レジ袋有料化がはじまった

本日、7月1日から、コロナの中でも宣伝されていた「レジ袋の有料化」がスタートする。

殊勝な店舗で、なんども繰り返しアナウンスされていたのは、「地球環境のため」という政府がいう世迷い言ばかりで、法律ではない「関係省令改正」という政府の無謀を理由にしない。
まことに、政府からみたら「けなげ」なことである。

しかし、国民も「けなげ」なのかなんなのか?
国会を通さずに、国民あまねく負担させられることが決まる。
事前に文句をいわないので、あっさり今日という日を迎えてしまった。
買い物をするたびに「不快」なおもいをさせられることになる。

もちろん、レジ係のひとは、たいがいが「パートさん」なので、このひとたちに文句をいってもはじまらない。
「わたしパートなので、難しいことはわかりません」
という「決め手」を持っているからである。

すると、これを「客」にいわせるメリットを享受するのは、スーパーの経営者になるのだが、社内で業務上の気づきについて自由に意見をいって欲しくても、やっぱり「わたしパートなので、難しいことはわかりません」と、なにも協力してくれないことを怨むことはできない。

むしろ、いままで協力的どころか積極的に意見を述べてくれていたひとたちも、「わたしパートなので、難しいことはわかりません病」に感染してしまうおそれまである。
それほどに、ひとの精神を破壊する「政策」なのである。

そもそもが、東京オリンピック観戦のために多数の外国人がやってきて、そのとき、日本国内における買い物で、「レジ袋が無料」なのは、地球環境に鑑みて「恥ずかしい」と発想したことが原因だった。
つまり、「見栄っ張り」という精神が原点にある。

そのオリンピックが延期になっても、レジ袋の有料化が延期にならないのは、それはそれ・これはこれという「分裂」した発想があるからで、国民を痛めつけることが「統治」だと勘違いしている。
「飴と鞭」の「鞭」だ。

もっとも、昨日の6月末までだった、「キャッシュレスで5%還元」という「政策」は、昨年秋に消費税を上げたことへの「飴」だった。
しかし、この「飴」は、本当は「苦い飴」で、肝心の消費税を増税するという「鞭」を隠すための「局所的政策」なのである。

そう考えれば、太陽光発電も、「発電」という局所しかみないで「エコ」だとか「地球に優しい」とかと意味不明なことをいっていた。

太陽光発電装置をつくるためにつかうエネルギーと廃棄処分するためのエネルギーは、発電能力の4倍かかることをいわない。
電気自動車や水素自動車も、同じ手口で何度もおかしなことを繰り返すのは、「局所」しかみないことをしないと、「産業政策」にならないからである。

つまり、「政策」が重要で、「実態」は重要ではないという価値判断をしているのである。
わが国が貧乏になるのは、多額の税金をこんな「政策」につぎ込んでいるからである。

レジ袋の有料化の実施には、関係省庁の横串的「省令改正」が同時に行われた。いつもの、縦割りとちがうから、やればできることを示したが筋が悪すぎる。
その筋の悪い役所、環境省は、これまで3割いたレジ袋を要求しないひとが、どういう根拠か?6割になることを「目標」にしている。

主婦を舐めるな。
3円払うのと、まとめて買うのとどっちが得かをかんがえるのだ。
「ゴミ袋」としての局所しかかんがえないとしたら大間違い。
ちゃんと「利便性」という「効用」を考慮する「経済人」なのだ。

どうせ有料なら、コンビニでも大きめの袋を要求するかもしれない。

なんどもいうが、「科学が社会に負ける」状態が、ダイオキシン騒動以来ずっと続いていて、ぜんぜん終わりが見えない社会になってしまった。

コロナのマスクも同じ精神構造からなっている。
「咳エチケット」だったはずのものが、全員着用しないといけない、に変容した。
自分の口から飛ぶ、咳やクシャミの飛沫をマスクは防ぐから、他人へのエチケットになるのだ。

咳もクシャミもしないひとが、紙や布でできたマスクをする「効果」なんかほとんどない。日本語のふつうの会話で飛沫は飛ばない。
逆に、吸い込みを押さえる防御効果があるのは、マスクの編み目に引っかかる「花粉」しかない。

小ささで単位がちがう、ウィルスや細菌を吸い込まない作りのマスクとは、「N95」以上の医療用マスクしかない。
ただし、このタイプのものは、減菌された手術室での使用を前提としているので、ふつうの環境では2時間もすると目が詰まって息苦しくなる。

それなのに、あろうことか政府は、アベノマスクの効果があったと発表する。
少なくても、わが家では開封もしていない。
いったいどんな「科学的根拠」に基づいて「効果」をいうのか?質問して追いつめる知見が、記者クラブの記者にない。

レジ袋の原材料自体が「高分子体」である。
つまり、もうこれ以上加工ができないので、ゴミとして焼却処分していた。
なんとかならないのか?と発明したのが、レジ袋である。
ゴミの再利用で、もっとも優れたものがどうして地球環境に悪いのか?

こんなチマチマしたことに人的エネルギーも投入して、とにかく国民に不自由を強いる。

昨日は、とうとう「国家安全法」が採択されて、即日施行された。
どうせ国民を不自由にさせるなら、このくらいダイナミックなことをわが政府もやってみろ、といいたい。
やりたいけど、できっこないから、「遺憾」だというにちがいない。

果たして、社会主義に親和性のある民主党ニューヨーク州知事は、マスク着用を義務化するといいだしたら、トランプ大統領は「個人の自由」といいかえした。

まともなのは、どういうひとかをちゃんと自分で考えたい。

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