幼稚化するエリートたち

むかしの子供にはあからさまな生意気があって、「子供のけんかに親が出る~」といって、親(おとな)が子供の世界に介入することを嫌う常識があった。

親世代もそうだったから、よほどの怪我をするとかしないと、親が子供のけんかに口出しすることはなく、むしろ一方的にやられるばかりだったら、どうしてやり返さなかったのか?と家庭内でも叱られたものだった。

学校が直接のけんかの舞台でなくとも担任の先生なら、いち早く察知して、状況を周辺の子供から聴き出して、それなりに正確なジャッジをしていた。
このジャッジの中にも、「放置」という選択肢があったし、ばあいによっては当事者の子供のしらないところで、双方の親にも情報提供していたのだった。

だから、帰宅して妙に親が落ち着いていたのが不思議だった。
緊急連絡網と各家に電話があった時代のはなしである。

日本文化の異次元性を指摘した、江戸末期から明治初期に来日した外国人は多数いたが、その嚆矢はやはり、信長・秀吉時代の、伴天連たちが観察した日本人の姿だろう。

残念ながら、その数百年前、あおによし奈良の都で万人単位で採用されていた、ペルシャ人官吏たちからの日本人への観察記録をみたことがない。

身分制を推奨するものではないけれど、身分制のなかに潜む、「責任を果たす義務」というものが、その身分を持つ者たちの矜持となったのは、そうでもしないと身分制が維持できないことをしっていたにちがいないからである。

これを、日本では、「武士道」といったし、ヨーロッパでは「騎士道」とも、「ノブレス・オブリージュ」ともいっていた。

ヨーロッパでは、「産業革命」によって、貴族による支配が揺らぎ、新興勢力のジェントルマンたちを貴族社会に取り込むことでなんとか維持してきたが、産業革命は人々を平準化させるという力学が作用して、圧倒的多数の「大衆」が誕生した。

産業革命以前には、「庶民」はいたが、ほとんどのひとたちが農業従事者だったから、土地に張り付いてオーナー地主たる貴族の配下にあったのである。

日本では、この構造をヨーロッパを基準にして考察するという流行があった。

しかしながら、日本の農民事情はヨーロッパとはぜんぜんちがうので、明治維新の説明がおぼつかないことになっていたのである。

なぜなら、日本の貴族(公家だけでなく大名も含む)は、えらく貧乏だったのに、ヨーロッパ貴族が絢爛豪華な生活をしたのは、アフリカやアジアからの富の収奪に起因した。
つまりは、集団的強盗を正当化することで成り立っていたのがヨーロッパ貴族で、日本の貴族は、道徳的にならざるをえなかったともいえる。

もちろん、そんな収奪による絢爛豪華な生活ができたのは、武力のおかげであった。

だから、ヨーロッパ貴族の道義(倫理)とは、ヨーロッパ貴族の間でしか通用しない。
いま、イスラエルとハマスの双方が、「人間の格好をした動物だ」と互いに認定する発想の根拠が、この仲間内だけの価値観の対立に落ち込んでいるからである。

ここに、「多様性」とか、「ダイバーシティ」とかが微塵もないのを、またこれを推進しているひとたちがなにも言わないでいるのは、不道徳ではないのか?

対して、日本の武士道は、社会全体を網羅したから、はなしがぜんぜんちがうのである。
そこに、「公(おおやけ)」という概念が先にあって、「私(わたくし)」を抑える常識が、庶民にも普及していたのである。

これは、決定的なちがいであって、まったくもって、「レベル(次元)」がことなる。

わたしは、「産業革命」はあったけど、「資本主義が誕生した」とはかんがえていない。
人間の生活を一変させたのは、産業革命「だけ」であったとかんがえている。

そんなわけで、当時の経済学の巨匠的な存在だった、ゾンバルトは、『恋愛と贅沢と資本主義』なる屁理屈をもって、資本主義発生の根拠とせざるを得なかったのである。
ようは、ありもしないものを、マルクスが「資本主義」と言ったことだけを根拠して、別角度から解説しようとしたら、こうなった、というわけだ。

そんなわけで、明治期に「産業革命」だけが輸入されのは当然で、そこに、資本主義があるはずだと信じるしかない、あたらしい宗教がひつようになった。
これを、山本七平の傑作、『現人神の創作者たち』(1983年)が解説している。

 

しかるに、わが国では、国民全員が産業革命に染まることになって、資本主義ならぬ「儲け主義」が蔓延し、それが最初のピークが、第一次大戦でヨーロッパが自滅した、大正時代の一大産業バブル、「大戦景気」であった。

銀座に颯爽とあらわれた、その後の、「モボ(モダンボーイ)」、「モガ(モダンガール)」とは、この儲け主義のあだ花だったのである。

さて、そんな儲け主義の権化が、アメリカ民主党だ。

バイデン一家の汚職が、とうとう暴かれて裁判にもなってきたら、なんと「悪いのはぜんぶトランプのせいだ」という、ありえない言いがかりが、「堂々と公判で」主張されている。

息子ハンターとその兄の未亡人がおつき合いして、互いにコカイン中毒だったのも、トランプ氏のせいだという。

ヒラリー・クリントン(もちろん夫も)からオバマについで、バイデンも、おどろくほどに幼稚なのである。

それで、こんな連中の属国に堕ちた日本人も幼稚化している。

トランプ政権の大黒柱だった、ポンペオ氏も、じつはDS側だったとカミングアウトして、どういうわけか先日、ウクライナ・テレコムの取締役に就任したと発表され、臆面もないのだ。

あえてひいき目でいえば、欧米資本は、いよいよウクライナの富の「刈り取り」モードに入ったということを、身を以て示してくれた、ともいえる。

幼稚な社会におとなが棲む苦しさよ。

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