.

小浜から日本海沿岸を走って舞鶴を通過すれば,天橋立があらわれる.
ここの駐車場料金の略奪ぶりは,民業圧迫の批判をあびたくない「市営」をもってしておなじ料金で,一回600円でほぼ統一されていた.
小浜にある鯖街道起点の商店街は,30分無料だったから,生活感としていかがな価格設定か?

需要と供給で決まるのが価格の原則だとは承知しているが,きれいな景色がそこにあるだけ,という理由で略奪的な料金をつければ,そのほかの買い物をしたくないという理由が芽ばえて,かえって地元は衰退しないか?
おそらく,ここも「日本三景」にあぐらをかいて,長浜城より質の悪い「景色」だけを勝手に鑑賞せよと,観光客に放置プレーをしているにちがいない.
「観光」とは総合芸術的な「感情産業」であるという認識があるはずもない.

そういうわけで,わが家はここを通過した.
わが国を代表する景色よりも,そこに巣くう人びとを観たくなかったからである.
不景気だから観光客の財布の紐がかたいのではない.
財布の紐をゆるめる工夫が「面(産業)として」みじんもなければ,それは自分たちでつくっている不景気だと認識すべきだ.

こうして,衰退した集落を道々観察しながら,車は城崎温泉に到着した.

夏休み 城崎まで その1

どこもかしこも寂れた街がつづく.
このところ,なるべく高速道路はつかわないで,一般道路で移動している.
高速道路は,街を点として,点と点をつなぐ機能にすぐれているが,その地域に住むひとたちの暮らしをかんじることはほとんどできないという欠点がある.

一般道路は,通過するだけでも変化をかんじる.
国道ならば,全国チェーンの店もあるが,地元ローカルも点在するし,県道や市道になると,住人の息吹を街並みから垣間見ることができるような気になるから楽しい.
もちろん目的地まで時間はかかるが,それが旅というものだとおもえば,時間の節約はかえって野暮になる.

今回は,初めてずくしである.
長野県の伊那から中央道に乗ったものの,東小牧で一般道にはいった.ここからが「初めて」になる.
向かうのは,琵琶湖沿岸の長浜城近くの宿である.

夕食は宿ではとらずに外に出た.
夕方といえども,日中の灼熱が続いているから,とにかく暑い.
秀吉最初の居城としてしられる長浜城は,市民有志によって「再建」されたというが,残念なことに鉄筋コンクリート造りである.

市をあげて,秀吉の自慢はわかるのだが,長浜城のかつての姿はいかなるもので,それが城下として,現在の街のひろがりにたいしてどう比較できるのかかが,さっぱりわからない.
街を歩いていると,突然,「大手門跡」がでてきたりする.かつての城の大きさが忍ばれるとはいえ,例によって,他地域のひとにやさしくない.

朝,城のある公園をひとまわり散歩してみた.
すると,琵琶湖に沈んだ位置に,「秀吉の井戸」の遺構があった.
看板には,それを矢印でしめすだけで,なぜいま琵琶湖に沈んでいるのかわからない.
ここに井戸を掘るとき,そして完成したとき,秀吉本人がそれを直接みて大喜びしたにちがいない.
そんなことをより具体的に想像させる,材料がどこにもない.

しばらく歩くと湖畔に,ビニール袋が膨らんで落ちているのかと見間違えるものがある.草を踏んで近づくと,ガラスでできたボート型のオブジェで,「琵琶湖周航の唄」の記念碑であった.
これにも,なんの説明がない.
悲惨なボート事故に唄われる「地名」に長浜があるからなのか?
不明である.

そこから30mほどの場所には,長浜城の巨石の遺構がある.これには,発掘にかんする説明があった.
この公園の「埋め立て工事」によって発見されたとあり,その配置が刻んであるが,なぜか縮尺がない.それで,どのくらいの大きさだったかが,わからない.

