来年のバレンタインデー

キリスト教が世界的に、世にも珍しいほどに、「普及しない」わが国のひとたちが、「無宗教」だという「デマ」が「思い込み」になって久しい。

たとえば、映画『ミッション』(1986年)は、日本でも上映されたけど、いまいちピンとこないのは、作品中で改宗した「原住民」以下が日本人だからかもしれない。

悪名高きイエズス会を美化したのは承知でも、同年のカンヌ映画祭でグランプリを獲ったし、音楽も現代の巨匠、エンニオ・モリコーネだったから、「感動」はあったのに。

 

それでもって、とうとう「猿」にされたけど、これを、「よろこんで観る」のも、また日本人なのであった。
第一作は1968年。

それからシリーズ化されても、ぜんぜん日本人に「自覚」がないので、しびれを切らすことにもなって、2001年に最新作がつくられた。
どう観ても、豊臣秀吉とその軍団になっている。
でも、やっぱり日本人は、決して「不快」にならなかったのだった。

暖簾に腕押し,糠にくぎ、馬耳東風、はたまた、豚に真珠か。
それともやっぱり、「和を以て貴しとなす」なのかもしれない。
この意味で、妙に、キリスト教的「慈愛の精神」がある。

 

過ぎたれば、で失敗したのが、先の戦争、ということになっていて、いまでは、なにが「過ぎたれば」だったのかさえもわからなくなっている。

1955年、インドネシアのバンドンで開催されたから、「バンドン会議」というけれど、反帝国主義、反植民地主義を唱えたアジア・アフリカの29か国が集合して、なぜか日本も招待された。
恐る恐る会場にいけば、「満場の拍手」で迎えられたという「伝説」がある。

戦闘で負けたけど、戦争では負けなかったのだ。

こんなことを、記憶喪失したので、ちゃんと「供述不能」になる、という「症状」が現れて、今日に至っている。
それで、こんどは、正反対の「過ぎたれば」をやりだして、近隣諸国からはバカにされ、「親日だった」台湾までもが呆れて相手にしてくれない。

そんなこんなで、今を生きることにした。

これを、「現世利益」というので、これを標榜する宗教団体との親和性ができたのである。
とにかく、「いま」がよければそれでいい。
だからもう、孫や子の時代がどうなるかも気にしないし、子がいないから責任を感じることもない。

むしろ政府は、楽な生活を保障すべきだと思いこむようになったのである。

さてそれで、バレンタインデーの発祥は、神戸の製菓店「モロゾフ」が、居留外国人向けに「チョコレート」を贈ることを提案した、とある。
1936年(昭和11年)のことであった。

モロゾフ一家の悲劇は、自身の名前をつけた会社が、事実上「乗っ取られる」という運命が待っていることで、相手は「清廉潔白」のはずの日本人である。

なお、初代モロゾフ氏は、「白系ロシア人」であったから、いまでいう「ベラルーシ」の出身である、ということではなくて、「赤軍」の「赤」ではない、という意味だから注意がいる。

つまり、反革命の「亡命ロシア人」だった。

ときに、二年前の昭和9年は、天保以来といわれる「飢饉」となって、東北地方における「惨状」は、筆舌に尽くしがたいものだった。
米価が復活したのが、昭和11年だったのである。
それから、二年後の昭和13年には、「国家総動員法」が施行された。

さて、取締役だったモロゾフ氏が日本人経営者(社長)に不信を抱いたのは、33年(昭和8年)のことだった。
原因は、帳簿を見せてくれない、ということで、モロゾフ氏との契約では、利益に応じた報酬の支払いがあったのである。

それでもって、袂を分かつことになったのは、36年の夏のことであるから、「バレンタインデーのチョコレート」は、じつに「苦い味」がしたことだろう。

こうして、会社を追われた氏には、41年まで「モロゾフの商号使用の禁止」まであったけど、これを、泣く泣く「のんだ」のは、ソ連への強制送還をすると脅されたからであった。
いわゆる「日本で散々な目にあった」のである。

この件で、日本の裁判所は、「大津事件」のような気概を見せなかった。

なんだか、長崎の「グラバー邸」で有名な、武器商人トーマス・グラバーの長男、倉場富三郎氏の「神戸版」のような話なのである。
こちらの「悲劇」は、もっと話が大きくて「自殺」という最悪の結末だったけど。

戦後の高度成長になって、バレンタインデーのチョコレートが一般に普及したのは、それが、「女子から男子へ告白」という日本ローカル・ルールがついて、翌月の3月14日が「返礼」の日となるという「独自の文化」になった。

「第二次性徴」が男子より早いおませな女子には、ここ一番、の日になったのである。

そうやって、聖バレンタインとはぜんぜん関係のない、楽しいイベントになった。

さてそれで、流動化する世界にあって、この平穏が永遠のものと思いこんでいる節がある、現代日本人は、「来年も」幸せなバレンタインデーを迎えられるのか?

一抹の不安を覚える昨今なのである。

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