スー・チー氏は「いい人」なのか?

昨日の1日、ミャンマーで事前に予告されていた軍部によるクーデターが実行されたと報道された。

これによって、国家最高顧問だった、アウン・サン・スー・チー氏、現職大統領など与党(国民民主連盟:NLD)幹部が拘束され、軍部出身の副大統領が大統領代行に就任したと発表があったという。

クーデターの理由について軍は、昨年秋の与党が圧勝した総選挙による「不正」だと説明している。
ミャンマーの人口は、2020年4月1日の推定で、5,458万人とされていて、不正投票が860万だというから、総人口の16%にあたる。

有権者を分母にすれば、想像以上の「不正」になるだろう。
しかし、「不正の証拠」についての説明はまだされていないから、今後の情報に注視したい。

例によって、役に立たないわが外務省は、現地大使館の「情報収集」と、在留邦人への「不要不急での外出自粛を呼びかける」という、間抜けなことを実施していると自分で発表している。
また、謝謝茂木大臣は、「民主化がなんとか」と寝ぼけたことを発表した。

現地での情報収集なら、まずは、昨秋の総選挙について「不正」のレポートを確認したいところだ。
本省への公電による報告には、なんと書いたのか?
まさか、「与党の地滑り的勝利」なんて、現地紙のトップ見出しをそのまま訳したりして?

次が、軍によるクーデター予告である。
スー・チー氏も事前に認識していた様子だけれど、はたしてわが大使館の「情報網」に、キャッチされていたものか?
むしろ、現地の日系商社の方が先で、家族はとっくに買いだめをして「巣ごもり」準備をしていたかもしれない。

緊迫した「やばさ」について、現地の邦人婦人会をつうじて、大使館員の夫に伝えられたやもしれぬ。

軍によるクーデターの2大成功要素は
1.軍の一体運用
2.放送局(いまならネットも)支配
であるから、ことが起きたら、情報・通信が遮断されることは、「セオリー」だ。

わが国の、5.15(1932年:主に海軍)も、2.26(1936年:主に陸軍)も、失敗に帰したのは、軍の一体がなかったからである。
なにせ2.26は、大元帥陛下によって、「賊軍」とされたのだ。
ただし、電力封鎖(変電所襲撃)とNHKは押さえていた。

ことが起きてから、なんだか対応しているように見せるのは、ムダとはいわぬが、肝心のその前のことがわからない。
国民がわからないままなのは、なにもしていなかった、という意味になるけど、外務省はそれでいいのだろうか?

報道機関も一斉に、ことが起きてからのことばかりなのだ。
こちらも、例によって、「特派員」がいるのに。
すると、大使館と「つるんで」なにもしていなかった、という意味になるから、大使館の情報収集のアリバイ崩しを記事にしない。

同類相哀れむ、ということで一件落着。

悪いのは、面倒な事態を起こした「軍」なのだ、ということにしている。
これが、わが国の関係者だけでなく、「世界中」のことであるから、どちらさまもおなじ論調で、「軍」が悪いことにした。
暗黙の了解とは、このことだ。

そもそも、スー・チー氏が長らく自宅軟禁されていたのはなぜか?
ミャンマー(むかしは「ビルマ」といった)の歴史をたどれば、イギリスの植民地から、日本の占領という流れは消し去れない。
日本の占領がおわるときを描いたのが、『ビルマの竪琴』なのだ。

  

原作者、竹山道雄は、その一貫した自由主義ゆえ、戦後(左翼)論壇から危険視され、ついには無視されるという悲劇がある。
当時のわが国を代表する知識人としての語り口は、丁寧でわかりやすい。

人間のややこしさは、たとえば、自由主義の本家であるはずのイギリスが、ときにむき出しの欲望に駆られて、帝国主義を完成させたことにも見られる。
大英帝国の栄光を支えたのは、アジアの悲惨であった。

インドや東南アジアが酷いことになった理由のひとつに、「戦略物資」の存在がある。
大戦争以来ずっとこの方、「石油」がそれで、おかげで争奪戦が繰り広げられる中東は平和から見放されてきた。

では、その前のエンジンやプラスチックがなかった時代はというと、「胡椒」だったのだ。
これを求めたヨーロッパが、供給地のアジアをこぞって我が物にした。
和食を中心としたわが国は、そこまでして胡椒を求めず、哀れなアジアの解放を理想としたとき、決定的な対立となったのである。

ここには、「人種差別」という別のキーワードがからむ。

そんなわけで、スー・チー氏の父、アウンサン将軍は、はじめ日本と共闘したが、敗色濃厚の日本を追い出して安定の大帝国・英国側についた軍人だった。
それで、スー・チー嬢はオックスフォードで教育を受けることになった。

彼女をいまでも英国やヨーロッパ諸国が支援する理由がこれだ。
しかしながら、こうした外国からの援助や恩恵を公然と受ける立場では、自国憲法で「大統領になれない」という当然の憲法規定がある。
軍事政権時代の憲法だという批判もあるが、アメリカでも資格なしだ。

なので彼女は、自分を大統領より「上の立場」と公式に発言した。
なお、彼女が日本語を学んだのは、オックスフォード大学で、その理由は、父将軍の日本における行動を研究するためというから、「裏切り」の正当理由をしりたいのだろう。

彼女の時代遅れのような、大英帝国流の思想から国民を支配する行動が、イスラム系住民たちへの弾圧、「ロヒンギャ問題」となったのである。
そんな彼女を、欧米と一緒になって支援する道理が、わが国にあるのか?
彼女の「日本嫌い」の理由は、あんがいとわかりやすいが、根深いのだ。

さてそれで、彼女は「いい人」なのだろうか?

