リヒテンシュタインと藩制

「歌」とは危険なもので、おおくのひとが、無意識にヒット曲に影響されるものだ。
逆に、無意識に影響されるから、ヒット曲になるのかもしれない。
そこにはまた、宣伝という、売る側の思惑もあるのだけれども。

いまの若い世代はどうだかしらないけれど、歌謡曲がふつうだった時代に生きてきたので、耳についている歌詞はそれなりにある。
「歌謡曲」とは、たいがいが「恋の歌」だから、あんがいと「和歌」に親和性があるものだ。
それゆえか、「歌謡曲」が「Popular Song」という英語になっても違和感がある「和風」なのである。

恋を歌い出すと、人生の機微に触れることになる。

これがまた、日本でも「シャンソン」が流行った理由なのだろう。
なんだかしらないが、ふだんは明るいラテン系のひとたちは、いったん落ち込むと、哀愁を帯びて深刻になるのである。

おそらく、落ちるところまで落ち込んで、きっと元気を取り戻すのではないか?
その意味で、関西圏はラテン系だとおもうのである。
古典芸能でも、「上方」と「江戸」では、おなじ演目でも表現がぜんぜんちがう。

その「粋」が、きっと「人形浄瑠璃」になったのだろう。

ただし、日本人としての統一性では、「浮き草人生」のごとく、あるいは、「時の流れに身を任す」ようなところがあって、どこか他人まかせなのだ。
これを、丸山眞男は、「イマ(今だけの刹那)主義」と呼んで批判した。

こんな性格にどうしてなったのか?
「縄文時代」から話をするひとがいるけれど、庶民のことは、あんがいとわからない。
貴族や武士の価値観や行動が、庶民と一体とはいえないからである。

学校で習う日本史なる教科が、歴史なのか?なんなのか?と問えば、社会科の延長にすぎないという意見に賛同せざるを得ない。
何年に何が起きたのか、を暗記させるのは、「史実」であっても「歴史」ではない。

現在から逆に歴史をさかのぼることはせずに、むかしから現在に向かって語る「ストーリー」が、「ヒストリー」になった。
本来は、現在の意味をしって将来に活かすはずのものを。

わたしが日本の「おおむかし」に疑問があるのは、たとえば、「口分田」の制度が、何事もなく広がって整備されたことだ。

ほんとうに誰も抵抗しなかったのだろうか?

でも、そもそもこの制度をやりたかったのは、朝廷にとって豪族の存在が邪魔だったからで、その筆頭格の「蘇我氏」を滅亡させた、大化の改新(いまは「乙巳の変」いっしのへん、という)であったという。

ところが、「三世一身法」を制定せざるをえなくなって、とうとう、「墾田永年私財法」にまでなって、今度は支配者たる貴族たちが、この制度から合法的に「荘園」にして、事実上の領地としてしまう。

なんだか、現代的な「法執行体系」が基盤として完成しているようにみえるのが、そうなの?とおもうのである。
もちろん、その基盤の重要要素が、「戸籍」の存在だ。

世界中を見渡して、「戸籍」がある国は、日本、台湾、韓国の三カ国でしかない。
要は、ぜんぶ「日本」なのである。

つまり、「戸籍」という、個人情報を国家に握られたら、古代人にして国家に逆らえなくなる?ということだ。
『マイナンバーカード』のヤバさが、ここにある。

さてそれで、いきなりだが、リヒテンシュタイン公国(人口39000人)に話題が変わる。

この国は、外交や防衛をスイスに委託しているから、ちょっと日本に似ている。
わが国も、外交と防衛をアメリカに委託して、これを、「吉田ドクトリン」なぞといっている。

しかし、わが国とちがって、おそろしく「豊か」なのだ。
1人あたりGDPは、157,755ドル(2020:世界銀行)で、日本の39,312ドル(2021年:世界銀行)とは、ケタ違いで比較にならない。

その原因のひとつに、「租税回避地:タックス・ヘイブン」としての特別がある。
不思議と、わが国と国交が結ばれたのは、1996年であった。

この国の政体は、「立憲君主制」だけど、完全なる民主主義国家である。
人口数からしたら、日本での「市」とか「町」にあたるのに、だ。
なお、国民は、中央政府が近いので、すぐさま「大臣」とも直談判できるのである。

ただし、リヒテンシュタイン公国の国民は、政府におねだりばかりする、けっして「乞食」ではない。
そんな国民教育をしていないのが、わが国との決定的な「分岐点」なのである。

なにをベンチマークにするのか?という、一種の「目標設定」で、どういうわけか日本人は巨大なアメリカを相手にしてきたけれど、このベンチマーク設定がそもそも間違っていないか?

明治からの中央集権(奈良時代への回帰)が、どうも怪しいのである。

この意味で、「藩」が覇権を争った戦国時代、戦を奨励はしないけど、「善政競争」が各地であったことに注目すると、戦国大名たちによる、生き残りのための財力を得るためにした施政に興味が移るのである。

その中の「圧倒」が、織田信長の、「楽市・楽座」であり、関所の廃止だった。
つまり、ハイエク的な、自由競争を、計画的に実施したのである。
御屋形さま(織田家家臣団の政府)が、計画経済を実施したのではない。

このことが、なんだかリヒテンシュタイン公国と似ているのである。

概ね日本は、人口が3000万人ほどであったのは、農地から得られる収量が、これ以上の人口を許さなかったからである。
だから、先進国最低の食糧自給率(3割台)ではあるけれど、人口が4分の1になると、だいたい自給水準になるのである。

ただし、耕作地を維持してのことなので、いまの「農政」は、「口分田」よりも稚拙なのであって、コオロギを食えとは、笑止である。

リヒテンシュタイン公国を眺めながら、「廃県置藩」を改めてかんがえたい。

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