日本人は「ブレグジット」できない

今日は6日の月曜日。
カレンダーとはいえ、暮れからこんなに長い正月休みは、めったになかった。明日はもう七草である。
おおくの企業は、本日から始動する。

昨年末の英国総選挙で、ブレグジットをかかげる保守党が歴史的圧勝をはたした。
これは、逆にブレグジットに反対する労働党の歴史的敗北でもある。

さいしょは「冗談」だとおもわれて、わが国では「やっちゃったよ(笑)」と報道されたし、その後の「国民投票」でも、ブレグジット賛成派が多数になることは「ない」といっていた。
その根拠は、「経済」における「不利」という「理論」一辺倒だったことが記憶にあたらしい。

不都合な言い分についての攻撃はしても、予言がはずれたときの「謝罪文」や「反省文」をいっさい「掲載しない」のが、お気軽なわが国の「言論空間」である。
つまり、「言ったもん勝ち」の「言葉のたれながし」がゆるされている。

これは、国民がゆるしているのではなくて、報道する側の都合でそうなっているだけなのだが、こんなことをしても、国民が「ブーイング」をしないし、購読や視聴をやめないので、報道する側が安心しているのである。
つまり、かたちのうえで、国民がゆるしていることになっている。

どうしたらわが国を「弱体化」できるのか?
これを研究・考慮した結果発案されて実行されたのが、「WGIP」(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)であった。

占領から独立してその後いまでも「有効」なのが、「放送コード」であるけれど、これは典型的な「WGIP」にふくまれていた。
新聞社や民放は、「売れない」と商売にならないから、ときに大衆に迎合する記事や番組をつくって販売計画を達成しようとする。

ところが、皮肉なことに、「WGIP」を踏襲して、日本弱体化をやっていたら、ほんとうに弱体化して、とうとう新聞の購読ができない家庭が続出してしまった。
それで、「しんぶん赤旗」や、もっと赤い「朝日新聞」の購読数が、損益分岐点をしたまわって、えらいことになっている。

新聞とテレビの経営を合体させたのは、田中角栄であった。
第一次岸改造内閣での郵政大臣時代のことである。
A級戦犯だった岸が、総理にまでなれたのは、CIAのエージェントになる「契約」をしたからである。
東条英機の刑が執行された翌日のことであった。

すなわち、岸は死をまえに「転向」した。東条の死の意味はここにある。
満州国で、理想的な社会主義を達成した頭脳と実行力を、アメリカの指導下でもって本国でやったのは、基本「弱体化」の文脈のなかでみないといけない。

日本人を「エコノミック・アニマル」へと「改造」したのである。
「アメリカに追いつけ、追い越せ」というスローガンなぞ、「当時」聞いたことがない。
なんどもくり返し放送されて、「夢」のように「記憶に定着」させ、とうとう戦後日本復活の「神話」になったのは、後出しじゃんけんとおなじだ。これをふつう「洗脳」という。

最優先すべきは「経済繁栄」であって、それ以外ない。
この思想が、古来、国を滅ぼすのである。
古代カルタゴの滅亡が、その典型である。
しかし、そんなことを戦後の日本人に想起させてはならない。

中学や高校の「世界史」で、ローマをおしえるがカルタゴはおしえない。
そのローマが滅んだのを、ぜんぶ「ゲルマン人の大移動」のせいにしておしえるが、なぜ大移動したのかおしえない。

しかも、人類史上最大のモンゴル帝国をおしえない。
アジアを支配したのは、悪辣なわが国だけだとおしえるためである。

戦後、わが国での「保守」とは、「WGIP」を実行する勢力のことを意味する。
「経済」よりも重要な「価値」があるのだとはいわないし、いったところで「ロマン」にすぎない美談にとどめる。

ついに、「WGIP」が、完成にちかづいた。
戦前のわが国の「価値観」をしるひとたちが、物故していなくなったからである。

そんなわけで、イギリス人が、ちゃんと意識して「ブレグジット」をしたい、というのが信じられない国民になったのだ。
EUとの貿易額を「計算」すれば、かならずイギリス人たちは「損」をするのだ、とうたがわない。

