個人情報は国家のもの

法律でいう、『個人情報の保護に関する法律』は、平成15年5月に公布され、平成17年(2005年)4月に全面施行された。

『個人電話帳』(のちに『ハローページ』)は、2021年をもって基本的に終了し、130年の歴史に幕を降ろしていた。
もっとも、電話帳に記載されないように「申請」するのは、とっくに「当然」となっていたので、分厚い本の代名詞だった電話帳もずいぶんと薄くなっていた。

わたしが子供時分に、アメリカではプライバシーが割れて強盗がきたりとか物騒だから、電話帳に個人宅は記載しないことがふつうだと話題になって、「不便だなぁ」とおとなたちが嗤っていた。
むしろ、電話帳に自分の名前と住所が印刷されるのは、なんだか一人前のお墨付きのようで嬉しかったのである。

この意味で電話帳が分厚かったのは、自分の名前と電話番号、それに住所が「掲載される」という基本があったからで、郵便番号は別だった。

小学生がクラスメイトに年賀状を出すにも、わざわざ電話帳を調べたりした。
学校の緊急連絡簿とおなじなのはわかっていても、住所が緊急連絡簿にないことがあったからだ。
だから、本人の名前ではなくて、お父さんの名前で調べるひつようがあって、なんだか家族的な手紙のイメージにもなったのだった。

珍しい苗字の場合、横浜市内でも数名しかいないと、その家族の家系までがわかった気がして、本人に聞くとその通りだった。

悪い意味でアメリカナイズされて、電話帳に記載拒否するのが日本でも当たり前になったのは、やっぱり住みにくさの象徴で、それが「自由」ゆえのことだと思えたものだ。

国家が統制できないからである。

しかし、その自由が暴走しだして、人々が自分の自由で勝手に振る舞うから、世の中が不自由になったのである。
たまたま、そこに携帯電話が普及して、必要な電話番号だけでなく、住所も登録できたから、電話帳の必要性がなくなっただけだった。

つまり、まったく別の事象が、たまたま絡み合ったことで、本来起きるべき問題を乗り越えただけなのだ。

それだから、「個人情報保護法」については、順序が逆の誤解が、こんどは世の中をもっと不便にした。

従来からの生活における個人情報の保護の習慣を基礎として、これを成文の法律にしたものを、そもそも「個人情報」といういい方が新しかったから、すっかり「進歩的な法律」だと誤解したのである。
その顕著な例が、卒業名簿を作れなくなったとか、町内会や自治会の会員名簿が作れないまでになったのである。

これらは、たまたま別の事象が絡み合ったのだけれども、それが、「責任回避」の裏にある「無責任」だった。
つまり、卒業名簿から個人が割れて、なにかしらの迷惑事案や犯罪となったとき、どうして名簿を作ったのか?という指摘をされたら「嫌だ」というだけの問題だった。

もっといえば、卒業名簿をどうして作っていたのか?を問えば、同窓会やらクラス会の便宜をとるためでもあった。
だから、これらの目的以外に、他人にみせることは、昔からも想定していない。

すると、作らないと決めた理由にある、「懸念」とは、相互不信にほかならない。
だれか、このクラスや住民のなかに、名簿を売り渡す輩がいるのではないか?と。

こんな失礼な話はないのに、こんな失礼な話を前提とするようにしたから、「誤解」という。
当初目的以外に用いてはならない、と法にあるのは特別なことではなく、違反すれば罰せられることが、加わっただけなのだ。

むかしは、町内会の名簿印刷に費用がかかるのを、町内の商店の何軒かに広告出稿してもらって賄ったものだ。
そんな商店主も町内の住民だから、だれも非難するひとはいないし、名簿情報が漏れる心配もなく、かえって商店主に感謝したのだった。

ただで町内会のきれいな名簿が印刷できるとは、だれも思っていなかった。

それが、役所からの補助金の対象になったら一変したのである。
「自治」に、他人からのおカネが降ってくるのは、よいことばかりではないのだ。

いまや横浜や関東からなら、ほぼ飛行機で移動するはずの鹿児島市で、18歳になった市民の個人情報を本人の承諾なしに自衛隊員募集のために、引き渡すことが話題になっている。
これが大炎上したので、今月から、鹿児島市は「提供拒否の申請の受付」をはじめるそうな。

「拒否の申請」ではなくて、最初から「違法」だという話に当局はなっていない。
市議会でも一切報告・審議されないで決まった、というので、もう「独裁」状態なのである。

地方自治法にも抵触していないか?

すると、鹿児島市だけでなく、うちの市も、という書き込みがある。
全国規模で、「絶賛実施中」なのか?
ならば、これは、個人情報は国家のもの、ということに相違ない。

自治体は、むしろ、国からの住民基本台帳の情報提供を強要されていて、これを拒否できないので、仕方なく強引でもやります、となっているのではないか?

そんな岸田政権は、河野太郎デジタル大臣が、SNSへの利用登録に、マイナンバーの提出を義務づけるといいだした。
例えば「危険」とされる、「TikTok」にアメリカ議会でのやり方をみないで、ここだけ「日本の独自性」を追求するのは変だ。

しかも河野氏とあらば、「言論統制」という目的ではなく、「媚中」だけがみえてくるのはわたしだけか?

ついでに、首相は、「サラリーマンが転職しやすくするために、退職金への課税を重くする」と表明した。

理由はもう、なんでもいいのである。

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