「Constitution」を憲法と訳した

外来語(主に英・仏・蘭・独語)を日本語に訳すという作業を、幕末・明治期に、なにかに取り憑かれたようにやったのが日本人の知識人たちだった。

この時代の日本人の教養は、「漢籍」(主に「四書五経」の素読から)であったので、学問といえば子供時分に暗誦した漢籍の解釈に関する研究のことだった。

だから、外来語を日本語に訳すとは、漢語化するという意味だった。
つまり、「漢字で表記した」のである。
このとき、「原語の発音」ではなくて、基本的に「意味」を「漢訳」したことが、凄いのである。

それで、日本由来の近代用語が現代中国語にほぼ全部入り込んでいるから、どんなに反日を叫んでも、その言葉は日本人の発明から逃れられない。

今年亡くなった、反日の旗手だった江沢民氏は、実父の江世俊が日本の傀儡政権といわれている汪兆銘の南京政府のスパイ機関に勤務していたことを打ち消す、自己の出自を隠すための政治活動だったということがわかっている。
つまり、親日の汚点を隠す自己演出で、さすがは利己主義の民族を代表した。

これは、韓国伝統の漬物「キムチ」にもいえることだと、前に書いた。
唐辛子と白菜が、日本由来なのである。

さてそれで、「Constitution」の語源をさぐると、「一緒に(con-)、立てる(statuo)、こと(-tio)に分解できる。

さいきんの学習用英和辞典は、どんどん懇切丁寧を旨とした編集と表現の工夫で進化している。
もちろん、対抗するデジタル辞書との競争があるからだけど、だからといって日本人の英語力が最低レベルでぜんぜん高まってはいない不思議がある。

つまり、別に原因があるとかんがえるのがふつうだ。

すると、辞書編纂に努める「英語学者」のひとたちは、いったい何をかんがえているのかをしりたくなるものだ。

いまさらながら、わたしが中学校で最初に習った英語は、アルファベットの大文字と小文字の後に、いきなり、あの、This is a pen. だった。
前にも書いた、英語は文字の名前と発音が別という、およそ「50音表」(母音と子音のマトリックス表)をふつうとする日本人にはあり得ない概念のちがいは、教えない。

もちろん、小学校では「国語」として、「ローマ字」を習っている。

なので、T「ティー」と、h「エイチ」と、i「アイ」と、s「エス」が、どうして「ディス」になるのか?からして、挫折がはじまるのである。

つまるところ、日本人の教育体系を根本から「改悪した」GHQの邪悪は、日本人にぜったいに英語を理解させないことを目指して、「英語」という教科を再構築したにちがいない。

学校英語がムダな教授法であればあるほど、かえって英米人が日本人に英語をおしえる「職業確保」ができるのである。
それでとうとう、「英語産業」という分野ができたけれど、いっこうに日本人は英語ができないままなのである。

なにをいおうが、日本という国は、「理系」をもってしないと食べていけない。

だから、ほんとうは数学と理科(物理・化学)をメインに教えるべきで、これを理解するための国語力があれば世界に通じる実力は得られる。

すると、英語に時間を割くのは、ムダなのである。
このムダを強要する受験制度は、日本人の潜在能力を抑制させるためとしかおもえない。

しかし、その数学と理科の教授法(教科書)も、おそるべき「難解な構造」をわざとさせて、生徒の興味を削ぐことを目指しているようにもみえる。
アメリカ人が書く教科書の、ぶ厚いけどわかりやすさを優先させる態度こそ、国力の差をつくるのである。

とはいえ、日本人とは何者であり続けるのか?という根本も、GHQによって最優先の破壊の対象になったので、学校の勉強ができることが、そのまま日本人としての成長にならないように設計されている。

これを推進・実行しているのが、文部科学省という役所の存在意義になったのだけど、さらにその上位に「日本国憲法」がある。
だから、日本を破壊したいGHQの意向を「保守」するひとたちのことを、あたかも、「革新」と呼んでおだて上げ、「護憲」の主張を曲げないのである。

その「護憲」とは、かならず「第9条」のことを指す。
どこかの国の属国になる、という規定でしかないものだ。

ならば、欧米先進国という「お手本」を参照すれば、どこに「第9条」とおなじ条文があるかといえば、どこにもない。
同盟国だったドイツでさえ、改正を繰り返してとうとうドイツ軍は外国への派兵もできるようになっている。

ただし、ドイツは前に書いたように、敗戦したドイツとは、別の国、なのではあるけれど。

そんなわけで、「憲法論議」があるようでない、へんな状態になっている。

しかし、「語源」からのConstitutionの意味する本質とは、「構造」のことなのである。
それで人間の身体にたとえると、「体質」という意味と、「気質」という意味があると辞書には「憲法」より先に書いてある。

つまるところ、「国柄」のことなのだ。

もっといえば、「日本人の気質」のことで、「気質」には「きしつ」と「かたぎ」と両方の読み方がある。
類語は、「気性」。

すると、「道義を旨として、正直に生きる」だけで、立派な憲法になるのである。
余計な条文はいらない。

こうしてみると、いまの政府がいかに日本人の気質とそぐわないかがわかるし、議員を選挙で選んでも、議会が思考停止になって国会ばかりか、全国津々浦々の市町村にまで蔓延した。

わが国は、憲法違反を旨とする、無法国家になったのである。

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