「損」をしてまで守りたい「精神」があることを、理解できない。

しかしながら、イギリスにはかつて「ゆりかごから墓場まで」を「正義」としていた時代があった。
これをそっくりまねっこしたのが、戦後の日本である。
「英国病」の病原菌が強力になって伝染し「日本病」を発病した。

このなごりがイギリス社会保障制度にある。
EUにとどまると、とめどもない「移民」がやってくる。
これを防止できないのは、EU本部が割り当てる数を拒否できないからだ。EU加盟の条件がそうなっている。

「移民」に社会保障制度の財源がとられてしまう。

「精神」と「経済」が、ブレグジットを決意させている。

日本はすでに「移民大国」になったが、社会保障制度の財源が「消費税」だという欺瞞に、欺瞞だとも気づかない。
飢えたタコが、じぶんの足をたべている。
これに、「精神」もないのだから、いわれるままなのである。

1970年、奥村チヨのヒット曲『恋の奴隷』ならまだしも、経済の奴隷になりはてた。

だから、日本人にはブレグジットはぜったいにできない。

なつかしい「メカ」の時代

いまはしらないが、むかしの自動車学校では「構造」という課目があった。
これに、「学科」と「技能」があったから、おおきく三課目あったのだ。

「構造」は、エンジンの構造からシャフトの構造、それから駆動の構造が基本で、これに電気系統の説明をうけた。
電気プラグが発火しなければ、ガソリンエンジンは動かない。
それで、冬場の朝の始動時に活躍する「チョーク」の操作方法もならった。

技能でとにかく慣れる必要があるのが、クラッチペダルの操作で、坂道発進の「半クラッチ」ができなくて、教習車を空ぶかししたり、エンストさせた経験はどなたにもあったはずだ。

いまはクラッチ操作を要するマニュアル車には、マニアしか乗らないだろうが、ヨーロッパでレンタカーを申し込むと、オートマ車のはずがマニュアル車しかないので難儀する。
慣れたころに返すことになるのが、やや心残りではある。

ディーゼルエンジンの乗用車はめずらしかったけど、ガソリンエンジンとのちがいぐらいはおしえてくれた。
電気プラグを必要とせず、燃料の圧縮によって自然発火させるディーゼルエンジンの構造の単純さは、それゆえ、より頑強さを要求するのだと。

まだまだ女性ドライバーがめずらしく、「構造」を苦手とする女性がおおかったのも、学校での「家庭科」が、男女別だったこともあるだろう。
男子は木工やら花壇やらラジオ製作やらと、いまでいう「DIY」を授業でやって、おなじ時間に女子は裁縫や料理をしていた。

「中卒」で就職するなごりもあったけれど、高校に進学しないで、裁縫学校にいった女子もいた。
当時、横浜には有名は洋裁学校があって、校名に「洋裁」とあったけど、校内には「和裁科」もあったのをしっている。

近所のおばさんがこの学校をでていて、「ほんとうは和裁のほうが専門なんだけど」といいながら、洋裁もずいぶんな数の主婦たちにおしえていた。そのなかのひとりが、わたしの母だった。
母はいつも「あのひとはあそこの洋裁学校出だからすごい腕前で、わたしなんかぜんぜんかなわない」といっていたから覚えている。

それでかとおもうが、小学生のとき、浴衣をつくってくれたのは、この「専門」の先生にならったにちがいない。
母親同士も仲がいい同級生たちと、浴衣で盆踊りや夏祭りの夜店にでかけたのは、きっと「集団指導」があったのだ。

だから、中学の同学年の女の子が数名、この学校にいくことが、なんだかうらやましくもあった。
きっと「すごい」着物やら洋服を、じぶんでつくれるようになるのだろう。

男子であるわたしのほうは、物好きなともだちと、彼の家の近所にあったちいさな材料屋さんで基盤のかけらと溶剤を買って、電気屋さんにもらったトランジスタや抵抗、コンデンサをハンダ付けして、ラジオをつくっていた。

自作のお風呂の水張りブザーは、それなりに便利だったのが自慢だ。

部品が「エレクトロニクス」でも、組立だから「メカ」同然。
小型の万力もあった自室が実験室になっていた。

生活のまわりに、メカがたくさんあったから、なにしろこれを「分解」するのがたのしいのである。
しかし、かならずもとに戻せない。
なので、商店街の電気屋さんにはずいぶんかよった。

