歴史をあばく「史観」の存在

「通説」というのは、その時代時代での、常識でもあるけれど、遺跡やら文書やらのあたらしい資料の発見で、何度も覆されてきた。

だから、「通説」は、単に「通説」として受け止める、一種の軽さを求められるのだけれども、自分に都合の良いものとか、ついうっかり信じきってしまったものを否定されると、不快になるのも人情というものだ。

もちろん、どんなに立派な学者でも、人間にはちがいなから、自説を曲げられて気分がいいひとはあまりいないか、いたとしたら「本物」だともいえる。

ただ、自然科学を専門にしたら、相手が学者(人間)ではなくて、研究対象の自然現象そのものだから、通説も自説も、新たな実験などで覆されるのは日常茶飯事のことだ。
そうやって覆したはずの説も、あくまで「仮説」なのであるから、別の方向から覆されても文句はいえず、そうやって「進歩する」ことだけが事実として残る。

残念なのは、「社会科学」とか、もっと適当なのが、「人文科学」で、これらに「科学」をつけていいものか?から疑わしいのである。
そこに、「仮説でしかない」ことの意識がないからである。

「歴史科学」という下位にある分野も、この意味でかなり恣意的で、怪しい。
この用語は、マルクスのいう、「唯物史観」なる「空想」を基礎にして、あたかも「科学」だと強弁したことから生まれた。

わたしが大学生だった時分には、歴史好きだった友人(希望の文学部歴史学科にめでたく合格した)が、「科学」の用語に吸い寄せられて、あろうことか「民青(民主青年同盟)」に絡めとられてしまった。

それが、「歴科研(歴史科学研究会)」という学生クラブへの安易なる入会がきっかけであったのである。

はなから真面目で、かつ、理屈好きだったために、よせばいいのに多勢に無勢どころか単独で先輩諸氏に反論を試みて逆襲され、わたしからいわせれば、「洗脳されてしまった」のだけれど、一度洗脳が完成すると、もう元には戻れないのも、「脳」を犯されたためである。

それで今度は、わたしに洗脳を試るようになったので、残念ながら付き合いをそれっきりとしていまに至るのである。

この意味で、わたしは友人をひとり失った。

そういうわけで、特定の「思想」を刷り込むのにもっとも効果的な方法が、「歴史教育」なのである。
それで、一方的な価値観からの、「歴史観」を刷り込めば、滅多な証拠をあげてもびくともしない。
これには、日常でもさりげなく、しかも断続的に繰り返し教育することで、本人には無意識のうちに「染め上げる」ことができることもおなじなのである。

それが、敗戦後GHQによって意図的な計画によって行われた、日本人骨抜(無能化)策の、「ウォー ギルト インフォメーション プログラム(War Guilt Information Program:WGIP )」であって、さらに、「3S(Screen、Sports、Sex)」が道具であった。
スクリーンが、映画、テレビ、ラジオのマスコミを意味し、スポーツは娯楽の提供、そしてセックスとは、あらゆる欲望(煩悩)の満足、たとえば食欲をそそるグルメ番組がこれにあたる。

これを進めるための、基盤とする「史観」こそが、国際リンチの茶番劇でしかなった「東京裁判」を利用した、「東京裁判史観」なのである。

しかし、グローバル化したいまでは、その上位概念といえる、「リベラル国際主義史観」をもって、「正統」とされている。

国内では「東京裁判史観」、外国がからめば、「リベラル国際主義史観」へと変容させて、これ以外の「史観」を許さない。

あろうことか、この「史観」をもって、我が国を運営しているのが、自民党・公明党連立政権なのである。
もちろん、既存の全野党も、この史観であって、原点に共産主義がある。
よって、共産党が我が国の政治シーンの、正規分布の中心にある、と前に書いたのである。

なかでも、「維新の会」なる政党の躍進(2023統一地方選挙の結果)は、完全なる利権優先の「第二自民党」かつ、もっとも強力な「親中派」なのに、あたかも「保守的」な言動をするから、オリジナルの自民党に比べて、悪質なのである。

