自由な旅行ができなくなる

旅館業法が変えられて、宿泊業者に「宿泊拒否ができる」ようになった。
これまでは、原則「宿泊拒否はできない」のだから、真逆になったのである。

その理由が、「パンデミック対策」という意味不明からのものなのである。

なぜに意味不明かといえば、そもそも「旅館業法(昭和23年)」の主旨が、伝染病予防だからで、ために、主管が厚生省だったのである。

だから、宿泊施設での手続きに、「宿帳記入」があるのは、もしや保菌者とか、感染者の移動を把握するためが理由だ。

つまり、「屋上屋を架す」状態の議論がなされた、という意味での法律改定なのである。

当然だが、公開されている公的かつ国際的スケジュールに、来年5月のWHO総会がある。
ここで予定されている「決議」は、2本あって、ひとつは過半数の賛成で成立する、「規約」だ。
そして、もう1本が、3分の2の賛成を要する、いわゆる「パンデミック条約案」ということになっている。

ところが、ここに大きな欺瞞があって、WHOが「人類初の」世界政府になる、各国への強制力を伴うから、「命令」を受け入れる取り決めは、この2本ともに含まれている。

つまり、可決のハードルが高い、「パンデミック条約」はあたかも「囮」で、「規約」だけでも可決されれば、晴れてWHOは世界政府へと変身することができるのである。

これは、EUの世界版で、選挙を通じない国際公務員たちによる、独裁がはじまることを意味する。

すなわち、WHOが、とある病気を、「パンデミック認定」するだけで、世界各国の政府へ、その対処法が命令されて、加盟各国政府はこれを受け入れる義務が生じるのである。

ここで想定されるのは、ワクチン類の「強制接種」だ。

新型コロナに対応するための、「メッセンジャーRNAワクチン」の開発に貢献したとして、今年のノーベル生理学・医学賞が授与された。

しかしながら、わが国でもあからさまな、「ワクチン被害」という「薬害」が拡大していて、死亡者は1万人にならんとしている。
後遺症に悩むひとがどれほどかすら、よくわからないのは、厚生労働省が把握に努めない、という「省庁設置法違反」までを犯しても、国民への接種を推進したいという意志があるからだ。

京都大学の名誉教授にして、一般社団法人ワクチン問題研究会代表の、福島雅典医師は、「ノーベル賞を取っても被害がなかったとするわけにはいかない」との名言を発している。

また、同医師は、厚生労働省に対し、ワクチンの購入契約書や有害事象の全てのデータを開示するよう求めたが、購入契約書の「不開示決定」がなされたために、これを取り消すよう民事訴訟を起こす予定だとも公表している。

けしからん、ではすまない国民の健康にとって、重大な問題が提起されているのである。

しかし、このような活動に対して、大手メディアはほとんど報じていない。
かつての「大本営発表」を批判し続けてきたこれらの「二枚舌:ダブルスタンダード」は、もはや犯罪に匹敵する。

あたかも、厚生労働省という役所が悪者にみえるけど、やらせているのは政権与党なのだということを、国民は再認識しないといけない。

実質共産化したアメリカ民主党のいいなりと化した、わが国の政権与党は、おそるべき全体主義政党に変貌しているのである。
この背後に、ネオコン(戦争屋とかビッグファーマ)がいるのは、公然のことになっている。

もちろん、WHOが国際機関であるというのも、今は昔のことだ。

いつのまにか、こうした「国際機関」の予算に、民間からの寄付依存ができあがって、国家の負担を超える多額のカネで支配する手法が一般化した。
もはや、WHOは、ビル・ゲイツ財団なくして存続できない。

コロナ禍なのに、「GOTO」を強行的にやったのはなぜか?
そしてそれは、「ワクチン接種者へのご褒美」という意味あいだった。

これは、WHOが世界政府になることを前提とした、国民への「躾」だったのである。
こんどは、「ワクチン接種者しか宿泊できない」ことにするのだろう。

抵抗者は、「車中泊」しかできないけれど、それもできない規制をかけるのだろう。
これらは、「正義」とか、「公共の福祉」の大義のもとに行われるのである。
その価値観は、「利他主義」だ。

着々と、全体主義の決定に従わない者は、生活の自由を奪われるのである。

「緊急事態」が用意されているヨーロッパでは、ワクチン接種者でないと、劇場やレストランにも入れなかった。

わが国は、アメリカがつくった憲法に緊急事態条項がないという皮肉で、自由が確保されたが、それがどんどん狭まっていくのである。

生きているうちに、こんなことになるとは想像もしなかったけれど、本物の『一九八四年』がやってきている。

 

RINOをあぶり出して晒し者にする

アメリカ合衆国連邦下院議長が決まらない。

1月の新議長選出にも、100年以上ぶりという状態だったけど、それがまた、再現されている様相だ。
しかし、表面上は似たような「決まらない」ではあるけれど、今回のは、共和党内の、「RINO:Republican In Name Only:名ばかり共和党員:民主党とつるんだネオコン戦争屋」をあぶり出して、有権者にわかりやすく晒し者にしようという意図が見え隠れしている。

党内での候補者すら決まらない状況のなかで、票が割れる原因の50人強もの議員の態度が、あのひとも?というほどのRINOぶりが見えてきたからである。

あと1年と1カ月に迫っている、24年大統領選挙をにらんでの攻防なのである。

なんども書くのは、日本のメディアがわざとアメリカの仕組みを紹介しないからで、アメリカの大統領選挙とは、大統領「だけ」を選ぶものではないからである。
日本の衆議院のように、「解散・総選挙」という仕組みがないアメリカ連邦下院は、そのかわり、任期が2年しかない。

大統領選挙と同時に、連邦下院議員の総選挙があって、2年後にまた、「中間選挙」という総選挙をやる。
なので、アメリカの連邦下院議員は、忙しいのである。

日本なら、こうした選挙スケジュールだと、国会をないがしろにして地元でずっと選挙活動をする議員も出てきそうだが、アメリカではそうはいかない。
議決ごとに、誰が賛成・反対・棄権したかを、マスコミが報道するし、そのための民間団体まである。

もちろん、アメリカの政党には、「党議拘束」なる全体主義ルールはない。
なので、日本でいう、「造反」は、ふつうにあって当たり前なのだ。
それが、自律してかんがえる仕事をすべき議員というものだ。