大学にはいったころに、電気屋さんのおじさんが、うちの従業員になってくれるかと期待していたといわれたことがある。
冗談のようないいかただったが、もう、本心をたしかめるすべをうしなってしまった。

エレクトロニクスとメカニクスを合体させたのが「メカトロニクス」だけれども、このことばもあまり聴かなくなったのはどうしたことだろう。

工業のひとたちのなかにおさまっていて、そとに出てこなくなったのか?
サービス業のひとたちが、とてつもない恩恵をうけているのに、ぜんぜん他人事のままなのも解せない。

口ではじぶんたちが「最先端」をいくとはいうけれど、サービス業のひとたちは、そのどこが「最先端」なのかをいわない。
まさか「接客」という「接頭辞」を略しているだけではあるまい。

「接客最先端」に「最先端」をどうしたいのか?どうあってほしいのか?

ほんとうにかんがえているのだろうか?

宿の経営者が、「なぜか」をつけていうのが、客室のテレビやエアコンが同じ時期に一斉にこわれるから、出費がかさんでこまるという。
けれども、それが「日本品質」なのだ。

「品質」が「一定」でブレやバラツキがないから、一斉にあたらしく入れ替えたものが一斉に寿命をむかえる。
だから、経営として「予定」しなければならないのに、それをただ怠っているだけである。

「メカ」の時代からのメーカー努力が、いまだに理解できないのは、いったいどういう経営をしているのか?以前に、ユーザーとしておかしくないか?

どうして「年末」に、家庭の蛍光灯をぜんぶ交換するのか?
メーカーが、だいたい「一年」をもって寿命としているからである。
けれど、これをムリに伸ばすと「経済性が落ちる」ことも理由である。
それは、メーカーの手間という意味だけでなく、その分を負担するユーザーの「経済性」を考慮しているのだ。

切れるまで交換しないというのでは「目にわるい」。ひかりの波長に目に見えないノイズがはいるからだ。
いまどき、直管なら100均で買えるから、ちゃんと交換するのがユーザーにも合理的だ。

30年前の「餅つき器」が現役なのは、毎年末だけしかつかわないので、稼働したのがたったの30回だからではない。
空気には「酸素」という「酸」がふくまれていて、これが樹脂などの酸に弱い材料をかならず劣化させる。

それでも動いているのは、いまよりはるかに「良質」な材料をつかって、わざと「長持ち」という「品質」をつくっていたのである。
日本メーカーだとしても、中国工場だからわるいのではない。
むかしが、よすぎたのでもあり、いまは、「良質」より「コスト」を重視してつくっているから、やっぱり「わざと」である。

中国の安い人件費をもとめて工場移転したが、材料も安くした。
人件費が高くなった中国から別の国に移転するなら、こんどは浮いた分で高い材料をまかなえば、おどろきの「品質」で提供できることになるから、世界の消費者によいことだ。

はたして、ことしもサービス業界は、ほんとうにユーザーのことを第一としてかんがえ、行動することができるのか?
どんなサービスをつくるのか?

なんだか「オリンピック」「パラリンピック」がうらめしい。

『蚤とり侍』の名セリフ

「寝正月」をきめこんだら、本でも読むのがまっとうなのだろうが、それでは「夫婦の時間」にならないから、なにか観ようかとなった。
もちろんテレビではない。ましてや、地上波を観ることは、そもそも発想にない。

アメリカからやってきた、巨大EC会社が提供するサービスに、有料会員なら無料で観られる「映画」などのコンテンツがある。
この会社には「頭脳が豊富」にあるため、世界でほとんど課税されないという問題があるものの、それは課税当局の問題で、もはや各国の「国民のしったこと」ではない。

どちらさまの行政も、国民が求めることではなくて、行政の都合で施策をうつばかりだから、とうの国民たちが、なるべく税金を払いたくないとかんがえるのは「世界共通」になっている。

