英国と日本の「凋落同盟」

世界帝国を築きながら、なぜに英国は極東の弱小国家・日本に優しかったのか?

あたらしい植民地経営の方法を、日本で見出したからとかんがえるのが合理的で、国力の差がありすぎなのに、あたかも対等な、「日英同盟」とは、いまさらながらに笑止なのである。

では、英国がおもいついた「あたらしい植民地経営の方法」とはなにか?

おそらく、英国流の教育を日本人の若者にさせて、「洗脳する」ことでの時間をかけた方法と、金融の力による「借金漬け」の両方からコントロールすることではないのか?
一見スマートだが、下心は邪悪な儲け主義である。

経済学の父である、アダム・スミスの主張が「切り取られた」ことも、当時の英国人がフェアではなかった証拠だ。

彼の生涯に二冊しか出版されなかった、『道徳感情論』と『国富論』のうち、『国富論』の中でも「見えざる手」(しかも「神の」はつかない)しか引用せず、その論の前提になる『道徳感情論』を無視するのは、明らかに恣意的なのである。

そんな英国に留学した最初の被害者が、夏目漱石ではなかったか?

彼に「神経症」を発症させて重くしたのがロンドンでの生活だったことは、もっと日本人が気づいていいものだが、なんだかいまだに「個人の資質」の話にして、あたかも漱石の人格問題にしている。

だが、夏目漱石の英国嫌いは生涯にわたったのである。

その逆が、日本で暮らした英国人の生活における「快適」が多数残っている。
たとえば、英国外交官夫人、キャサリン・サンソムの『東京に暮らす:1928~1936』がある。

夏目漱石と対比すれば、あまりにもギャップがおおきいのである。

英国留学の嚆矢といえば、「長州ファイブ(五傑)」である。
・ 井上聞多(馨)、
・遠藤謹助、
・山尾庸三、
・伊藤俊輔(博文)、
・野村弥吉(井上勝)

彼らの面倒をみたのが、アヘン商人のジャーディン・マセソン商会で、さらに横浜の日本人支店長の吉田健三こそが、吉田茂の義父というつながりがある。
これらはみな、英国の代理人となるのだが、その後の米国つながりも、やはり、「留学」によって培われるのである。

米・英の両国で人脈を築いたのが、密航に失敗し船長の奴隷として売却された経験をもつ、高橋是清である。
それで、彼は、日露戦争の戦費調達で英国のロスチャイルドを頼り、この借金を日本が完済するのは1986年(昭和61年)のことだった。

けっきょくのところ、英・米の大学に留学して、学位と卒業学校名を買う行為とは、向こう側の洗脳の「代償」となるから、なんとアダム・スミス的ないいことはひとつも学ばない「大損」なのであるけれど、これを「ブランド力」という一般人への洗脳で、あたかも「優秀さ」のレッテルを買っているのである。

そんなわけで、英国人だろうが、米国人であろうが、はたまた日本人であろうが、彼らの「主流派=邪悪な学問=社会主義礼賛」を擦り込まれるので、国家運営者になったら、その凋落が止まらないばかりか、凋落を推進することが職業的倫理へと変容したのである。

アメリカは、トランプ政権2.0によって、先んじて脱退を試みるが、英・日の凋落は、いまや競争的な状態になっている。

少しばかり、英国の方が悲惨だが、しっかりわが国も追随している。

こればかりは、「寝正月」とはいかないのである。

【2025年頭】自由革命についていけるか?

謹賀新年。

第二次大戦に至るまでの、日・独・伊の三国同盟は、「旧世界秩序:自由経済体制」から、「新世界秩序:全体主義計画経済体制」への転換を目指したものだったと、『ナチス叢書』にあると書いた。

これには、「大恐慌」を横目にした、スターリンの「5ヵ年計画」の大成功のプロパガンダ(ウソ)が大成功し、世界の高学歴官僚なかんずく軍事官僚(職業軍人)を魅了した。

日本の「軍部」は、上の世界観を基に戦争を不可避としていたが、不可解のなのはやっぱりわが国の中途半端さで、なにがしたかったのかよくわからない「日華(支那)事変」の泥沼がとにかく足を引っぱったのである。

用語としての「事変」とは、宣戦布告を伴わないけれど軍の出動を要する「騒乱」のことである。
なので、日本側はあくまで「事変」だが、別の見方からは「日中戦争」と呼ぶ。

ただし、当時の大陸を誰が支配していたのか?といえば、軍閥やら馬賊やらが入り乱れていて、統一国家ではなかったからややこしいのである。

ロシアがウクライナに侵攻したことを「特別軍事作戦」といい、西側が「ウクライナ戦争」というのとソックリ似ているが、これはプーチン氏の「歴史認識」が、かつて連合国にあったのにかえって冷戦下で歪められていないことにあると、いまいちど日本人も認識を改めた方がよいだろう。

もちろん、ここで「ソ連の正当性」をいいたいのではない。

だから、蒋介石の軍隊と戦っていたのに、蒋介石を相手にしないとか、戦後は、台湾を蒋介石に乗っ取られたのに、日本でたちまち蒋介石が「偉人」になったことも、「変」なのである。
これを、故岩里政男(通名:李登輝)氏が、台湾の帰属は日本にあると主張しても、賛同する日本の「保守政治家」が皆無だったのは、プーチン氏からみても摩訶不思議なことだろう。

私事だが、もう四半世紀も初詣に出かける、横浜一宮「伊勢山皇大神宮」の参道には、その蒋介石を顕彰する大きな石碑がいまもそびえ立っている。
一口に「台湾」といっても、蒋介石が支配した台湾と、日本が支配した台湾では、ぜんぜんちがうことを、岩里政男氏が『台湾の主張』で教えてくれたのにである。

さて、戦後復興における、日・独の奇跡的な経済発展は、70年代になると「旧世界秩序:自由経済体制」での優等生になったかのごとくであった。
また、それなりに努力した感があるための「成功」だから、両国民は「奇跡」と自称しつつも、本音ではまったく「当然」のことだと思いこまされたのである。

しかし、「世界経済フォーラム」がいう、「新世界秩序:NEW WORLD ORDER」とは、まさに旧三国同盟の「新世界秩序:全体主義計画経済体制」への転換とおなじものだから、この意味で、かつての「理念」はいまだに死んではいない。

ただし、その実行者が、「国家」ではなくて、世界の「富裕層の集合体」になったのである。

なぜか連合国入りした計画経済のソ連は、まったく不思議なことに「旧世界秩序:自由経済体制」の仲間となって、日・独と戦火を交えたが、日・独の敗北後はたちまちにして「冷戦」になって、日・独の旧領(東南アジアや東ヨーロッパ)がソ連圏に組み込まれ、「新世界秩序:全体主義計画経済体制」として世界を二分し、かえってこれで世界は安定化した。

このように、日本が欧米列強の植民地から「解放した」という東および東南アジアは、ほぼ「共産圏」になったのだから、戦後の建国後に毛沢東が「日本(軍)に感謝する」といったことは、まちがっていない。

そのソ連が自滅的に崩壊し、アメリカが唯一の超大国となった1992年にあたかもとっくに準備していたごとく、「国家戦略(グランドストラテジー)の書き換え」をし、同盟国の日・独(旧秩序に偏向させたはず)を新世界秩序からみた仮想敵国とすることにしたのである。

