紀元節と建国記念の日の区別

昭和41年(1966年)の国内政治のエポックにあたる大仕事とは、「建国記念の日」を国民の祝日に定めたこと、だといえる。

もちろん、「紀元節」を定めたのは明治政府による明治6年(1873年)だったのが、GHQによって廃止されてからの、「復活」という意味でのことだ。
ならば、どうして「紀元節」にせず、「建国記念の日」としたのか?という、「配慮」だか「遠慮」についても議論があってしかるべきだけれども、相手にされる話でもなくなった。

おそらくだけれども、高度経済成長での上り調子を背景に、さらに、昭和39年の東京オリンピックの成功体験も踏まえて、明治生まれのひとたちが「生きているうちに」、形の上での「独立」をしておかないと、チャンスは二度と来ない、という焦りもあったのではないか?

しかしながら、戦後のわが国は、もちろんいまでもおなじだが、アメリカの意向を無視はできない。
当時は「経済」でもちゃんと、「アメリカがクシャミをしたら、日本は風邪をひく」とは、子供でもしっていたことだ。

それなのに、妙な上から目線があって、在日米軍(事実上の占領軍・征服軍)の駐留経費の日本側拠出を、「思いやり予算」と呼ぶ、論理の「倒錯」があった。
自分が支配される武力の経費を、負担させられることに、「思いやり」というのはどうかしている。

それでもって、いまだに、アメリカ軍への駐留費負担の方が、ぜんぶ自国で防衛するより、「安くつく」という「倒錯」にも変化はない。
独立国の自衛が、万国共通の価値観なのは、「独立」だからで、これを放棄することの「損得勘定」とは、最初から意味不明なのだ。

そんなわけでこの時代、焦っていたのは、アメリカの方だった。

ケネディが世界初の宇宙「生」中継放送で、暗殺されて、日本の茶の間は大騒ぎになり、リンドン・ジョンソン副大統領が大統領に昇格した時期という、「間隙」をついてできたのが、「建国記念の日」なのである。

ケネディの「アポロ計画」だって、そもそもは、宇宙開発でソ連の後塵を拝したことが原因だった。
これはまた、ナチス・ドイツで、ロンドン空襲に使われた「V2ロケット」の開発技術者たちを、ベルリン占領と同時にいち早く確保して、モスクワに連れ帰った成果でもあった。

この意味で、ソ連共産党の「計画性」は、アメリカをも凌いだ。

ナチスと組んだわが国の「無計画=その場の対応=臨機応変」は、およそ「人類への罪」を問われるほどのものではなかった。

ただし、日本人が驚くべき点は、昭和16年11月の日本政府・軍の合同決定としてあった、「対英戦争」が、その翌月の真珠湾攻撃で、「対米戦争」になった不思議があることだ。
「対英戦争」の決定の意味は、「アメリカとは戦わない」という意味だからだ。

暴走したのは、陸軍ではなくて海軍だった。

権威主義的でダメな陸軍という戦後の常識に対してある、優秀な海軍という刷りこみも、プロパガンダなのである。
これを、海上自衛隊はいまでも「利用」している。

ただし、国家から与えられた超高額な艦船とか、航空自衛隊の戦闘機パイロットが意識する、国家からの「借り物」を操艦したり、操縦することの歓びは、いまどきの企業経営者よりも、まともだ。

社内昇格する企業経営者たちの意識に、会社の全資産(従業員も)は、株主からの「借り物」という意識がないことでわかる。
元従業員の経営者たちが、役員という「安全地帯」から、従業員を支配する身分になったことを「歓ぶ」ので、これがまた、社内で「遺伝」する。

つまり、「所有」と「占有」の区別がつかない、という日本人の民族的特徴が生きている。
もちろん、民間ばかりか、その「手本」にある、国家機構たる高級官僚には、新政府成立の最初からこの区別がない。

それは、「長州藩」の「撫育資金」なる、「裏金」を、きっちり伊藤博文が新政府にも導入して、高級官僚たちの好きにできるようにしたものが、どういうわけかGHQも放置して現在に至っていることが証拠なのだ。

これは、一般人にも伝染していて、たとえば、図書館で借りた書籍に、平気で書き込みをする輩が絶えないことでもわかる。
自分のものと他人のものとの、区別がつかないのである。

昨今、スーパーで精算前に子供が勝手に袋菓子を開けてしまうのとおなじだ。

さてそれで、「建国記念の日」を祝うことの否定が、いまや消極的否定にまで進化して、何の日だかも意識しないで、ただの「祝日=休日」になっている。

自分が何者なのか?がわからなくなったことを意味するから、自分のものと他人のものとの区別ができないことよりも、はるかに深刻な精神状態といえる。
「自分探し」とは、この完全なる喪失感が基板にある、精神病理なのだ。

ずっと前から、「歴史論争」というカモフラージュで、「事実」と「神話」の区別がつかないのである。

人工的に建国されたアメリカ人や、フランスからやってきたウィリアム征服王(William the Conqueror)によって、いまだに征服されたままの英国人からしたら、「神話」に建国の物語があるとは、地団駄踏んで悔しがっても、どうにもならないほどに「羨ましい」ことだと、日本人にしらさないのである。

もっとも、「建国記念の日」とは、いまだ征服者アメリカへの「政治テロ」だったのだけれども。

溶け行く国家をみながらに。

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