GDPを信じてはいけない?

主たる経済指標の中で、誰もがもっとも重視しているのが、「(名目)GDP」である。
「名目」と「実質」の区別があるのは、インフレを考慮するかしないかのちがいで、「名目」の値をインフレ率で割ったものを「実質」とよんでいる。

こうした調整をする前の、むき出しの数字が、「名目」なのだ。

むかしは、「GNP(Gross National Product:国民総生産)」が主たる経済指標だった。
それが「GDP(Gross Domestic Product:国内総生産)」になったのは、統計数値の取得が困難になったからだった。

GNPの「N:国民」とは、日本をみるなら「日本人(国籍)の総生産」のことであるから、外国で日本人が生産した分を足さないといけないし、日本国内で外国人が生産した分は引かないといけない。
むかしは海外での分や、国内でも外国人の比重が軽かったから、「国籍別」でよかったけれど、だんだんとそれぞれの区別が困難になったのだ。

それで、「D:国内」という、国境の内側での「総生産」にした。

以来、我が国では、「アメリカに追いつけ、追い越せ!」という、誰が言い出しのかよくわからないスローガンが、あたかも全国民の目標のような扱いを受けたのである。
「軍事費を軽くして、国力を経済成長に特化する」という、吉田ドクトリンが戦後の「平和国家ニッポン」の国是として語られる。

しかしながら、「吉田ドクトリン」という言葉を、当の吉田茂は生前に述べたことはない。

まったくもって、後付けの作られた政治用語であるのに、その政治的な価値から、あたかも「あったこと」のような扱いをして、ヒトラーがいった、「嘘も100回いえば真実になる」のごとく、もう吉田ドクトリンを否定するものがいない。

漫画しか読まない、孫の麻生太郎も、『ゴルゴ13』で、さいとうたかを先生が描いてくれないものは、頭の中に入ることはない。

ヨーロッパが第一次大戦で疲弊したからいい出した、海軍軍縮会議に、日露戦争の借金返済がのしかかる我が国には「渡りに船」だったけど、「総トン数」という指標をもって、国論は二分した。
けだし、当時の世界は、相変わらず「弱肉強食の帝国主義」の常識があったから、貪欲な白人国家群を相手にせざるを得ない我が国の国防は、恐怖によって「カネの問題じゃない」になっていく。

かくも、「独立」とは、いまも大変なことなのだ。

サンフランシスコ講和会議を経て、平和条約を結び、日本相手の第二次世界大戦の終結になったけど、同時に結んだ、「日米安全保障条約」と、この条約第6条に基づく、「日米地位協定」という盤石なる、「不平等条約」で、ペリーと結んだ「日米和親条約」すら平等に見える、実質植民地としてわが国は規定された。

アメリカ人には、ハワイ王国を簒奪した実績があるから、かならずやハワイの事例を我が国に当てはめているはずだ。
なので、戦後の我が国の学校教育で、ハワイ王国滅亡の歴史は絶対に教えない代わりに、正月に芸能人たちをハワイに行かせて「憧れ」だけを煽るのである。

占領中の昭和23年、岡晴夫の明るい美声でヒットした、『憧れのハワイ航路』(作詞:石本美由紀、作曲:江口夜詩)とは、真珠湾攻撃を日本人の記憶から消し込んで上書きするための、プロパガンダであった。
もちろん、アメリカ人に真珠湾攻撃を忘れさせるようなことはしていない。

そんなわけで、アメリカの植民地になったのを、みごとに隠蔽したのが、高度成長期という欺瞞だった。
アメリカは、本気で日本を不沈空母にして、ソ連と対抗するための資金を日本人につくらせたから、稼いだドルは全部アメリカ国債にして貢がせ、「おこぼれ」を日本人の生活向上にあてたのである。

働いても働いても、その割には暮らしはよくならなっかたのは、おおかたの富がアメリカに吸い取られたからだ。
しかし、吉田ドクトリンというありもしない幻想に取り憑かれ、あたかも日本は独立国だと、外国に防衛を任せていながら信じるのは、知能を疑われても仕方がない。

征服者マッカーサーが、「日本人は12歳の少年」と上院公聴会で証言したのは、「白痴」だという意味だ。
なお、彼は、日本の戦争目的は、「完全なる自衛だった」と正しく証言もしているから、上の言葉も耄碌してのことではない。

精魂尽きたところへ、20万人も公職追放したのは、実質的な指導層の断頭刑に等しく、分断工作は、敗戦利得者を優遇することで完成し、日本人を家畜化した。
それを、「エコノミック・アニマル」と呼んだのである。
だが、残念なことに白痴化した日本人は、これを褒められたとして、あろうことか自慢するに至る。

こうしてできあがったのが、「G N P ➡︎ GDP神話」だ。

しかし、GDPには重大な欠陥があるのに、経済学でいう古典派も、新古典派も、あるいはケインズ派からマルクス派も、この欠陥を指摘して、修正させることをしないで放置している不思議(わざと)がある。
その欠陥とは、金融サービスとか、不動産取引(建設業も含む)といった、高度なサービスが、GDPの計算式に「含まれない」のだ。

バブル崩壊後すぐに、公共事業に150兆円を注ぎ込んでも、GDPがまったく増えなかったのは、計算式にない分野への重点投資だったから当然だ。

わが国も含めた、いわゆる先進国の先進たるゆえんは、その時々の一国経済が、相対的に先進的産業によって
国民が豊かな暮らしをしていることにある。
70年頃から、先進国経済は、これらGDPの計算に含まない産業が、一気に高度化をはじめたけど、その原因は、実用化が始まったコンピュータの利用が影響したのであった。

世の中は、半世紀前からとっくに、「デジタルトランスフォーメーション」している。

特に金融サービスの核をなすのは、むかしから銀行業による「信用創造」にある。
じっさいに世の中のおカネが増えるのは、製造物=製品がたくさんできて販売するからでも、中央銀行(日銀)がおカネを印刷するからでもない。

世の中の「おカネ」とは、通帳に書き込まれる「数字」でしかないから、現物のお札はわずかしかないのだ。

江戸時代から明治に銀行ができるまで、日本人は「宵越しのカネは持たない」のではなく、預けるところがなかったので、大商人が扱った「為替」以外は、おカネとはほぼ現金のことだった。
それが、通帳に載る「数字」になったのだ。

銀行が、預金の数十倍〜数百倍を貸し出すことでしか、世の中にあるおカネは増えない。

預金をそのまま横滑りさせているのが銀行だというのは、勘違いも甚だしい。
その貸し出したおカネが有効利用されて、GDPの計算式にある産業が栄えて、国民の口座にもおカネが増えるのだ。

GDPの計算式にない分野へいくらおカネを配分しても、GDPは増えない。

80年から90年に、エコノミック・アニマルが、本気でアメリカを追い抜いて上から目線になった身の程知らずに、宗主国アメリカがやった、「構造改革」で壊滅されたのが、アメリカのマジックハンド・金融庁をつかったわが国銀行業界の弱体化・無力化だった。

信用創造ができなくなった、我が国経済の衰退は、こうして終わりがないままなのである。

詳しくは、リチャード・A・ヴェルナー『謎解き!平成大不況-誰も語らなかった「危機」の本質』(2002年、PHP研究所)をご覧あれ。

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