それで、日本では「選挙制度改革」の名による「改悪」が実施されてできたのが、「小選挙区比例代表並立制」なのである。
これによって、自民党は盤石になった分、国民と乖離する傲慢さを発揮することができるようになり、アメリカ民主党(戦争屋:新秩序)への盲目的追従へと分かりやすい変貌をした。

なお、ここでいう「アメリカ」とは、あくまでも「戦争屋が支配するアメリカ」のことで、さいきんでは「DS:ディープステート」と呼ぶことが陰謀論ではなくなった。
トランプ氏が選挙中に繰り返したことで、いまではアメリカ人の多数がDSの存在を認識するようになった。

このように、日本政府自体が「反日」となり、国民生活を困窮化させることでの「新世界秩序:全体主義計画経済体制」の確立を急いでいる。
それが、一人当たりGDPの30年間以上にわたる「低下」という効果になっているから、まことに日本政府の政策監理と事務は見事に作動しているのである。

しかし、とうとうトランプ政権2.0によるちゃぶ台返し的「自由主義革命」がはじまる。

これに、「新世界秩序:全体主義計画経済体制」を続ける自民党はついていけないのではなく、NEW WORLD ORDERを続ける「意志」をもって対峙することになった。

つまり、戦後初の「反米政権」が日本にある、ということなのである。

ならば、「政界」が地殻変動を起こしてもおかしくない、圧力がトランプ政権2.0かかって、あたかも本州が弓なりに曲がったのとおなじような「政変」が想起されるのが、まさに今年の「あるべき姿」なのである。

まことにおめでたい年になる期待が高まった正月だといえる。

結局ここに行き着くのか?

原口一博・元総務大臣が訴えられたことのラッキーとは、訴えたお菓子屋さん側がまもられるべきことを証明しないといけないことが重要だからである。
つまり、その核心は「安全性」に尽きる。

一方で、アメリカでは、連邦議会証言での「偽証」の疑いで、ファウチ博士を逮捕させようとする動きがある。
しかし、彼が機能獲得実験をさせた研究所から、ウィルスが漏れた、という説を採用していることの問題もある。

はたして、あの病気の蔓延の原因ウィルスは、本当に存在したのか?

この件に関して、上の根本的な疑念を発信しているのが、徳島大学名誉教授の大橋眞博士(細菌免疫学)であると書いてきた。
なお、徳島大学は大橋名誉教授への「アンチ」が湧き出たことについて、逃げの説明文をHPに挙げていた。

ありもしない病気を、ものすごく流行しているようにみせかけたのかもしれないという疑念は、いまさら高まるばかりなのである。
だから、どこであれ「起源説」は、どれも怪しい。

これを、「プランデミック」と、「計画行為」という意味をこめて造語した。

大ベストセラーになった、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』では、生きていることとはエネルギーの流れであると定義した。
そこで、大橋博士がいう、エネルギーが波であることからの「波動」を重視するのは、理にかなっている。

またそれを、日本の古武道である、柳生流に見出すとは、また驚くのであるし、それが徳島に残っていることも不思議なのである。

一方で、首都圏にも入る山梨県は、昨年、人口減少・流出の「日本一」となった。
その前には、空き家率の日本一もあった。

これを、交通・地理系のユーチューバーが、『山梨県の発展は絶望的』という動画をアップしている。
関西圏で似たような立ち位置の、「奈良県」を比較の対象にしているのも興味深い。

また、国際的な目線だと、サウジアラビアが脱石油戦略として、「観光立国」を目指すということの暴挙を、「モハPチャンネル」さんがアップした。

サウジアラビアに観光に行く?とだれかに誘われてふつうに「行こう!」とはならないのは、観るべきものの想像がつかないからである。
もちろん、イスラム教徒なら、「メッカ」や「メジナ」に一生で一回でも巡礼したいというのはあるだろうけど。

当然ながら、サウジアラビア政府も、巡礼者の安全性を確保するために、いまでは「許可制」となって、人数制限をしているのである。
これは、世界のイスラム教徒が、巡礼したいと思えば実現できる経済力を持ってきたことも、おおきな原因だ。

逆に、イスラム教徒以外で観光するなら、アラブ首長国連邦のドバイまでがいいところではないのか?

山梨県には、富士山も身延山もあるから、なんだかすこしサウジアラビアと似ているが、地場に根づいた主だった産業がないという自然の摂理から抜け出せないのも、「物質的」な観光資源に固執するからではないのか?

もっといえば、サウジアラビアと似ているのが、「国家依存」な点に集約されるのである。

ドバイが成功して、サウジが遅れを取った理由は、ここにある。
つまり、「自由経済」という視点が抜けている。

計画経済がダメで、自由経済が発展するのは、そこに向かうエネルギーのちがいが決定的だからなのである。
すなわち、大橋博士のいう「波動」を強くするか弱くするかの差のことだ。

国家依存した山梨県は、コロナの規制も厳しかった。

アメリカに依存せよといいたいわけではないが、来年のトランプ政権2.0による革命的な変化の本質を山梨県民が理解できるのか?という、根源的な能力が試される、と上から目線が空しいのは、日本全体に「政府依存」があるからである。

この根源的な理解力とは、哲学的なレベルでの興味という意味である。

抽象的なものと具体的なものとの、行ったり来たり、を思考することが、戦後の「受験教育」では壊滅的になったので、おおくの日本人が「具体」のなかだけで思考するようにさせられて、一向に根源的なはなしについていけなくなったのである。

そんな日本人を代表して、石破氏が二度も、みごとに「予算が通過しなければ(国会を)解散する」といったので、まさか来年は春早々に「総選挙」があるやもしれず、さらに夏の参議院通常選挙とダブル選挙になって、「憲政史上初」の、1年で三回もの総選挙が挙行される可能性を否定できなくなっている。

その背後に、トランプ政権2.0がそびえ立つ。

ドイツでは、2月の総選挙前に「AfD禁止法」を可決する動きがあって、あたかもフランスの「左派連合」とおなじ過ちをしたいらしい。
カナダでは、来年秋までに総選挙があって、こちらは政権交代が確実だ。

反トランプの権化と化した英国労働党政権は、日本の自民党と共闘しながら、「トランプ氏を国賓で招く」と発表し、まさかの暗殺も想像させる不気味さがある。

いよいよグローバリズムと反グローバリズム(ナショナリズム)の対決の年がはじまるけれど、反グローバリズムが標榜する「リバタリアニズム=経済自由主義」が、じつはグローバリズムに向かうことのメカニズムをしれば、「波動」のブレが致命的かもしれない懸念がある。

この混沌は、思想の整理ができていないことに原因がある。

個人の「幸せ」とはなにか?
『青い鳥』を探す旅がはじまったのである。

よい新年をお迎え下さい。

「世論創作調査」というお仕事

社会調査のウソについてこれまで何度か書いてきた。

「統計」を30年間も学校で教えなかった国(2017~2019年改訂学習指導要領で再開)なので、1987年でいったんやめていることがわかる。

つまり、現代日本人の中堅層世代は、なんと「統計」をしらない。

国力の衰退理由にはさまざまな説(理由)が挙げられているが、その中のひとつにこれすなわち「統計の無知」があることはまちがいなく、その責は文科省と中央教育審議会にある。
だが、もっと根幹的な問題に、教育を国家の独占状態にしていることが、もっとも重いとかんがえるべきなのである。

