伝えることが困難なわけ

とっくに世の中は、「情報化時代」といわれていて、さかんに「コミュニケーションが重要」とも叫ばれているのに、どういうわけかその「コミュニケーション」がおかしくなってきた。

誤解をおそれずにいえば、日本人は日本人を相手にしたときに「阿吽の呼吸」が通じるものだという思い込みがある。
だから、この思い込みに期待できない外国人には、ちゃんと伝えようと努力をするか完全にあきらめるのであって、ほとんどの場合あきらめるのだ。

この背景には、「同一文化」への信頼があった。
つまり、日本人とはこういうものだ、という共通点が、たとえ粗っぽくても「あるはず」だから、ことばが少なくても通じると信じたのであり、じっさいにそれで通じてた。

しかし、「情報化時代」とは、多様化の別のいいかたで、同一文化が「分散」しはじめたことを意味するから、「阿吽の呼吸」が成立しなくなった。

それにくわえて、日本語の「主語を省略する」特性が逆に作用して、聞き流していては意味が通じないし、都合のわるい表現を言葉にしない。
それで、いよいよコミュニケーションが難しくなってきたのである。

人間の基本的な要求はボディーランゲージでも十分伝わる。
これは、相手も理解しようと努めるからである。
すると、コミュニケーションというものには、かならず「自分と相手」がいる、という関係がなければならないことがわかる。

自分だけなら「ひとりごと」になってしまうから、あたりまえだ。
けれども、あんがいこの「あたりまえ」が重要なのである。

もっと「あたりまえ」をいえば、自分のいいたいことが相手に伝わったとき、相手が自分のいいたいことを理解したかしないかということに、言った側はその時点では、もはやコミットできないということがある。

相手がぜんぜんちがうようにとらえたなら、あらためて追加して説明するか、相手を罵倒するかという選択肢しか、言った側にはないのである。

言った側からすれば、相手を罵倒するしかなくなったとき、コミュニケーションに失敗したと認識できればまだ冷静だが、罵倒するのだから、たいがいは冷静さをうしなっている。

冷静にかんがえれば、相手の理解力はどうなのか?あるいは、相手はわざとわからない態度をとっているかもしれないと、おもいつく。

すると、相手側への観察・研究が最初にひつようになって、その対策結果がことばにならないと「伝わらない」のだ。

これは、「マーケティング」の基本ではないか?と膝をたたいたら立派なものだ。

ショッピングセンターにいけば、あらゆる商品がある。
むかしの「ウィンドウ・ショッピング」だって、お金がないからという理由だけでなく、それで「夢」を買っていた。
いつかは購入したい。これはいらない。あっ、こんなのがあるんだ。

このときは「ひとりごと」かもしれないが、商品をみながらちゃんと「対話している」から、立派な「コミュニケーション」なのである。

今年の9月30日には、各地で地元老舗百貨店の閉店があいついだ。
はたして「時代の流れ」だけが、不振の理由だったのか?
むしろ、買い物客とのコミュニケーションに失敗したのではなかったか?

原因分析がまちがっていたら、対策もまちがう。
その間違いを何年もくり返していたら、とうとう資本がつきて閉店になるのは当然だ。大手だろうが個人商店だろうがちがいはない。
冷たいようだが、あとはノスタルジーで「残念がる」しかない。

しかし、だからといって百貨店という業態が、いまの世の中に必要のない存在なのか?と問えば、きっとそれもちがう。
だから、どこかに「解」はあるのだ。

「売れる」理由も「売れない」理由も、あとからつけることはできるけど、「売れるようにする」には、購入客の研究が必須なのは、どちらさまもかわらない。

その「購入客」が、「同一文化」でなくなったから、売り手の「阿吽の呼吸」が通じなくなった「だけ」なのだ。

この「だけ」をもって、コミュニケーションが難しいというようになったのである。
そんなわけで、「伝える力」をみがくために、「伝わる」ということをかんがえないと、にっちもさっちもいかない。

こういう「掘り下げ」が、重要だということがわかる本である。

いまさらだが、困窮した企業ほど、こうした「掘り下げ」を嫌い、安易な「こうしたらできる」に誘引される傾向がある。
それが「どちらさまも」やってしまうから、業界全体が衰退することがある。

すると、もっと深く掘り下げれば、自分はなにものなのか?自社は何なのか?といった存在のありかたまでに行きつくのである。
そして、そこに重大なヒントがある。

残念な企業は、この追究の手間を惜しみ、とうとう時間切れになるのである。
それは、廃業してすらも、「伝えること」ができなかったということだから、この点こそがあらたに職をさがす従業員にとっての「残念」なのである。

映画『パリに見出されたピアニスト』

10月にはいったら急に「芸術の秋」を思い出したわけでもないが、前評判が高いので観に行ってきた。

映画の展開は、よくあるサクセス・ストーリーで、人物の「深み」という点では『のだめカンタービレ』に軍配があがるように感じた。

むしろサブ・ストーリーである、主人公にチャンスを与える側の家庭の不幸を、フランス映画らしいねちっこい演技で表現していたのは、離婚を宣告される「妻」の役で、印象にのこった。
うまい女優である。

ヨーロッパの都市計画はどの国もたいがい、景観を保存する「旧市街」と新興住宅街の「新市街」にわかれていて、旧市街には中流以上が住み、新市街にはその他が住んでいる。
もちろん、最上流はいまも城や広大な屋敷に住んでいて「爵位」があるものだ。

主人公は貧しい母子家庭で、とうぜんに新興住宅地の団地住まい。
子どものころに近所のお爺さんからピアノの手ほどきを得、お爺さんの遺言で古いピアノをもらい受ける。
しかし近所の悪たちと空き巣ねらいをしたりと、褒められた生活ではない。

きっかけは、そんな主人公がパリ北駅に設置されているピアノの演奏をし、これを聴いたコンセルバトワールのディレクターの目にとまったことだった。

さいきんは日本でもあちこちにピアノが設置されて、自由に弾けるようになったのは、じつは世界的なブームなのだ。
「ストリート・ピアノ」と呼ばれている。
『もしもピアノが弾けたなら』が身近になってきている。

映画では、ヤマハのアップライト・ピアノがさいしょの場面で、曲はバッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻第二曲のハ短調の「プレリュードとフーガ」のうち「プレリュード」だった。