その、「かんがえること」が、業界向けなのか?有権者向けなのか?で分かれ道となる。
RINOは、業界向けだ。

これを、有権者に晒すという作戦にでたのが、いわゆる、「トランプ派」なのである。
昨年の中間選挙で、トランプ氏の推薦を得た候補の9割が当選したからできた「派」だ。

この驚異的な数字が意味するのは、共和党内のRINO排除という動きなのである。

じっさいに、共和党内RINOとは、つい最近まで、「共和党主流派」と呼ばれていた。
その代表が、ネオコンを恥じなかったブッシュ家である。

しかしながら、ブッシュ家の地元テキサス州では、すでにブッシュ離れが形になっていて、州の司法長官選挙(これも昨年の中間選挙で同時に行われた)で、ブッシュ家から立候補した人物が、党内予備選で敗れる(相手にされない)という事態になったのである。

同じように、ブッシュ息子政権で、副大統領をやったRINOの親分、チェイニー家の後継者、リズ・チェイニーも、予備選で相手にされないばかりか、地元共和党から除名されたので、無所属で共和党予備選に出馬してみたら、話にならない結果となった。

すなわち、共和党が内部抗争をしているのは事実だが、日本の共産主義マスコミがいう、「強硬派」とは、RINO排除の強硬派といわないと、ミスリードすることになる。
つまり、ミスリードしているのである。

党内での議長候補を絞るのに、これまで「秘密投票」をしていたのが、とうとう、「公開投票」となる。

みごとに、トランプ派は、追い込み猟に成功しているのである。
あたかも、トランプ氏が推す候補が敗れたと、追い込まれているごとくに報道する、わが国のマスコミの腐り方は、現場の記者の反乱をそのうち呼ぶのではないか?

それにしても、イスラエルのことは、アメリカ合衆国連邦下院議長選びの重大性を隠すような事件となった。

これまで、バイデン一家の悪の所業がバレるたび(下院議会で4回)に、4回のトランプ起訴という事件で隠蔽してきたが、とうとうひとの命を奪ってでも隠蔽するということになっている。

共和党の下院外交委員長が、イスラエルは攻撃前にしっていた、という発言の重大性についても隠蔽しようとしている。
これを、欧米マスコミが、「真珠湾攻撃」にたとえているから、わが国のマスコミは無視しないといけない。

アメリカのルーズベルト政権は、日本海軍のハワイ攻撃をしっていたのにしらなかったことにしたのは、もはや歴史的事実であるからである。
これを口実に、選挙公約で不戦をいっていたルーズベルトは、自分の公約から解放されて、徹底参戦をした。

あくどいチャーチルは、「真珠湾攻撃」のニュースに、歓喜雀躍したのは、その回想録にあるところだ。
これでアメリカ参戦が決まり、この戦争に勝った!と。

いつから日本の追い込み猟が計画されたのか?については、林千勝氏の著作群をみれば、大局からの詳細がわかる時代になった。

伊豆半島の図書館巡り

静岡県の伊豆半島には、7市、6町の13自治体がある。
内訳は、熱海市、伊東市、東伊豆町、三島市、函南町、伊豆市、伊豆の国市、沼津市、西伊豆町、松崎町、下田市、南伊豆町、河津町である。

このうち、公共図書館があるのは、「市」では、熱海市、伊東市、下田市、伊豆市4カ所(修善寺、中伊豆、天城、土肥)、伊豆の国市2カ所(市中央、韮山)、三島市2カ所(市立、中郷分館)、沼津市2カ所(市立、戸田)、「町」では、東伊豆、河津(文化の家)、南伊豆、松崎、西伊豆、函南、と全部で、7市13館、6町6館、あわせて19館がある。

それでもって、『銭の花』の全巻揃いがどれほどで、保存状態や貸し出しの可否を探ってみるのはどうか?と思いついたのである。

全巻とは、ハードカバー版で7巻、ソフトカバー版で10巻となっている。

ちなみに、花登筺は、土肥の宿に籠もって執筆したというから、伊豆市の土肥図書館が、もっとも興味と期待が高まるし、物語の舞台がほぼ、熱川温泉だったので、東伊豆町と近隣の河津町や下田市がどうなのか?も興味深い。

もちろん、大温泉地の、熱海や伊東、あるいは修善寺がある伊豆市とかも、「業界人」が多いだろうから、どのような状況なのか?に興味が、温泉のごとく涌くのである。

いまは便利なネット検索がある。

そこで調べたら、結果は以下のとおり。
熱海市:ゼロ、伊東市:ゼロ、下田市:7冊/10、伊豆市:ゼロ、伊豆の国市:ゼロ、三島市:7冊/10、沼津市:ゼロ、東伊豆町:9冊/10(9巻欠、8巻・10巻は貸出不可)、河津町:ゼロ、南伊豆町:ゼロ、松崎町:ゼロ、西伊豆町:ゼロ、函南町:ゼロ。

以上から、全巻揃えの図書館は、全滅。
13市町のうち、蔵書ゼロは、10市町と、なかなかの無関心ぶりなのである。

さすがに舞台となった、熱川温泉がある東伊豆町は9冊と健闘したが、画竜点睛に欠けて残念である。
また、舞台にもなったが、作者の花登筺がこもって執筆したという、土肥温泉のある伊豆市が蔵書ゼロなのは、まことに残念としかいいようがない。

わたしは、自治体図書館で日本最大の蔵書数、150万冊を誇る、横浜市立図書館で、ハードカバー版全7巻のうち、5、6、7巻を読んだ(1,2,4巻が欠本)ので、前半部分がある、三島市図書館が読破にはもっとも便利そうである。
もちろん、貸出を受ける居住者の資格はないから、館内での閲覧となるので、何日か滞在する必要を覚悟してのことだ。

ところで、『銭の花』は、いまとなっては伝説のテレビドラマ、『細うで繁盛記』の原作であるわけだが、ここで描かれた地元のひとたちの姿は、お世辞にも「いいひとたちばかり」とはいえないし、むしろ「抵抗勢力」として、主人公がすすめる諸処の改革にあからさまな邪魔をする。
しかし、それがまた、全国どこにもある「リアル」だったのである。

滋賀県大津市出身の作家が、どうして伊豆の熱川を舞台にした話をつくったのか?についての詳細をわたしはしらない。
関西でも有馬やらなにやらと温泉地に事欠かないのに。

むしろ、東京の奥座敷的でいて、まだ電車も開通していない時代の熱川の孤立した土地が、ひとつの長旅や湯治の適地であったからかもしれない。
旅人は、どうやって熱川を目指したのか?を想像するに、大変だったことは間違いないからだ。