レーガン政権で経済顧問になった、ミルトン・フリードマン(1976年ノーベル経済学賞)の大ベストセラー『選択の自由』(1980年)には、その後レーガン政権が採用した「教育クーポン」のアイデアと解説も書いてあった。

これは、たとえ公立学校でも、生徒とその親に通う学校を自ら選択できるという制度のことで、わが国でもごく一部に採用されている方式だ。
ようは、ふつうならないはずの、公立学校間の「品質競争」をうながしたもので、ために「教育効果」についての情報提供も学校側に義務づけたのである。

ときのわが国、中曽根首相は、アメリカ人の教育水準の低さを批判して物議を醸したが、このクーポン制を採用した州では、見違えるような効果がでたのであったし、国家が公教育を独占しているわが国の凋落は、いまや救いようがない惨状なのである。

それゆえに、トランプ政権2.0がいう、連邦教育省の廃止=各州に任せる、というひとつの改善方法が実施されることは、わが国でもおおいに議論されるべき事例なのである。

もちろん、この制度導入には、強力な守旧派抵抗勢力としてGHQがわが国で設立した、日教組が反対しているし、保身を旨とする管理職とその管理職を監理する教育委員会も積極的ではないという現実がある。

だが、最低でも「公教育」は、自治体レベルに任せることがあっていいし、そのための国家からの補助はあってはならないことをトランプ政権2.0は主張しているのである。

もっといえば、「公教育」は必要なのか?という議論をすべきだとおもう。

それがまた、大学入学などの「受験(問題設問)の自由化」に直結して、各校の「教育理念」と、「教授陣」、そして「教育内容(シラバス)」の一般公開がもっと強くされていい。
いわゆる「いい学校」の基準を、偏差値から解放することが、もっとも重要なことになるのである。

さてそれで、「世論創作調査」とはなにか?といえば、クライアントからのカネを得て、そのクライアントに都合がいい「世論調査」の結果を「創作する」というビジネスをいう。
もちろん、この情報の受け手である一般社会に、「信じ込ませる」というサービスも付随するから、大がかりな仕掛けも同時に提供することになる。

よって、大金を投じることができる「大手企業だけ」が、クライアントになり得る、というビジネス・モデルであるし、自身の側も「力のある企業」でなければできない。

この「力」には、政治力もあるし、マスコミへの影響力という意味もある。

ところが、何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」であって、やり過ぎたら、世論誘導を担当するはずのマスコミが、まず社会からの信用をなくしてしまった。

今年のアメリカ大統領選挙の結果分析で、大勝した共和党支持者たちの圧倒的多数が、マスコミが発表する「支持率」やそれにまつわる候補者へのイメージ操作を信じておらず、反対に、大敗した民主党支持者たちの多数が、これらマスコミ報道を信じていることが判明したのである。

つまり、いわゆる「意識高い系」ほど、外部情報操作を信じる単純脳(むかしなら「単細胞」といった)であることがバレてしまった。

それで、マスコミ報道とは別の「X」に登録したら、さまざまな情報に触れることになって、マスコミからの呪縛が解けるひとと、自分で判断することが面倒くさいのでいよいよマスコミ情報に依存するひととに分化したのである。

ところが、「意識高い系」とは、他人の目を極端に気にする、いわば「日和った人物」のなれの果てなので、自分が単純脳だと他人にバレることを避けたいという、進化も何もないおなじ思考からの延長で、一気に「反・意識高い系」へと変貌している。

いまや、ニューヨークやカリフォルニア州でさえ、「民主党支持」をいうと、阿呆だとおもわれるかもしれないから、「隠れ民主党支持者」という、ついこないだまでの「隠れトランプ支持者」との逆転がおきている。

それもこれも、アメリカ人やらヨーロッパ人が基本的に学校で「統計」を習うことの影響(トレンドに敏感)なのである。

なので、上に書いた「トランプ現象」のようなことが、日本で起きないのは、やっぱり「自分のかんえではなくマスコミ報道に依存する」=「B層」の圧倒的多数(日本国民の約8割)が、まさに岩盤・鉄板化しているからだとかんがえることができる。

そして、その「B層」をターゲットに、今日も「世論創作調査=いかさま」が行われているのである。

しかして、「B層」はどのように形成されるのか?

わたしは、幼稚園・小学校からの「軍隊教育」だとかんがえている。
これは、明治政府がやった、分権的「藩」から「中央」への統一をテーマとした、同一化=兵卒化が、他人とのちがいを「いけないもの」として扱うことでの、「脱個性」が大成功している事実からの演繹である。

だから、「個性の重視」という意味なし用語が意味をなす。

「個性を無視」するための、ニュースピーク=二重基準用語こそがこれだ。
もう何年も前に、大手人材・広告企業からの依頼で、茨城県で実施の「就職セミナー講師」として講演したことがある。

このときの講師側から見えた光景こそが、「脱個性」のみごとなリクルート・スーツ群の異様さだった。

若い男女が、全く同じ服を着て、全く同じ姿で椅子に座っていながら、参加企業のブースで自己アピールするというイベントの意味不明が、じつに気持ち悪かったのである。
そうかと思えば、ホテルの採用面接に、金髪・ピアスどころか鼻に金属の輪を下げた人物まで複数やってきたことの「個性」とはなにか?

TPO(Time、 Place、Occasion)もわきまえないでやって来るのは、これはこれで世論操作の犠牲者なのであろう。

そんな今年は、元ジャニーズ事務所の大看板、「SMAP」のメンバーのひとりによるスキャンダルで暮れようとしている。

これは、上で指摘した、「世論創作調査」を長くやって来たテレビ局が、自らつくりだした視聴率の大低迷で起きた自身の影響力の減衰から、かつてなら漏れるはずのない情報が漏れだして「いかさま組織」だったことが世間に知れ渡ることによる現象だと理解できる。

しかして、問われるのはやっぱり「倫理」なのである。

このブログでは、2021年頭2022年頭に挙げたのだが、永遠のテーマになりそうだ。

今日は「晦日」の30日で、明日から旧暦の「師走:12月1日」がはじまる。
さては、新暦では明後日になる、来年の年頭にはなにを書こうかと思案中なのである。

危機感あふれる親からの相談

このところ複数の、またそれぞれにつながりのないひとたちから、まったくおなじ相談を受けている。

個人的な相談なので、べつに相談料をもらえることもないし、聴きようによればただの世間話にもなる。

ただし、掘り下げると、巨大な社会問題がみえてくる、解決困難な相談なのである。

それが、「子供の将来への不安」だ。

相談者によって「子供」といっても年齢に幅がある。
まだ幼児だったり、小中学生、あるいは高校生だったり、はたまた社会人になったばかりという具合なのだ。

共通の事情として、どちらさまも親として「現役の職業人」であるから、職場を通じての生活感とそれが子供世代にどうなるのか?という漠然とした不安だったものが、このところだんだんとハッキリ見えてきて、すっかり絶望的な「将来不安」になったために、他人への言葉にしての「相談」にまでなったようだ。

もちろん統計データでも、わが国の40歳までの死因のトップが自殺であることからもわかるし、自殺者の総数で世界トップレベルだという不名誉どころか不幸が数字にもある。

すなわち、わが国は世界一「不幸になる国」になっている。

これは一種の「設計された社会」として捉えれば、『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』で指摘されたことの意味が、ようやく身にしみてわかってきた、ということなのである。