わかったのは,公園を管理する市役所の看板がバイリンガルで,日本語とスペイン語だったから,この周辺にはスペイン語を話すひとが英語を話すひとより多そうだということだ.
いまはヤンマーの城下町だから,その影響なのか?

それに,ボランティアによる「ゴミ箱の(必要)ない豊公園に向かって進んでいます.」という不思議な看板と,花壇にあった市役所の「花を持ち帰らないでください」という看板が,妙に印象にのこった.
ゴミとともに,花も持ち帰るひとがいるのだろうか?
そういえば大阪のホテルが開業したときも,周辺に飾った花を近所のひとが鉢ごと持ち帰っていたのを思いだす.
係員が注意すると,「えっ!あかんのか?」という報告があったから,花の愛で方が関東とちがっていた.

琵琶湖が見渡せる場所から,沖合に「林」のようなものがみえた.あれはなにか?
ここからなにが見えるのか?
案内表示はどこにもない.
さっぱりした公園だったが,ドイツのディーゼル博士とヤンマー創業者の胸像がならんでいて,そのいわれと姉妹都市の説明は詳しかった.

出世に邁進した秀吉の,サービス精神が微塵も後世に伝わっていないことだけがわかった,という収穫があった.
ときに,長浜市は市議会選挙のまっただ中でもあった.
おそらく,何も変わらないのではなくて,何も変えたくない,ということを確認することになるのだろう.

わたしの人生で,あと何回この地を訪れることになるのかわからないが,個人的理由で積極的に訪問することはないだろう.

種明かしをするマジシャン

マジシャン,むかしなら「手品師」が,いちど演じて拍手を得てから種明かしをして,もういちど拍手を得ることがある.
その見事な手さばきは,種が明かされたといっても,決して見劣りしないし,その場でやってみろといわれても,にわかに自分の手がいうことをきかない.

もちろん,一流で有名になったマジシャンがする,種明かしをしたマジックは二度とつかえないから,あらためてかんがえれば,すさまじい「自信」である.
こんなの「朝飯前」という余裕と,種はいくらでもあるという余裕なのだろう.
その発想の柔軟性に,驚くばかりである.

むかし勤めていたホテルで,顧客を対象にしたマジック企画をやったことがある.
少人数限定で,会場は個室をもちいた.
演目は二部構成で,第一部はプロマジシャンのテーブルマジックショーである.
第二部は,プロが市販の手品グッズの模範演技をしてから,二種類をお客様が選んで,これをマスターしてもらうための指導をする,という内容だった.

フリードリンクにしたが,だれもおかわりをしない,珍しい事象が起きた.
皆様それどころか,マジシャンの手許に「集中」していた.
第二部は,事前におもちゃの手品グッズでこれからどれかをマスターしていただく,と案内したのに,ショーの延長だと勘違いするひとがたくさんいた.

いよいよ,自分が選んだおもちゃでやってみるのだが,なんとも無様なのである.
それを,プロが丁寧にアドバイスすると,終了の頃には皆さん様になっていた.
その満足度は高く,スタッフにまで厚い礼を頂戴した.

おもちゃといえども,ちゃんと練習すると,すばらしい演技ができるものだ.
その種は,わかってしまえば実に他愛もなく,子供だましのようであるが,自信たっぷりの手さばきと組み合わさると,おとなが口を開けてしまうものに変身する.
これが,趣味としてマジックを愛好するひとたちのやめられない理由だろう.

すばらしい旅館も,これに似ている.
ほんのわずか,お客様の要望を先回りしてやってくれることが,いわゆる「気遣い」であって,それがたいへん心地よい.
その心地よさにうっとりする姿をみることが,サービス提供側のやめられない理由だから,マジックとおなじなのだ.

だから,すばらしい旅館には,種も仕掛けもたくさんある.
お客様に,「種も仕掛けもありません」ということまでマジックとおなじだ.
その種や仕掛けは,どうなっているのか?
じつは他愛もないことであることがおおい.