そもそも、伊豆島だったいまの伊豆半島が、本州に衝突したのは、50万年前だとされている。
フィリピン・プレートの上を移動してきて、いまも、本州を押しつけている。
ために、「日本アルプス」と呼ぶ、三つの皺(シワ)ができた。
もっとも伊豆に近い、南アルプスは、現代の地球上で最高度の隆起(年間4ミリ)をしているのである。

その衝突点に、どうしたことか、三嶋大社が鎮座している。

沼津商工会が新幹線駅の開業に大反対して、三島に駅ができたら、三島市の発展著しく、対して沼津の衰退も著しいという。
この両市の不仲は、江戸時代以前からだろうけど、なんだか熱川の田舎人(びと)を嗤えないのである。

それにしても、温泉が出ることと漁業のおかげで、観光地として発展したのは、伊豆半島の特徴にみえるけど、天城のワサビのごとく山の幸も豊富なのではあるのだが、観光では全員が食っていけない、という原則がこの半島にも適用されているのである。

観光産業とは、あくまでも産業連鎖の頂点にあるはずの高度な産業なので、それを支える様々な産業が裾野にないと、成り立たないからである。

地元を取り上げてなお、旅館経営の真髄と裾野の解説までしてくれた、当代一流の人気作家の作品が、かくも無惨な扱いを受けているとしれば、この半島の文化性の低さを露呈しているといえないか?

人間は、衣食が足りると、文化を求める生き物なのである。

自治体が存在する意義のひとつに、住民への文化の提供があるのであって、ヘンテコな役人が予算を振りかざしてやる、諸政策よりもよほど重要なのである。

これを忘れた、半島自治体の姿は、あの「正子」のキャラクターそのものではあるまいか?

好演した冨士眞奈美の素顔は、文化人そのものだけど、土地柄は変わっていない。
とはいえ、そんな土地を観光する価値が出てきたのは、現代の皮肉だろう。

電車の定期DEPOは詐欺か?

「DEPO」とは、デポジットのことで、日本語では「預かり金」という。

JR東日本という、旧国鉄の官僚型鉄道会社が、わたしは嫌いである。
しかし、この巨大な会社の鉄道網を利用しないと不便なので、仕方なく乗車している。

NHKを批判する政党までできたが、JR東日本を批判する政党ができないのはなぜなのだろうか?

「民営化」されたことの大義名分を悪用している鉄道会社を、あまり悪くいわなくなった。
それならと、NHK民営化をいうひとが出てくるのは、プロパガンダに染まっていないか?
わたしは、テレビを観ない生活でぜんぜん不便がないから、NHKは廃止が望ましいとかんがえている。

むろん、JR東日本が必要でもなくて、鉄道路線が必要なのである。

中曽根康弘政権時代におこなった、国鉄民営化の失敗は、地方ほど深刻で、JR北海道、JR四国、JR九州なる、地域分割の答申をだした、「専門家」とか、「有識者」とかいうひとたちが無責任でいられるのは、無責任社会の象徴でしかない。

これらの会社が、すぐに赤字企業になることは、誰にだって予想できた。

すると、鉄道の運行施設について、貸し出しの入札をするのがよかった。
とくに、誰だってしっているドル箱、東海道新幹線の運営を誰がやるかが注目されるのだろうけど、どうせ当時の国鉄は全体がバルクなのだから、どんな赤字路線と抱き合わせにするべきか?を専門家に諮問すればよかったのではないか?

ついでに、都営とか市営とかがやっている、バスや地下鉄も国鉄と一緒に民営化すればよかった。

なお、私の記憶に残る、横浜市電「ちんちん電車」は、元は民間事業だった。
まだ人力車が交通の主役だった時代で、ために、車夫たちが市議会に乱入して市長辞任にまで至っているし、市営化されたのは、名古屋の市電が値上げしたら、怒った民衆が焼き討ちしたのを怖れてのことだったのである。

まことに、明治・大正期の日本人は、物騒で、打ち壊しやらの暴動に慣れていた。
これは、いまどきのパリとかロサンゼルスとかのはるか先を行く、先進国だった、のである。

逆に、GHQの占領策(じっさいは征服)によって、従順なSlav民族のごとく、奴隷(Slave)化されてしまった。
「e」が一個つくだけなのは、奴隷の語源がSlavだからである。

そんなわけで、一回買えば、長い期間使いつづけるのが、電車の「定期券」というものだ。
関東では、「Suica」なるカードに変更したとき、「継続」ではなく「ご新規さん」扱いで、「デポジット500円」を別途請求されたのである。

それでまた、「モバイルSuica」に変更するときも、デポジットは返金されず、そのまま継続扱いになったと記憶している。

会社を退職しても、「チャージ」ができるから、モバイルであろうがなかろうが、「定期券」の機能ではなくて、貯金型電子マネーになるので、スマホを機種変更してもずっと使いつづけている。

ところが、家内があらたに定期券をつかうことになって、駅の窓口にいったら、進化した自動券売機での購入を案内された。

ここで、用語の問題が発生した。

「新規」か「継続」か?
しかし、こちらの要望は、別路線での新規購入だったのである。

だから、うっかり「新規」とこたえたら、丁寧な係員がタッチパネル操作をしてくれて、あたらしい「Suica」が発券されたのである。

基本的に、JR東日本は、「Suica」の二枚持ちを認めていない。

しかし、二枚持ちになったのである。
それに、旧「Suica」を廃棄できないのは、「チャージ」の残高があるためで、これを「新規」に振替移動させる機能が用意されていない。

よって、旧「Suica」は、バスに乗るときとかにタッチして、チャージの残高をゼロにする努力がいるのである。
新「Suica」にチャージしたら、わかりにくくなるので、それはやめている。

つまるところ、定期券としての「Suica」を、別路線でも復活させるなら、「継続」を選択しないといけなかった、というのが、正解なのだ。

あゝ神様、年寄りにはわかりにくい。

さてそれで、旧「Suica」のチャージを使い切ったら、これを廃棄するのではなくて、また駅の窓口にいって、「返還」しないと、「デポジット500円」が返金されない。

ところが、あくどいJR東日本は、「払い戻し手数料220円かかる」といっている。

それは、まちがって購入した、「乗車券」とかの「払い戻し手数料220円」ではないのか?
この恐るべき官僚組織は、担当者から上司・社長にいたるまで、「デポジット」の意味が理解できていないのである。

「預け金」は、全額返金されるべきものだ。

それを、手数料にするというのは、詐欺ではないか?