このような状態から、いかにして抜けるのか?が、重大にして最優先されるべき問題解決のテーマなのである。
けれども、こした「問題の所在」を訴える政治家すらごく少数で、そのような政治家を支持する国民もごく少数だという当然の連鎖がある。

もちろん、こないだの衆議院議員総選挙で多数の議席を得た政党で、この問題提起をしたところも人物もおらず、少数政党が訴えてもこんどは「ブランド力」がないという状態なのである。

つまり、多数の国民は、問題意識もないという不思議があるのである。

たとえば、こんなに得票するという想定もしなかった(これを「マーケティング」の失敗という指摘もない)ので、比例票が他の政党に按分されてしまったのが国民民主党だ。
この政党は、何気に「所得の壁」を上げる政策を主張したことが、予想外に大受けしたのである。

そしてこれが選挙後に視聴率で苦しむワイドショーが話題をつくって、いつも通りの「エセ専門家」による、なんだか細かい議論をしている風情がある。
それでもって、過半数割れした与党との協議になったが、どんどん「骨抜き」にされて、わけわからん、という状態に陥ったのである。

国民民主の党首が不倫していたこととのグチャグチャも加味したようにみえるが、はなから「国家戦略的」な問題提起ではなく、「選挙対策」だったことのメッキが剥げたのである。

しかし、アメリカの大統領選挙では、トランプ氏が「所得税廃止」をとっくに公約にしていたのだ。
しかも、これは思いつきの「軽口」ではなくて、いつものように「裏付け」がある発言なのである

トランプ氏をディすることが、日本メディアのトレンドとして定着してきたが、「経営者」として成功し、ビジネスを通じて大富豪になった彼の言説に、唐突感はあっても、戦略的ではない、という話はほとんどないので注意がいる。

たとえば、グリーンランドとパナマ運河の件もしかり、なのである。

さてそれで、アメリカ合衆国に初めて「所得税」が導入されたのは、南北戦争の戦時中で、戦後、「憲法違反」が問われていったん廃止されている歴史がある。
「租庸調」から習う、日本人の税についての常識が、アメリカ合衆国という「人造国家」には適用されないことも、日本人はしっていていい。

つまり、合衆国憲法に従うことを明言しているトランプ氏の公約は、所得税が憲法違反だと主張しているのとおなじで、わが国の憲法に照らしても重大な疑義が生じることを、とにかく議論しないで些末な議論へのすりかえで隠し、そうやって日本国民を騙すのが政府のプロパガンダ機関となったマスコミならではの活動となって、徴税側の有利さを宣伝しているのだ。

だが、トランプ革命とは、ことほど左様に、あらゆる社会制度が見直しの対象になっておかしくないことを示し、アメリカだけでなく「民主」を標榜する各国民にも促しているのである。

そんな目で日本をみれば、たとえば、むかしは子供を連れて飲酒のための「居酒屋」に入店するものなどいなかったが、いまでは「子供連れ歓迎」となっていて、未就学児童からなにからが席に座って酔っ払いを眺めている。

戦後であっても、まだ日本人が荒っぽかった時代、酒を飲ませる店に子供を連れて行かなかったのは、どんな因縁をつけられるかわからなかったからである。
だがしかし、すっかり「腑抜け」に改造されて、トラブルに巻きこまれることはなくなった。

これは、果たして「いいことなのか?」とあえて問いたい。

こうしたむかしの日本人の最後の姿を、野坂昭如と大島渚がみせてくれている。
日本人にとって、「殴る」、「殴られる」という行為は、日常であったのである。

それで、いまでは居酒屋でも、食事に飽きた子供は、ひとりひとりに与えられた端末を片手に、それぞれが好みのゲームに興じている。
もはや「家族の団らん」さえも遠い過去の記憶になった。

この子たちは、成人してどんな目に遭うのだろうと想像したら、気の毒でならないけれど、そのために「家庭をつくる」こともないのだろう。
むかしの女の子は、将来何になりたいかを聞けば、たいがいが「お嫁さん」といったものだが、おそらくいまのジェンダー教育ではありえない回答にちがいない。

それで、「少子化対策」と称して兆円単位の予算を組む与党は、「少子化を推進」させて、「移民」という名の「奴隷貿易」をはじめ、韓国やら香港やらでは多数の日本人女性が「売春(新からゆきさん)」で逮捕される時代になったのである。

学校教育はとっくに崩壊していて、なにを学んで将来の収入源とするのかさえも、過去からの延長線では間に合わないだろうから、いっそのこと、早い時期から職人を目指した方がよほど充実した人生を送れるのではないか?

それには、社会にどれほどの種類の職人がいるのか?をしらねばならぬが、足りないとずっといっている職人側が情報を提供していないのも不思議なのである。

いまどき、じぶんで作った物の値段を自分で決められるとはえらく貴重なのである。

実家が伝統工芸士だという相談者は、このことを意識していなかった。
ただあまり売れていないぼやきを聞いて育ったことが「仇」となっているようだ。
売りかたも含めた工夫もあっていいことを話したら、国内需要だけの目線なのに驚いたのはこちらである。

ざっと50年後を見据えたら、今までのままでいまの子供世代が、いまの水準で暮らせることはないと断言できる。

ならば、どこの部分にある「今まで」を変えるのか?

おそらく、社会設計を政府がする、という政府の役目を変えることだろう。

ウクライナの敗戦は日本人の敗戦

御用納めも終わって、9日間の「長期」正月休暇に突入したひとたちもおおいことだろう。

日本の「寝正月」という文化のおかげで、さまざまな活動が一旦止まるのが、リセットの意味を込めた「元旦(元日の「旦」は日の出の意味)」の清めの気分である。
その精神的・物質的「清め」に、前日までの大掃除の風習と「初詣」の風習がセットで残っている。

ために、商店といえども「休業」するのは、商家としての清めのためのことだったし、奉公人を実家に帰す、「藪入り」(盆と正月に暇が与えられた)なのである。
それで、女将さんがボーナス代わりに丁稚に持たせたのが、日持ちする甘い羊羹だったから、大阪で奉公した福井のひとは、これを鍋で「伸ばして」水羊羹にして食べた風習も残っている。

そんなこんなで、社会が「停止」する日本人の感覚とはちがって、世界は「クリスマス(冬至の祭り)」を重視するから、日本人には意外にも止まる時期がズレるのである。
もちろん、新暦のいま、旧暦だとちょうど一ヶ月のズレがあるので来月が「師走」にあたるから、「旧正月」がいつも通り2月初めになるのである。

なので、ウクライナを巡って、様々な動きがでてきたのも、クリスマス休暇の前後という意味と、トランプ政権2.0が発足する前までに、戦争の拡大をしたい戦争屋たちの思惑が見え透いているのである。

第一に、狂った民主党バイデン政権とその配下にあるNATOは、いまさらロシア国内へのミサイル攻撃を認め、報復としてプーチンが核弾頭なしと事前通告してから、極超音速ミサイルでウクライナ国内の砲弾工場を地下100mまでの深度で爆撃・破壊して見せつけ、アメリカとNATOを震撼させた。