21世紀は「国民国家」の「国民」と「国家」が分裂する世紀になったから、「国民国家」として大戦争をくり返した20世紀は「遠くになりにけり」なのである。

だから、行政当局のたちばから、「おかしい」とか「不公平」だとかいうのは、たんなる原稿料ほしさからの言動だろう。
むしろ、じぶんが盗られていることに対する、「嫉妬」というほうが適当だ。

そんなわけで、めんどうなはなしは横にして、さてなにを観ようかということになった。
こまるのは「選択肢」が「おおすぎる」からだ。
人間はせいぜい「五択」までを限度とする。

日本料理屋の、「松」、「竹」、「梅」という「三択」は、シンプルかつ理想的な選択肢を客にあたえている。
たいがいが、圧倒的に「竹」が売れて、そのつぎの「松」か「梅」か?が経営の上手・下手をきめる。

「松」がいい、「梅」がダメ、ということではない。
客層からと、経営者の希望からとの組合せで、どちらを「優先」して売りたいか?をかんがえるか、かんがえないかでちがいになるのである。

かんがえるひとが「上手」になって、かんがえないひとが「下手」になるだけだ。
もちろん、「松」、「梅」ともに両方が、売れなくてよい「犠牲商品」になってもいいし、してもいい。

「竹」しか売らないなら、「松」や「梅」をメニューにのせるのは「ムダ」だとするのは、行政がやる道の駅とかにある食堂のことで、売れないけど「選択肢」をあたえ、客がじぶんで「選んだ」という行為をさせてあげる「効果」が、どんなに貴重かをしらないからである。

「松」、「竹」、「梅」には、巧妙なしかけがかくされているのだが、かんがえないひとは、たんなる「選択肢」としてのメニュー設定にするから、ぜんぶが「売れなくなる」のである。

これをむかしは、「武士の商法」といって、本業の商人からわらわれたものだ。

そこで、いまならコレと、「リコメンド」が用意されている。
下手な抵抗をせずに、すなおに「したがう」ことにして「選んだ」のが、『蚤とり侍』だった。
2018年の作品で「無料」だから、より「あたらしい」と感じる。けれども、夫婦で作品の存在を「しらなかった」のも「選択理由」である。

将軍というトップがおなじ家からの「世襲制」なのに、老中という実権者がかわると、政策が激変することに不思議がなかったころのはなしだが、これはいまもおなじに不思議がないのが一般的だから、なかなか「おもしろい」。

もちろん、当時のことにいまも不思議がないのではなくて、政権党がおなじなのに、政策が激変することを不思議におもわないことをいいたいのである。
この意味で、江戸時代のひとたちから、われわれは「進化」しているのだろうか?

ときは「田沼時代」。
田沼といえば賄賂だが、堂々と要求し、これを受け取っているのは、「武士」の本領発揮ともいえる。
そういえば、池波正太郎の筆は、『剣客商売』で田沼贔屓だった。

小説の主人公、秋山小兵衛は、当時現役歌舞伎役者の中村又五郎をモデルにする。その中村又五郎が演じた「本物」の秋山小兵衛は、フジテレビ「時代劇スペシャル」で、二作品「だけ」がある。
テレビが光っていた時代であったが、役者も揃っていた時代であった。

はたして、われわれ夫婦には事前情報が皆無の映画なので、なにがはじまるのか、とんと見当がつかない。
すごいキャストたちが、すごいことをやっている。
まさかいまよりあからさまな、江戸の「ホスト」はなしとは。

しかし、だからといって「ポルノ」にならないのは、直線的思考をする欧米人にはできない「技」だろう。
「R15+」にはなっているけど、「R18+」にしなかった理由はなにか?

サブストーリーに、父親が脱藩させられた、極貧の若い浪人が、貧乏長屋の子どもたちに無料で読み書きをおしえている。
このひとが病気になったとき、主人公が口にするセリフが、

カネをのこすのは三流
ものをのこすのは二流
ひとをのこすのは一流

である。
「名をのこす」と「事業をのこす」のが二流、というパターンもある。
どうやら「出典」は、後藤新平の「名言」なので、時代考証としてこのセリフは成立しない。

名言だから、これがひとり歩きするのは結構なことだけど、いまの財界人にいかほどの感覚があるものか?
げに、三流ばかりなり。

しかし、後藤新平の「周辺」には、あやしいひとたちがたくさんいる。
この「ひと」たちを、のこしてしまったのは、後藤新平の「闇」なのか?それとも、「時代」だったのか?