むかしの日本人なら、JR東日本本社に押しかけて、社長の辞任を勝ち取ったであろうに。

しかして、JR東日本エリアから選出されている国会議員が、ぜんぜんこの詐欺状態に気がつかないのは、高級車に乗って通勤をしているからにちがいないし、基本無料で乗れるからだろう。

ならば、議員用どこでも「Suica」を発行して、「デポジット500円」を徴収すれば、気がつくのだろうか?

たかが220円、という話ではないのである。

イスラム化した日本

本稿は、モスク(礼拝所)の数がこのところ増えたとか、土葬に対処しないといけなくなった、とかという話ではない。

日本社会の、イスラム化、という話だ。

イスラム教とは、旧約聖書から発した宗教だ。
ムハンマド(むかしは「マホメット」と呼んだ)が神からの啓示を受けたとされるのが、西暦610年のことである。

ちなみに、わが国だと645年が、大化の改新だと習ってきた。
いまは、乙巳の変(いっしのへん)と習うそうな。

イスラム教の、「天国」は、いわゆる「酒池肉林」だとされている。
それゆえに、現世では酒を飲んではいけない。
一夫多妻(4人まで)というのは、ジハード(聖戦)で未亡人になった女性の保護が当初は理由だったとか。

しかし、日本のイスラム化とは、こういうことをいいたいのではない。

意外かもしれないが、イスラム教では道徳を重んじている。
行動にできないから、という皮肉もあるのは、「育ち」の問題がある。
金満の産油国以外、ほとんどが貧困のなかにある。

じっさいに、アラビア半島ではじまったイスラム教のはじまりの頃に、石油は重要物資ではなかった。
まさに、砂漠の宗教であったのである。

だから、サウジアラビアのひとも、1000年間お祈りしたら、石油がでた、という。
これは、行為に対する報酬だとみなされている言葉なのだ。

「神頼み」のことである。

しかし、旧約聖書の神は、決して人間の要求を現実化しようとかんがえる存在ではない。
ユダヤ、キリスト、イスラム教に共通の「神」は、全知全能にして絶対神なのである。
つまり、この神は、人間に厄災までもたらす。

その理由は、モーセが授かった、『十戒』以来の、「契約」に基づく。
神は「称える」もので、「祈願する」ものではないというのが、共通認識だ。
だから、たとえば修道女が健気に、「あゝ神様、私の願いをかなえて下さい」と祈るのは、本来なら禁忌である。

神が十戒を刻んだ石板を納めて運んだのが、「契約の箱」である。
これを冒険ものとして描いたのが、記念すべき第一作、『インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク(聖櫃)』(1981年)だった。

そんなわけで、日本人がかんがえる、人間の都合を頼むと叶えてくれる、人間に奉仕する「神」とは、真逆なのが、中東起原の神だ。

しかし、人間が優先する思想が「権利」という法概念から広まって、それがまた、「人間らしい生活の要求・欲求」という、世界的な社会運動になったのである。
もちろん、この中には、人種の問題も含まれているので、その延長には、移民・難民問題がある。

アメリカ民主党・バイデン政権が強力に推進して、これに同調していた民主党の州知事や市長たちが、他人事のように、「聖域都市宣言」をして、不法であろうがなんであろうが人間としての権利を護るべきだとしていたら、南部国境からの大量不法入国者を、自分の州や市で大量に受け入れるはめになって、とうとう降参の手を挙げだした。

それが、「バイデン政権は補助金をくれない」という、内輪での乞食運動になったのである。

なんだ、カネなのか?というのは、不思議でもなんでもなく、行政というのは「カネ次第」でしかないものだからだ。

つまり、行政を万能だと信じてはいけない。
それをしたら、宗教になるのだ。

ところが、世界的に行政が絶対だという、あたらしい信仰がうまれたのである。

わたしは、発信元はわが国だとおもっている。
官僚国家としての、わが国は、世界史上最強だと世界から評価されたし、それをまた国民が自慢までした愚があった。

アメリカは、1979年にSESを創設し、ヨーロッパは、EU委員会をつくった。
モデルにしたのは、わが国の官僚制なのである。

日本人は、日本が世界に影響力なんかぜんぜんないと勘違いしているが、長く世界第二位の経済大国だった影響力を、絶対的に過小評価するようにプロパガンダされている。

そんなわけで、アラブ圏を中心に、道徳というキーワードで、向こうから日本を見倣う意識が広まっているのである。
そしてそれが、イスラム的だと、好評価されている。

これがまた、イスラム教のひとたちが日本移住を目指す理由となっている。
芯を失ったわが国は、もっともイスラム化するエリアとなっている。

表面的なことでなく、内面的には、とっくにイスラム化しているのだ。

一方で、古代イスラエルの失われた10支族として、旧約聖書にある12支族のうち、2支族の行方が不明であった。
だから、「失われた2支族」がただしい。

しかして近年、そのうちの1支族は、ミャンマーで発見されて、イスラエルは国として正式に認定した。
残る1支族が、日本人ではないか?という疑いがあって、イスラエルはこれも正式な調査をしているのである。

そんなわけで、中東起原の対立する宗教が同時に、日本に向いているのである。

戦争になったパレスチナも、シオニズム運動(聖書でいうエルサレムにある「シオンの丘」に帰れ、という政治運動)で、第二大戦後のユダヤ人国家の土地をどこにするか?という問題で、すんなりいまのイスラエルに決まったわけではない。

シベリア、チリ、パレスチナ、そして、北海道が候補だったのである。
大国の意向で、住民には関係なく国境が決まる、その悲劇が北海道で起きたかもしれなかった。

遠い国でドンパチやっている、という第一次大戦のような時代でないのに、のんびりしていられるのも、あとわずかしかないかもしれないのに。

DEFT PRO の使い心地

長年愛用してきた、静音マウスの調子が悪くなった。
よくあるボタンのチャタリングではなくて、レーザー式なのに、マウスの動きとポインターの動きがなぜか一致しなくなったのである。

もともと狭い机なので、マウスではなくてトラックボールを購入したことはあったけれど、家内も別のパソコンを使うようになって、それを譲ってから、元のマウスに戻ったのだった。