すると、進攻当初にヌーランドも連邦議会で認めた、ウクライナに20カ所以上もアメリカがつくった「生物化学研究所」でなにをやっていたのか?を暴いていた、ロシア軍少将をモスクワの自宅入り口で爆殺するというテロも実行した。

しかしながら、大局での「戦況」にこれらは関係なく、一方的なロシア軍の攻勢が続き、事実上、ウクライナ軍は崩壊の危機にあるといころまでやってきた。
南部戦線ではロシア軍が、あと少しで黒海の大港湾都市オデーサまで到達する。

もしも、ウクライナがこの都市を失えば、内陸部に封じ込められた農業国として生きるしかなくなる。
だが、一方、黒海の出口はボスポラス海峡だけなので、ここをNATO加盟のトルコが押さえている。

ちなみに、ヨーロッパ中央を横断する大河「ドナウ川」は黒海に河口があるが、なんと近年では「寒冷化」で、この大河が冬季に氷結する事態になって流通の大問題が発生している。

いよいよゼレンスキー氏も、到底戦闘による勝ち目がないことを認め、「交渉」による停戦を目指すとしたが、この元コメディ俳優は、国内法で「ロシアとの停戦交渉禁止」を決議したことを忘れたのか?

順番として、彼はこの法を無効にさせないと、彼自身が「無法者」になるのである。

ところで、「戦争には目的がある」と以前書いた。

ロシアが一方的にウクライナに攻め入ったとことが、「悪」だとして日本人のおおくも洗脳されているが、ロシア側の「特別軍事作戦」にも、ちゃんと目的がある。

1.ウクライナによるロシア系住民の殺戮阻止と東部独立
2.ウクライナの「ナチス政権打倒」
3.ウクライナ国内の「生物化学兵器研究所」の破壊あるいは、危険物質の安全な廃棄

もちろん、この目的達成を「停戦交渉」では、勝者であるロシアは譲りそうもない。

しかし、問題なのは、「復興」に関する、EUと日本の役割なのだ。
おそらく、「肉食の思想」によって、白人国家は日本にそのほとんどの負担を強いるはずだ。
「自・公」政権の岸田時代から、わが国は、ウクライナ支援にのめり込んだが、それは、勝ち馬に乗るという「肉食の思想」からかけ離れた、政治判断(経済政策)であった。

つまり、単純に国民にとっては、「ATM」にされたのだが、経団連に加盟する企業群は、事実上の巨大な「無償援助」に群がることになる。
なんと、日本企業の業績改善の根拠が、日本国民が負担するこの巨大プロジェクトのことなのだ。

つまり、「戦後」にすぐ、日本企業はウクライナ支店を設立することになる。

しかしながら、欧米企業は、さらにウクライナの資源を奪うことに専念するだろう。
ただし、ゼレンスキー政権が続くとは思えないので、「皮算用」になるのでは?と思う。
なぜなら、その手法を、ソ連崩壊でやられたプーチン氏は熟知しているからである。

そんなわけで、ウクライナの敗戦が決まってしまえば、日本では「ウクライナ支援増税」もあるかもしれない。
いまだに、ロシア軍の劣勢を言い続けている愚か者は、デジタル・タトゥーによって、将来もずっと「愚か者の消印」が残ることをリスクとしない愚か者なのである。

ようは、ウクライナの敗戦とは、日本政府ではなくて、日本人の敗戦だからである。

これを、とにかく「増税」しかしない、「自・公・立憲」政権というわかりやすさで、やっと日本国民も気づくかもしれない可能性がでてきた。

そのことの行き詰まりのひとつが、新しく開発した注射の実施者が予定の2%しかないことでの「赤字」で、原口一博・元総務大臣が老舗のお菓子屋(チョコレートで有名)さんから「暴言の名誉毀損」訴えられるという、八つ当たりという状況ができたのである。

幸か不幸か、日本の裁判は時間がかかるので、単純にトランプ政権2.0がはじまるし、RFK.Jrが上院の承認を得れば、日本にも飛び火すること確実である。
そのために、アメリカでは「軍産複合体+製薬会社」が、最大のロビー活動をもって、RFK.Jrの否認活動をやっている。

当然ながら、トランプ氏は、これらの活動を阻止するためのディールを業界人と直談判しているのであるし、いまやトランプ邸に居候して「司令塔化」しているのが、世界最大の富豪、イーロン・マスク氏だ。

日本好きのイーロン・マスク氏は、日本政府ではなくて「日本人向け」にメッセージを送ってきていることが、日本人のいまのところ最後の希望となったのも、自己覚醒できない「黒船」として、まずは受け入れるしかないのが来年の決まりごとになったのである。

グリーンランドとパナマ運河

例によって、トランプ氏の発言が「切り取られ」て、そこだけを「暴論」として報じるばかりなので、世の中のことがわからなくなるように仕向けられている。

似たことは、「盟友」のプーチン氏にも適用されて、シリアのアサド政権を支援してきたロシアの「敗北」を、そのままウクライナでの「敗北」と重ねて、生放送中にアメリカ人の記者が質問したら、至極冷静な返答に大恥をかくことになったから視聴していたロシア人やらウクライナ人、あるいはモルドバ人にも却って「誰が敵かの真実」を伝えることとなった。

それもこれも、こうした「(左翼)偏向記者」をモスクワで自由になんの妨害もせず取材活動させて、あえて「飼っている」ことの余裕を他国の読者や視聴者に発信させるのは、あたかも「仏の掌」のうえでうごめくのと同じ次元のちがいがある。

これを「屁理屈」と解釈するのは勝手であるが、プーチン氏がなぜにシリアを支援したのか?の最も優先されるべき目的が、及川幸久氏の「正教会の聖地」という指摘があったからである。

キリスト教が、「宗教」として完成するのは、啓典としての『新訳聖書』が重要な役割を果たしていることは当然だろう。
もしも、『(旧約)聖書』だけがあって、教会での説教をもってキリスト教を拡大し、世界宗教となることはできなかったにちがいない。

しかも、キリスト教最大の弱点は、「イエス・キリストの実在が不明」という点にある。

ただし、「使徒」筆頭のパウロについては、実在が確認されている。
彼は、役人としてキリスト教を禁止するためにダマスカスへ向かう途中、「光に当たって盲目となり、そこで復活したイエスの奇跡によって治癒する」ことで、信者になるのである。

この話から、ダマスカスは、「聖地」なのだ。

地政学による戦略としての話を超えた、宗教的な理由を掲げたことは、キリスト教が薄まったヨーロッパ人やアメリカ人には意外だったにちがいないし、いまや「無宗教=共産化」の日本人には、価値体系にはない話を信じることもないだろう。

一方で、まだ大統領に就任していないトランプ氏の「唐突な」、デンマーク領グリーンランドとパナマ運河を取得するという発言に、「エゴむき出し」という宣伝がおこなわれて、その真意を伝えないいつもの努力がされている。
これも、及川幸久氏ハラノタイムズさんが冷静に解説してくれている。

何度も書くが、メルカトル図法の刷りこみに注意しないといけない。

これをPC上で自動的に縮尺修正してくれるサイトがある。
基準としたい地名をテキストボックスに入れて、認識されたあとはその部分をドラッグするだけでよい。

これで、「Greenland」を入力・選択して、たとえばアメリカ合衆国と重ね合わせたら、3分の1ほどの面積だとわかる。

加えて、地球儀をみればわかるとおり、北米大陸は、北極海を隔ててロシアと「隣国」の関係にある。
その北極海の入口に、グリーンランドがあるし、マスコミはグリーンランドに米軍基地があることをいわないし、この島への中国の関与が高まっていることも一切いわない。