高校二年生のとき、お年玉で大枚はたいて買ったのが、盲目のオルガン・チェンバロ奏者ヘルムート・ヴァルヒャ(1907-1991)のLP盤5枚組『平均律全集』だった。

現代の音楽とおなじ「平均律」の、全12音階を用いた「プレリュードとフーガ」だけの曲集で、二巻で二周して24曲ある。
音楽の標本のような曲集である。

ヘッドホンでじっくり聴いていると、脳がボーっとしてくる心地よさがあったのは「名盤」ゆえか。
第一巻と第二巻とで、別の歴史的チェンバロの名器を用いたのも特徴だった。

バッハの時代にはピアノはまだ存在しない。
それで、チェンバロ演奏のレコードを買うか、表現がゆたかなピアノ演奏の方を買うか、大変迷った思い出がある。
ずいぶんとレコード屋さんに通って、ジャケットを比べていたものだが、そのレコード屋がなくなってきた。

フランス映画でバッハをあつかうといえば、『無伴奏「シャコンヌ」』(1994年)がある。
全編が『シャコンヌ』の演奏であふれていて、そのストイックさは、フランス映画らしかった。

フランスはカソリックの国で、バッハはプロテスタントだから水と油ではないかともおもうが、パリの修道女がクリスマスにバッハの『クリスマス・オラトリオ』の演奏会に行きたくて悩み続け、院長に打ち明けたら即座に許可が出たというはなしを聞いたことがある。

「バッハは特別なのよ」

そんなこともふくめて、映画の冒頭にバッハが選ばれたのは、ドイツよりもフランスらしく、しかも、平均律の二曲目を持ってきたところがちょっとした変化球だから、やっぱりすこし「ゆがんだ」感じがしてフランスらしいのだ。

コンセルバトワールのピアノは、ピカピカの「スタンウェイ」だった。
これをみた主人公は、おもむろにリストの『ハンガリー狂詩曲第二番嬰ハ短調』を奏でるのだ。

ハンガリー人のリストだから、といいたいが、ロマ人(ジプシー)の曲が原曲といわれているので、貧しい主人公とピカピカのスタンウェイが、演奏によって結合するわけで、サクセス・ストーリーとしての象徴なのだろう。

主人公のピアノを厳しく鍛える先生は、かつて、みずから出場したコンクールに敗れた傷をもっている。
その理由は、心がこもっていなかったから。
テクニックだけでは、世界的なコンクールで勝てないというはなしは、ビジネスの世界でもおなじである。

『無伴奏「シャコンヌ」』は、世界的バイオリニスト、ギドン・クレーメルがじっさいの演奏と音楽監修をしていた。
ベートーヴェンをあつかった『不滅の恋人』では、サー・ゲオルク・ショルティ指揮による全曲オリジナル録音という豪華さだった。

今回の主役へのピアノ指導とサントラは「ジェニファー・フィシュ」というひとの演奏だという。誰だ?

調べてもよくわからない。
けれども、このひとの演奏するサントラがなかったら、映画自体が失敗してしまう。
素晴らしい演奏で、サントラ盤がほしくなった。

そういえば、『のだめカンタービレ』の実写版では、ラン・ランが主人公のピアノ演奏を担当している。
わたしは、どうもこのひとの演奏は「テクニック」を誇示する感じがして、個人的に正直にいえば好きではない。

本作も「のだめ」も、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第二番ハ短調』が重要な曲になっているのは偶然か?
まさかだが、日本のマンガ文化の影響が濃いフランスにあって、「のだめ」を意識しているなら痛快である。

それにしても、作品内で演奏される重要な楽曲が、みんな「二番」で、「ハ短調」を基軸にしているのはなぜか?

これを解説しているひとがいないのも、たまたまだからか?

「聞かせてよ愛の言葉を」を聴きたい

蓄音機のSP(standard playing)盤は、あとからでてきたLP(long playing)と区別するための用語だ。
いまとなっては「special」ではないのか?といいたくもなる。

一枚ごとに交換を要する鉄製の針(針圧は120gもある)でこすって音を出すのだから、盤じたいの硬さも相当であった。
一回の使用で鉄針が削れてしまうから、かならず針をあたらしく交換しないと、盤の溝をいためてしまうのだ。

LPがプラスチック製だったのに対して、SPは酸化アルミニウムなどの微粉末を天然樹脂でかためたものだったから、衝撃に弱いだけでなくカビが発生するという弱点があった。

しかしながら、「蓄音」という技術は人類史上の「画期」であって、前回書いたように、モノラルでしかない、というのも、いまとなっては人間の耳にもっとも適しているのである。

技術はめぐって、モノラルの最高スピーカーがあらわれるとおもったら、とっくに世にでていた。
やっぱりなー、なのである。

それで、どんな曲を聴きたいか?
もちろん、発明者のエミール・ベルリナーのつながりでいけば「グラモフォン」なのだから、なかでもドイツ・グラモフォンの名盤を聴いてみたい。

しかし、気になるのは「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-moi d’amour)」なのである。
フランスで最初にレコードをリリースしたのは、レオナール・フジタのモデルにもなっていたリュシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer:1901-1983)で、1928(昭和3)年のことである。

「聞かせてよ愛の言葉を」の発表は、1930年。
シャンソンの古典ともいわれているが、なにせ教科書でならう歴史でいえば、1929年の10月、アメリカ発の「世界大恐慌」がおきているさなかなのである。

哀愁が漂いながらも、どこか華やかなよき時代が表現されているのだが、29歳でこの曲を歌い上げる力量のすさまじさは「時代」の力というべきか。

第二次大戦中の『リリー・マルレーン』とは、趣を異にする。
むしろ、戦後シャンソンの名曲『枯葉(Les Feuilles mortes)』が、ヘンデルの『パッサカリア』に似ているといわれることにこじつければ、イタリア語だが、おなじくヘンデルのオペラ『リナルド』のアリア『わたしを泣かせてください(Lascia ch’io pianga mia cruda sorte)』に、なぜか起源をもとめたくなる。
現代の歌姫、サラ・ブライトマンのアルバムにもある。

これを、生の蓄音機ではなく、YouTubeで聴ける時代なのだ。
しかして、生の蓄音機で聴いてみたい。

シャンソンの本場フランスで、この曲があらためて注目されたのはジュリエット・グレコ(Juliette Greco:1927-)が1964年に出したからだという。
34年間も他に歌ったひとがいなかったわけではないだろうが、「味わい」という点で光が当たるものだ。

しかし、ジュリエット・グレコはこのとき37歳。
人生の機微を歌うのに要する時間は、確実に延びている。
はたして、いまの日本人で、二十代にしてこの曲を歌い上げて「味わい」をだせる歌手がいるものか?

