リニア工事中断の大問題と『大魔神』

さては、えらいこっちゃ!になった。

これまであった、「小問題」は地元の意見を無視したりねじ伏せて乗り切ってきたけれど、とうとう「町の消滅」が現実化するかも、となって、傲慢極まりない国土交通省(公明党の大臣枠)とJR東海も、16日、工事中断を発表せざるを得ない事態になった。

理由は、これまでの数ある小問題と同様の、トンネル工事による「水脈の断絶」という、旧新幹線やら新東名やらでもよくある話で、こないだ辞任した静岡県知事がいっていた「大井川の水脈問題」は未然形だが、ホイホイ推進していた岐阜県(瑞浪市大湫:おおくて)で起きてしまったのである。

瑞浪市は、日本のヘソ、恵那山周辺の恵那市と土岐市の間にあって、木曽川の左岸にあたる。
なお、恵那市も井戸の水位低下についての事実を「注視」しているというから、これから重い腰をようやく上げて(横並びして)問題にするのだろう。

残念だが、地元民のためを装って、なんらかのカネを国やらJR東海やらから巻き上げようという、まごうことなきヤクザ感覚の発露がみられるはずである。

さらに、恵那市より木曽川上流の中津川市(中央道では長野県から恵那トンネルを抜けたら中津川になる)には、「リニア新駅」ができることで、岐阜県内は恐ろしいまでの「温度差」が形成されつつあるのである。

静岡県に文句をたれていた、岐阜県知事(県庁に「リニア推進課」がある)が、その浅はかさから想像だにしなかった、あろうことか当事者になってしまって、パニックから逃げるためこちらもそのうち辞任するやもしれぬ。

阿呆でしれる神奈川県知事と、山梨県知事のコンビは、ほっかむりして他人事にするはずで、沿線市町村に「冷静(黙れ)」を命ずるはずなのである。

いまは編集されたニュース記事よりも、現地からのSNS発信のほうがはるかに正確な生活情報が得られる。

その深刻度をみると、大湫地域の飲料水は水道がなく井戸に依存していて、それが完全に枯れただけでなく、水田の水も涸れた(「山枯れ」)ことによる地盤沈下もあり、生活不可能、という事態になっているのである。

飲料水がない、ということに、JR東海は、住民にウォーターサーバーでの供給をしているが、法では期限は30年だ。
それで、JR東海は、新規に井戸を掘るそうな。

見事な対処療法の浅はかで、知能を疑いたくなるけれど、そんな低能ばかりで組織が運営されているのは、あんがいとどちら様もおなじなのである。

また、「山枯れ」は、山の保水力と排水力のバランス崩壊を意味するから、雨水が浸みた水圧による大規模土砂崩れなどの災害も懸念されている。

なんだか、住民をむりやり帰還させた、フクシマと似て、なにがなんでも責任はとらず、とにかく住みつづけろというのは、もう「成田闘争」までも彷彿とさせる。
発端は、戦後沖縄から移住してやっと「開拓」した農地を、空港にするから出て行けといった、当時の役人の傲慢さがまったく反省されていないばかりか、伝染している。

これを、「役人根性パンデミック」と呼びたい。

人生には取り返しのつかないことがあるけれど、目には見えないトンネル工事での「水脈切断」も、復旧が不可能な取り返しのつかない、おそるべき自然破壊なのである。

このブログでは、木曽川の「丸山ダム」「新丸山ダム」のことは書いてきた。
どちらも、ダムによって水没した村のことに触れている。

電力不足が深刻な戦後の時代(原子力は実用化されていない)に、仕方なく「廃村」させたのが「丸山ダム」で、21世紀なっても、丸山ダムごと水没させることでさらなる上流の「廃村」をやったのが、「新丸山ダム」である。

リニアで町ごと住めなくするのは、「計画にない」ことなので、寝耳に水のことにみえるのも、またずいぶんなはなしなのである。

それでも、リニアを推進するのは、多少の犠牲はいとわない、という公共の福祉をいう理屈があるからだ。

おそらく、地元ではずっと前から懸念する声があったろうし、本稿冒頭のように、「小問題」は、実験線が最初にできた山梨県でもとっくに起きていたことなのだ。

ここでも、カネに目がくらんだ「専門家」の御託が、地元民の声を潰してきたはずで、その専門家たちは、カネを得ていながら逮捕もされないので、「裏金問題」同様の安全地帯に住んでいる。

これを、「開発独裁体制」の国家と沿線の地元自治体がこぞって、まるで、『大魔神』(1968年)のあくどい領主のように振る舞ったことで、映画より悲惨なことが現実となったのは、もう『大魔神』が水脈を元通りにしてはくれないからである。

さては、静岡県知事選では、共産党以外の候補者は全員、「リニア推進派」という、これまたおかしなことが起きている。

これまで圧倒的に県民から支持されてきた「前職」の後(リニアに慎重な姿勢)を継ぐ者が、共産党の候補者以外誰もいない。

そこまでして、まだ開発独裁体制を続けたいとは、まったくシュペングラーが100年前に書いた『西洋の没落』のいう、没落プロセスがわが国でも作動していることの証左なのである。

『大魔神』が出てくるはずがないウクライナでは、ゼレンスキー氏がとうとう「敗戦」について語り、その責任は、「ウクライナ支援をしない全世界にある」と、他人事にした。

ロシアの圧倒は放置すれば、ウクライナ全土の占領ということになる。

しかして、そうなれば、「西側による復興支援」もなにもかもがすっ飛んで、ロシア支配の元での復興になるから、わが国の支援金も「口だけ」で済むという、わが外務省の「読み」の鋭さに敬服するのである。

ウクライナをわがモノにせんとした強欲な、ブラックロック以下の投資家は、もう半分ほどの肥沃な農地を購入済みとしていたけれど、もはや「損切り」の覚悟を決めないといけなくなっている。

あたかも、『七人の侍』のごとく、土地をサッサと欧米大資本に売ったウクライナ農民のしたたかさは、ロシア支配になったときの想定があったとして、濡れ手に粟の収入と、土地所有権の回復とを見越した「お見事」なのだといえる。

15日、突如キエフを訪問したブリンケン国務長官は、もうアメリカとしてやることがないので、ギターをもって熱唱するまでに落ちぶれた姿を世界に示した。

こんどはこれを、岸田氏はどこで真似るのだろうか?

わが国は、リニアの損切りができないで、水脈を切りまくる強引さを後世に残す、愚かなことをやって、投資家としての三流ぶりも後世の歴史家に糾弾される予定になっている。

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