哀しきWBCの盛り上がり

21日、メキシコを、劇的「サヨナラ」でくだした、「侍ジャパン」の活躍は、閉塞感が充満するいまの世相を明るくする、「よいニュース」であることは否定しないし、久々に、「溜飲を下げる」おもいができて、気分が晴れることも、結構なことなのである。

しかし、だ。

「決勝」を前に、ここで冷静を取り戻しておきたい、とかんがえるのである。
いまは、「巨人・大鵬・玉子焼き」の昭和ではない。

年寄りの冷や水になんぞにつきあいたくない、という方にはつまらない話になるので、ここで退場頂いても致し方ない。

お彼岸の墓参を終えてから、テレビがある友人宅に集まって、ニュース番組の特集で観戦することになった。
野球を観るのは何年ぶりだかすらも忘れていたので、そのチーム・メンバーの名前を詳しく語る友人たちが、なんだか珍しくもあった。

すでに侍ジャパンが勝利したことをしっている皆さんとしては、「安心して観られるね」といいつつも、まるでリアルで観戦しているような雰囲気になるのは、「心理」を理解した、テレビ側の演出の巧みさがある。

有名選手たちの「地元」で、少年野球のチームがユニフォーム姿で熱心に観戦している光景も織り交ぜていることの効果なのだとおもう。
高校野球のスタンドで、必死に自校の勝利を祈る女子高生の姿とかさなる。

この子供たちの姿を観ていて、「3S政策」の威力に、わたしは独り勝手にしらけていた。

日本人はいつまで、原爆投下を指示し、あくまでも日本人を猿扱いしたトルーマンが仕掛けた、心理戦の餌食になっているのだ?
このことを自覚もできずに、あるいは、こんな話を聴きたくないと拒否しているのだ。

こうしたひとたちの末裔が、いまのアメリカ民主党であって、「LGBTQ」を推進している張本人たちなのである。
つまり、どこにも「差別解消」の意図はなく、「差別推進」のための、「差別撤廃」をいっている。

なんのことだといえば、社会のあらゆる場面に、「差別がある」ということで、「差別の生産」をやっているのだ。
そうやって、社会を分断するのは、常識人たちの結束を解いて、個々人を「アトム化:原子化」するためである。

哲人、ハンナ・アーレントは、大著『全体主義の起源』で、アトム化こそが全体主義を目指す者たちの有効手段なのだと結論づけた。

これは逆説的ではあるけれど、日本人ならわかる「人」という字が意味する、「支え合う」ことに象徴される人間の本質に、独りでは生きていけない、ことがあるからだ。

つまり、人間はかならず社会を形成する動物なのである。

それで、その既存社会=自然形成された伝統社会ともいう、を破壊して、金属臭のある機械的な全体主義社会に再構築するには、既存社会に住まう個人をバラバラな「個=本当の歯車のような人間の部品化」にすることが必要なのだ。
夫婦しかり、家族しかり、地域、から国家へと、あらゆる場面でバラバラに分解するのだ。

だから全員がただの「個」となって、どうしようもない「孤独」にさいなまれる。

この孤独に、まともな人間は耐えられないので、必ずなんらかのコミュニティに参加するか、自らあたらしいコミュニティを創設する。
そのコミュニティが、意図的に全体主義を目指していれば、いったんアトム化した個人を無意識のうちに全体主義者にさせることができるのである。

これをヒトラー率いるナチスがやってドイツ人を改造したし、ずっとアメリカ民主党がやっている。
日本では、自・公も含め、ほぼ全部の政党がやっている。

それでまっ先に狙われるのが、子供なのである。

幼児期も含めて、早い時期からやる、「英才教育」の有効性は、アトム化にも有効だからである。
「個」が確立している成人とは、ちゃんと社会の構成員として存在するので、あらためてアトム化をするには、それなりの手間と時間と理屈がいる。

けれども、それが発達期の子供を相手にしたら、だんぜん容易なのだ。

しかも、子供に、「三つ子の魂百まで」という、刷りこみが成功すれば、少なくともその人物の一生に影響を与えることができる。

そんなふうに、WBCを熱烈応援している少年野球というコミュニティを観察すれば、全くもって、アトム化と全体主義的再構築の現場だと認識できるのである。
これがまた、「昭和」に子供だった、いまの高齢世代にも完全に一致して観察できることなのである。

知らぬ間に、恐るべき教育を子供時分に受けている。

日本のプロ野球を観戦しにスタジアムに足を運ぶのが鬱陶しくなったのは、まだ原辰徳が現役であった頃の東京ドーム一塁内野席でも、巨人への応援を強要されたからであった。
赤の他人が集まって、同一チームを熱烈応援して一体感を得ることの満足とは、それを目論む者たちの舌なめずりを想像して気持が悪い。

この点で、アメリカ人たちが特定チームへの応援強要をしないで、それぞれがゲームと選手たちのプレイそのものを楽しんでいることに、敬意を表したい。

サッカーが嫌なのも、その応援の全体主義的野蛮にあるのだ。

すると、べつに穿った見方ではなくて、どうして岸田首相が、電撃的にこの時期にウクライナを訪問したのか?ということの、隠れ蓑が、WBCなのだと理解できる。

戦争当事国の一方だけの国家元首たる大統領と会って更なる支援を表明することの、危険な意味だけではなくて、どのようにロシア側に通告したのか?の報道もない。
岸田氏一行の身の安全をロシア側に事前通告するのも、戦争拡大を防止するための世界の常識なのだ。

ならばなぜに、岸田氏はプーチン氏との会談をして、戦争終結を訴えないのか?

全くもって、民主党バイデンの後追いをしているだけで、そのバイデンも民主党も、いまや窮鼠状態なのに、である。
安倍政権を今さら批判したくなるのは、ほんとうに、こんな人物が、戦後の外務大臣として第二位の任期の長さ(在任日数1682日:最長は首相を兼ねた吉田茂)なのか?と、任命責任を問いたくなるのである。

そんなわけで、愚民化の道具の一つがWBCなのであって、大相撲もしかり、なのだとしった上で、存分に楽しみたいのである。

祝!世界一!

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