ふしぎな映画を観たものだ。

5000万円以上の住宅購入で移民可能

あちらで入手した「パンフレット」をみせてもらった。
おおきく「移民」という字があるけれど、あちらの漢字の意味とこちらの漢字の意味がおなじかどうかはしらない。
たぶんおなじだとおもう。

ぜんぶ見なれない略した漢字でかいてあるから、なんだかわからないけど、わが国のどこかに、5000万円以上する住宅を購入すると、そのまま「移民できる」とあるらしい。

入管法が昨年にかわって、くわしくどうなったのかについてしらなかったが、なんだかすごいことになっちゃっている。

正式に「移民」の受け入れ人数はおおくないと思い込んでいる。
けれども、なにが「正式」なのかを横におけば、たしかに日常生活であちらの一家に遭遇する機会がふえた。
もちろん、旅行客ということではなく、「生活者」という意味である。

不動産売買は、わが国ではだれでもできるが、あちらの国ではぜんぶが「国有地」なので、「売買は不可能」だ。
そんなわけで、ぜんぶが「賃借契約」となる。

国家間だと、「相互主義」というのがあって、相手と当方の「相互」でおなじでないといけないのが、外交に関するジュネーブ条約の精神である。

それで、あちらの国に設置しているわが国の大使館不動産の土地はどうなっているのかといえば、やっぱり「賃借」だ。
けれども、わが国の首都にある大使館も、その他領事館も、なぜか「売買」されているから、あちらの「領土の一部」になっている。

まことに「相互主義ではない」ことが、とっくにおきている。

だから、あちらの国民がお金でわが国の不動産を「売買」で購入できても、わが国の国民があちらの不動産を「賃借」するしかないことに文句はいえない。
もちろん、「賃借」だって、すきな場所を借りられることを意味しない。

そんなわけで、あちらの国民がわが国の居住用不動産を一定額以上購入すれば、そのまま「移住できる」というのは「特権」だともいえるけど、あちらの国民からすれば、ぜんぜん「特権」ではなくて、ふつうの「権利」になったのだ。

なぜなら、わが国の国民が、あちらに移住しようとおもわないからである。

カジノの汚職問題ででてきたのが、贈賄側の企業が想定した「客層」とは、あちらの「富裕層」をメインとしていることだった。
たしかに、あちらの「富裕層」は、こちらの「富裕層」より人数がおおくて(おそらく一億人ぐらい)、所有資産もあちらのほうがたくさんある。

すると、あちらの富裕層の満足を得るには、まずは言語の壁を撤去しないといけないから、あちらの労働者を呼び込むことがひつようだ。
それで、だいたい1万人程度従業員向けの「住宅地」が開発計画に付随していた。

家族を呼べば、たちまち4万人の街ができる。

候補地の地方都市なら、垂涎の的となる「人口増」が約束される。
もちろん、これで税収もふえるから、役所がさかえることは間違いない。
それに、あたらしくつくるあちら向けの住宅地だから、既存の住民との文化的対立も回避できるのは、画期的な計画案だ。

このストリーの注目点は、富裕層の量と質の双方で、わが国を凌駕してしてしまったことにある。
たった30年でこうなったのだ。

逆にいえば、たった30年でわが国は富裕層まで衰退した。

あちらは、政治に自由がないが、経済を自由にした。
こちらは、政治に自由があるようにみせて、経済も統制した。
30年前のあちらは、政治に自由がなくて、経済も統制したから貧乏だった。

