宵宮の出店屋台のマンネリ

夏祭りや縁日、当然に秋の大祭でも賑わうのは屋台目当てのひとたちによる混雑が原因といえる。

肯定的ないいかたをすれば、これら屋台のマンネリが「昔ながらの懐かしさ」を全世代にもたらすことでの一体感ある人生経験を提供している、といえるし、これが日本の祭りなのだと、外国にはない文化的価値だともいえないでもない。

本来の祭りの主役たる神輿の担ぎ手がいないので、とうとう「よそ者」を募集したり雇ったりするようになって、「わっしょい」のはずの掛け声が「そいや」に変化し、いまでは「そいや」の方が聞きなれてきた。

たまに「わっしょい」を聞くと嬉しくなるのはわたしだけか?

ことしは、とある街の祭りで「よいしょ」が聞こえて驚いた。
そのうち「えっさほっさ」になって御神輿担ぎが籠かきになるのるのでは?ないかと心配する。

そういえば、時代劇が廃れて久しいから、現役世代で本格的時代劇を観て育った経験者はいないだろうから、こんなところに世代間のちがいが現れる。
むろん、外国人の担ぎ手には想像もつかない話題だろう。

わが家の氏神(うじがみ)が正式にはどの神社にあたるのか判然としないが、たまたま100年近く住んでいる土地の鎮守を氏神としているのである。

これは、人工的に開発された江戸よりもずっと新しい国策としての開港場・横浜の隠れた問題で、森林太郎鴎外が作詞した『横浜市歌』(1909年:明治42年)のなかに、はっきりと記録されている。

むかし思えば とま屋の煙
ちらりほらりと立てりしところ

ようは、開港前の横浜村は閑散とした漁村であって、砂州に数十軒の家が点在していた寒村(ほぼいまの「本町通り」で、JR横浜駅側とは陸地でつながっていなかった)だったのである。

それが、開港からわずか30年で人口約12万人になっている。

つまり、どこの馬の骨かわからないひとたちによる「移住・転居者のエリア」が横浜の本質なので、全国にある「藩」に住まう「昔ながら」のひとたちからしたら、ありえなほど「地縁」も「しきたり」もない。

ペストの大流行が波状的に起きて、人口の三分の一しか生存できなかったヨーロッパでは、街や村が全滅する事態もまれではなく、流れ者が勝手に居抜きで住みついたために、その素性を隠す最大の方法がキリスト教信仰に熱心になって(振りをして)むかしからのコミュニティが残っているとそれぞれの街や村で偽装して演じることが重要だった。

後ろ指を指されないための本気の偽装である。

それで、ヨーロッパ中、何処へ行ってもおなじように教会と広場を中心にした街づくりと、おなじような祭りが行われたのである。

この社会状況に乗じたのがローマ教会だった。

これに横浜もにていて、あたかも古代から続いてきたような風情を出しているが、それはまた、江戸の先行事例に学んだのだろう。
ゆえに、親子三代が横浜生まれでないと「ハマッ子」とはいわない、などというあり得ない定義をひっさげていた時代があった。

開港場として、外国公使からの強い要望が、幕府に近いオランダ公使からの進言で「横浜遊郭」が建った(その跡地が「横浜スタジアム」のある「横浜公園」である)が、肝心の運営方法の指導は江戸吉原の「三浦屋」だったというのも、江戸がが先行事例の具体例である。

外国船員たちのエネルギー発散の場が、いまでは地元市民のエネルギー発散の場となっている共通がある。

こうやってかんがえると、テキ屋=香具師(やし)については、1872年(明治5年)に、「香具師」を名乗ってはならない布告がでて、それからなぜか「的屋(テキ屋)」と呼ぶようになった。

一説には、そのときに当たる(売れる)ものを仕入れて売る的確さから由来するとか、香具師を、「宿街(宿や街)」をの「宿(やど)」をヒックリかえして「ドヤ街」のようにいったとおなじで、「やーてき」いったという説もあるらしい。

前者だと、『男はつらいよ』の「フーテンの寅さん」そのままである。

すると、いまの夜店に寅さんのような口上をもって、ときどきに売れそうなものを売る、という光景は絶えていることに気づく。
むろん、寅さんが扱うのは怪しげな商品ばかりではあるけれど、はるかに貧乏だった当時にして、これを求めたひとがいたのは、口上のお楽しみ料を払う精神的余裕のたまものか?

生活の余裕という意味では、70年代に大流行した「高級オーディオ」も、自宅でゆっくりウィスキーでも舐めながらレコード音楽を聴く時間があったことの裏返しなのである。
その意味で、日本人は「ウサギ小屋」に住んでいたのとはちがうし、いまやわが国の住宅事情はヨーロッパ庶民よりずっと高いレベルにある。

しかして、屋台のマンネリは、いったいどこからくるものか?

全国、だいたいおなじ種類の屋台ばかりなのである。
これはこれで、組織が寡占化しているからなのか?

それでも、生ビールの屋台があるのは日本的で、昼の路上や公園でビールを飲みながら歩ける国は、すくなくとも欧・米ではありえなくなっている。

なるほど、これはこれで、「国際観光資源」になっているのである。

道端で外国人たちがたむろして嬉しそうに一杯やってご機嫌なのは、自国ではあり得ない行為(即座に逮捕される)だろうから「日本ならでは」として結構なことではあるが、それが嵩じてどうなるか?に、念のため注意がいるのは、欧・米の先行事例があるからである。

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