しかし,サービス手順のいたるところに種と仕掛けがあって,そのうちのいくつかを,地雷のようにお客が踏むと,この地雷は心地よさを爆発させる.
いい宿は,これらの種や仕掛けを,ドンドン仕込んでいる.

ちょっと前までは,アナログで仕込むしかなかったから大変だった.
秋になってリスが餌を地面に隠す行動をするが,そのおおくが忘れられて,春に発芽する.
木の実というリスへのご褒美で,いくつかを地面の適度な深さに埋めさせる木々の戦略は,おそろしくよくできている.
しかし,人間がやる仕込みは,忘れてしまうと結果が出ない.

いまはデジタルの時代だ.
おかげさまで,デジタルだと検索が簡単にできる.
それで,せっかくの仕込みを忘れないですむし,思いださせてもくれる.
これは便利な時代になった.

ところが,アナログだろうがデジタルだろうが,お客様のちょっと先をいく種と仕掛けをあらかじめ仕込んでおこうという「意志」がなければ話にならない.
つまり,この「意志」の有無こそが,その後の明暗をわけるのである.

マジシャンから,すごいことが学べるものだ.

先進国ビリなのに一流だと疑わない傲慢

「謙虚」だけが取り柄だったはずの日本人から,謙虚を取り除いたら「傲慢」しかのこらなかった.
これが「バブル期」の有頂天で入れ替わった精神の軌跡ではないかとおもうことがある.
「バブルが崩壊」しても,傲慢さだけがのこったのではないか?
そうでなければ,30年も費やして,ほとんど学びがないことの理由がみつからない.

「永遠なるもの」を信じるという宗教感覚に,疑いを持つものは皆無である.
自分の会社も,家族も,はたまた自らの存在も,永遠につづくものとして疑わない.

ちょっとまえに,中国や韓国から「歴史を学ばないものに未来はない」とイヤミをいわれて,ムッとしたことがある.あんたたちから言われたくない,という論調が大勢を占めた.
しかし,言ったひとではなく,言われたことの中身はその通りである.

経営不振の企業の特徴は,みごとに自社の歴史を無視しているか気にしていない,あるいは気にとめたこともない,ということが指摘できる.
むかしの「お店(おたな)」は,この逆である.
世界でもっともおおく社歴が古い会社があるのが日本である.ところが,さいきん,古い会社の倒産がめだつようになった.

「歴史を学ぶ」ことと,「昔からのやり方を単純につづける」こととは別である.
伝統企業の歴史の中には,かならず「アバンギャルド」なときがある.
創業時しかり,中興期しかりである.
時代の最先端を切り開くことで,おおくの伝統的な「お店(おたな)」は生きのびてきた.

秋田県の国指定伝統的工芸品である「樺細工」の相談をうけたとき,あらためて「樺細工」そのものと「作り手」・「買い手」の関係を歴史的に整理した.
おおくの伝統的工芸品がそうであるように,じつはこれらは「日用品」あるいは,その分野で突出した「技量」の品々である.けれども,つきつめれば,「使ってこその価値」であって,美術館に収蔵される目的で製造されてはいない.

すると,伝統的工芸品が「売れない」理由は,現代生活の中で「日用品」としてのつかい勝手がズレたことにあるとかんがえられる.
だから,現代の生活シーンにあわせた改良が求められることになる.
また,材料の材質などの特性が,現代人に忘れられたこともあるから,「機能性」の説明はなくてはならない.
しかし,もっとも重要なのは,そのものを「所有する喜び」を買い手に持ってもらうことである.

これが,サービス業になると,さらにハードルはあがる.
その「お店(おたな)」を,「利用する喜び」の提供をどうするかになるからだ.
さらにこれは,伝統的なお店も,新しいお店もおなじ土俵のうえでの競争だ.
じつは,昔から街にある食堂も,この競争から逃れることはできない.