なぜに、この世界最大の島に米軍基地があるかといえば、デンマーク本国がナチス・ドイツに占領されたとき(1940年)に、一時、アメリカの「保護領」になった経緯があるからだ。
それゆえもあって戦後、グリーンランドは、デンマーク領とはいえ、「自治領」という本国と対等な政府をもつ位置づけになっている。

そして、いま、このグリーンランド自治政府は、EUらしく左派が仕切っているのである。

これに、プーチン氏が掲げている「北極航路開発」がからむ。
地球温暖化を歓迎しているロシアは、氷なき北極海の航路を開発することで、大西洋・太平洋航路からの物流を大胆に変えようと企図しているし、場合によっては、「巨大潜水コンテナ貨物船」の建造も念頭にあることはとっくに発表済みなのだ。

軍事用の潜水艦とちがって、また、海表面が凍結するだけの北極航路用潜水貨物船は、大陸氷河を元にする巨大氷山がある南極海とは別に、数十メートルだけの潜水能力でよいから実現性が高いのだ。

これは、日本にもおなじことがいえて、過去には北極海経由でフィンランドに陸揚げし、新幹線規格の貨物線によってバルト海まで輸送するプランもあったし、シベリア鉄道の高速化も兆円単位のプロジェクトとして発表されたことだってあったのである。
さらに、ロシア産の原油と天然ガスを積み出して日本へ輸送するのも、北極海航路は利便性が高いし、9割の中東原油依存からの脱却もできるメリットはおおきい。

つまり、トランプ氏とプーチン氏は、地球儀で北極からの地図をみて発想しているのだ。

パナマ運河は、かつてアメリカが建設(開通は1914年)して、運用もしていたが、カーター政権時代にパナマへ移管が決まり1999年の大晦日をもって完全にパナマ領にされた経緯がある。
ただし、この返還条約には米国らしくしたたかに「条件」があって、それが「米国の利益の確保義務」だし、それができなければ「再返還の当然」がついている。

トランプ氏の発言は、「通行料の高額」を理由としているが、この条約をいっている。
また、ロイターは、「中国はパナマ運河に直接的な影響を及ぼすことはないが、香港系企業CKハチソン・ホールディングスがパナマ運河地域に投資している」と報じていることに注意がいる。

あたかも、パナマのスリランカ化(南部の「ハンバントタ港」の99年間リース)を指摘したとみられるからだ。
この運河を通行する船舶の数を想像すればわかるとおり、「待機」のための港湾が周辺にあって、5カ所の内2カ所あるいは3カ所がもう実質中国管理の港湾になっている。

これを、「アメリカファースト」を基本とするトランプ政権2.0が、「国家安全保障上の脅威」というのは、けっして大袈裟ではない。
ましてや、アメリカの東・西海岸を結ぶ物流の要が、パナマ運河であることはだれにだってわかることだから、大日本帝国海軍もパナマ運河爆撃作戦を練っていた。

いまも、むかしも、将来も、物流の中心に「海運」がある。

トランプ氏の一方的な発言は、「ディール」にするための主導権を得るためだとおもわれる。
たとえ「米帝的」と批判されようが、どんな決着を意図しているのか?
戦争嫌いでしられるトランプ氏だから、目が覚めた相手方は、しきりに情報収集することだけは確実なのである。

つまるところ、グリーンランドも、パナマ運河も、地理的には隔絶があるものの、そこに「中国の影響」というキーワードをはめ込むと、みごとに共通の問題がみえてくる。
そして、上院で承認されれば、日本大使には現職と180度ことなる、「反中の権化」が就任するというトランプ政権2.0の「一貫性」があるのに、日本政府はムダな抵抗をしているのだ。

来年は、プーチン・トランプの「同盟」で、世界的に革命的な変化が到来する。
そのたったひとつの政権就任前の事例ですら、「これ」なのである。

不味くて評判の悪い店チューバー

世に美味くて評判のよい店を紹介するユーチューバーは数多くいるが、その逆は珍しい。
これはこれで、ひとつの「専門性」というブランド分野になる。

その名は「びわ湖くん」で、現在のチャンネル登録者数は49万人だ。

はたして「アンチ・グルメ」なのか?といえば、本人はそんなことではないとおもう。
興味本位の野次馬根性が結晶化したのだとおもう。

つまるところ、観る方にこそ、興味本位の野次馬根性が結晶化しているのである。

もはや日本文化にまでなった、GHQがやったWGIP(War Guilt Information Program:「戦争責任(ウォー・ギルト)広報(インフォメーション)計画(プログラム))から派生した、「3S政策:screen(映像鑑賞)、sport(観戦)、sex(性欲・食欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする政策」の効果は、見事な愚民国家にすることに成功した。

ちなみに、『ウィキペディア』に「3S政策」は、陰謀論と定義されているようだが、イーロン・マスク氏は25日の「X」で、ここへの寄付は待ってほしいとの投稿をしている。
彼の「言論統制からの開放」実施がされるまで、という意味である。

こうしてみると、『YouTube』も、しっかり「3S政策」と関連するのは、当然といえば当然なのである。

すると、「びわ湖くん」も、外れ値に近いものの、「3S政策」の部類に自動的に入っている、ともいえる。
もちろん、本人にそんな意識があるかないかは関係ない。

それが、「プラットフォーム」の基礎・基盤だからだ。

しかしながら、「不味くて評判の悪い店」というジャンルが、上に書いたように「外れ値に近い」というのは、視聴するものの関心を、「なぜ?」、「どうして?」という、「3S政策」にあってはならない素朴な疑問に導くからである。

疑問こそヒトを発展させた源泉なのである。

いまどき、こんな不味いものを商売として提供して、どうして存在できるのか?
たとえば、グルメ紹介サイトで「1ポイント台」という惨状なのに、なぜこれを放置しているのか?、なぜなんらかの対策をとらないのか?とか、すぐさま浮かぶ疑問の数々が妙に、みうらじゅん『やりにげ』のデカダンを彷彿とさせる。

わたしは、一連のみうらじゅん氏の作品群こそ、後世に残る、現代の『徒然草』だとかんがえている。

ここでいう「後世」の時間的なイメージは、「人類史」のレンジであると註をいれたい。

それは、国立科学博物館長の篠田謙一『人類の起源』における、時間レンジをいいたいからだ。
最低でも、向こう数千年にわたる子孫に参考となる、20世紀から21世紀における「日本文化」についての観察があるのだ。

むろん、人類の起源がここ数年で判明してきた背景に、「ゲノム解析」技術の劇的な発展がある。
ヒトゲノムが全部判明したことで、「ホモ・サピエンス」とは何者かがわかってきた。

これが、文明史からなにからを急速かつ一斉に書き換えている。

そして、ホモ・サピエンスの「OS:オペレーションシステム:発想パターン」が、万年単位で変化していないことに議論が行き着いてきたのである。

つまり、「新人類」とは、この「OS」が新しいヒトのこととなり、もしや、いまがその「分岐点」なのかもしれず、今後数千年とかのレンジで共存するかもしれない。

近い将来は、歯・骨そのものが発見されなくとも、周辺の土やらからの成分分析でゲノムを解析できるようになるという。
ために、世界中のあらゆる場所で発掘が行われていて、「空白の時間」を埋める作業がこれまた大層な資金を投下して実施されている。

しからば、『徒然草』と『やりにげ』の間に、いったいいかなる変化が日本文化上で起きたのか?という問題提議となるのは必定で、それがたかだか80年ほど続いた「WGIP」の効果だと分析されるのか?それとも、たとえば江戸時代の元禄期からのことなのか?などを含めつつも、「文明開化」かもしれぬという議論があっていいのである。

そして、21世紀初頭の四半期に、「びわ湖くん」が現出して、デジタル動画によるレポートによる、『やりにげ』の補強活動があるのである。

いまの日本人の寿命が、100年後にどうなっているのか?はわからないけれど、ざっと80年だとすれば、すでに誕生した現在の乳幼児の多数は、22世紀まで存命する。
それこそ、こうした「記録」を、どのような感覚で視聴するのか?