家畜たちの沈黙

げに教育とは恐ろしきものである。

国家や組織に従うことが正義であると、子どものときから仕込まれれば、10代後半で目覚めたところで、せいぜい左翼になるのがオチなのである。
もちろんこれも、家庭で環境遺伝するから、親子代々の左翼活動家となるのであって、ふしぎと右翼活動家はなかなかいない。

ただし、日本語における、左翼と右翼は使い方が難しいので、ほんとうは使いたくない。
たとえば、戦前の左翼は戦後の右翼で、戦前の右翼は、戦後の極左のことをいうからである。

そもそも、フランス革命後の議会で議長席から見て、王側が右側に座って、革命側が左に座ったことを指すだけだから、それぞれの歴史がある国によって、最初から意味が異なって当たり前の、ずいぶんと曖昧ないい方なのだ。

だから、戦前からハイエクがいっているように、一般的な左翼のことを、社会主義者とか集産主義者と呼んで、右翼はやめて自由主義者と再定義して分類した方が、よほど正確で脳内整理の役に立つ。

なお、集産主義者とは、全体主義者のことをいう。
国民の自由を奪う全体主義は、社会主義・共産主義からしか生まれない。
たとえば、ヒトラーのナチスを「右翼」というひとがいるけれど、「国家社会主義ドイツ労働者党」なのだから、ナチスも社会主義を基盤にしている。

ちゃんとしているとの評価がある学者が書く論文でも、安易に右翼と左翼とが出てくると、がっかりするのは上の理由による。

用語の定義に厳密でない「論文」に意味はない。

こうした定義づけをさらにねじれさせるのが、「保守」という用語である。
なにを保守するのか?という、対象が曖昧な用語なのである。
一般的に、民族や国民の歴史や伝統を「保守する」という意味ではあるけども、社会主義政党での保守とは、社会主義理論の教条主義的志向(ガチガチの頭でっかち)を指すから、真逆の意味になる。

そんなわけで、いつの間にかわが国の「保守政党」=「自由民主党」が、欧米諸国でいう「急進左派政党」に変容したのだけれども、相変わらずむかし擦り込まれた「保守政党」だという思い込みが社会に残存している。

どうしてこんなことに気づかずに、みんなで「自民党=保守」と思考できるのか?といえば、曖昧な言葉の定義が、ある志向のひとたちに便利に利用されているからであろう。
それが、「社会主義者たち」で、わが国でいう「左派=野党」を指す。

「もりかけ」や「桜(しっくりこないが話が小さすぎる)」を、野党が追及すればするほど、急進左派政党としての自民党の政策は実行される。
何の事はない、野党もこぞって「賛成」しているのを、あたかも「翼賛政治」に見せないようにしているのだ。

こうしたことに、真っ向反対していたのが、2002年に暗殺されたと思われる石井紘基衆議院議員であったことは、前に書いた。
国民にとって、真の損失とは、こうした「ひと」を失ったことなのだ。
没年齢61歳という「若さ」であった。

かつて、モスクワ大学に留学経験がある氏は、ソ連の「裏」を見たのだ。
それで、ソ連という国の「悪」と「恐怖政治」をしった。
帰国後に、友人・知人たちへ「日本がソ連になると警告」を熱弁して、聞かされた側は目を白黒させたという。

おそらく、ソ連型統治のメカニズムを、わが国の政治に見たのだろう。

本日、2月1日。
政府は2度目の「緊急事態宣言」の「延長」を決定するはずだ。
科学的根拠はない。
あるのは、政治的根拠だけだ。

再生産数は、とっくに「1」を切っているし、発表されているデータが「正しければ」正月明けから感染増加が著しかったので、素人でも「家庭内感染」だとかんがえることができる。
消毒に努める飲食店での感染と比べれば、家庭の危険度は数十倍にもなる。

それで、どうして飲食店の営業を規制するのか?

個人的に、パチンコ店が街にふつうにあることの異常をいいたいけれど、そうはいっても、どうしてパチンコ店の営業を規制して、「自粛しない」と制裁を課すことが正義となるのか?
この1年、パチンコ店での感染例は「ない」にもかかわらずだ。

こうした、「強権」を振るう知事が、どういうわけか「支持」されると報道されている。
本当なのか?
この知事は、弁護士出身なのだから、明らかに「確信犯」である。

とうとう、病気で、と認定されたひとの「死者数」と、「自殺者数」が並んだ。
このなかには、無症状だが検査陽性になった「だけ」のひともいる。
近しいひとたちに迷惑をかける、という遺書まであるのだ。

政府は感染症分類の「2類」から「5類」に緩めるのではなく、さらに強力な分類として、「1類」との中間を新設する検討までしている。
しかし、「2類」なのに、どうして隔離せず「自宅療養」なのか?
病床が足りないどころか、空いているのに。

「1類」には、エボラ出血熱、ペストなどがあり、「2類」には、SARS、MARS、結核がなどあるけれど、その下の「3類」にコレラ、腸チフスがある。

政府が国民を「粛正」する。

もちろん、粛正対象者は、家畜扱いなのである。
ソ連や中国、カンボジアでおきたことが、日本ではじまっているのである。
なんと、わが国が誇るスーパーコンピュータをつかって、SNSでの発信内容をチェックしだしたことを、担当大臣が国会で答弁した。

全体主義の統治者にとって、「夢のコンピュータ」になったのである。

もはや家畜だって、反乱を起こすべきである。

それで、「PCR正常化プロジェクト」がはじまっている。

共和制と民主主義

国家の政治体制をいうときの「区分」で、いまや圧倒的に多数なのは「共和国(republic)」である。
近代での本来的な意味は、「非君主国」ということだったけど、民主主義(democracy)と結びついた君主制「立憲君主国」がでてくると、表面的には「大統領制」をいうようになった。

わが国の曖昧さは、天皇の位置づけから破壊されたので、大手を振って「立憲君主制」ともいえず、なんだかわからないから、「民主主義国家」ということにしている。

これが、世界的にも珍しいのは、「共和国」は共和国であって、「民主主義国家」とはいわないからである。
ここに、戦後のわが国の「政治体制(政体)=国体」についての「闇」があるのだ。

トランプ氏が大統領選挙の正当性を、表面的に放棄して、バイデン政権らしきものが発足した最近になって、「株式会社アメリカ合衆国」と、「アメリカ共和国」とを分ける議論が起きている。
そもそも、トランプ氏が属したのが「共和党」だから、トランプ派が「アメリカ共和国」をいいだしたともいえる。

だから、表面的な政権らしきものを、「株式会社アメリカ合衆国」と表現したい気持はわかるし、なかなかうまいいい方なので感心している。
「日本株式会社」とか「株式会社日本」といういい方が、オリジナルだと言い張っても空しい表現だけど、国をあげてひとつの「エンタープライズ」だといえば、納得もいく。

自由主義を標榜した、かつてのアメリカ合衆国なら、こんないい方に反発しただろうけど、国家を超えた巨大テック企業たちの「情報支配」が、ほんとうに国家を支配したうえでのビジネスをやっているから、彼らに支えられた民主党は、株式会社アメリカ合衆国の表面上のボードメンバーとなっている。

すると、国家間の軋轢というのは、もはや「過去のこと」にすぎず、真の支配者である巨大テック企業の意向こそが、国家意思となる時代になった。
だから、今度の政権が「親中」だとかいうのも、まやかしであって、巨大テック企業が儲かるためのルールづくりが、そのまま「対中要求」になるはずなのだ。

