いよいよ今年最後の「週」になった。
べつに「てっちり」を食べたい、というはなしではない。
わが家の今年の大イベントは、やっぱり「中央構造線博物館」への旅だった。
この旅は、盛りだくさんで、二度目の岐阜県八百津町では、この町で生まれた「英雄」、杉原千畝氏(1900年:明治33年~1986年:昭和61年〉の記念館は改修中で入館できなかったから、三度目の訪問の口実が自動的にできた。
日本のシンドラーとして、えらく有名になったひとだけど、実像ははっきりしないところがあって、「命のビザ」も訓令に従わないことで、外務省は長く否定的であった。
それが、テレビ世論に負けていまでは顕彰するまでの180度転換をやっている。
べつに以前否定的だった外務省を擁護するつもりはないけれど、大臣訓令に逆らったことは、外交官としては「失格」どころの騒ぎではない。
即座に「解職」されても当然なのである。
ここに、「人道」というノイズが入るのは、後付けの理屈であることに注意がいる。
国際法上も「人道への罪」ができたのは、東京裁判でのことであった。
つまるところ、杉原氏の「人道主義」は、当時では通用しない「法解釈」なのだ。
残念ながら、国外における国内法執行者としての外交官(杉原氏は「副領事」だった)として、邦人保護は法律内のことだけど、外国人の保護は想定外だったのである。
ここは、「正義」をふりかざすと微妙なことだから、杉原氏をして何度も本省に問い合わせ(少なくとも三回)て、いずれも「ダメ出し」されているものだから、当時の外務省の立場は明らかなのだった。
しかし、不思議なことが起きた。
本省がダメ出しした「ビザ(査証)」を得たひとたちが、どういうわけか「有効」扱いされて、無事に日本入国を果たしているのである。
このビザを見せないといけない「関門」は、まずは出発地のリトアニア出国=ソ連入国だ。
あくまで「無効」とさせるなら、この両国に「無効通知」をすれば済む。
この通知の方法は、現地の日本大使館から当該国外務省へか、東京の相手国大使館を通じて行うか、その両方だ。
でも、ビザをもっているひとたちは、日本に入国までしている。
これは一体どういうことか?が、大疑問だったのである。
フライングして出した数人分のビザを、東京の本省が放置したのもあったろう。
もちろん、杉原氏の力量が及んでのことではない。
ちなみに、ソ連から出国した先は、いまでは悪名高き満州国なのである。
それから日本にやってきていて、多くは上海まで行っているのは、そこから主にアメリカを目指したからだ。
つまり、杉原氏が大臣訓令に逆らって発効したビザは、あくまでも有効だったことの「謎」がある。
ビザが有効とは、ぜったいに国家が関与した証なのだ。
すると、ここに「軍」の存在を疑わなければならない。
明治憲法下のわが国は、伊藤博文が意図した、新政府を「幕府化させない」という大義名分のもと、とにかく権力の分断をもって統治する方法の追求がみられる。
それが、政府と軍の分断からはじまる設計になっていることだ。
行政を司る政府と、軍の統帥権(指揮権)を分けて、あたかも天皇に集中させたが、とっくに「天皇親政」はやめている。
なので、「国軍」なのに、政府が関与しない、という建て付けが敗戦まで続いた。
ついでに、内閣総理大臣も、明治憲法下では、一国務大臣扱いだから、新憲法でいう「首班」としての、大臣任命も大臣罷免もできなかった。
すなわち、大臣はみな対等だったので、一蓮托生となって、やたら内閣総辞職がおおいのである。
そんなわけで、杉原氏のビザは、日本陸軍が抑えている満州国で「正規」とされないと、話にならない。
あくまでも、杉原氏は「トリガー」にすぎないのである。
このことの事情を、当事者側(ユダヤ人)がまとめて、一冊にしたのが、『河豚計画』だ。
こうした書籍が、ことごとく絶版になっている。
なので、わたしは、「出版不況」とかいうのは、欺瞞のひとつだとおもっている。
なお、「河豚計画」とは俗称で、ユダヤ人という毒を以てユダヤ社会が仕切るアメリカに「親日」の影響力を発揮させようという「情報戦」のことである。
日本の陸軍は、戦後になって「最低」の烙印を押されて、あたかも海軍の開明さが強調されることも、なんだか怪しいのである。
その最たるものが、真珠湾攻撃で、いかにしてアメリカとの戦争を避けるかに腐心してきた努力が吹っ飛んだどころか、チャーチルとルーズベルトを歓喜させた亡国の愚策をやったのが海軍だ。
ただ、幼年兵として水兵だったわたしの父親は、海軍がだいすきで、「陸軍のことはしらない」といっていた。
まったくの「他社」同然、しかも業界もちがう、という感覚だったらしい。
これも不思議なのは、いわゆる軍国少年の合い言葉が、「陸軍大将になりたい」で、戦後の「プロ野球選手になりたい」とおなじようにいわれていたことだ。
それで、なぜか「海軍提督になりたい」はいわない。
くわえて、主に陸軍は占領地に「軍政を敷く」ということの常識を話題にせずに、あくまでも「戦闘」を話題にさせるのも、怪しいのである。
GHQだって、実質の主体はアメリカ陸軍だった。
沖縄戦のあとに上陸したアメリカ軍がつくった、「琉球列島米国軍政府」(1945年3月~50年12月)の初代軍政長官は、海軍元帥のニミッツ提督だったけど、その後の6代長官は全員が陸軍の将官なのだ。
来年以降、「杉原千畝記念館」を訪問の際に、おそらく『河豚計画』の毒を無視している展示だろうことを想定して、つまり、杉原氏の単独行動だったことを強調していることを前提に見学したいものだ。
この意味で、韓国とか中国の「反日博物館」と、あんがいと相似形をなしている可能性があるから、そうなっているかを観に行く、という毒のある興味本位ではある。