はたまた、新人類が現出し、彼らとの共存は実際にあるのか?

未来に行って聞いてみたい。

蛍光灯を買いだめする日

24日、邪悪な日本政府は、蛍光灯の製造と輸出入の「禁止」を政令の改正でおこなう閣議決定をした。
効果がないとして、どうするか?が問題になっている、「レジ袋有料化」は、関係省庁の「省令改正」によって行われた暴挙であったが、これを上書きする暴挙である。

ようは、国会を無視し、選挙で選ばれない「官僚」による強制をともなう国家運営体制、すなわち、EU(委員会)の原モデルであることを示すし、こうした「憲法違反」をもっとも嫌うのがトランプ政権2.0である。

また、バイデン政権が、実質的に官僚支配で、大統領自身ほとんど政策決定に関与していなかったことも、50人ほどの証言ですでに明らかになっている。
つまり、わが国は、まったくアメリカ民主党のやり方をコピーしているのである。

さてそれでこの暴挙は、水俣病の原因となった「有機水銀」を目の敵とした「風の」理由付けだが、水俣病が疑われ出したのは昭和27年(1952年)頃からのことで、政府が認めたのは20年後と、ずっと後のことであった。

なんにせよ、70年以上前の「公害」を原因とする病気をもって、蛍光灯が目の敵にされることになによりも違和感がある。
被害者のことを思うと、こんなことでまた利用しようとすることに悪意しか感じないのである。

ところで、パナソニックのHPには、「水俣病の原因である有機水銀は、蛍光ランプには含まれておりません。」とある。
だが、おそらく経済活動を邪魔する経産省からの強制で、このたびの「政令」には従順に従う姿勢をみせているのは、「奴隷」だからか?

どうして、業界は政府を相手に「訴訟」しないのか?とおもうが、とっくにわが国の司法は、「政府の武器化」が完成しているので、行政訴訟で勝てないという慣例ができてしまった。
このことが、「官僚国家」であることの証左なのである。

これは、刑事事件でも、検察が起訴したら99.25%(令和4年実績)という高率とおなじで、わが国は裁判所が裁くのではなくて、行政官たる検察官が起訴するか起訴猶予にするか、それとも不起訴にするかを決定し、裁判の前のレベルで決定する恐ろしい国なのである。

これはまた、警察官による逮捕でさえ、個人の履歴に「逮捕歴」がつくことの社会的不利が否めない国民性を利用した、「統治方法」でもある。

もちろん、わが国の報道機関も、政府のプロパガンダ機関でしかないから、「水俣病の原因となった水銀」と書くだけで、肝心の「有機水銀」とは書かない。
これを、熊本県の水俣市がある「熊本日日新聞」でさえもそうだから、まことに残念なはなしなのである。

日本政府がいう根拠は、「水銀に関する水俣条約:the Minamata Convention on Mercury」であるが、この条約自体、日本政府が主導し、国連に寄託されたマッチポンプなのである。
なんだか、「京都議定書」と一緒で、「国連第一主義」のグローバリズム思想が根本にあるとしかみえない。

だが、上述のごとく、メーカーは「有機水銀」はつかっていないと宣言しているのだから、これも「エセ化学」だし、「ボタン電池」を指すのも、いまやおおくのボタン電池が「水銀不使用」と表記しているので、これらも対象にみせかけるのは過剰反応ではなくて、悪意ある「詐欺」なのである。

照明器具は、特殊用途から一般家庭用まで幅広いジャンルがある。

これらのポイントは、「波長」である。
光は電磁波のうち、ふつう「可視光」という波長のなかにある部分を用いている。
もっとも太陽光に近い波長は、もっともヒトの目に優しいのは、昼間の状態を基準にしているからである。

これが実現できていたのに、まっ先になくなったのが「白熱電球」だった。

子供の勉強用のデスク照明に一番よかったものが、まっさきに抹消の対象になったことに、教育関係者も無言だったのはどういうことか?とおもう。
春先の家具売り場や家電量販店で、子供の目が痛む照明器具を、喜々として購入するおとなをみるにつけ、貧乏だった時代の安価な白熱電球スタンドがなつかしい。

その次が、蛍光灯なのだ。
ただし、太陽光の波長に近い蛍光灯は、もう入手できない

それで、「昼白色」のものが、これに替わっている。
似た表示の「昼光色」では、明るすぎて目が疲れてしまう。
また、暖色の「電球色」は、ゆっくりとくつろぐ居間に向いている。

邪悪な政府が国民に強制する、LEDは、電力消費量は少ないが、値段からわかるとおり、高価なのはその構造が複雑だからである。

なにをもって「エコ(エコロジーなのか?エコノミーなのか?不明の魔語)」なのか?をかんがえると、あたかも「EV」や「水素自動車」のように、「走っているときだけ」をもって、環境にやさしい、という詐欺とおなじなのだ。

光っているときだけ、「エコ」だと。

やっと「EV詐欺」に気づいたヨーロッパ人たちが、内燃機関の自動車に回帰しだし、選挙で勝てないことをしった政治家も、これに日和って、とうとうEVに未来はなくなった。
それで、経産省に脅かされて思い切りEVにシフトした日産とホンダが、これまた経産省の役人に「経営統合」までやらされるのに、どうして株主が反発しないのか?