こうして比較すれば、わが国のまちがいが簡単にみえてくる。

政治に自由だけでなく、なによりも経済を政府の統制から自由にさせればいいのである。

それにしても、どうやって5000万円以上ものお金をわが国に持ちこんで不動産を購入するのだろうか?
空っぽの家では暮らせないから、家具や備品を買わないといけない。

世帯数をこえる新築住宅供給は、こうして「移民」という受け皿があったとは。

陰の内閣総理大臣は、鳩山由紀夫氏にちがいない。
冗談でないのは、「民主党時代」の政策が、安倍自民党政権で、より一層ブラッシュアップしているからである。

民主党は解体されたようにみえるが、じつは自民党が民主党に「脱皮」していた、という顛末だ。

日本において日本人が少数民族になるのは、予想よりはるかにはやいかもしれない。

恒例の初詣

2020年、新年年頭にあたって

まいど恒例の「初詣」。
午前中、祖父母と両親が眠る寺に年賀の挨拶をして、境内に墓参する。
小学生のときからの、「家」の元旦行事である。

午後は、同級生たちと伊勢山皇大神宮にお参りすることになっているが、これはおもに「厄払い」がきっかけだった。
それでも、もう20年、欠かさないでいるから、事前に集合場所や時間の連絡もしないで全員があつまる。

参拝後は、中華街で新年会をやる。
この会場には、紆余曲折があって、野毛の飲み屋街で開いている店に飛びこんだのがはじまりであったが、元旦から開けている店をさがすのはずいぶんと難儀した。

二年目には、おなじ店が開いていない。
それで、さまよったあげくに、また一軒の店をみつけて、ここをしばらくの「会場」にしていた。

ある年、「いつもの」時間よりすこし遅くなって到着したら、主人に「よかったー」といわれた。
年末からの仕込みがパーになるとおもったと安堵されたが、なにしろ年に一回しかいかない店だ。

お酒を追加するたびに、正月「だけでなくて」いらしてくださいよ、と主人がいうけど、全員がニヤニヤするばかりであった。
そのうち、この店が別の店になっていて、元旦営業もやめていた。

無計画はそのままだから、いつものといっても年一回の店がなくなると、ふたたびさ迷うことになって、こんどは福富町の韓国家庭料理屋におちついた。
焼肉だけが韓国料理のはずもないが、なかなか「家庭料理」という感覚もないものだから、メンバーには好評だった。

だいじょうぶ、うちは日本のお正月は関係ありませんから。
そういいながらも、かなりの繁盛店だ。
そうこうしているうちに、ある年、店が開いていない。
いつもあんまり忙しいから、「正月ぐらい休もう」になったという。

それではこまるわれわれは、とうとう「中華街」にまでたどり着いたのである。
「日本」をでて、「韓国」に寄っていたら、とうとう「中国」にまで到達したという気分である。

ここは「春節」があるから、「旧暦」の街だ。
でも、「春節」は、ドッと街に客が押し寄せるので、稼ぎどきになっている。

いったい、いつ休むのかわからない。
ただ、ちょっと前までは、中華街も正月は静かだった。

「働き方改革」で、ことしは元旦にスパーが閉まっている。
正月に店が休むのは、昭和の時代にコンビニがなかったころまでは当たり前だった。
だから、なれない買いだめをして、家に引きこもるか他人の家を訪問してすごした。

ここには「親戚」という人たちも集合したから、甥や姪へのお年玉もあった。
年末のボーナスの意味を、実感できたものだ。

あんまり暇なら、せいぜい「正月映画」を観に行くくらいで、鑑賞後に開いている店などないから、そのまま帰宅していた。
けれども、暇人はたくさんいて、映画館の混雑に辟易したものだった。

こうして、賢人は自宅で「寝正月」を常としたのである。

そんなわけで、人間は「いつものこと」が「いつもどおり」であることに安心する性質がある。
年にいちどの「いつも」が、だんだん回数をかせねると、なんだかこの「いつも」がありがたくなってくる。

同級生たちとの会話に、いつのまにか「あと」とか「まで」という時間区分がはいりだしてきた。
どうせ「あと」20年もしたら、とか、70歳「まで」、「あと」10年とか。

若いころには想像もできない時間区分が話題になっている。

それに、ポツポツと、同級生や同学年だった友人の訃報も聞くようになってきた。
だいぶみじかい人生が、切実だ。

来年は人生最後の「本厄」になっているから、本殿でのお祓いをしよう。
それから、再来年、、、、、と続くのはまちがいない。

かくして「恒例」が実現しつづけることは、じつはもっとも「おめでたい」ことなのだ。

うまくできているものである。

ことしもまちがいなくやってきた、「新年」だ。
あらためて「おめでとう」ございます。