夫婦で営むような小規模店を開業させるとき,ここに注目して店舗設計するひとはあんがい少ない.
自分のやりたいことが前面にたつのである.
しかし,人口が減りはじめた状況で,ながく商売をするには,もはや欠かせない検討ポイントになっている.
だから,外国に出店するようなつもりで計画をつくると,気がつく点がある.

生産性の議論が,「働きかた改革法案」の国会通過で一段落がついたようにみえる.
しかし,現場感覚ゼロのこの法律が,生産性を向上させることになると本気で期待するひとはいないだろう.
単価 × 数量 = 売上
という公式が,日本政府の政策にはほとんど考慮されていない.

オリンピックのはなしも,民泊のはなしも,あわせて訪日外国人のはなしも,日本政府は,すべて「数量目標」しか掲げないのだ.
「単価」のはなしが決定的に欠落しているのは,政府の役人が「売上」をしらないからか,「売上」なぞという卑しい「商人」の感覚にふれると,卑しさが感染するとでもおもっているかである.

これには,「学会」もからむ.
政府の政策の諮問には,かならず学者が呼ばれて,審議する仕組みになっている.
優秀な学者ほど,難関大学 → 難関大学の大学院 → そのまま講師 → そのまま助教授・准教授 → そのまま教授,という順路になるから,ビジネス経験が皆無なのは役人とおなじである.

結局のところ,「官」と「学」という優秀なひとたちに,優秀でない「産(業界)」と「労(働界)」が言い負けた,という構図だろう.
この国の「官」と「学」に巣くう「傲慢」が,先進国ビリの生産性を改善できないばかりか,足を引っぱる元凶であることが,「法律」からみえてくる景色となった.

「国家資本主義」をやりたいなら,「官」と「学」が中心ではなくて,「産(業界)」と「労(働界)」を中心にして,これを「官」と「学」が支えるという構造転換が必要だ.
つまり,この国は「国家資本主義」などという大仰な体制などではなく,単なる「官僚制社会主義」にすぎない.

世界史から社会主義が沈没して30年弱.
まだ本気で社会主義をやっているのは,とうとうわが国だけになった.
「歴史を学ばないものに未来はない」
先進国で唯一のデフレ経済,先進国ビリのサービス業生産性,これらの元凶は,社会主義国だからである.

おそるべし,社会主義の非効率.
おそるべし,傲慢なる精神.
日本の沈没をよろこぶ国はおおい.
現体制に甘言を言う外国人・外国政府は,ゴットファーザーのラストのように,「裏切り者」である.
EUは,日米の二極体制に対抗して生まれたことも,「歴史」である.

現体制を維持するには,鎖国しかないだろう.
世界がうらやむ貧乏に,みんなでなる.
上野千鶴子の夢が現実になる.

幻想の「魚食い」日本人

以前,日本人はコメを食べてこなかった,という話に触れた.
これに加えてじつは,日本人は魚をそんなに食べてこなかった.
たくさん食べてきたのは,漁村周辺であり,それ以外の地域や山間部では,めったに口にできなかった.

1960年からの数字がある,農水省の「食料需給表」によれば,最大値は2001年である.
百年前の1911年から25年の1人あたり消費量は年間3.7㎏で,2012年では30㎏弱だから,いまは8倍ほども魚を食べている.逆にいえば,むかしはそんなに魚を食べていないのだ.
なぜか?

冷凍・冷蔵技術の発達がささえる流通網と,家庭の冷蔵庫がこたえである.
わたしが中学生のころ,群馬のいなかにマグロの刺身をもって親戚各家を訪ねたことがある.健在なうちにと,祖父の兄弟たちを巡る旅であった.
父が運転する自動車のトランクに,たっぷりの氷を詰めたアイスボックスで運んだ.
関越道は前橋ICまでで,まだ全線開通してはいなかった.