ところで、西洋からの輸入品を我が物にしてしまう日本人の特性は、この曲にもあらわれて、3年後の1933年に、山田道夫が日本語版をリリースしている。なぜ男性がこれを歌ったのか?

淡谷のり子は、1951年、44歳の時の録音があるのは、「ブルースの女王」よりも以前、わが国シャンソン界の先駆者としての矜持か。
「なるほど」の一枚である。

さて、わたしがこの曲に興味があるのは、じつは全く別の理由で、ピアニストのフジ子・ヘミングが、NHKのETV特集「フジコ-あるピアニストの軌跡-(1999年2月11日放送)」で鮮烈な紹介をされたのをたまたまリアルに観ていたからである。

この番組のなかで、母親が残した古いピアノを、タバコを片手に弾き語ったのがこの曲だった。
観ていて灰が落ちないものかと気をもんだが、そんなことはなんのその、じつに切ない響きであった。

齢を重ね、かつては天才少女と賞賛されラジオにも出演し、ヨーロッパにいけば「リストの再来」と記事にもなったひとの、なんとも厳しい人生がそこにあった。

しかし、軌跡のはずが奇跡がおきて、三度も再放送され、さらに続編がでて、いまや世界的ピアニストとして光を放っている。
ホンモノがもつ力である。

そう、あの番組中のあの歌が忘れられないのだ。

曲と歌手と時代と人生が一致すると、とてつもない「味わい」がうまれるのは、もはや偶然でしかなされないものなのか?

平たい人生と平たい時間が、平たい音楽をつくるといえばいいすぎか。

そういえば、とあるクラッシック名盤を聴いていて、テンポの遅さに気がついた。
いまよりずっと「遅い」。

これも、ひとの生活リズムの変化なのだろう。
しかし、この遅さこそ、歌心ではあるまいかともおもう。

「聞かせてよ愛の言葉を」を、蓄音機でじっくりと聴いてみたい。

蓄音機とモノラル録音

エジソンが発明した品々のなかでの代表作でもある「蓄音機」は、「Phonograph」あるいは、「Gramophone」と現地では呼ばれ、これを「蓄音機」と翻訳した日本人のセンスが光る。

音を蓄える機械。

いかに画期的なことか。
文字とちがって発すれば消滅する「音」を記録できるのだ。
発明当時は、人間の声すなわち「話」を記録することが主たる目的で、音楽を記録して再生を楽しむという目的はあとからうまれたという。

それで、ビクターのマークで有名な犬が蓄音機のラッパに耳を傾けて不思議そうに首をかたむけているのは、亡き主人の声がラッパから聞こえたという実話を絵にしたものだ。
この犬の名前は「ニッパー」という。

絵の下には、「HIS MASTER’S VOICE」と書いてあって、略せば「HMV」になる。
整理すれば、イギリスのグラモフォン社の商標であった「ニッパーの絵」が、姉妹会社であるアメリカの「Berliner Gramophone社」を通じて「ビクタートーキングマシン社」(「日本ビクター」の親会社)、「イギリスEMI」と「イギリスHMV」になっている。

では、創業者は誰かというと、エミール・ベルリナーというひとだから、「Berliner Gramophone社」には自分の名前をいれている。

このひとはドイツ系アメリカ人で、1851(嘉永3)年ハノーファー生まれのユダヤ人である。
1870(明治2)年に、普仏戦争による兵役からのがれるため、両親とアメリカに移住した。

学校教育は14歳までで、アメリカにわたってから呉服・生地屋で働きながら夜学で物理学と電気工学を学んだという。

グラハム・ベルの電話の完成に貢献したのは、エジソンが持つ特許に抵触しない方法をかんがえたことによる。
そして、蓄音機の分野でもエジソンとの特許競争に勝利したから、エジソンにとっては天敵のような存在だ。

その「Berliner Gramophone社」の蓄音機をみせてもらった。
ちいさなブリーフケースのような形状で、ふたを横方向にあけると、ターンテーブルがある。
ふたの蝶番の下、ターンテーブルの横にはくぼみがあって、ここにトーンアームとゼンマイを回すための「手」という道具が収容できるようになっている。
さらに、角には「針」を収納する小箱が回転させると出てくるようにできているし、ふたの裏には録音盤を何枚か収納できるようにもなっている。
まさに、「ポータブル蓄音機」なのだ。

さっそく何枚かの録音盤をかけてみた。
ものすごい音量だ。
鉄針は薄い振動板の先についていて、振動板からの音を増幅させるのは、「音の通り道」になっているアームからターンテーブル下の「管」で、道具を収容するくぼみから発せられる。
それがグランドピアノのようにふたが反響板にもなっているから、すべてにムダがない。

すなわち、管楽器とおなじような構造なのだ。
管楽器は人間の吹く息の加減で音量を調節できるが、蓄音機は録音盤の振動をそのまま伝えるから、音量調節ができない。

録音盤に傷がないからだろうが、きわめてクリアな音で、よく耳にするレトロな、「チクチク」「ザーザー」といったそれらしいノイズが聞こえない。
あれは、映画やドラマの「演出」ではないのか?つまり、わざと雑音をくわえて、あたかもむかしは酷かったといいたいのか?とうたがいたくなった。

ちなみに、鉄針は一演奏ごとに交換する必要がある。
録音盤の溝をいためるからだ。
それにしても、鉄製の針でなぞって、鉄の針が摩耗する録音盤の硬さがすごい。
しかして、いまも新品の鉄針が購入できるのは、製造している会社があるからである。

けれども、録音盤をあたらしくつくる会社がない。
蓄音機の価値は、むかしの録音盤にあるのである。
いまのようにどこの家にもある、というわけにはいかなかったから、録音を依頼される歌手やオーケストラは一流しかないのも特筆にあたいする。

やはり秀一なのはクラッシックの演奏で、堅い音質は脇に置いても、自然な音の広がりがあるから、むしろ演奏を楽しむことができる。
これは、録音もラッパを通して逆方向の音の通り道から溝を刻むしかなかったことからの恩恵であることに気がついた。

蓄音機から発展したのが現在の音響システムであるが、音楽を鑑賞するという点にたてば、ミニコンポなにするものぞという気概すらにじみ出る蓄音機、あなどるべからず、なのである。

そうかんがえると、いま個人で音楽を楽しもうとすると、じつは、かなり「調整された」つまり、意図的につくられた音を聴かされていることにも驚くしかない。

オーケストラなら、各パートや楽器ごとにマイクが用意されて、これを「ミキシング」している。
つまり、ミキシングするひとがつくった音を、ある意味強制的に聴かされているともいえるのだ。

すなわち、オーケストラや指揮者がサウンドをつくっているのではなくて、ミキサーがつくっているのだから、CDならジャケットに印刷されたミキサーの名前こそが音質をきめるすべてになる。

もちろん、これを再現する方法の機械類、それに最近ならヘッドホンの「調整」すらおおきく「味」に関係するから、キリがないのである。

ましてや、人間の耳が聞き分ける音には範囲がある。
だから、ヘッドホンという機械をつけるなら、この範囲での再現力が問われるのは当然だが、これを「超える」ことで高額な商品が受けているというのは、所有の満足をみたすのであって音への満足ではないのではなかろうか。

電気をつかわない蓄音機を開発したのは、電話を完成させた電気技師だった。
じつは「モノラル」こそが、人間の耳にもっとも適しているとしっていたのではないか。

それにしても、音楽鑑賞、が手軽になりすぎて、ちゃんと集中して音楽を聴くことがひさしくない。
脳からアルファ波がでていると感じるような、じっくり音楽を聴いていたころがなつかしくもある。

これも退化なのだろうか?

おそろしい「光」エネルギー

「光」は何者なのか?
その正体の本質は、「エネルギー」なのである。
それが、あるときは「波」となって、あるときは「粒子」のようにふるまうから「波動」なのだと説明されている。

なんにせよ、光がある方向に進むことができるのは「エネルギー」だからである。
夏の日焼けだって、皮膚にやってきたエネルギーによって、細胞が刺戟されるからできるのである。

このとき、主に紫外線という高エネルギー帯の光が、我々の皮膚に衝突していることがわかったので、いまではどちらさまも「UV(紫外線)カット」の準備をおこたらない。

我々がふだん接している「自然光」とは、太陽からの光をさす。
たまたま、太陽という星の輝き方が、我々地球にくらす生きものの生存環境に合致していた。いや、むしろ、太陽の輝き方にあわせた進化を生きものの方がしてきたのだ。

地球上の環境と、太陽という星からのエネルギー供給とがあって、生命が誕生したのはまちがいない。
すると、大宇宙のどこかに、地球とおなじ環境の惑星が存在しても、太陽のような恒星がセットの組合せにならないといけないことになる。はたして、そんな「確率」はいかほどあるのか?

人工的な光も、自然光にまねてつくられるようになっている。
そうでないと、我々には順応できないからだ。
こうして、太陽が西に沈んだ夜においてさえ、人類は「あかり」を手にしたことで昼間のような環境をつくりだすことに成功した。

横浜の馬車道には、いまも往時のガス灯がともっている。
横浜市は馬車道をふくむ4つのエリアに、160基ほどのガス灯を設置している。

1968年発表の『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、歌手のいしだあゆみだけでなく、横浜を代表する「歌」であるが、「ブルー・ライト」とはガス灯ではなく、港が見える丘公園からの京浜工業地帯のあかり(水銀灯)であった。

もっとも、ガス灯のあかりは「オレンジ色」っぽい。
それでも、当時のひとびとには「昼のよう」にあかるく感じられたのは、蝋燭か油をさした灯心のあかりしかしらなかったからである。
ガス灯のあかりを見物にやってくる人々で、周辺は露店もでてごった返したという。

関東大震災後に電灯があらわれると、ガス灯は姿を消していく。
さいきんは、商店街の衰退で維持費がまかなえず、とうとう商店街を照らした特殊電灯の撤去がすすんでいる。
そんななか、馬車道商店街は、ガス代に年間280万円をかけているから立派なものだ。

ところが、さまざまな電灯の恩恵になじんだ現代人からは、ガス灯はけっしてあかるい照明には感じられない。
「レトロ」というよりも「弱々しい」灯りかたが印象的だが、あかりの色調が周辺を「レトロ」に浮かび上がらせている。

この色合いがどこか懐かしいのは、「裸電球」の下で生活していた記憶があるからだろう。
高度成長期にどちらさまも「蛍光灯」になって、白い光のなかでの生活になったが、「電球色の蛍光灯」が選ばれるのはヒトの目に優しいからである。

そんななか、例によって余計なことしかしない経産省が、「省エネ」という印籠を振りかざしている。
この法学部エリートのひとたちは、製造工程における「省エネ」と、使用中における「省エネ」、さらに廃棄後の処分の手間を分ける習性があって、使用中の省エネ「だけ」に注視するから、科学と合致しない。

ハイブリッド車や電気自動車、はたまた水素自動車など、製造工程やエネルギー源の確保にまつわる非効率を無視して、使用中に「だけ」二酸化炭素が排出されないことが地球環境にやさしいと、小学生に説明できない屁理屈をたれて恥じないのである。

それで、白熱電球と蛍光灯がやりだまにあがったのは、LED照明の「省エネ性」に注視するからである。
くり返すが、このときの「省エネ」とは、使用中だけのことで、製造工程や廃棄後の処分にかかわるエネルギー消費を無視している点で、自動車の例と一貫性が確保されている。
つまり、科学を無視する「習性」がみごとにブレていないのだ。

こうした法学部エリートが一般的な照明として推奨するのは「白色LED」である。
政府は2030年までに、「すべての照明」をLED化する方針を2016年に打ち出している。

背景には「水俣条約」(発効は2017年)があって、水銀灯が全面禁止され、白色LEDへの転換がすすんでいることがある。

しかしながら、白色LEDというのは現在も「単体」で存在せず、青色LEDによる発光を黄色蛍光塗料にぶつけることによって、ヒトの目に「白くみえる」ようにしているものだ。
何のことはない、やたら高額な「蛍光灯」なのである。

この青色LEDは、可視光線でありながら青ピーク、紫ピークという紫外線にちかいピークがあって、もちろん紫外線も発している。逆に赤外線方向の光は発しないから、冷たく白く感じるのである。

つまり、ヒトの目にけっして優しくない高エネルギーを発しているのである。
これが、電子端末ディスプレイにおける「ブルーライト」である。

「すべての照明」でLEDがつかわれると、ヒトにどんな影響があるのか?
法学部や地球環境という立場ではなく、工学、医学的見地からの情報提供がひつようだろう。

もしかしたら、「省エネ」とか「地球環境」のために、夜になったらあるいは日中のビル内でも、PC対応をこえて紫外線カットの眼鏡をかけないといけなくなるかもしれない。
それが「あかるい未来」なのだろうか?

『ブルー・ライト・ヨコハマ』は消えて、ガス灯のあかりが貴重になる時代になった。

歴史教育と「やる気」の関係

「歴史」をまなぶ。
これには二つの意味があって、ひとつは「教育」として。
もうひとつは「歴史学」としてである。

「教育」として、という目的ならば、「ただしい歴史」とは「ただしい国民」を育てることになる。
では、「ただしい国民」とはなにか?
戦後のわが国は、「ただしい国民」の定義が「できない」国になってしまったから、たんなる学歴偏重社会になったともいえる。

そこで「歴史学」のほうをみると、すっかり政治的な意志がはたらいていて、そうした「視点」での「国史」が正規であって、ちがう視点からの解釈をゆるさない。すなわち、日本はわるい国だった、と。
つまり、「みえない党」のような「同意」が、統制しているのである。

それもこれも、「ただしい国民」という定義にかかわる問題だ。

したがって、「ただしい国民」という定義が「できない」から、いつまでたっても変わらないのである。
しかし、戦後にできた政治的な意志による統制をする立場からすれば、「変わらない」ことがよいことなのである。

これをもって「保守」とすると、わが国における「保守」とは、英国における「保守思想」とはまったく別物で、ソ連や中国における共産党の「保守」とおなじ意味になる。

そうした問題の原点にあるのは、「敗戦」という史実における意味が「開戦」という史実における意味をも吹き飛ばして、「被害者は国民」という図式に落ち着いてしまったからである。

つまり、戦争を望んだのは国民だった、という不都合な史実を隠蔽するのにもっとも都合のよいことになっている。
これが自虐史観の「自虐」であって、そこに妙に居心地のよさがあるのは、なんであれアジア筆頭は日本であるという「こころの立場」があるからである。

だから謝罪する必要があるのも、与えるのはいつでもわが国だという立場になる。
そして、侵略と植民地という入口と出口において、いかな残虐なる加害者であったかと説くことが、あさましき「正義」となるから、教わる子ども側に自虐が伝染して、まったくやる気を失うのである。

これは人間の組織帰属意識の深層心理であって、自分が属する組織・集団の正義があってこそ自分の価値も見いだせるからである。
だから、これが否定されると、自分が所属することの意義をうしない、それが「国」ともなれば、まじめな人間ほど嫌悪をいだき、ついには国家を憎むようになる。

これは、戦後の英国で実験済みで、帝国主義の全否定が、若者のやる気を奪った典型となった。
それで、評価をおしえるのではなくて、事実をおしえるようにしたら、若者たちにやる気がうまれたのである。

台湾が日本統治時代を評価し認めているのは、不幸にも蒋介石の国民党が日本に代わって統治した過酷さが、かえってよき日本時代の評価となった皮肉がある。
だから、民主化によって自信をつけた台湾は、将来反日となる芽をもっている。それは、現代日本が「民主主義」や「自由」に無頓着だからである。

対して朝鮮半島は、日本統治の継続をだれもがのぞんでいたのに、占領した米軍が強引に独立させてしまって、その正統性のために反日を国是とする選択しか方法がなかったのである。
日本帝国の解体と弱体化という米国の意志が、いま、ブーメランとなっている。

奇しくも「原罪」を日本とする、あたらしい「キリスト教」が韓国の国教となったのは、日本人がわすれようと努力した結果できた「自虐」の居心地のよさとは対極の居心地のよさがあるのである。
韓国で本物の「クリスチャン」がおおいのは、このためだとかんがえる。

ところで、特殊出生率という指標をみると、低い順に世界ランキングをつくれば、韓国、台湾、日本、(中国)という順になる。
中国がカッコなのは、建国以来(中華人民共和国ではなく古代から)国勢調査をやったことがないので本当は「不明」だからである。

韓国は人類史上初となる「1.0」をとうとう割り込んだし、台湾も日本より低い。
すなわち、こんごおそるべきスピードで人口が減少すること「確実」なのである。

それが、かつて、「日本」だった地域で一斉に生じているのはどういうことか?

台湾は中国に飲み込まれる恐怖が第一の理由かもしれない。
李登輝がいう「日本になりたい」は、防衛という視点からすれば、説得力があるし、わが国にとっても地政学的に重要な島である。
しかして、李登輝が岩里政男だったころの、列強としての日本は滅亡していまはない。

韓国は、いかなる「宗教改革」ができるか?
けれども、現政権による「赤化革命」は着実に進行中で、予定どおり日本とアメリカとの関係を破壊した。
これで、国内経済も破壊するのは「混乱に乗じて」という「革命」の常套手段だ。

むしろ、いよいよ国軍によるクーデターの可能性が、唯一の希になった感がある。

そんな状態だから、出生率が増えるのは、「クーデター成功後」、さらに日本を原罪とする宗教が破棄されないと可能性がない。
「依存」状態のままで未来が開けるとはおもえないからである。

もちろん、わが国も同様で、あさましき「正義」がのさばっていたら「やる気」が失せるばかりである。

人口減少社会が改善されるのは、あさましき「正義」を信じる世代が消えてからがチャンスなのだが、あさましき世代は、ちゃっかり孫子の洗脳に人生の残りをかけている。

まことに罪深い。

お彼岸の今日、ご先祖に問うてみるのもよいのではなかろうか。

香港人権民主主義法案の破壊力

アメリカ合衆国という国には、「国内法」をもって外国に対応するという「技」がある。
有名なのは、1979年の「台湾関係法」で、北京との外交関係樹立という一方で、台北とは「断交」したものの「国内法」として「関係継続」を決議している。

こうした発想は、「国益」からのブレストの結果でもあり、きっと「特性要因図」でもかいてときの大統領にみせたのだろう。
日本の官僚には、こうしたロジカル・シンキングの訓練がないし、必要性もないとかんがえているだろうから、あっさり台湾と断交できる。

もちろん、日台関係における日本側には「公益財団法人台湾交流協会」があって、「事実上の」大使館として台北に事務所をおいているが、根拠という点において、アメリカのそれとは一歩も二歩も引いている。

さいきん、わが国にも「台湾関係法」制定を主張するひとたちがでてきた。
しかし、アメリカはさらに「台湾旅行法」を制定して、政府高官と台湾高官との交流をできるようにした。

この点も、わが国政府は国家公務員に対し、台湾への個人旅行すら認めていない。
それは、1994年、河野洋平外務大臣が国際会議のためにバンコクへむかう途中、台風で台北空港に緊急避難したが、機内から一歩も出なかったことを中国の銭外相に「報告」したほどだから冗談ではない。

その息子が外務大臣になったが、あんがいふだんからの発言とちがう行動をしたので驚かされた。
こんどは「防衛大臣」になったので、いい意味の驚くような活躍を期待したい。

つまり、日本における「台湾関係法」には、「台湾旅行法」もセットにして制定しないといけないのだ。

ところで、「逃亡犯条例改正案」に反対する大規模デモが香港で繰り広げられているが、政府は正式に法案を「取り下げた」ものの、あまりの遅い判断で、傷ついた市民がデモ自体をやめようとしていない。
一連の騒動で、すでに香港は警察の武力が支配する社会になったからだ。

これは、英国が香港を手放すときに結んだ「一国二制度」を「五〇年間」守るとした取り決めを反故にすることでもあるが、北京政府はすでに意味のない取り決めだと主張している。

こうした北京の傲慢な態度に、世界は反対ののろしを上げているが、アジアの盟主を自認するはずの日本政府は、国会をふくめてまったくの「他人ごと」に終始している。
この「冷たさ」は、「臆病さ」とイコールなのだろう。

けだし、共産党というのは自分たちに都合がいいときとそうでないときの態度を豹変させるが、それは「ダブル・スタンダード」を旨とするひとたちの集団だから、むしろ「約束は反故にする」のが「正常」の共産党の論理なのである。
この点、ヤクザと似ている。

米中貿易戦争のさなか、米国議会は超党派(民主党・共和党ともに)で「香港人権民主主義法案」の成立をめざしている。
この法案も「米国国内法」という位置づけなのだが、内容は過激である。

第一に、国務省に対し、香港の自由度についての報告書を義務づける。
第二に、香港市民の自由を抑圧した人物を特定し、その人物の米国における資産の凍結、米国への入国拒否をするという「個人」に対しての報復措置となっている。
第三に、米国が特別に香港に付与している自由貿易の諸協定を根本的に見直すこともふくんでいる。

第二と第三は、北京政府にとって強烈である。
個人と党への「利権」が奪われることを意味するからである。
もし、第三が実行され、香港が貿易特権を失うとなれば、アジア最大の金融市場も縮小を余儀なくされること確実である。

まさに、小汚い根性になりはてたわが国の官僚は、香港市場の縮小こそ「東京市場の復活」と舌ずり舐めていることだろう。
これを「乞食根性」というのだ。
日本の「エリート」は、世界に通用しないばかりか、その卑しさを笑いものにされるだろう。

北京が怖くてなにもいえない者が、おこぼれちょうだいだけを望んでいるからだ。
だったらわが国も率先して「香港人権民主主義法案」をつくらなかればならないが、与野党共になにもやる気がない。
わが国の政治に「安定感」がある理由がこれだ。

そして、これが国民の代表たちなのだが、えらんだ国民の責任なのは変わりようがないし、逃れようがない。

さて、怒りに震える北京のえらいひとたちは、アメリカに法案の審議すらやめるよう要求しているが、それが「脅し」のように聞こえるから、かえって反発を強めてしまう。
カナダやオーストラリアが共闘の声をあげている理由だ。

世界は共産党の権力闘争のようにはいかない。
しかし、共産党の権力闘争「しか」しらないひとたちだから、ついうっかり「お里」がしれてしまうのだ。
わが国の自民党には権力闘争「すら」なえてひさしい。

わが国がほんとうに警戒しなければならないのは、第二次大戦の開戦理由になった「黄禍論」の復活である。
中国包囲網が黄色人種包囲網になったら、まさに一網打尽。

じっさいに、白人にとって中国人と区別がつかない日本人も黄禍論によって「排日論」へエスカレートしてしまったではないか。

歴史はくり返すのだ。

『「自由と民主主義」という「共通の価値観」』というなら、それを決然と守るのだという態度表明と行動がひつようなのである。

このままでは、香港が踏み絵になってしまう。
香港が危機なのではない。
香港市民を無視して気にもしない、日本という国の危機なのである。

台風被害の千葉県の謎

まずは被災地の皆様には、こころからお見舞い申し上げます。

今回被害をもたらしたのは、「強力」な台風だったのか「並」の台風だったのかすら議論になる不思議がある。
沖縄や九州、四国、あるいは紀伊半島といった、「上陸地」の常連からみれば、「若い」台風の威力としては「並」だという。

およそ関東には、おなじ気圧表示であっても、さんざん「常連地」に上陸してからやってくる「老いた」台風しかこないものだ。「若い」台風は「活き」がちがうらしい。
だから、単に気圧(hPa)のすくなさだけで、台風を評価してはいけないのだと意見するひとがいる。

台風を科学的にかんがえれば、海水面の温度と気温が関係していることは理科でならう。
夏のあつい太陽に暖められた、赤道付近の海水面の温度はたかくなって、蒸発して水蒸気となり、これが上昇して上空で冷やされる。

つまりは自然の「ラジエター」が作動するのである。
ところが、太陽からの熱は人間がつくるエネルギーとはケタがちがうから、上昇気流の渦が巨大になって台風になる。

上陸すると、海からのエネルギー供給が遮断され、水蒸気も供給されない。
これが「若さ」と「老い」のちがいだ。

ずいぶんまえに小松空港から羽田まで、飛行機に乗っていたときに、ニュースで報じられていた沖縄周辺のアベック台風の雲を、名古屋上空から太平洋に出て北へ旋回する前に目撃したことがある。
みごとな「エリンギ」のような太い雲の柱が二本たっていて、周辺の青空が印象的だった。

最上部がつぶれて平になるのは、対流圏と成層圏のさかいからうえにいけないからだ。
すると、衛星写真で観る台風のひろがりは、つぶれてひろがった雲もふくまれていることになる。

さてそれで、台風上陸地の「常連」からすれば、けっして「巨大」でも「超強力」でもなかったのに、かくなる被害がでたのはなぜか?という問題がのこる。

これは、わが国が法治国家であるけど、運用上の手心が人為的につくられていて、これにまた人間の「手抜き」がくわわったのではないかと疑われるのである。

法律でいえば、まっさきに「建築基準法」があたまにうかぶ。
しかし、この法律の運用にあたっては、あんがい都道府県や市町村といった地方自治体による「基準」があって、この基準内であれば「合法」になるのである。

つまり、この国の建築基準は、全国一律でおなじ色が塗られているイメージとはちがって、都道府県ごとに、こまかくすれば市町村ごとにまでちがう色がぬれるのである。

そうかんがえると、千葉県はどんな「基準」だったのかが気になるところだし、県内各地の自治体ごとにどうだったのか?
しかし、こんなことを報じる機関がない。

もうひとつは「手抜き」である。
基準があってもこれを意図的に守らなければ、基準はあってなきものになるから、人間の意志がはたらいて「手抜き」となる。
はたして、被災地の現実として、手抜きはあったのかなかったのか?
これも、報じる機関はない。

