絶滅危惧種の町中華

「町中華」なのか「街中華」なのか?
「町」を使いたいのは、「町内」を強くイメージしたいからである。

テレビがないから情報番組というものを観ないのではあるけれど、研究テーマとしてブームの中にあることは、なんとなくしっていた。
けれども、空腹感をもって町や街を歩けば、たちまちにしてその貴重性を体感できるのが「いま」なのである。

ここであらためて、「わたし流」として勝手に定義すれば、日本人家族経営の小規模飲食店で、「中華料理」を標榜していること、だとする。
「広東料理」までは、許容範囲なのは、「上海料理」とか「四川料理」になると、たいがいが日本人の料理人ではなくなるからである。

かつて新宿区四谷に、「済南賓館」というズバ抜けて予約困難な町中華があったけど、こちらは「国宝級」だった。

なにせ、当時中国全土でも何人もいなかった「中国特級厨士」の資格を持つ日本人夫妻が腕を振るう店で、特に夫人の佐藤孟江さんは、戦争前に現地で育った日本人貿易商のお嬢様で、自宅で雇っていた料理人の、その幻の調理法の伝承者でもあったのだ。

よって、「ラーメン屋」ではないし、差別ではなく区別として、「日本人」としたいのは、「本場」とか「本格」とかとは一線を画すからである。

しかしながら、その「味」は、ちゃんとしていることが条件で、たいがいは店主が若くして小僧から修業した経験をもっている。
だから、この意味では「本格」なのは当然だが、いわゆる「外国の味」ではない日本の「中華」にこそ意味がある。

こないだ書いた、「横浜・伊勢佐木町」に、なんとわたしが定義する「町中華店」は一軒もないのである。
ただし、通りの延長にある、「お三の宮通り」に、ようやく一軒を見つけることができるが、こちらは、微妙にメニューの重心が「ラーメン」という恨みがある。

念のため、売りは、横浜名物「サンマーメン」で、4種類ものバリエーションがある、じつは名店だ。

一応、サンマーメンとは、醤油味ラーメンに肉野菜炒めの餡かけが乗ったものだが、変種として「塩ラーメン」の場合もある。
また、横浜市でなく、神奈川県が、いつの間にか「神奈川県名物」としているのが、横浜人からすると妙なのである。

だから、横浜市内では見かけないが、「県内」になると、店舗前に「神奈川サンマーメン」なる幟旗を散見するのは、県の予算で作ったものか?

この手の幟旗に、外国語表記は見たことがないので、インバウンド向けの予算ではないのだろう。
だが、漫画文化の世界的普及のおかげで、気の利く外国人は、平仮名とカタカナは理解していることがあるので、役人から「インバウンド向け」だと強弁されたら、そうかもしれない。

なにをもって「なりわい(生業)」とするのか?

むかしは、「手に職をつける」ことがとにかく重視されていて、職人ならばなんでもいいという風潮がふつうだった。
なので、高学歴でないといけないような職業には、それなりの身分の人の家の子がなる、というのもふつうだったのである。

これを破壊したのが、「学歴」で、学歴さえあれば、それなりの身分の人と同様な職業人生が送れるようになった。
それでもって、「猫も杓子も」みんな学歴の購入に邁進した。

この需要増に、学校経営者も悪乗りして、「儲ける」ために、学歴を大量販売したのだった。

職人は企業に入っても、「終身雇用」には目もくれず、働きやすい企業を渡り歩くのが、一人前で、あとからこれを、「渡り職人」といって、時代遅れの象徴にした。

職人にならずとも、商人になって、商店を構えることは親戚縁者の横のつながりで資金調達できたから、銀行の世話にならないでも開業できた。
あるいは、大店(おおだな)に丁稚から奉公して、評価されたら、「のれん分け」で商店主にもなれたし、場合によっては取引先からの援助で独立もできたのだ。

こうした人間の生活が、だんだんと遮断やら分断されて、社会が窮屈になったら、個人商店も衰退して、シャッター街がうまれだして、町中華の跡継ぎも絶えたら、それが自然淘汰とおなじようにみえるのである。

しかし、ぜんぜん自然淘汰なんかではない。
継続できない理由が、「店を持つことがリスク」になったからである。
それでもって、作業服よりもスーツ姿が「上位」に見えるように、まちがった教育をした。

そうやって、とうとう、「町中華」を探さないといけない時代になったのである。
すると、どこも繁盛店ばかり、という当然になった。

人間の味覚は10歳までに決まるから、町中華の味を子供に覚えさせないといけない。
そうなると、そのひとの生涯をかけて、何気だが、しかし、食欲として我慢できないのが一生続くのである。

なので、「M」がつく世界的ファストフードチェーンのハンバーガー屋は、とにかく子供をターゲットにする。

この意味で、町中華は、世界に類のない日本人のソウルフードとしての、まごうことなき「和食店」でもあるのだった。

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