もちろん、個々人を情報支配して全体主義を完成させたいひとたちとも手を組むのは、その技術的背景が「儲かる」からであって、さらに、アメリカ大統領選挙での介入で、全体主義の旨味を知ってしまったから、もう戻れないのである。

これは、一種の麻薬中毒なのだ。

巨大テック企業の経営トップが、このような麻薬中毒に陥る一方で、支配される側は、州政府から本物の薬物依存を促進されて、民主党系=左派の知事が君臨する、たとえばオレゴン州では、注射器を希望者に無料配付という「行政サービス」がおこなわれているし、カナダでも同様の状況以上(コカインの配付)が発生している。

もう30年以上前に、スイスでは無料麻薬投与所が開設されていて、ここでは本人が希望する薬物を、有資格者によって「安全」に提供されている。
当然だが、スイス社会は、本人が廃人になることを容認したかわりに、薬欲しさの犯罪を防止することを、国民投票によって優先させたのである。

すると、スイスの「民主主義国家」としての完成度は、その徹底的な「個人主義」とセットで、「完璧」であることがわかる。
直接民主制(単純多数決)によって、自動的に「法」がつくられるからである。

対して、自由主義の「共和制」では、「法の支配」を前提におく。
たとえ多数決で決しても、それが、「法」に合致しなければ「無効」とするのが、「共和制」の本質なのだ。

たとえば、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンのように、1個のパンを盗んだことが、生涯追われる罪になるのか?という問いである。
刑法があれば、その罰則以上の罪に問うことはゆるされないのが、法治の原則である。

アメリカ合衆国連邦議会における、トランプ氏二度目の弾劾訴追(下院)と裁判続行決議(上院)は、アメリカ合衆国が、共和制の法治ではなくて、民主制の多数決になった瞬間を見せてくれたものなのだ。
つまり、国柄の変更である。

これを押し進める、ほんとうの勢力が、グローバリストたちである。

フロリダに第二の大統領府をつくった、トランプ氏の「アメリカ・ファースト」とは、反グローバリゼーションの旗印だ。
だから、彼が掲げた選挙キャンペーンが「法と秩序」だった。
まさに、共和制をストレートに表現したのである。

さてそれで、わが国の、民主主義国家とは、とっくに多数決による「民主制」そのもので、学校教育の現場でも、「多数決」をもって決めることが正義とされる「(洗脳)教育」がされている。
そうやって育った、おとなたちのなかの成績優秀者が、民主制の支配者になるようになっている。

日本の危機が、アメリカの危機より深刻なのは、こんなところにも見つけられるのである。

政治闘争の中韓「キムチ論争」

漬物である「キムチの起源」は中国にあり。

突然、こうした主張が飛び出したのは、中国人女性からのユーチューブ投稿動画が「起源」である。
設定は、両親を亡くした地方の女性が、祖母とふたりでひっそりと暮らしながら動画投稿しているということになっている。

そのおおもとは、四川省の伝統的郷土漬物の「泡菜(パオツァイ)」だという説である。
なお、泡菜がISO認定された、という自信が「キムチ論争」のきっかけだという説もある。

それでもって、キムチは中国の伝統料理のひとつだ、という主張になった。

もちろん、韓国側が黙認しているはずもなく、初期段階ではいつものように「火病」を発症したけれど、「ファクト」をもって論破すべく意気込んでいるというから、火の粉が日本に飛んでくるやもしれない。
あんがい、面白おかしい「他人事」ではないのである。

前にも書いた通り、キーとなるのはキムチの主な材料にある。
日本人にとっては、「白菜」がまっ先に思い浮かぶだろうけど、それ以上に重要なのは「唐辛子」である。
このどちらも、「日本」が大きくコミットしているのだ。

それまでの「菜っ葉」を、いまのような「白菜」に品種改良したのは、明治の農林試験場だったから、ふつうにある白菜は、あんがいと新種の野菜なのだ。
それに、「唐辛子」も、「唐」から伝来したのではなく、「南蛮」からの伝播なのだ。

ここでいう「南蛮」とは、キリシタン・バテレンの南蛮のことで、いわゆる「南蛮貿易」である。
なぜなら、トウガラシは、中南米が原産だから、「南蛮(ポルトガル)人」が日本にもたらした。

問題なのは、この時期に、大陸の王朝も半島の王朝も、「貿易」をしていなかった事実があることだ。
つまり、唐辛子は、日本から半島や大陸に伝わる、というコースをたどるのである。

いまでも日本の東北地方で、唐辛子のことを「なんばん」と呼ぶのは、往時の表現がそのまま残っているからである。

そんなわけで、韓国のいう、ファクトをもって論破するという決意のほどが、どういった説を「ファクト」というのか?興味がわくし、そもそもが、こんな論争をしかけた中国側の意図はなにか?ということだ。

ユーチューブで発信している女性は、とっくに有名人なのだそうだけど、どういうわけか、フェースブックやツイッターでの投稿もしていて、さらに、人民日報が報じているという。

彼の国で、どうやってこれら有名SNSの利用登録をして投稿ができるのかはしらないが、党の機関紙にも登場するなら、はたして本人は「実在するのか?」という疑問まででてくる。

つまり、よくわからないけど、「面白いね」という興味本位のレベルではなさそうだ。
「笑いの中の真実」を追求すべきなのである。

すると、一石二鳥の革命戦略が見えてくる。
・韓国を文化的支配下におさめる
・日本の言動を封鎖する

韓国人が、キムチは自国の文化だといえばいうほど、これをねじ伏せることで、文化的優位にたつことができる。
べつのいい方をすれば、韓国(朝鮮民族)文化の根底からの破壊である。
これぞ、無機質な共産主義の、破壊すべき最大の対象なのだ。

自国のオリジナル伝統文化の喪失、これこそが革命だ。

経済的に中国依存の韓国は、支配の第二段階、すなわち「仕上げ」としての段階に入ったことを意味する。
トランプ政権なら、「バカいうな」で終わったものを、米国現政権は、きっと放置してこの論争に介入しないはずだし、「文化支配」を重大視もしないだろう。

すでに、アメリカ民主党が自国の伝統文化破壊を開始したからである。
すなわち、重大政策だと、しっている確信犯なのだ。

こうして、韓国は、自国の政権とともに、事実上の吸収合併される運命が見えてきた。
日本に併合されるより、「まし」とかんがえるなら、それはそれで仕方ないことである。

すると、わが国への圧力は、「黙っていろ」に尽きる。
謝謝茂木こと、茂木外務大臣ばかりか、総理自身も心得ていることだろう。
こうして、わが国の防衛ラインは、日清日露戦争「前」の状況に戻ってしまうことも確実になってきた。

