「密約」は公開されない

昨日の記事では、スタグフレーションになりそうな欧州の冬を「暖冬であれ」と祈ったけれど、ユダヤ・キリスト・イスラムの「神」は、日本人がかんがえる「神々」とはちがって、ぜんぜん人間の都合を考慮してくれない、という特徴がある。

これらの宗教があがめ奉る「神」は、あくまでも「(神の)自己都合」を通すのであって、はじめに「人間の都合」を考慮することは一切ない。
人間の都合が叶うことがあるとすれば、それはまったくの「たまたま」なのだ。

ゆえに、これらの宗教を信仰する人びとは、「神頼み」をしないで、人間による解決を図ろうとするのが、「行動原理」になる。
彼らの「祈り」の本質は、全知全能の神を称えることであって、本人の自己都合の要求ではなく、自身の行動を見守って欲しいことに集中する。

ここが、日本人と決定的にことなるのである。

日本人の基本的な宗教観は、「アニミズム:原始的な自然崇拝」ということになっているけど、わたしには、あんがいと人間の自己都合な要望を叶えてくれる発想をすることの本質は、「人間中心主義」であって、「神々」を人間に奉仕する存在に落していることが「日本的」なのだと思っている。

つまり、日本人には、宗教を「医療」と同列に扱う伝統があることをいいたい。
それが「健康」とか「病気治癒」の祈念であったのは、奈良や平安貴族たちが建てたあまたの寺院の建設目的になっていることでわかる。

たまたま「外来」の仏教が「効く」となれば、仏教に帰依し、そうでなければ儒教にもいくし、神社にも戻る「無節操」なのだ。
そうやって、自己都合を祈っているうちに、「栄耀栄華」まで祈るようになって、その卑近の例が「商売繁盛」祈願になった。

改めてかんがえれば、ユダヤ・キリスト・イスラムの寺院で「商売繁盛」を祈念しているひとは「いない」のだ。
なぜかといえば、「神」はそんなことに興味を示すわけがない。

「全知全能」だからである。

しかし、日本人は自己都合を祈って、それが成就したら、きっちり「お礼参り」するのを「礼儀」としている。
そのお礼の気持の深さを、「貨幣経済の発達」で、「金額表示」するようになったから、「高額寄進」が発生する。

むかしは寺院に「礼拝堂たる院」を建てて寄進し、お礼としたので、それに匹敵するお礼を金銭ですれば、「戒名」に「院号」が付くことで示しているのだ。

これの順番が、「逆転」して、院号がほしいから多額の金銭を払わないといけない、になった。
死んでも「ステイタス」になると信じる、まことに「因業」なことになったのだけど、もらう側の宗教者もこれを、「因業」だとはいわない。

もちろん、自己都合を必死で祈ったのに、それが成就しないなら、いきなり科学に目覚めて「詐欺」だと認識するし、それでも納得しないなら、別の「神」を選んで拝む浮気をするのがふつうなのだ。

それでいう共通言語は、「あそこの宗派は効かないよ」だ。

つまり、日本人にとって「いい宗教」とは、1000年以上のむかしから、「自己都合が効く」宗教に入信することになっていて、宗教間の信者獲得競争が「効くこと」に集約されること「だけ」になる。

ところが、これを自由放置して、「効く宗派」が巨大化すると、一向一揆のように、こんどは為政者が危険にさらされるので、徳川幕府は、「檀家制度」を発明して、各家での「過去代々と、未来永劫」、その家の宗教を固定化した。

よって、信者でなくとも檀家になった。

こういう前提で「新興宗教」が、すべからく「家の破壊=家族分断」をするのは、当たり前なのである。
それを政府が介入するのは、徳川幕府以下の愚劣だと、受験エリートには理解できない。

さてそれで、実権のない欧州議会で、最高権力者のフォン・デア・ライエン欧州委員長(President of the European Commission)に、「詐欺罪」を適用すべきだという「議員団」ができた。

EU圏4.5億人に「45億回分の大量ワクチン購入」を勝手に決めたことが「詐欺」だという。
その「詐欺」とは、「効かない」ことを問わない、製薬会社との「密約」の存在が背景にあると説明されている。

ちょうどわが国でも、厚労大臣の出席があった参議院厚生労働委員会で、立憲民主党の川田龍平議員が質問に立って、「密約」の公開を求めたところ、「局長」がした答弁では、「公開できない」というものだった。

なお、川田議員の「ユーチューブ」が、ユーチューブ側の「規約違反」に抵触して、バンされる事態となっている。
わが国でも、国会議員による国会質問が、議員の公式番組からも削除される「言論統制」が行われている。

特定宗教についての議論よりも、はるかに次元の高い大問題が、どういうわけか「国会」で議論にならない不思議がある。

こうしてみると、EUとわが国の「体制」が似ているのは明らかだけど、真似たのはEUだということに、日本人は気づくべきだろう。

世界の「邪悪」の根源に、わが国の存在があるのだ。
それなのに、わが国は「道義国家だ」と自慢するのは、どうかしていないか?

そして、国会は国権の最高機関だという「暗記問題」は、すでに誰も信じない憲法違反の「常習化」とともに、国会に報告されないことばかりになって、「密約大国」になっている。

これは、ぜんぜん国民に「効かない」のであるけれど。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください