アートマネジメントが決め手

9月末、名門「宝塚歌劇団」における、団員の死亡について、団は14日、外部弁護士らによる調査報告書を公表した。

この報告書内容に関しては、マスコミ各社が報道しているが、ファンや興味のある方はご自分でも歌劇団HPからダウンロードして熟読すると良いかとおもう。
なお、公表されているのは、「概要版」のみのようで、同ページには、「今後の対応」もダウンロードできるようになっている。

私は個人的に宝塚のファンでもない一般人だ。

なので、歌劇団の公式見解だけをみても、あるいは、マスコミの報道やSNSでの各界著名人が語る個別の批評をみても、なんともいえない。

コンサルとしての本業からすれば、例えば、日大アメフト部の公式試合における故意のタックルからはじまった一連の不祥事で、理事長の退任と、新理事長に有名作家が就任し、それでもまた同部による不祥事が発覚して、そのマネジメントの稚拙さに呆れたばかりであったから、「宝塚よお前もか」と嘆きたくなる。

ところがどうやら、エンタメの分野での連想で、「J事務所創業故人がやった不祥事」との関連の方が一般的には強いらしい。

もちろん、この芸能事務所の経営管理についてのお粗末も、それだけで不祥事といえるレベルであるが、終戦直後からのGHQと創業者との関係もあって、一概にマネジメントの問題とだけでは片付かない複雑な特殊性もある。

これがまた、いまの与党政治家が、アンタッチャブルにしている原因ではないかとうたがうのである。

だから、組織マネジメントとして捉えた場合に、私には日大と宝塚歌劇団が結びつくのである。
ただし、宝塚の場合は、理事長の辞任決断が早かった、という特別がある。

この点は、阪急グループという大きな企業組織枠で考慮すべきだという報道も散見する。

関東の田舎者である私は、阪急グループの巨大さと関西圏における影響力を実感できない恨みがある。
せいぜいが、東京有楽町の阪急デパートぐらいしか接点がないからだ。

とはいえ、来阪の際には、たいがい梅田阪急のデパ地下で、帰りの新幹線でのおつまみを調達することは欠かせないのだが。

さてそれで、今回の「事件」は、現役団員の不審死(自殺とみられる)の原因から発している。

まずはなんであれ、ご本人のご冥福を心より祈念するものである。

ご遺族の見解は、団員間の「いじめ」があったことだ。
団としての調査報告(おなじ事務所の弁護士が5人とその弁護士事務所職員4人の計9名:別にいえばある法律事務所に一任した)では、いじめは「確認できなかった」として、真っ向対立しているのである。

また、外野もかまびすしく、OGのそれぞれが経験談や感情論やらを公開して、雑音化もしているようだ。

本稿では、こうした話は別途お任せするとして、組織マネジメントという観点からの考察を試みる。

上述のように関東の田舎者からしたら、関西圏の文化性(お稽古事への熱心さ)は、やはり関東のそれとはちがう気がするのは、前に書いた、「平安貴族社会における中宮サロン」という伝統があるからではないのか?とおもわれる。
清少納言と紫式部の知的バトルは、二人の中宮(皇后並立)という歴史上の特殊な時代も背景にあった。

後世の我々には、華麗な文藝バトルでの作品群を残してくれたのは、恩恵ばかりだが、当の本人たちには別の感情があったろう。

もちろん、これら二人を頂点とした、文化人たちがそれぞれの中宮のサロンに集まっていたのだから、その層の分厚さと質の高さは、現代の比ではない。
人間は進化しているように見えて、あんがいと退化しているのである。

事業としての「劇場」や「劇団」をかんがえるとき、世界には「アートマネジメント」という分野がある。
これが典型は、「オペラ」なのだ。

なぜなら、労働集約的なオペラこそ、チケット収入だけでは団も劇場も維持できないのが常識だからで、どうやって公演と経営を維持するかが、世界中で課題になっているからである。

中でも、世界最大のオペラといえば、ニューヨークの「メトロポリタン歌劇場(MET)」で異論はなかろう。
しかも、METには公的補助はほとんどなく、マネジメントの工夫をもって維持している実績もまた、世界的だからだ。

それゆえに、アートマネジメントの研究対象として、METが選ばれている。
また、METの方でも、自身で制作・世界同時配給している、『METライブビューイング』では、幕間に歌手へのインタビューをしたり、舞台の裏側を案内して、観客に映画館にきて観るかいがあったようにしている。

そこにも、「アートマネジメント」のかんがえ方を散りばめていて、ふだんマネジメント職にある中心的な観客層の知的好奇心を満たす努力もしているのである。

じつは、METは、かなり工業的な合理性での進捗管理を「オペラ作り」に導入しているから、いま目の前で上演されている公演は、新品の自動車のように作られたものなのである。
しかも、「芸術作品」として。

すると、わが国を代表する「宝塚歌劇団」のアートマネジメントは、どうなっているのか?

雑音の中にある、「OGの真実の声」を探り出して聞こえてくるのは、残念な事情ばかりだし、『報告書』にも、残業時間やらの管理体系が壊れていることを示唆してしる。

「モノづくりは人づくり」という、わが国工業会の常識がある。

ならば、トヨタ自動車にアートマネジメントを学ぶべきではないのかとひたすらおもうのである。
おそらく、後輩たちにどうやって教えるのか?という喫緊の課題も含めて、「TWI」「MTP」がセットで役に立つにちがいない。

総合芸術も、工業の知見が役に立つものなのである。

[合掌]

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