監査役の別格化ができない

「日本企業売り」のためだかしらないが、企業経営情報の公開に関して、ずいぶんと細かく・詳しく規定されるようになってきた。

誰のためなのか?をかんがえると、法律の意外な側面が見えてくる。

たとえば、刑法。
様々な犯罪とその罰(「死刑」とか、「懲役年数」とか)の量刑が書いてある。
だから、この法律は、裁判官用だとわかる。

ならば、わが国最大の法典、「民法」はというと、これは国民生活におけるルールを定めたものだから、国民一般のためにある法律のはずだ。
さいきんは、誰のためのなの?が怪しくなってきているけれど。

すると、商売人のための法律として、「商法」があったのに、これを、「会社法」とに分割したのはどういうことか?

なんだか、「日本企業売り」のための、外国人投資家向けという目的が見え隠れする。

岸田氏というよりも、自民党が総理・総裁にいわせている、外国での、「日本(企業)へ投資をしてください」を裏返しして、日本企業を買収してくださいに聞こえるのである。

じっさいに、外国人投資家が保有する、日本企業株の保有比率は、日本人の比率を上回ってきたから、自民党の外国への影響力も凄まじいことがわかるのである。

ただし、自由な投資行動は、政府やらの要請を無視もできるから、この結果を自民党の成果なのだとは断言できない。
むしろ、円安誘導して「割引」している日銀にこそ、より重大な責任がある。

古今東西、投資家の行動様式は、安く買って高く売る、だけなのだ。

国家統治とか、地方自治体の統治には、「法治国家」としての決まりがあったが、これを壊しているのも与党・自公政権だ。

しかしながら、企業統治についてもその魔の手を伸ばして、「会社法成立」に至った。

なんだかんだと、「取締役会」の強化がされた。
「監査役の重み」を口ではいうが、文言はそうなっているのか?

もともと、監査役の立場は、取締役会に対する「お目付役」としてのものだといっていたが、監査役を選ぶのが事実上、取締役会だから、お目付役とは形式上のことだけになるのは当然である。

徳川幕府には、「目付」とか、「大目付」がいたが、老中の配下だった。

むしろ、織田信長が自慢した、「彈正家(信長は自ら、「織田彈正」を名乗っていた)」の由緒は、日本型朝廷の組織の中にあって、天皇直轄にして太政官に不正をみたら、ただちに切り捨ててよい、という権限が与えられたことにある。

しかも、平安朝の当時から、天皇には事実上の政治権力はなかったので、藤原摂関家にとって、彈正の存在は煙たかったにちがいない。
平安末期、清盛の平家とあらそった後白河法皇の権力基盤こそ、恨み節の藤原家だった。

以来、武家の幕府と、公家の朝廷が並立して安定したのは、確固たる監査体制ができたからでもあった。
公正中立にして、私欲に翻弄される立場にない、天皇の存在が、この両立の支柱だったのである。

アメリカ民主党がわが国に強制した、戦後民主主義は、こうしたバランスを完全破壊した。

企業統治における破壊は、「公職追放」という強健で実施された。

「軍国主義に加担した」という屁理屈が、いまでは常識になってすっかり正当なのも、破壊の完璧さの証拠なのである。

ずいぶん前にも書いたが、「軍国主義」の主義たるゆえんは、戦争に勝ち続けることでしか達成できない。
この意味で、わが国は、軍国主義だったとはいえない。

逆に、アメリカこそが、戦争を欲し続ける軍国主義の本家本元だ。
ポツダム宣言違反の、民間経営者20万人の追放が意味したのは、素人経営者による企業統治の破壊であった。

いまや、インフラになったインターネットでさえ、アメリカ軍の軍事通信技術を少しだけ民間開放したものだったことを忘れてはならない。

だから、「コンプライアンス」もカタカナなのは、道理なのである。

すると、監査役の本来の立ち位置を忠実に実行しようとすれば、株主は、別組織として、「監査役会」に予算を与え、取締役会がする業績報告とは別に、監査報告をする必要があるし、監査役の手足になるスタッフ人材も、監査役会が募集・採用・雇用しないといけないのである。

けれども、これには株主が得るはずの利益が減ってしまう、という問題が立ちはだかるので、採用しないのだ。

ならば、「業務委託」できないものか?

わたしは、正規の労働組合に委託すればいいのではないか?とかんがえるのである。
「正規」というのは、労働行政当局への届出も済ましていることを条件とする。
これなら、自動的に、会社が設立を認めたことも前提となるからだ。

前に、「36協定」について書いたが、あれからなにか進展があったことはなく、トンチンカンな「働き方改革」なるものが法制化されて、またぞろ、「ハローワーク(労基署)」のほかに「働き方改革推進支援センター」なる屋上屋が設置されるムダがある。

企業の不祥事は、たいがいが、経営トップの問題で、これを管理職が実行に移すのだが、実行部隊は現場職員、すなわち労働組合員だ。
あるいは、管理職だけで実行するにしても、部下が全く気づかない、ということはないだろう。

企業の利益は、まず働く側に分配されるべきで、株主への配分はその後が常識だったのを、アメリカ式がこれを逆転させた。

次の攻防は、「監査」になると予想するが、株主利益のためにも妙案になるのではないか?

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