それどころか、韓国の次の文化的支配におくべきは、わが国に絞り込まれることが確定する。
さては、どんな手をつかうのか?
アメリカがやられたような手だってかんがえられる。

これまで通り、なにもしない、ということこそが危険なのだ。
なにかあったら、アメリカが助けてくれる、という時代は1月20日で終わったのである。

まずは、韓国を見よ。
「キムチ論争」自体も、敗色濃厚という事態になっている。

明日は我が身なのだ。

「あぶり出し」の議案

アメリカ共和党のなかでも、有名かつ有力な議員は複数いるけど、テッド・クルーズ上院議員(テキサス州)は、「最強」ともいわれている論客である。

わが国でもしられるようになったのは、大統領候補がトランプ氏に決まった党内予備選挙で最後まで争って、惜敗したことからである。
今回トランプ氏が二期目をやれば、24年の大統領候補の筆頭でもあった。

民主主義を標榜するなら、その根幹を支えるのが「選挙」だということは、子どもだって理解できる。
選挙の公正さの確保は、絶対、でインチキは許されないということも、しっている。

今回のアメリカ大統領選挙では、その「絶対」が崩壊したのを全世界が目の当たりにした、まさに、信じられない光景が展開した。
それで、選挙についてかんがえる、というひとたちがたくさん生まれたのである。

先日、トランプ大統領の弾劾が予定されている上院で、この弾劾裁判の違憲(退任したひとを弾劾するのは違憲か)を問う決議が提案された。
いまや、同数となった民主・共和の議席数だから、副大統領が議長となるので、民主党が有利になっている。

結局、55対45で、この議案は否決された。
すなわち、共和党議員が5人、裏切ったことだけがはっきりした。
しかし、弾劾判決には、2/3以上の賛成がないといけないので、バイデン氏も発言したように、この弾劾は成立しそうもない。

けれども、常識でかんがえれば、「解職」を目的にする弾劾が、離職したひとに適用できる、とすることの無理がある。
だから、今回、アメリカ議会は、この無理を通した、ということだけで、「憲政史上」の汚点をつくった。

つまりは、国民に見せるための、「あぶり出し議決」である。

そこで、クルーズ議員の提案が飛び出した。
「議員の当選回数を制限する法案」である。
すなわち、バイデン氏が47年間も上院議員であったように、当選回数を重ねて、それが利権を拡大させることの弊害を取り除く、という主旨だ。

わかりやすい事例だから、バイデン家が俎上にあがる。
じつは、バイデン家は「ふつうの家」だったのだけれども、議員生活の長さとともに、富が増大してきた「歴史」がある。
いまでは、兆円単位の富豪となった。

トランプ氏はビジネスを通じて富豪になったから、後ろ指を指される筋合いはないけれど、バイデン氏はずっと上院議員「だけ」だったのに、どうして富豪になれたのか?
しぜんと、「職権濫用」という言葉がうかぶ。

自身も議員であるのだから、身を切る提案だ。
連続だろうが、飛び飛びだろうが、議員となる回数を制限するという案は、大胆である。
だから、おそらく可決されない。

よって、この議案も「あぶり出し」である。

可決されないのがわかっていて提案するのは、議会をもてあそぶいけないこと、という意見もある。
しかし、違憲を合憲とする「パワー・ゲーム」が平然とおこなわれる議会となったからには、国民に知らせるシグナルがひつようとなったのだ。

それは、「ワシントンの沼」を、ハッキリと暴き出したトランプ氏の功績でもある。
もはや白日の下にさらされた、「ディープ・ステート」を、「陰謀論で切り捨てる」こともできなくなった。

とはいえ、ひとつ、トランプ氏の「失政」をあげれば、それは、「コロナの政治利用」に尽きる。
衛生分野の大統領顧問ひとりに、歴代の大統領が多大な権限を与え続けた結果でもあるし、側近たちが大統領への情報操作をしていたという指摘もされていた。

発生から1年が経って、ヨーロッパやアメリカで、冷静な専門家たちが「異見」を表明しだしたのだ。
すなわち、「やっぱり風邪である」と。
そこで導かれる言葉が、「ワクチン利権」となってきた。

つまり、問題の根本にある、「特別な病気」という概念自体が、怪しいという指摘であって、トランプ大統領がもっとこれらの「異見」を政策に尊重すべきであったという指摘がでてきたのである。

それに、遺体にまでPCR検査をして、陽性ならこの病気を「死因」にしないといけない、という「WHO通達」に、アメリカの開業医たちが「良心の呵責」にさいなまれている実態も明らかになってきた。
「もうこれ以上、水増し報告はしたくない」。

わが国に視線を戻せば、とてもじゃないがアメリカを笑うことなんてできない体たらくである。

安倍氏は現職末期、この病気の法的基準を「緩める」方向での検討をすると明言していた。
すなわち、感染症ランクでいう「2類」(結核、SARS、MERS、鳥インフルエンザなど)から、「5類」(従来のインフルエンザ、ウィルス性肝炎、風疹など)への変更のことである。

ところが、いま、政府部内(主に厚労省結核感染症課)では、あろうことか、「格上げ」を検討しているという。
一類は、ペスト、エボラ出血熱など、劇症の病気である。

その理由が、「5類にすれば、権限がなくなって何もできなくなります。」との報道がある。
「権限が欲しい」という政府の本音を、国民はどうかんがえるのか?