この点で、衆議院補欠選挙があった和歌山で、二階氏が推す自民党候補が維新の候補に敗れたのは、二階氏の本音として、笑いが止まらないはずなのだ。
気の毒な和歌山県民の、はなから選択肢がないことに、神奈川県民として同情するのである。

だから、「リベラル国際主義史観」に反対する、「史観」は、ぜんぶ否定され、「悪の根源思想」だと断ぜられるのだ。

その中心に、「歴史修正主義史観」がある。

この「史観」は、正規分布図からした、両辺の「外れ値」にあたるから、たったひとつの用語として、「歴史修正主義史観」といっても、水と油ほどもちがう「史観」もさしてしまう粗っぽさがある。

一方は、たとえばナチスのユダヤ人虐殺を正当化する「修正史観」だったりするが、一方は、「リベラル国際主義史観」が隠そうとする歴史事実に光をあてて、より鮮明に歴史の背景から過去の事象を再構築する作業をさすこともある。

当然ながら、「後者」の態度こそが、「主義」として正しく、しかも無理やり歴史の修正を試みるものではない。
むしろ、「リベラル国際主義史観」の、とっくに科学から乖離して、「政治の道具」とする態度(主義)こそ、人々を欺く邪悪な意図が隠れている。

これをまた、「相対主義」だと批判するのは、「リベラル国際主義史観」の「絶対視」からでる、勇み足であって、身から出たサビなのである。

職業学者ではない、市井のひと、渡辺惣樹氏の力作、『英国の闇 チャーチル =世界大戦を引き起こした男』(ビジネス社、2020年)なぞは、職業学者の拠り所である「学会」となんら関係のない、いわば、バイアスがないからこそ追求できた、ひとつの傑作なのである。

  

すなわち、「リベラル国際主義史観」こそ、エセ科学だと、一般人が筆の力で鋭く突きつけた刃なのだが、エセ歴史学者を相手にせず、読者たる一般人は素直に読めばそれでいいのである。

「分断のアメリカ」がわかるドラマ

このブログで何回か引用している、「Harano Times Official Channel」さんによって、紹介されている日本語字幕付き「短編ドラマシリーズ」(全6回)がある。

その記念すべき第一回目は、 https://www.youtube.com/watch?v=B52OfzweZ0g でタイトルは「引っ越しの日」だ。

第三話では、ハラノタイムズさん自ら事前にドラマの背景説明をしており、その後の本編を鑑賞していて驚いたのは、共和党有力上院議員のひとり、テッド・クルーズ氏本人が出演していることだった。

急進左派の州としていまや「イカれているアメリカの典型」となったのが、カリフォルニア州で、その過激ぶりは、東部の「ニューヨーク」と双璧をなしている。

しかし、たとえば、日本のフジテレビで放送されたドラマ、「木曜劇場シリーズ」開始第一作になった、『オレゴンからの愛』(1984年)で、予算がないいまではかんがえられない現地ロケ撮影された!ことも話題になった、「オレゴン州」の麻薬汚染ぶりも、民主党が支配することで実現したのだった。

それがいまや国境を越えて、カナダのブリティッシュ・コロンビア州(州都はバンクーバー)でも、麻薬が合法化されて、さらに「無料」で州政府が投与してくれるから、市民はこぞって麻薬中毒者になっている。

行政がいう「無料」とは、集めた「税金の使途」のことなので、納税の義務をきっちり果たすと、自分や自分の家族が麻薬中毒になることを促進させる意味となる。
かくして、その対象がなんであろうが、行政による「無料」とは、住民にとっての「麻薬」なのだということの、もっともそのまんまな例なのである。

ならば、なんでこんな「政策」を極左は実行するのか?といえば、当然ながら、「共産化」を目的とするための手段だからである。
「共産化」とは、市民・国民を政府(一部の支配者)の奴隷にすることなので、そのための「エサ」が、「無料」なのである。