それで、新しくするなら、トラックボールにしようとかんがえたのだが、あんがいと種類が豊富なので迷うのである。

主な区分は、ボールをどの指で操作するかで決まる。

人気は、親指操作のタイプらしいが、これが嫌いなのである。
親指の付け根が痛くなるし、すきな場所へポインターを動かすのが難しい。
「慣れ」だというが、それが痛みをともなう苦行になるのである。

そうなると、選択肢は、中指・人差し指操作タイプか、「大玉」と呼ばれる、英国製の有名メーカー、ケンジントンの「スリム・ブレード」とに選択肢が分かれる。

プロ御用達で有名なのは、「スリム・ブレード」だけど、これはまた、玉が大きいだけに、ボディー・サイズもでかいので、狭い机にはあわない。
有線か無線か?でも悩まされるが、机上に置いてモバイルしない、というなら有線の方がいいにちがいないけれど、接続がUSBタイプAなので今どきのタイプCしかないPCだとアダプターがいる。

消去法で、中指・人差し指操作タイプに絞られたのである。

設置面積から、「DEFT PRO」という機種を選んだ。
ついでに、モバイル用として、専用のケースも購入したが、これがあんがいと巨大なのである。
こんなトラックボールをモバイルとして持ち歩くという変わり者は少ないだろうけど、専用ケースを販売しているのだから、それなりの需要はあるのだろう。

 

ついでに書けば、「ハッピーハッキングキーボード:HHKB」の無線タイプ・英語配列も持ち歩いている。
ふだんパソコンではなくて、ipadの12.9インチと10.5インチの二枚持ちで、HHKBは、切り替えて両方で使っている。

HHKBは、「カウボーイの鞍」と同様のコンセプトで製造されたキーボードだ。

カウボーイは、移動中に愛馬を失っても、「鞍」は担いでも歩いたものだった。
長年愛用した自分の鞍は、他に代えがたいほど身体に馴染んでいるからで、新品を作り直せばいいという訳にはいかない常識があった。

なので、わたしのリュックは、ずっしりと重いのである。

この意味で、トラックボールもなるべくおなじものを使いたい。
「DEFT PRO」には、8ボタンもあるからだが、親指がふつうのマウスの左クリックに相当する設計は秀逸だ。

右手で自然に握れば、親指にこれまた一層でかくボタンが控えている。

右クリックにあたるのは、ボールの右側にあるボタンに割当られているので、これはわかりやすい。
そのまた右には、薬指があたる場所にもう一つのボタンがあって、いまのところ「シフト」に設定した。

人差し指で操作するボールの左側ボタンは、「ペースト」に設定した。
親指側には、左クリックの他に4ボタンあり、スクロール・ホイールはチルト機能つきで、ホイール自身も押し込めるボタンになっている。

左クリックボタンの上が、「コピー」、その手前が、「カット」、そのまた下は、「バックスペース」とした。
スクロール・ホイールの押し込むボタンは、「Enter」。

肝心のマウス操作そのものは、人差し指と中指でボールを操作すると、あんがいと細かく動かすことができる。
アクセルとブレーキの役目をそれぞれの指がするからだ。

これで、「静音ボタン」に加え、スクロール・ホイールに「高速回転モード」があるなら文句はない。
なぜにメーカーは完璧さを提供しないのか?とどうしてもかんがえてしまうのである。

やればできる、はずなのだ。

それと、コストカットの方向がちがうと感じることもある。
部品パーツの品質を、明らかに劣化させた「新製品」がふつうにあるからだ。

なので、もしや?と不安がある場合、あらかじめ複数購入して在庫を保有するひとがいて、「やっぱり買っておいてよかった」という経験値を重ねている。

これはこれで、メーカーの裏切りなのである。
それを、哀しくも自己防衛している健気な姿となる。

正しき方向とは、消費者には品質向上がすべてであって、コストカットの正しい方向とは、不良率の徹底改善のことをいう。

不良発生率をそのままに、コストカットをするなら、もっとも安易な方法が、部品パーツの品質劣化となるのは当然なのである。
すると、そこには経営努力の一文字もないことが透けて見えるだけとなる。

「安かろう悪かろう」と、世界で評価された「メイドインジャパン」とは、第一次大戦による「大戦景気」で、「作れば売れる」という、大正バブルの原因でもあった。
ゆえに、大戦終了後、ヨーロッパの生産活動が復活すると、日本製品はその劣悪さのために、まったく売れなくなったのである。

あの正直な江戸・明治までの日本人は、淘汰されてしまったのだった。

 

昭和の時代に、「明治は遠くなりにけり」と詠まれたのは、そんな明治へのノスタルジーだった。
平成・令和の時代に、「昭和への回帰」があるのは、ただの、昭和バブルへのノスタルジーで、それが、東京オリンピック、大阪万博の「二回目」になっている。

同様に目論まれた、札幌オリンピックが誘致断念となったのは、この意味で英断だし、イスラエルの戦争がイランに飛び火したら、わが国存亡の危機となるから、何をか言わんやだ。

正気を取り戻したいものだ。

GERRYのモックシューズ7足目

足と靴の話である。

直してでも履き続けるのは、ドイツ製のビジネスシューズで、なんだかんだともう20年以上も履いている。
一足だけではなくて、別のメーカーのを加えれば、主に3メーカーの靴を直しながら履いているのである。

わたしの足は、「だんびろ甲高」という、典型的な日本人だ。
ずっと畳の生活で、家を建て替えるまで、ふつうに正座をしてきた。

なので、いまだに胡座が苦手で、よその家で、「楽にしてください」とか、「あしを崩して」といわれても、胡座の方がずっときつかった。

なにかのときに、わたしの足を見たひとが、「甲に座りたこがある」と指摘して、それがなんだったのかわからなかったが、「良家のお坊ちゃんですか?」といわれて驚いた。
当然にそんなことはないが、なぜかいつも正座をしていた。

エジプトで仕事をすることになったとき、革のビジネスシューズを一足しかもっていなかったけど、さすがに現地調達できるだろうから、予備は不要だとおもって行ったら、なかなか気に入る靴がない。

それで、無性に食べたくなる「トンカツ」を求めて、月一回ぐらいのペースで、地中海を越えてアテネに通っていた。
ギリシャはEC加盟国だったので、イタリア製だろうがなんだろうが、域内価格で購入できて安かった。

アテネのデパートで、いろいろ買い物をしたなかに、靴もあった。
揃っていたのはイタリア製の高級シューズであったが、どうしてもだんびろ甲高の足にはあわず、半年ももたなかった。

ドイツ製のコンフォート・シューズをしったのは、はるか先の30代も終わりになってからである。

帰国して社会人となって、給料日に買ったのが、日本製の頑丈で有名なメーカーの靴だったけど、どうも伸びるはずの幅革が伸びず、靴は裂けたがわたしの足も気がつけば外反母趾になっていた。
それから、靴選びの行脚がはじまったのである。

家内も酷い外反母趾なので、あるとき、デパートの婦人靴コーナーで、ドイツ製コンフォート・シューズというものをしった。
そのとき、おなじ棚に、紳士用のビジネスシューズもあったのである。

それが、上に書いた、3つのメーカー品だった。

以来、わたしのビジネスシューズは、デパートの婦人靴コーナーでの買い物になった。
あるとき、別のフロアの紳士靴売り場に行ったら、ご要望のお品は婦人靴コーナーでの扱いだけになります、といわれたからである。

職場が東京の銀座に近かったし、少し残業しての時間帯だったので、いつもの横浜のデパートではなくて、銀座三越に修理依頼と交換で新品を買いに行ったことがある。
そちらの商品でしたらご用意がありますと、紳士靴売り場でいうから、さすがとおもって試しに履いたら、見た目はおなじなのにぜんぜん履き心地がちがう。

あれ?なんかちがいますというと、お客様のお履きになっているのは、ドイツ本社製のものですね。こちらは日本製のもので、ドイツ製ですと残念ながら日本橋店にしかありません、と。
デパートだから、日本橋店に連絡してくれて、やっぱり婦人靴売り場だというから、地下鉄に乗ったのだった。

げた箱には同種類の靴があるけど、みんな直しながら履いているものだ。
最初の購入単価はそれなりだけど、気がつけばえらく安い買い物になっている。

ときに、何の気なしに静岡県は御殿場市の、カバンと靴の店に入った。
いま流行の、アウトレットではない。

いまどきの横浜にもめったにない、センスがいい品揃えで、自分でも意外とここで買い物をしている。
そこに、GERRYのモックシューズがあったのである。

スニーカーがイマイチの履き心地だったので、ほんとうに何気なしに試し履きしたのだが、なんだか軽くてピッタリする。
普段履きにいいだろうと購入したのだった。

それから、6足を履きつぶした。

軽くて丁度いいけど、ソールに難があって、半年もすると割れて水が入ってくるのだ。
ドイツ製のコンフォート・シューズの12分の1ほどの値段だから、仕方ないとはいえ、修理して履こうというほどのものでもない。

ただ、寿命が短すぎる。

それでも、日常が普段履きばかりとなったので、ドイツ製のコンフォート・シューズを履く機会の方が珍しくなった。

これら以外に別の靴を履くのは、雨の日となっている。

そんなわけで、御殿場に用事があると、この店にいって予備を購入している。
ところが、先月には、一足もなかった。
それで、注文した、というわけだ。

そうして、7足目になったのである。

予約した商品確認で、店員さんに「底に問題があるんだよね」といいながら、靴底をみたら、なんとぜんぜんちがうソールが採用されていた。

進化している!

これが、在庫がなかった理由だったのかはしらないが、耐久性に期待がかかる。
ちなみに、お値段は変わらなかった。

諸物価高騰の折、進化ではなく退化だったら?ともおもったが、それではファンはいなくなる。

さてどんなものか?は、これからのお楽しみなのである。

10月10日は、晴れの特異日ではない

とはいえ、わたしというひとりの人間の記憶では、あまり「雨」が降った覚えがない。

まぁ、たかが還暦過ぎのおじさんの記憶だから、せいぜい50年とちょっとしかない記憶にちがいない。
乳幼児の時分には、カレンダーのイメージもなかった。

昭和の「東京オリンピック」でさえ記憶がないので、どうしてこの日が選定されたのか?については、後からのエピソードを聞いて記憶した。

それが、「晴れの特異日」だった。

しかし、「特異日」の定義は、その前後の日と比べてのことなので、その前後の日も晴れのことがおおいと、特異日としての特殊性が薄まってしまい、あえて「特異日」とはいわないというのだ。

さらに、先の東京オリンピックのエピソードでは、10月15日が当たったが、1964年のカレンダーでは木曜日になるため、「次点」だった10日が土曜日なのでこれに決まった、というのが正確らしい。

とはいえ、これは、1959年の『気象学ハンドブック』(技報堂)によるデータだ。

それで、わたしの記憶に近いのは、1971年から2000年までの30年間のデータをみても、雨が全く降らなかった日で10月9日が17回、10日が19回、11日が14回と、やっぱり10日が一番おおい。(以上、ウィキペディアによる)

この手の話が残念なのは、観測開始から現在までの、通しで書いていないことにある。

そこでちょっと調べたら、気象庁のHPに、以下の記事があった。
「世界気象機関(WMO)の技術規則により、30年間の観測値を用いて平年値を作成し、10年ごとに更新しています」。

でた。
世界気象機関とかいう、怪しい機構がある。

「これによると30年間として世界標準にはしていますが、日本国民の皆さんにはこちらも参考にしてくださいませ」、という発想がわが国政府にはないのか?といいたくなるのである。

なにせ、気象とは、地球と太陽系の関係とか、もっと大きな宇宙との関係とかが影響するものだとかんがえるからである。

そもそも、太陽「だけ」をとれば、約400年ぶりの活動縮小(黒点の減少)が、観測されているのだ。
11年周期のはずが、そうなっていない。

すると、地球全体では、「寒冷化」が心配されるのは、過去の歴史が示すところである。

では、この夏の猛暑はどうなのか?
こたえは、日本の九州から北海道にかけて、いわゆる「本土」が温暖化していて、沖縄は平年並みであった。

相対比較すれば、国内では、沖縄がもっとも「避暑」に適した地域となっていたのである。
これは、世界の天気でも明らかで、わたしが昔暮らしていた、エジプトはカイロの気温は、むかし通りの発表であった。

世界をみない日本人の日常生活と、テレビなどの気象情報番組だけを観ていたら、しっかり「地球温暖化」に洗脳されるが、冷静になればそんな証拠はどこにもないから、国連政府間パネルでも、とうとう「地球温暖化」の文字が消えた。

日本のマスコミは、これも報じない。

そんなわけで、いまの日本政府が信用できないので、余計なことを妄想するのである。
そのひとつが、GHQによる「国民の祝日」に関する介入であった。

もちろん、当時は、「国家神道」に関することが中心だったが、これを「自民党」が引き継いだのであった。

「飛石連休」をやめるために、という理由で、「その日、の意味」を抹消する文化破壊のアメの手法を用いたのである。

この素地になっていたのが、国民奴隷化の教育成果であった。
それで、わが国は、世界でも「祝日」が多いのだ。
なぜなら、法的に休日としないと、休めないように仕込んでいるからである。

タダでさえも休日が多いのに、飛石状態だと、そこを埋めて休みをとる輩がいる。
あるいは、「公休」を後でつなげて「連休」をつくる輩もいる。
それでは、経営コストが上がるではないか!という、従業員を休ませるのも嫌がるひとたちに媚びたのが、自民党だった。

あたかも、福田康夫氏が首相のときに社会保険番号漏れの問題が頓挫して吐いた、「政府がやってあげようとしているのに」どうして国民は有り難がらないのか?と発言したセンスこそが、「祝日を増やし、連休にしてあげる」と一致するのである。

いったい、福田赳夫は、家庭内でどんな教育を長男にしていたのか?

平安貴族の時代なら、まさに「大恥」をかくのは、息子本人よりも親の方だった。
こうした、「親」が増殖して、とんちんかんな国民がまた増殖したのである。

そんなレベルの2世、3世、4世が、議員になって、「職業化」した。

このひとたちは、政治的になにかをする、という意志がはじめからないことがほとんどだ。
なんだかしらないけど、議員に当選しちゃいました。
なので、次の選挙資金を稼ぐために議員活動をしているのだ。
これを、「職業化」という。

10月10日は、「体育の日」で、それが、「東京オリンピック」開会日の記念日だったのである。
それが、10月9日では何の意味もない。
名称はそれっぽいが、ただの、「休みの日」にしただけであった。

しかしながら、国民が、「ただの休みの日」だと認識するのは、また別の意味があって、とうとう、ほとんど全部の祝日が、「祝祭」の意味を失って、「ただの休みの日」となったから、「権利」としての要求にもなっている。

社会とは、こういうものなのである。

それで、朝起きたら、雨が上がって曇りであった。

「ハマス」と「ムネオ」の奇襲にパニックる

現代の大衆はすっかり、プロパガンダにコントロールされてしまった。

戦時中の「大本営発表」や、「検閲」のことを嗤っているけど、今の状態を将来の日本人たちから、「呆けた世代」と、軽蔑されることを信じている。
逆に、もしもそうならなかったら、日本という国や民族が将来滅亡したことを意味するのである。

ほぼ同じ週に起きた、「奇襲」であった。

「ムネオ」は、1日~5日の自党「日本維新の会」への無届けロシア訪問という、「奇襲」だったし、「ハマス(Harakat al- Muqawamaal-Islamiya:HAMAS:別に、イスラム抵抗運動 Islamic Resistance Movement)ともいう」は、7日にイスラエルへのロケット弾2500発による一斉攻撃を開始した。

どちらの話にも、共通のプロパガンダがあるので、書いておこうとおもう。

まず、重要な認識として、このブログで書いてきたことは、「ウクライナの次はイランである」という予想が、「やっぱり」になったことである。
「ハマス」を後で支援しているのは、イランだからだ。

ウクライナ戦争とは、14年の「マイダン革命」を起こした、アメリカやイギリス、それにEUの戦争屋勢力が、後からウクライナを支援して起こした「代理戦争」である。

これをイランがコピーして、ハマスにやらせている。
もちろん、イランの核開発が、濃縮ウランの完成を目前にしていることから、イスラエルからの空爆を避けるための、陽動作戦であろう。

いかにハリネズミ化している、軍事国家イスラエル、とはいえ、同時に二方面(自国周辺とイラン核施設)を相手にすることはリスクが大きいとおもわれるからである。

しかしながら、困ったことに、日本人は中東の石油にいまや(ロシアと事実上断交して、ウクライナ前は10%がロシア産の石油だったのが、ゼロになったため)98%も依存しているのに、その中東の複雑性は理解を超えるし、もっといえば、アラブとユダヤのそれぞれの民族を理解していない。

ために、プロパガンダがそのまま日本人の脳に侵入して、細菌やウィルスのごとく冒されるのである。

それが、悪のイスラエル、対、善のハマスという、ありえない単純化の勧善懲悪の物語なのである。

じっさいは、たとえば、パレスチナの「ガザ地区」は、政党としてのハマスが支配している。
選挙で多数をとっている、という建前が怪しいのは、不正のない「正当な選挙なのか?」を飛ばしてプロパガンダされていることもある。

この「不正」は、命の危険という意味で、投票用紙を改竄する、なんて甘い方法のことではない。

ガザとイスラエルの国境は、海と陸があるけれど、陸側は、まるで『進撃の巨人』のような、大きくて高い「壁」によって遮断されている。

つまり、ガザに住むアラブ人の生活は、この壁の中という空間しかない、のだ。
ハマスは、海から武器弾薬を得て、自国民を武力で支配している。
だから、ガザのパレスチナ人たちを、「人間の盾」にして当然の、恐るべき全体主義・共産主義者たちなのである。

さてそれで、2500発ものロケット弾を、どこからどうやって手にいれたのか?

一節には、アフガニスタンに置き去りにした米軍兵器数兆円分の一部ともかんがえられる。
また、一節には、西側によるウクライナ支援の武器弾薬が、ブラックマーケットで売却されていて、その模様は、なぜかユーチューブでバンされずに配信されている。

つまり、米軍を含めた西側の兵器で、イスラエルが攻撃されているのである。
これぞ、武器商人の生き様で、どっちがどうではなくて、買って弾薬を消費してくれさえすれば、相手は誰だっていいのである。

ちなみに、現代の武器は、すべて「工業規格製品」だから、規格外の部品や弾薬はつかえない。

さて一方の、「ムネオ」の奇襲だ。
中川一郎議員の秘書から、下剋上して成り上がったイメージがある、いかがわしさが擦り込まれてきたひとであるけど、単独ロシアを訪問して、「即時停戦」をプーチン氏に訴えたのは、あっぱれであった。

ゼレンスキー氏にもいえば完璧だが、それどころでないパニックが日本の政界を走って、マスコミも激しい攻撃を始めたのである。
これに、あろうことか、単細胞の右派までが、ムネオ批判の論を張っている。

さらに、官房長官が不快感をあらわにしたのは、内閣の立場からは当然だが、自党の「日本維新の会」がパニックに陥ったのは、「語るに落ちる」である。

親中を恥じないこの政党は、自民党親中派どころのレベルではない、「売国」を旨としていて、それをまた、単細胞の右派は、自民党に代わる「保守」だというから救えないのだ。

特に、「ロシアの勝利を確信している」と発言したことに、「厳罰」を加える根拠とするのは、「図星」を指摘されたときの、鳩が豆鉄砲を食ったようなパニック状態をさらけだした。

当然ながら、プロパガンダ機関のマスコミも、アリバイ工作がこれから、という時期のことだから、「ムネオ」を攻撃しないといけなくなったのである。

しかし、間もなくウクライナは終結する。

それから、時間をかけて、支援の横流しの実態や、ウクライナ軍が幻だったこととかが明らかになる。
されど、マスコミはこれを決して国民に披露せず、隠蔽し続けるのだ。

アメリカはいよいよイランとの対決となって、台湾・日本の存亡の危機がはじまる。
北からの脅威、ロシアとの窓口を開きにでかけた、ムネオの行動は、国益としてみればたいしたものなのである。

これを批判する、自公政権の本性も、同時に露わにしたから、ムネオ一世一代の大舞台なのである。

大衆はコントロールされるべきである

「大衆酒場」とか「大衆演劇」、「大衆小説」とかにつきまとう、「大衆」とは何者か?

産業革命によってヨーロッパで発生したのが、「労働者階級」というひとたちだった。
とくに、本家本元の英国では、ハッキリと位置付けられて今にいたっている。
その支持基盤が、「労働党」というわけだ。

これより少し前に、あたらしく「ジェントルマン」という階級が生まれた。
新興の、富裕層という意味である。

いつでもどこでも、金持ちにはひとが群がる。
気分によってはあわよくば、何かにありつけるかもしれないからである。
その中には、当然ながら、貧乏貴族も仲間入りして、自分の地位をジェントルマンの財力をもって、よりよくしたいと目論むからである。
もちろん、ジェントルマンからしたら、貴族の家名を継ぐひとと懇意になれば、それだけ箔がつくというものだ。

英国の富裕層が、どうしたことか「登山」を趣味にしたのは、そんな淡い期待を抱きながら、パーティを組んだのかもしれない。

そんなわけで、狭い英国から飛び出せたのは、世界を支配した大英帝国の威信をかけた旅でもあった。

そうして、目指したのが、ヨーロッパ・アルプスの中心地、スイスであった。
主たる産業が、「傭兵」という当時のヨーロッパ最貧国とも考えられるスイスに、金持ちたちが道楽で登山に来たのである。

これが、スイスにおける山岳地方の観光開発のはじまりだ。

山と景色しかないど田舎でも、威信を背負い込んだ英国紳士たちはロンドンの邸宅と同様の快適さを要求した。
ただし、見返りは、当時の泣く子も黙る、スターリング・ポンドの金貨であった。

あくせく働いても、滅多にお目にかかれない金貨が、容易に手に入る。
これで、スイスは、ヨーロッパの金持ち御用達の観光地となり、貧乏人は相手にしなかったのである。

しかしながら、同時期に一方で、労働者階級という巨大な集団も生まれていた。
これが、「大衆」なのである。
よって、給与所得者となった大衆が息抜きをすると、それは「団体観光旅行」となったのである。

『細うで繁盛期』に登場する、二つのタイプの旅館は、保守的な「福原屋」と、近代的で革新的な「大西館」という対比設定だったけど、福原屋の顧客イメージは、「富裕層」であったのに対して、大西館は、「大衆」であった。

川端康成の、『伊豆の踊り子』とは、本宮ひろ志の『俺の空』の主人公、安田財閥の御曹司、安田一平バリの書生が一人旅の中で知り合った、自分の意思とも家族の事情ともしれぬ、踊り子との、身分を超えた淡い話なのである。
当時の日本は、まだ身分社会であった。

つまり、書生が定宿にしたのは、福原屋の方で、大西館ではない。

 

しかして、戦後のわが国は、財閥解体と農地解放で、書生のような生活ができるものは滅亡させられたのである。
これが、大西館の成功理由だし、細うで一本で衰退の一途だった山水館経営を再生・復興させることができたことの時代背景なのである。

つまり、わが国の戦後観光地には、消滅した富裕層は来なかった。
これが、大衆迎合型でしかない、わが国観光地の誕生物語なのだ。

すると、昨今いわれ出した、「格差社会」とは、もしやラッキーなのではないか?
棲み分けがハッキリするからであるし、福原屋タイプの復権ともいえる。

ところが、わが国におけるいまの富裕層とは、大衆の中で育ったひとたちばかりだから、安田一平の感覚を若い時分に経験していない。

これが致命的なのである。

さらに致命的なのは、原作中でも福原屋に跡取りがなく、細うでの人物を評価された主人公・加代が跡を継いだものの、その加代の後継がどうしたかはわからないで物語は終わった。
おそらく、時代の流れとともに、大衆化の道を歩くしかなかったと想像できるのだ。

つまり、客だけでなく、提供者にも、富裕層の扱いがわからない、ということになっている。

そうなると、正しいコントロールを誰がするのか?となって、残念ながら、欧米人に分があるのである。

その欧米人は、プロパガンダの名人だ。

彼らはいまでも身分社会に生きていて、支配者たるものとはなにかを自覚している。

それゆえに、大衆をコントロールするのは当然であり、それを支配層が行う義務があるとかんがえている。
なぜならば、自分でかんがえることをやめた集団が、大衆だからである。

だから、「大衆」のことを「マス」と呼んだものが、いつの間に、「マス・コミ」とか、「マス・メディア」というようになった。

そして、これらが仕掛けるのは、言葉を変えて、「PR」とかともいったけど、少しはかんがえる大衆が、その腐臭を嗅ぎ取った。

それだから、もっと上手になさい、となったのである。

大衆を騙して儲けるのが過去の歴史だったけど、大衆を正しく導いて、生活を向上させるなら、大衆はコントロールされるべきである。

だから、あくまでも、「倫理」が問われるのである。