これを、「あぶり出し」に利用する、議員がひとりもいないことがあぶり出されている。

「不思議」の「フロリダ朝」

25日、トランプ氏は地元フロリダ州に、「前・大統領府」を設立したと発表した。
トランプ政権のスタッフをそのままに、今後も引き続き「政権2期目」の政策立案に集中するという。

いわゆる、「南北朝」がほんとうにアメリカではじまった。

南北戦争(American Civil War:英語では「アメリカの内乱」という)以来、ワシントンD.C.が「北朝」になって、これを、「南朝:フロリダ朝」が牽制する体制となったわけだ。
しかも、正当性は南朝にあって、権力は北朝にあるから、なんだか「京都」と「吉野」のような話になっている。

ふつうなら、敵対側は「逆上」するはずだけど、それが、上院での「弾劾裁判」らしい。
たしかに、逆上しているとしかいいようがないのだが、来月からという日程が、なぜかスピード感に欠ける。

トランプ氏は離任にあたっての演説で、「不思議な旅がはじまる」と、不思議なことをいっていたのが、このことなのか。
24日までの首都ワシントン封鎖を命じた、緊急事態令はとっくに期限で解除されたはずなのに、州兵たちは3月まで留まるというし、その数も7000人規模を維持するという不思議がある。

なんのために?
理由が説明されていない。
それに、各州知事に州兵の派遣を命じているのは、国防総省でどうやら新大統領ではない?という不思議な状態なのだ。

共和党系の知事や議員が激怒した、寒さの中、兵たちを満足にトイレもない地下駐車場に追いやった犯人探しも、結局誰の発令だったのかわかっていない。
こんなことがあり得るのか?
相手は、州兵といえども「近代軍隊」なのだ。

軍の移動に関する指揮命令系統の混乱なんて、まったくあり得ないことだ。

ならば、「軍権」は、いま誰が掌握しているのか?
巷間いわれているのは、トランプ政権の国防長官がいまだに掌握している、という「うわさ」である。
しかし、新政権の国防長官は、もう上院で承認されているから、これもまったくおかしな「うわさ」なのである。

しかも、新長官は元陸軍大将だったひとだ。

彼の承認にひと悶着予想されたのは、軍人が文官の身分である「長官職」につくには、退役後7年の期間が必要とされる慣習があったからである。
しかし、トランプ政権の国防長官を務めたマティス氏は、この慣例を破って就任するという慣例をつくったから、いまさら感があったのも事実である。

わからないのは、新国防長官が承認以来、報道のおもてに出てこないことで、このことに注目した話題すらない。
一方で、国防総省は、相変わらず新政権への機密情報の提供を拒否しているというから、ふつうなら大問題だ。

でも、大問題になっていない。

かんがえられる第一の理由は、新国防長官のもとで、正常な業務がおこなわれているから、問題自体がない、ということ。
第二は、ほんとうは大問題だけど、大問題だというと、政権の正当性が問われてしまうから、だんまりを決めている、ということだ。

するとこの二点が共通して示すのは、「軍政」になっている、という「うわさ」がほんとうだということになる。

さらに、予想どおり、「バイデン氏の弾劾訴追」がどうなったのか?がわからない。
こちらの弾劾理由には、彼の子息による犯罪容疑も含まれるので、新政権にとってのアキレス腱どころではない大問題がある。

つまるところ、アメリカ合衆国は、いま誰が統治しているのか?
これが、「はっきりしない」という大問題の状態なのである。

それでもって、あちらサイドについているわが国政権とマスコミは、「バイデン政権」が、あたかも「通常どおり」ということに決めた。
国民への「情報戦」をはじめたのである。

しかし一方で、あちらの大国では、昨年暮れからほぼ一ヶ月、「国家主席」が「生身」の姿を見せていない。
もしやの「死亡説」まで流れている。
脳大動脈瘤の手術という「うわさ」があったけど、まったくわからない。

これがもし「あたり」だとすれば、強烈な権力闘争がはじまっているはずで、バチカンの法皇決定の「コンクラーベ」のごとく、決まるまで外部に漏れることはない。
コンクラーベは選挙だけど、あちらの大国では「犬」とおなじ方法でボスを選ぶのが通例である。

「力」による押さえつけのことである。
ただしこの場合の「負け犬」は、息の根を止められるから、死闘になるのだ。
邪心をもった人間は、犬未満に成り下がるものだ。

そうはいっても、バチカンだって、枢機卿が9人もいっぺんに亡くなった。
発表された死因は、例の流行病だということだけど、ひとりも入院せずにいたからほんとうか?
それに、バチカン銀行元総裁の大司教が逮捕されて、8年の実刑だという。

逮捕から判決までがやたら速い不思議がある。

容疑は「マネロン」と「麻薬取引」。
ご本人はとっくに80歳を超えているので、8年は痛い。
ついでに、法皇ご自身も持病のため静養すると発表されて、ついぞおもてに出てこない。そういえば昨年は、クリスマス後に法皇が退位する「うわさ」もあった。

まったくもって、『ゴッドファーザーⅢ』のごとく、と書いたことが「あたってしまった」不思議がある。

さてはどこまで、「フロリダ朝」が関与しているのか?
しばらくは誰にもわからないだろう。

トランプ氏関与といわれた、新設「パトリオット(愛国者)党」の支持率が、あっという間に共和党の支持率を上回ってしまったけれど、これをみてから「フロリダ朝」は、われわれと「関係なし」と正式発表した。
けれども、上院での弾劾に腰を引かせる、すごい効果となっている。

こちらも、すさまじい「情報戦」をやっている。

ハイエクに2度目のノーベル賞を

世の中には、あらゆる分野に「主流派」がある。
だから、かならず「非主流派」とか「反主流派」に分類されるひとたちもいるのは、「分散」という意味で健全なのだ。
すると、「集中」とは、この意味では「不健全」だということになる。

また、すぐに世の中の役に立つ学問を、「実学」といって、「純粋学問」から分けてかんがえるひともいる。
ならば、「純粋学問」は世の中の役に立たないかといえば、そんなことはない。

この「実学」の典型が、「経済学」というひともいる。
ところが、最近の経済学が、「役に立たない」といって文句をいうひとがいる。
けれども、これは正しくは、「経済政策」のことで、経済学が基礎を支えていない、ということを端折っていっているのだろう。

先週発足したといわれている「バイデン政権」が、矢継ぎ早に打ち出した「経済政策」が、どんな「経済学」によって裏打ちされているのか?と問えば、こたえは「マルクス経済学」ということになるから、唖然とするのである。

なぜなら、ふつう「経済学」といえば、いわゆる「近代経済学=資本主義を前提とする」ことであって、この主流派も非主流派も反主流派も、「マルクス経済学」のことを経済学とは「認めない」という常識があったからである。

もちろん、アメリカでマルクスとは。

では、これら「経済学」の立場から、マルクス経済学はどういう位置づけなのかといえば、それは、「宗教」なのである。
だから、マルクス経済学を分析したりするのは、「宗教学」の分野とされていたし、そのなかの位置づけでも、「邪教」扱いがふつうだった。

これは、一般的な宗教(欧米では新旧約聖書の3大宗教)で信仰の対象となる「神を否定」し、「無神」を信じる宗教だからである。
しかしながら、神を否定するとはいえ、それ自体を「信じる」宗教的な思想と思考構造は、従来の宗教とおなじなのである。