「長期停電」の責任問題が政府をふくめてかまびすしい。
しかられるのは東電ばかりだが、ほんとうにそれ「だけ」でいいのか?
原発にみられた電気事業連合会の巨額な「広告料」のために、報道機関が「忖度」しているなら、もってのほかだ。

「報道の自由」を世界一主張しているアメリカ合衆国には、報道機関の広告収入は、特定一社で1%を超えてはいけない。
これで広告元への「忖度」を防止している。
日本の国会は、与野党とも、ここでも居眠りをきめこんでいる。

それにしても、「常連地」が出身地だというあるひとは、あまい「基準」と「手抜き」のセットだったのではないかという。
その根拠は、被災地からの映像で、倒壊した建物や連続して折れてしまった電柱を見て気がついたという。

今回の観測データから風速が、「若い」台風の「並」だから、「常連地」ならこんな無惨は発生しないという。
それは、基準として想定されている風速にたいする強度が、「若い」台風でも「並」ごときで壊れることがないからだ。

くわえて、これら常連地の建設会社に「大手」はあまりなく、地場の中小企業が施工するのがふつうだが、「手抜き」をするとすぐにバレてしまうのは、台風がふつうにしょっちゅうやってくるからである。

つまり、A社がうけもった工事とB社がうけもった工事の現場がちかいから、ちゃんとつくらないと台風一過、自社が大恥をかくことになることを心得ている。
ここに、「競争の原理」がはたらいているのである。

すると、「千葉」とはどんな場所なのか?
被災者には申し訳ないが、がぜん興味がわくところだ。

いったいどのくらいの強度でつくられた電柱だったのか?

すくなくても、このくらいは物理科学をもって報道してもらいたい。

そして、なぜ「競争の原理」が千葉では機能しないのか?もあわせてかんがえたいテーマである。

まさかいまどきも「金権千葉」は健在なのだろうか?
それが、「風土」だとすると、台風よりこわいものがあることになる。

ふとおもうのは、停電状況をしめす地図は三色に塗りわけられていて、あたかも「上総」「下総」「安房」にみえるのはわたしだけか?
いにしえびとの「くにわけ」の妙が、あぶりだしのように浮かび上がるのも興味深い。

わたしたちは、古代とつながっている。
台風も古代からやってきているはずだが、天災なのか人災なのかの区別がつかなくなって、コントロールできない。

治水こそが統治であった武将の時代が、妙になつかしい。
「劣化」ということばが自然にうかんだ。

どっちがよいのか?をかんがえる

「A」か「B」、「白」か「黒」、「善」と「悪」。
世の中にはけっこう「二択」問題がある。
もともとの「二択」は、人類最古の経典宗教「ゾロアスター教」がそれで、世界を「善」と「悪」に分けこれを「二元論」とよんだ。

いわゆる「拝火教」というのは、火が照らす「明」とその陰の「暗」をはじまりとするから、「明」のおおもとを拝むことになったのだろう。
これを「アフラ・マズダ」という。

しかし、「暗」を拝むひともでてきて、これは「悪」の意味であるから「悪魔信仰」というものになった。
それが「アーリマン」であり、のちの堕天使「ルシファー」の発想の元になる。「ルシファー」とは「サタン」でもある。

もちろん、ゾロアスター教では、アフラ・マズダがアーリマンに勝利することになっている。
だから、アフラ・マズダこそが「唯一絶対神」だとさだめている。

ゾロアスター教は人類最古なので、聖書ができるのはずっと後だ。
旧約聖書の「ヤハウェ」も、新訳の「父」も、コーランの「アラー」も、アフラ・マズダの影響からのがれることができない。

あたかも、ゾロアスター教なんて日本人には関係ない、というむきもあろうけど、なにしろ世界最古の経典宗教なのだから、人類の時間の流れのなかに入りこんでいる。

仏教、とくに天台宗・真言宗でする「密教」の「お焚き上げ」は、「拝火」していることになるし、西洋文化の原点である古代ギリシャから、「聖火」というかんがえかたがいまにもオリンピックにつたわっている。

わが国の自動車会社だって、東洋工業が「マツダ」を名乗ったのは「アフラ・マズダ」からの由来であって、英字では「MAZDA」と表記する理由である。
エンジンの中にある「火」を象徴としている。

そんなわけで、「二択」という方法で選択肢とするのは、人類の脳にプログラムされているかのように「大好き」なのである。
「偶数」か「奇数」かになれば、サイコロ賭博にだってなるし、「赤」か「黒」かになれば「男」と「女」を描いたスタンダールの名作に。「赤」か「白」かになれば源平以来の戦いになって、紅白歌合戦にもなる。

 

それだから、「第三の道」という「三択」が唱えられるのは、「二択」へのアンチテーゼになっているのだろう。
しかし、世の中は「三択」だろうが、じっさいは複雑怪奇なのものだから、単純化という点でいえばそうたいしたかわりがない。

けれども、単純化してすくない「択数」を設定しないと、こんどは「選べない」という問題がでてくる。
むかしは「生まれ」によって職業が選べなかったから、選択肢そのものがなかった。

これは悲惨なことだというひとがいるけれど、世の中全体が「そうなっている」のなら、本人は自分が「悲惨」だという認識すらなかったろう。
いまは職業の選択について自由になっているから、なりたい職業につけないことが「悲惨」になっている。

さらに、職業がどんどん専門化して高度になっているので、はやいうちからこの準備をしないと、「いい職」に就くことができない。
しかし、わが国にはなんだか奢った感情があって、人生の準備である「教育」に熱情をうしなってしまった。

これは、「いい職」というかんがえが「いい会社」のままだからだろう。

一部の日本企業が、新卒採用にあたって、「研究職」という限定をつけながら、いきなり初任給を1千万円としたことが話題になった。
「有能な人材」を得るには、従来の給与体系ではだれもきてくれないからだという。

すると、二年目の先輩は、いったいどんな給与体系のなかにいて、三年目、四年目、、、、、三十年目となると、どうなっているのだろいうかと興味がわく。
まさか、今年のひと「だけ」に適用されるということはあるまいが、報道にはどこにも解説がない。

しかし、大企業がかかえる「研究職」全員に、1千万円スタートの給与体系を適用すれば、おそらく人件費が高騰するから「業績」に影響するはずなのだが、そんな報道もないので、「まさか」が現実なのかとうたがうのである。

もしもこの「まさか」が現実なら、職場内での「イジメ」が発生しないのか?
あるいは、チームにおける一体感が壊れることはないのか?と心配するのである。

これまで、戦後の日本企業は、有能なひとを評価しない、というシステムで成功してきた。
これは、みんな低い賃金だったから、有能な本人も「気づかない」ので、職場の安定がたもたれたのだ。

ちなみに、本人が気づかないという点での悲劇を描いたのが『テス』だった。
なにに「気づかなかった」のか?
それは、他人から「絶世の美女」と評価されていることだった。

 

いまは世界から有能な人材を採用しないと「いけない」ということになっていて、とくに有名なのがインドの工科大学卒業生への買い手企業による「オークション」だ。

しかしながら、「有能な人材」とはどんな人物なのか?という「基準」は日本企業にあるのだろうか?