何度も書くがLEDは、「波長」が、もっともヒトの目に厳しい「紫外線」に近いので、自然と目が疲れるのである。

暖色系やらといろいろあるように見えるが、「蛍光灯と同じ」で管球の内側に塗布した発光体(蛍光体)で色合いを調製しているだけだから、大元の紫外線に近い波長を変えているのではないから、これさえ詐欺的なのだ。

ネット空間では、「眼科」と「目薬」が儲かるように仕向けている、と投稿するひとがいる。
これは大袈裟ではなくもっともなことなのである。

やっかいなのが、照明器具を交換しないといけないか、蛍光灯用の「安定器」の機能を停止させるバイパス配線(工事:改造)をしないといけないことにある。
これまでの蛍光灯用器具にそのまま使えるという、LEDも販売されているが、これは器具にある安定器も作動したママなので、消費電力が省力化するものではない。

つまり、LEDに表示されているわずかなワット数は正しくとも、器具自体にある安定器が余分な電気を食うのである。

そもそも安定器があるのは、蛍光灯が「放電」による原理で光るために、その放電状態を安定させるための器具が必要だからだ。
もちろん、LEDは、放電ではないので安定器を必要とはしない。

そんなわけで、政府の必要以上に説明しない不親切は、「電気工事士」の仕事も作り出す、ということになるが、それよりも一般人に情報提供しないでただ「禁止」することの意地悪までついているのである。

器具の配線を変えるなどと、そんな面倒はしないで、照明器具ごと交換すればふるい照明器具が粗大ゴミで大量に出てくるから、これまた産廃の社会問題になるのだろう。

なんにせよ、法律による「禁止」ではなく、閣議決定で良しとする安易さこそに、国民の敵たる現在の日本政府の本質が見えてくるばかりなのである。

それもこれも、「環境詐欺」を高らかにとなえるトランプ政権2.0が始動する前に、滑り込みをやるバイデン政権の子会社としての面目躍如たるものがあるといえるのである。

とにかく、国民負担をあらゆる理由で増やし、貧乏にしたい。

だったら、蛍光灯を買いだめしておくか?と、これまた余計な面倒を強いられることで、次の選挙はみておれとなるのかどうか?

やっぱり官僚にナメきられた国民の「知性」が問われるのだが、従順すぎる家畜たちが多数になっているので、また暗い気分になるのであった。

『ナチス叢書』を読む

昭和15年(1937年)に海軍大将・末次信正(前職は「連合艦隊司令長官」)によって記され、陸軍中将大島浩によって責任編集された叢書が85年ぶりの2022年に『日本とナチス獨逸』として復刻した。

冒頭、大島による刊行の言葉には、いきなり意外なことが綴られている。

「支那事変を契機とする皇道世界維新の発展は、これに呼応する第二次大戦により、欧州全土を独伊枢軸ブロックと化し、この世界史的転換は、まさに、英米民主主義共同戦線を結成せしめ、インド、南洋、豪州、カナダ等全面にわたる対日封鎖陣を形成せしめんとする。」とある。

つまり、この陸軍中将は、わが国から対日封鎖陣をつくらせた、というのである。

このことは、「札幌学派」を名乗る、ユーチューバーの発見、「ハルノート」は日本側で書かせたという主張と重なる。

つまり、開戦の主導権は、日独伊の枢軸側にあった、と主張しているのだ。

そして、ナチス・ドイツのこの時点における「勝利」の原因を、下記のように解説している。

「まさに新興ドイツは、我が日本の国体を研究し、日本精神を体得して、荒廃せんとする旧欧州に、新しき世界を建設せんとする。」と。
これは、シュペングラーの『西洋の没落』を意識したことからとおもわれる。

すなわち、本書の目的は、ナチスを知ることすなわち日本を知ることとし、現下(当時)におけるわが国がなすべきことに、「明解なる解答を与えんとするものである。」としているのである。

これは、いま、その後の歴史をしっているわれわれが読むことでの「明解なる解答」とは意味が異なるが、はたしてわれわれがいましっている「歴史」が本当なのか?どうなのか?は、いろいろと吟味する価値がでてきているのも、また現代の事実であろう。

さて本文に入ってからの当時の現状認識における「支那事変」の構造が、今のウクライナとよく似ており、わが国の立場がロシアで、ウクライナとこれを支援する国家群との関係が、蒋介石の南京政府と英米となっていることは、あんがいと重要なのである。
しかも、日本の傀儡だと習う、汪兆銘政権すら末次は信用せず、「向こう側」としている。

かんたんにいえば、当該国の立ち位置をかえたり、かえなかったり(英米)はするが、壮大なワンパターンなのである。

それに、当時は独伊によって「欧州戦」も始まっていたが、これは今ではイスラエルによる中東を舞台にして「開戦」している状態なので、主役こそ異なれどそっくりなのである。

また、手すき状態で日本(東アジア)と対峙できる状況にあったのは、当時のアメリカであったが、今は英国と日本がアメリカ(トランプ政権2.0)に対峙することになっていて、ついぞこの15日に英国がTPPに正規加盟したことにも注意したい。

つまり、似たパターンで登場人物を換えた東アジアにおける「仕込み」はじまっていないか?

こうした「そっくり」な状況に、対応が異なるのはロシアであって、当時の大失敗した日本の二の舞を踏まぬように用心深く、かつ、これにトランプ2.0が加わって、以上のワンパターンを壊そうとしているのである。

それに当時は、旧秩序と新秩序の決戦という見方であった。

旧秩序とは、自由経済体制の行き詰まりによる西欧社会の没落のことで、新秩序とは、全体主義による新し理想社会の建設であった。
なんと今は、グローバル全体主義の旧秩序(西側)と、自由経済体制の新秩序(ロシア+トランプ政権2.0)という逆転の構図なのである。

これを著者の末次大将は、支那事変は誰が敵なのか?と問うて、蒋介石でなくその背後にいるものだというのは、いまのウクライナの背後は誰か?という意味となって、ついにそこに日本が入っていることの、戦後日本人の歴史観のなさ(無反省)が嘆かわしいのである。

しかして、海軍大学校を主席で卒業し軍令部作戦部長、第一次近衛内閣で内務大臣をつとめ、東條と首班を争い最後は大政翼賛会議長にまでなった末次ではあったが、戦局が厳しくなると、軍令部総長への復帰も画策されたようだ。
本人は昭和19年に急病で没(64歳)し、その後の「敗戦」をみることはなかった。

かくも秀才かつ各重職を歴任した人物の、世界大局の「読みの甘さ」を指摘するのは、いまだから簡単だが、その「誇大妄想」は、もしや陸軍の石原莞爾を意識したものか?

ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党: Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)やファシスト党を、日本が利用する、という発想が、都合のよい誇大妄想なのである。
だから、海軍軍令部長まで経験している末次をして、全ヨーロッパが独伊に征服され、英国はカナダに亡命政権をつくる、とまで確信していたのだろう。

キーとなるのはソ連の動向であって、ナチスやファシスト党の全体主義と、ソ連との「親和性」から、ソ連が英米と連携するはずがないと結論付けたことが、根本的な間違いであった。
これらの「近親憎悪」に気づかなかったことが、痛恨なのだし、ソ連革命をなしたのが、アメリカのウォール街とつながる大富豪たちが提供した資金であったことも知らなかったのか?

ところで、来年2月の総選挙が決まったドイツでは、シュルツ首相による「お別れ演説」があった。
この締めくくりが、「ウクライナに栄光あれ」であったことが、話題になっている。

なんと、このひと言で、シュルツ氏は告訴されたからだ。

なぜならば、ウクライナ民族者組織のスローガンだからで、この組織は過去にナチスに協力し、戦争犯罪に関与したことでしられているからである。

そんなわけで、末次でなくて、むしろ戦後の日本人は、ナチスやファシスト党についての知識が薄い。
ただ「悪い奴ら」では済まない問題があるのは、その被害がまだ現実にあるからで、そのことも戦後日本人は意識もしないからである。

つまり、逆に利用されやすいのだ。

こうして、1939年(昭和14年)に、「欧州情勢は複雑怪奇」だといって総辞職した、平沼騏一郎内閣があったことも、なんだか昨今の安倍内閣以来の「怪奇」をおもうと、歴史は繰り返しているとしかおもえないのである。