その根底に、理屈ではない、「飛躍」があるのだ。
たとえば、神の存在を証明する「理屈=根拠」はないけど、「あることを信じる」という「飛躍」を前提にしていることを挙げることができる。
これがそっくりマルクス教にもあてはまるので、この宗派も既存宗教と同様に、「(他)宗教を否定」するのである。

およそ宗教というものが、それを信仰するひとたちを団結させる力があるのは、教義に対する「絶対」があるからである。
これが、世俗的政府の為政者には「危険」になるから、ローマ教会がひとびとの「心」を支配したヨーロッパでは、「政教分離」が行われたのである。

江戸時代までのわが国の歴史で、「斎主」である天皇が絶対的崇拝の対象にならなかったのは、信仰の対象となる「神社」に「絶対がない」という、世界的「珍奇」があったからだ。
それで、輸入した宗教にある「絶対」が爆発したのが、「一向一揆」だったし、「島原の乱」になった。

内乱阻止を宗とする徳川幕府における「重職」に、寺社奉行があるのは、まさに日本版「政教分離」だった。
これを、明治政府が「政教一致」にしてみせたのは、資本主義の前提となる、平等の実現に、欧米の神とおなじ「絶対」を求めたからであった。

天皇以外は全員平等だとする「思想」が、国民を団結させ、一家を成すことに成功したばかりか、一枚岩ゆえの自由も付与する「建て付け」で、資本主義の条件を整えたのである。
これが、アジアで唯一発展できた理由である。

何度も書くが、「人間宣言」によって上記の「発展基盤」が壊されたけど、日本教を信仰する世代のひとたちが寿命をえてから、わが国の衰退がはじまったのは、至極当然のことなのだ。

ハイエクが晩年に到達した、『法と立法と自由Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ』(1976~79)において、「部族主義=閉じた社会:家庭、企業、地域社会など」のなかにある「利他主義」が、自由をうしなわせる「内側の敵」であるという指摘と焦りともおもわれる「警告」が、アメリカで現実となった。

  

じつは、マルクス教も「利他主義」を説いている。
これがいまだに、善人で頭脳明晰なひとたちの「脳を汚染」する元凶なのだ。
しかし、マルクス教の「飛躍」は、利他主義の実現方法に「ある」。
美しく利他主義を説きながら、その実現方法が飛躍して、一切の記述が「ない」ゆえの宗教なのである。

一見、利他主義はよいことに見えるし、「道徳的」でもある。
しかしながら、これが「自己犠牲」になって、それを利用しようと計画するひとたちに、無限の権限委譲を伴うのだ。
つまり、善が悪に利用され、踏みにじられる「お約束」の結論を導く。

全体主義への道である。

先日、アメリカとカナダにまたがる「北米国際労働組合(LIUNA:Laborers International Union of N A)」が、バイデン政権を激しく批判するコメントを発表した。
彼らが一押しして選挙応援をしたのに、「公約」を破って、パイプラインの建設中止や、シェールオイルのフラッキングを禁止したからである。

雇用を重視する労組にあって、4万人以上が失業する可能性の現実化で、組織の存在理由が問われる事態になったのだ。

もちろん、政権が根拠とする理由は、「地球環境」ということになっているから、信者たちは彼らの失業を、美しき「自己犠牲」だと言い張るにちがいない。

ハイエクが1974年にノーベル経済学賞を受賞したのは、若い頃の経済分析をもって理由とされたので、同時受賞で福祉国家=社会主義を展開したグンナー・ミュルダールは、「どうしてこいつと一緒なんだ?」と文句をたれた逸話がある。

アメリカのいまをいいあてた、ハイエクがもう一回受賞しても、今度は誰も文句をいわないだろう。

奥深い「甘辛人生道場」

赤ちょうちんに目いっぱい書いてあるから、当時は「電飾看板」の役割もあったろう。
残念ながら、わたしにはこれを見た記憶がないので、パチンコ店のハシリに実際にあったのか、それともこの作品の演出なのか?の区別が判断できない。

名作製造機・小津安二郎の映画、『お茶漬けの味』(1952年:松竹)での表現だ。
シナリオ自体は、1939年に書いていたという。
だから、時代設定がより、「現代的」になって製作されたとおもわれる。

どのくらいの時間をかけて製作したのかわからないけど、公開が昭和27年10月1日であるから、「占領中の製作」なのかもしれず、「完成が独立後」になった可能性がある。
もっとも、「国家総動員法ができた翌年」のシナリオ完成だし、「内務省の事前検閲」を通らなかったというから、結局は、絶妙なタイミングで世にでたことになる「縁」がある。

テレビ放送が本放送となるのは、本作公開翌年(1953年)のことだ。
それでもって、興行収入は、1億1千万円弱だったという。
当時の物価と現在とを比較するのが、あんがい困難なのは、それぞれの「物品」が、それぞれの物価上昇をしたからである。

念のため1953年の資料をあたると、
大卒事務初任給:9200円
新聞購読料/月: 280円
ラーメン   :  35円
ビール    : 107円 とある。

だいたい20倍ぐらいになった感じがするけれど、ビールがなんだか不思議なお値段である。
作品中でもビールがふつうに注文されて登場するけど、やたら「高級」にみえる。

68年間で20倍だから、年の平均上昇率(幾何平均)を計算すると、4.5%(68√20:20の68べき乗根)となる。
ビール以外、マッチしているような気がする。

バブル崩壊後のインフレ率は2%程度と低く、最近ではマイナスになったけど、昭和28年スタートの計算なら、これから高度成長期になって、そのころのインフレ率はだいたい7%あったからである。
いまからすれば、懐かしい「公定歩合」なんてものもあった。

こうした古い映画の映像に見る風景が、いまとなっては貴重だし、俳優陣のセリフ回しが、絶滅した日本語として録音されているので、楽しいのである。

この作品では、「宮城」から銀座に向かう光景が記録されていて、和光のビルがぽつねんとそびえ立っている銀座を観ることができる。
登場する「有閑マダム」たちの言葉は、けっして「ざぁます言葉」ではないし、極力手短な男性陣の会話と、なにかあればはじまった一節の「歌」がある。

そういえば、むかしの宴席にはかならず「歌」があって、これを酔ったひとたちが妙にバラバラなノリで合唱していた。
だれかが歌い出すと、それに集団があわせるのだけれど、あんがい「軍歌」はめったに聞いたことがない。