行く先々で,祖父のそっくりさんたち(すぐしたの妹のおばあさんが一番似ていた)が出てきて,かならず歓迎の宴会となった.そこで,持参のマグロの刺身を一口つまむと,たいがいの兄弟たちが涙を浮かべてよろこんでいた.
子どものわたしには,大袈裟におもえたが,全員がそれぞれに「こんなに新鮮なマグロの刺身を生まれてはじめて食べた」と言っていたのを珍しく聞いていたから覚えている.

その当時はもう,横浜あたりではふつうの食べ物だし,どこにも珍しさはなかったが,関東地方の群馬あたりでも,内陸部ゆえに魚を刺身で食べることは,そうとうに珍しかったらしい.
だからか,憧れとしてのマグロは,いまではあの草津温泉でも出てくるし,同じく海のない山梨県は日本一のマグロの刺身の消費量を誇っている.静岡から運ばれたマグロが,反対側の富士山の景色をめでながら食されているの図である.

テレビやマスコミの功罪のうちの罪として,旅番組恒例の「地元で水揚げされた豊富な魚介類」という紹介は,絶望的な現実に幻想をあたえるだけの「魔語」である.
日本でとれる魚は,ほとんどなくなったというのが現実だけど,ふつうの生活ではみえてこない.

小田原の駅前には,むかしから有名な干物屋がある.いまでも盛況で,混雑時には店内にすらなかなか入れないほどだが,まじめな経営者がしっかり産地を表示してくれていて,そこには地元小田原漁港も相模湾の神奈川県の漁港も,はたまた日本の地名も皆無である.
あたかも,世界旅行をしているような様相で,できれば世界地図で確認したくなるしらない国もあったりする.

ウィキペディアによると,2016年4月1日現在で,国内には2886の漁港がある.
どれほどが採算に適しているのか,かんがえるだけで気が遠くなりそうだが,戦後の食糧難を支えるために,貴重な動物性タンパク質をいかに確保するのか?という「国策」が,途中でブレーキをうしなった結果だろう.
暴走列車ならぬ,暴走建設になってしまった.わが国の海岸線は立派な漁港ばかりになっている.

そんな漁業者を「救う」ために,こんどは獲るだけ取れるという制度の暴走で,肝心の資源そのものがなくなった.
産卵エリアに大挙して網を張れば,そのうちどうなるかはだれでもわかるが,かつての山本リンダのヒット曲のように,「もうどうにもとまらない」で,廃業を余儀無くされるまで獲りつくしたのは,「強欲」で智恵がなさすぎた.
しかし,この「強欲」の一端は,われわれにも責任がある.

「産地表示」は,販売者への義務となってのしかかるが,加工者にはまだ甘い.
だから,海沿いの旅館は「地物」といってごまかせる.
瀬戸内の静かな旅館で,すばらしい中トロの刺身がでたので「瀬戸内でマグロが獲れるのか?」とイヤミを言ったら,「まさかお客さん,ご冗談がうまい」と仲居さんにかわされた.しかし,その後の一言には重みがあった.
「この辺も,不漁つづきだから,マグロでごまかしとります」

そのマグロ,とくに太平洋クロマグロが絶滅危惧種になっている.
大西洋のマグロは,乱獲防止策がきいて,近年急速なる資源復元が達成された.マグロにかぎらず,世界標準は資源維持を中心価値においている.それで,どちらさまも「漁業が好調」だという.
少なければ,価格が高くなるからだ.

何であろうと安くたくさん食べたい日本人の強欲が,世界で唯一「獲りつくす」という略奪の伝統を維持している.
国連海洋法条約に,沿岸国は水産資源の維持ができる漁獲枠設定を義務としているが,わが国がこれを守っているというひとはいないだろう.守っていれば,かくも沿岸で魚が獲れなくならない.

もし,産地表示が旅館やホテルにも義務づけられたら,料理説明は世界の地名ばかりになるだろう.
「地物」は,養殖が9割の海藻類,刺身のつまにあたる「わかめ」だけ,ということも笑えない冗談ではない.

沿岸の旅館の苦悩はつづく.