さてそれで、「有能なひと」と「有能でないひと」のどちらがよいのか?たっぷりかんがえてみたいものである。

「芸術」を考えさせる「宗教オペラ」

メトロポリタンオペラのライブビューイング(実際の舞台を撮影した映画)については、何度か書いてきた。

今シーズンが終わってみると、『マーニー』で主役を演じた、イザベル・レナードが、同一シーズンでもうひとつの作品でも主役を演じたが、これを観のがしてしまった。
『マーニー』といえば、ヒッチコック監督の映画でもしられるけれど、これは現代作曲家が彼女のために書いた最新のオペラだった。

シーズンオフにライブビューイングは「アンコール上映」をやっていて、昨日、このチャンスに観に行ったのが気になる『カルメル会修道女の対話』である。

この作品の初演は1958年、作曲したプーランクの死の5年前であった。彼は熱心なカソリックであったことでもしられている。
いわゆる「宗教オペラ」の最高峰と評価されているのは、題材がフランス革命期の「実話」をもとにしていることの迫力もあってのことだが、音楽的にもすぐれているのは観ればわかる。

もともと「カルメル会」というのは、いまでいうパレスチナの地で12世紀にはじまる修道会で、その後全世界に展開している。
わが国にも昭和8年に修道院ができ、現在は全国8カ所に存在している。

ヨーロッパの啓蒙思想がうんだ「フランス革命」は、その後ロシア革命につながって、東西冷戦の一時代をつくり、いま、第二の新冷戦がはじまろうとしている。

「フランス革命」の評価はさいきんの「パリ祭」が下火になっているように、フランスでも「反省」がいわれていて、絶対礼賛というわけにはいかなくなってきた。
この意味で、フランスが「まとも」になってきたともいえる。

そうかんがえると、そもそも「啓蒙思想」とはなにかということになって、その背景にはヨーロッパにおける知的伝統である「リベラルアーツ」を無視するわけにはいかない。
日本では「一般教養」というけれど、ほんらいのリベラルアーツには「自由七科」とよばれる学科がある。

言語にかかわる3科目の「三学」は、文法・修辞学・弁証法(論理学)で、数学に関わる4科目の「四科」は、算術・幾何・天文・音楽となっている。
この七科の上位にあって、統率するのが「哲学」という構造になっていることはしっておきたい。

そして、さらに哲学の上位に「神学」があるのだ。
これが、ヨーロッパ・キリスト教世界の「一般教養(リベラルアーツ)」をかたちづけている。

「リベラル」は、「自由」という意味だから、日本における「進歩派=左翼」としての「リベラル」という用語とは意味が真逆になるのでとくに注意したい。ヨーロッパ人には日本ローカル用語はつうじないどころか、ちがう意味にとられるからはなしが「トンチンカン」になることまちがいない。

また、「アーツ」とは「アート」のことだが、いきなり「芸術」という意味ではなく、じつは「技術」といった方がしっくりくる。
したがって、リベラルアーツを直訳すれば「自由の諸技術」となって、ぜんぜん「一般教養」ではない。

数学系統に音楽があるのは、キリスト教世界における宗教音楽の重要性と、バッハの『音楽の捧げ物』で大成されたように、音符と数の関係が、数学的に表現できるからである。
この意味で大バッハは、数学者であった。

こうした「リベラルアーツ(自由の諸技術)」という基盤を無視して、うわべだけでヨーロッパの事象や現象をとらえると、さっぱりわからなくなるのである。

そんなことをおもいながら、『カルメル会修道女の対話』という作品は、前半で修道院長の壮絶な死(病魔の苦痛からの錯乱)というけれど、修道者としてあるまじき「死への恐怖」を叫んで息絶えるのはどういう意味なのか?

「他人の苦痛を背負っていた」という劇中の解釈は、はたしてどうなのか?とおもうのは、ニーチェの『アンチクリスト』がとっくに発表されていたからである。

そして、なんといっても「殉教」という悲劇のラストは、革命の暴力という本質への大疑問が、実話としての恐ろしさとともに表現されている。
革命における「自由」の旗印の下に、いっさい抵抗しない修道女たちがギロチン台の露と消えるのだ。

「処刑」を目前にした修道女たちのこころの動きを演じる演者のみごとさもふくめ、舞台芸術は「技術」なくしては表現できないことを思いしらされる。

これぞ「芸術」ではないか。

そういえば、プーランク最後のオペラに『人間の声』がある。
なんと、登場人物はソプラノが一人。全一幕。
詩人コクトーの原作による「モノ・オペラ」といわれている。
別れた恋人からの「電話」による一人芝居で、人間の愛と絶望が表現されているのだ。

ロビン・ジョージ・コリングウッドの『芸術の原理』(1938年)という名著で、エセ芸術が二種類あると定義されている。
それは「魔術芸術」と「娯楽芸術」という区分だ。

「魔術芸術とは芸術がもたらすさまざまな感情の刺激によって人々を実際の政治や商業などの実際的な狙いを持つ活動へと仕向ける」

これこそ、「あいちトリエンナーレ」で話題となった「芸術」のことだ。
コリングウッドの定義によれば、エセ芸術に分類されよう。

自由七科を駆使したかどうか?
あるいは、作家に自由七科の素地があるか否か?
世界標準の「芸術」には、ちゃんと「基準」があるのである。
しかして、その証拠が、カーテンコールにおける観客の絶叫ともいえる拍手である。

演者と観客の同一地平における振動の一致が、かくも増幅された波のような拍手になったのは、「技術」を素地にした「芸術」を理解した証拠なのである。

なるほどと、かんがえさせられるオペラであった。