軍歌を歌うのが、テレビドラマの定番の場面だったのも、「作られたもの」だったとおもう。
海軍にいた父は、ドラマのなかで歌われる「同期の桜」に憤慨していた。
戦争に行かなくて生き残ったひとたちと、戦争に行って生き残ったひとの「断絶」だ、と。

俳優が悪いのではない。
これをやらせる、演出家や制作者がふざけている、とつけ加えていた。
「悪い戦争」と世間が認識し出したことへのやるせなさを、とうとうなにも書き残さずに物故した。

日本映画だから、という国内を「鎖国」して観れば、たしかに食うや食わずの時代にあって、上流階級というひとたちの浮世離れした生活は、もしやいまより豊かだったかもしれない。
しかし、なんだかスケールが「小さい」のだ。

欧米人の上流階級とか、かれらがアジアにつくった「邸宅」と、そこでの生活ぶりは、比較しようがない。
すると、外国目線でこの作品を観たら、どこにも上流を「感じない」にちがいない。

ようやく、木暮實千代が演じる「奥様」が、そのトンガリ具合から、「もしや」と感じるかもしれないけれど、あるいはやっぱり、ふつうすぎてスルーするかもしれない。
「奥様」のロココチックな寝室の壁紙、家具調度、それに額の絵にいたるまで、日本人には浮世離れにしかみえないけど、その天井の低さと狭さから、イプセンの『人形の家』を連想させるかもしれない。

話の展開は、大団円だ。
シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』にもみえるけど、欲求不満の心理ドラマとして観れば、佐分利信演じる「旦那様」も、家庭内マネジメントに失敗している。

すると、当時のエリート社員は、もしや職場のマネジメントにも失敗していたのでは?という疑問がわくのだ。
職場の彼の仕事ぶりが、個人的すぎてなんだかなぁ、にみえるのはそのためか?
机の下の彼の両足を、妙に「内また」にする演出がされている。

いまどきなら、さてはジェンダーか?

そんな「旦那様」は、流行りだしたパチンコを気に入ったらしい。
「こんなものが流行ってはいけない」と、笠智衆が演じるパチンコ屋の親父にいわしめたのは、逆説的な「正論」で、それで食うしかない悲哀があるけど、きっとこの親父さんは、パチンコ屋の経営者として一代で財をなしたにちがいない。

まさに、甘辛人生道場、をみせてくれた。

歴史的な就任直後の弾劾提起

「大統領弾劾」によって、過去弾劾(=解任)されたアメリカ合衆国大統領はいない。

「訴追」ということで、トランプ氏は史上3人目の大統領となり、「在任中2度」というのが史上初なのは確かである。
しかしながら、「訴追」は、ふつうの裁判でいう「起訴」であって、「解任判決」がでたわけではない。

判決を下す「裁判」自体は、連邦上院の仕事だ。

トランプ氏への「訴追」だけでも問題なのは、どちらも「冤罪=でっちあげ」が「確定」しているからである。
最初が、当選後で政権発足前の「ロシア疑惑」⇒「ウクライナ疑惑」。
二度目が、「連邦議事堂襲撃幇助」。

最初の疑惑は、特別検察官による調査を経て、「どこにも証拠がみつからない」という発表をもって終結した。
今年6日の議事堂事件は、選挙中、明らかに民主党という「党派より」を見せつけたFBIですら、すでに議会へ「関与はない」と報告書を提出している。

むしろこの報告書は、議事堂への乱入を計画し実行したのが、民主党系の過激派だったことを明記しているので、このまま弾劾を強弁すれば、ふたたびの「でっちあげ」となって、憲政史上の汚点となる。

それでも、「与党」が強行するのは、たちが悪い。
狙いは、弾劾された大統領は、ふたたび公職に就任できないルールの適用だといわれている。
しかして、もはや私人となった人物を弾劾する意味はあるのか?

ウォーターゲート事件で「辞任」したニクソン氏は、弾劾される前に辞任して、結局は「弾劾訴追」もされなかった「前例」となっている。
なぜなら、弾劾とはそもそも、「解任」のことだから、辞めたひとを訴追する意味がないからである。

そんなわけで、大統領弾劾が、なんだか「軽くなった」のである。

例によって、一方的報道(もはや「偏向」でもない)しかしなくなった、世界のメディアは、共和党で新人(今回のアメリカ大統領選挙と同時に実施された下院総選挙で初当選した)が、バイデン氏の弾劾を提案すると明言していることも報道しない。

もちろん、下院で過半数を上回る議席数にあるのは民主党だから、ふつうにかんがえれば、「通るはずのない」弾劾訴追なのである。
けれども、その「理由」が問題なのだ。
つまり、ぜんぜん「でっちあげ」ではなくて、むしろ、国民もしる「事実」だからである。

・第一に、ちょっと前までなら、トランプ氏に対する「ウクライナ疑惑」といっていたけれど、当事者のウクライナ政府が、バイデン親子をすでに刑事犯として「指名手配」しているのである。

アメリカ合衆国大統領に就任した(といわれている)ひとが、外国から刑事犯にされていて、しかも、その証拠がそろっているから、「でっちあげ」ではないどころか、「副大統領の職権濫用」について、なんと当時の本人がカメラの前で「認めている」のだ。正確には、自己の権力を自慢している。

ちなみに、就任したと「いわれている」のは、ライブの就任式のはずが6時間も前にスペインで放映され、その画像のなかの天気が「晴れ」で、しかも「影の方向と長さ」が非現実的だと指摘がある。
当日のワシントンD.C.は「濃い曇り」だったのだ。

なお、ホワイトハウスは、ネットでの「就任式ライブ動画」の配信を、「登録者限定」として、一般人への公開をしていない。
「登録者」とは、ホワイトハウスが認定した、民主党支持という身元がわかるひと、のことという「前代未聞」がある。

・第二は、上の「証拠」に関連する、子息の「犯罪」の詳細で、これには外国政府からの資金提供まであるし、証人もいるのある。
すなわち、バイデン氏に「大統領候補」としての「被選挙権」がない、という問題提起だ。

本来なら、政権が吹っ飛ぶはなしだ。

報道されないからといって、この提案が無視されるものではない。
トランプ氏に投じた、(おそらく)8000万以上ものアメリカ人有権者は、この展開を見つめていることが重要な事実なのである。

いかに民主党員の議員でも、2年後の選挙にどうやって当選するのか?は、重大な関心事である。
アメリカは、下院議員の任期は2年しかない。
くわえて、同数になった上院も、やっぱり2年で1/3が入れ替え選挙になるのである。

それで、バイデン氏の「被選挙権資格」を、ほんとうに強弁できるのか?

離任にあたってのトランプ氏の演説では、「何らかの形で、すぐにワシントンD.C. に帰ってくるよ」といっていた。
フロリダに「帰省した」トランプ氏は、さっそく自分が所有するゴルフ場でプレーを楽しんでいる。

一方で滑稽なのは、フロリダ州の住民たちが「お帰りなさい」とトランプ一家を沿道で出迎えたのを、「数十人」と報じたことである。
ネットでの投稿動画を観れば、だれにでも確認できる「群衆」に、感動すらおぼえるだろう。

沿道で車列を待っているひとが、いよいよの到着を前に、「Our President」と子どもに諭すような声でつぶやいたのが聞こえる動画もある。

「ほらごらん、わたしたちの大統領だよ」。

就任式前日の、バイデン氏壮行会に集まった「群衆」は、25人だった。
それでも「群衆」と報道するのを、呆れないものはいない。
数千人を数十人にしたって、その場にいた人々には、「事実とウソ」の区別ぐらいできる。

こうやって、誰も見向きもしないようにする報道の行為が、正義だと自己陶酔するなら、まもなくその「酔い」から醒めても、頭痛しかやってこないだろう。

報道されようがされまいが、「大統領弾劾」が、二人に同時におこなわれる時代がやってきた。

「危険」な戦争をしない大統領

戦争をするから危険なのではない。
戦争をしないから危険なのだ。

トランプ氏は、戦後の合衆国大統領として、任期中に戦争をしなかった「ただひとり」の大統領として歴史に名前を刻んだ。
戦争どころか、むしろ外国駐留アメリカ軍の、「撤退」と「縮小」を実施して、意図的なパワーバランスを変更することでの、不可能とされた「中東和平」を実現させた「快挙」がある。

ノーベル平和賞10個以上に相当するのは、当事国の数による。

これで、中東の地図が、「イスラエル・アラブ連合」対「イラン」となった。
イランの背後にはアジアの大国がいるので、「イラン・パキスタン・アジアの大国」が、イスラエル・アラブ連合に対峙している構図になったのだ。

まっ先にイスラエルと和平協定を結んだUAEが、原子力発電所の建設失敗の怨念もふくめ、韓国に石油を売らない、といったのは、韓国が相手側大国の子分だと認定したからでもあろう。

わが国に、中東の石油が今後も安定して供給されるのか?
あんがいと今後の早い時期にはっきりするかもしれない。
「あっち側に立つ」自民・公明連立政権の正念場だ。
経産省は伝統的に、イランの石油プラント推進が大好きなことを確認しよう。

バイデン氏は就任して早々に、トランプ政権が破棄した、「イラン核合意」の復活も意図しているから、中東和平を破壊したい、という意味の行動になることが予想される。
新国務長官候補は、オバマ時代に、ヒラリー氏の下でこの合意をまとめた人物である。

それに、さっそくバイデン氏は、テレビ討論会で公言した公約を破って、シェールオイルを得るための「フラッキング」を禁止するという。
これは、アメリカが純石油輸出国になったから中東への関与を弱めたことでの、和平の重要な基盤の破壊であるし、激戦州における雇用に深刻な影響をあたえる。

いつもの、「環境への取り組み」という詭弁が便利につかわれている。

前回書いた、「既得権保持」の優先順位は絶対だから、トランプ政権が差し止めた「既得権停止」を180度転換させることが、そもそもこの政権発足の至上命令である。
これが、就任初日の、数々の「大統領令」へのサインだ。

日本の新聞が、一面で大々的に書きたてる「快挙」扱いの記事は、まさに、既得権保持者への媚びへつらいにほかならない。
一般の日本国民として、こんな新聞におカネを出して購読する意味は、もはや1ミリも、1グラムもなくなった。

自称わが国を代表するクオリティー・ペーパーの、朝日新聞が赤字になったと報道され、こんどは、伝統ある毎日新聞が40億円以上ある資本金を「減資」して、3月には資本金1億円の会社になると発表された。
累積赤字の補填に、減資しか方法がなくなったのだろう。

一部に、資本金1億円の会社は税法上「中小企業」扱いとなるから、節税効果が期待できるという主張がある。
バカげた話なのは、払うべき儲けがあってのことを忘れているからである。
むしろ、主力銀行は、今後なにをもって追加融資をしてくれるのか?の不安しかない。

まさに、既得権保持者への媚びへつらい記事ではあるが、ここまでのことを理由にされたら、ドン引きするのがふつうの株主だろうから、いよいよわが国の大新聞社が倒産の危機を迎えている。

ほぼ時をおなじくして、電通が汐留の本社ビルを売却して、そのまま賃貸するのも、やっぱり赤字補填が理由である。
売れれば6000億円が入金するらしいけど、事業の立て直しができなければ、こちらも「時間の問題」となる。

リモート業務が8割になったから、いまの半分のフロアー数を借りることにするらしいとは、2割でない未練がある。
過労でなくなった若い社員からしたら、リモート勤務での残業をどうやって認定するのか?草葉の陰から心配しているだろう。

電通の凋落とは、テレビの凋落のことである。

新聞社は、テレビ局の親会社だから、テレビ局会社の経営だって火の車にちがいない。
いまになって、新聞とテレビを合体させた、田中角栄郵政大臣の亡霊が暴れだしている。

こうなったのは、ネットの台頭というよりも、自分たちの勝手な思想を読者や視聴者に押しつけたからである。
ちゃんと「公正」な報道をしていたら、玉石混交のネットよりもはるかに信頼性を維持できる人的資源があるはずなのに、これを使わなかった報いである。

いま、自由主義を標榜して、「公正」な記事を提供すれば、かならずや人々がこぞって購入するだろうにとおもうけど、確信犯にはこれができない。
よって、誰からも惜しまれずに市場から退場を余儀なくされるのは、「道理」というものである。

電通がGoogleに対抗できないのも、デジタル技術の問題ではなく、目的と手段をまちがえたからだろう。
そのGoogleが、SNS大手とともに、民主主義の破壊に手を染めた。
この千載一遇のチャンスを活かせない電通は、しょせん「満州ゴロ」の出自がそうさせるのだとしかおもえない。

経営には、倫理の前に道徳がひつようなのだ。

戦争をしなかった、唯ひとりの大統領を、危険人物とすることの人倫にもとる行為をしてはばからないばかりか、強弁を続けることは、巨大テック企業とおなじ土俵にあるから、けっして活路が見いだせない。

かれらが見下す一般人が、これら企業の困窮を「ざまぁ」とみているのは、因果応報というのである。