すると、邪悪な英国からしたら、アヘン戦争の原因をつくった、とされる清朝の官僚(進士)、林則徐の正しさがわかるというものだ。
彼は国民が阿片中毒者におちいる悲惨を阻止すべく立ち上がった、現代でこそ「希な」高級官僚なのだった。

「戦争」では、清は敗れ、香港を割譲するに至るも、その精神は、永遠なのである。
ゆえに、林則徐の名は、「清代最高の官僚」という評価に揺るぎはない。
惜しむらくは、彼の上司たる「皇帝」に、意志がなかったことだった。

これは、官僚が歴代の世継ぎを幼少時から育てるにあたって、「無能化する」ことを目的としたからであった。

くらべて、アメリカ民主党やカナダ自由党の政策の邪悪さは、歴史に残るほどの「汚物」なのである。

人間の価値観を曲げるのも正すのも、教育、なので、民主党の支配する「州」では、住民の価値観が歪められるのである。

しかして、このドラマの主人公夫妻は、カリフォルニアで「まじめ」に育ったがゆえに、その急進左派性を、自慢するレベルにまで「洗脳」されていることが、その後の「落ち」につながる重要な要素なのである。

一方で、主人公たちが引っ越してきた「テキサス」は、アメリカ合衆国の歴史で唯一、「テキサス共和国」として独立国だった(1836年~1845年)経緯がある「州」なのである。
ゆえに、バイデン民主党連邦政権のむちゃくちゃに、再度独立すべきか?がまじめに議論されるのもテキサスの風土なのだ。

ところが、テキサスとは、典型的な「南部」だから、南北戦争(アメリカ人は「シビル・ウォー:内戦」という)からしたら、「南軍」なのである。
1861年に合衆国から離脱、アメリカ連合国7カ国(サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州)に参加する。

奴隷解放のリンカーン大統領率いる共和党=北軍、という単純な見方には、難があるのだ。
実態は、リンカーン共和党は、保護主義で北部の工業を育成しようとした(当時は英国にかなわなかった)のに、南部連合は自由貿易を望んだのである。

それで、戦費を賄うために、「政府発行通貨」を導入したのが、リンカーン大統領をみるときの最重要政策なのである。
いまでは、このことが、暗殺の理由ではないかという説があって、それは、ケネディ大統領にも適用されている。

アメリカの歴史は、日本史のような一種の「リニア」ではない、人造国家アメリカの厄介なところで、建国からの時間数は、いまや世界最古の国である日本とは比べようがないけれど、その複雑さにおいては、アメリカの方がはるかにややこしいのである。

そんなわけで、このわずかな時間にまとめられたドラマは、セリフの一語一語にもしっかりと歴史的な背景を負った意味があるので、単に、カリフォルニアとテキサスのローカルな対抗を表現したのではない。

まさに、「風刺」なのである。

また、みごとな「パロディー」といえるのだけど、その「パロディー」に対する「大本:オリジナル」が、上に述べた「複雑な事実」だから、そのおかしさを理解するには、それ相応の知識がいる。

「テキサス病」に感染した、主人公たちは、この環境にどっぷりと浸かることの快適さを認識して、とうとうテキサス人になるのだけど、これがハッピーエンドにならないのも、このドラマの「余韻」が示している。

それは、とっくに現実になっていて、カリフォルニア州の人工減少が深刻で、その原因が、国内移住先としてのテキサスやフロリダ州の人口増加なのである。

すると、カリフォルニア州の極左性は、どんどん蒸発した分煮詰まっていくほどに濃厚となるから、極左州とテキサスやフロリダなどの共和党の州との「対立」が、尖鋭化していることを示唆する。

そこに、共和党トランプ派が支配する連邦下院で、先週末にとんでもない「宣誓証言」が飛び出して、極左民主党がやった組織犯罪のシッポをさらけ出して、首都ワシントンは大騒ぎになっているらしい。

ゴールデンウィークという、日本ローカルの連休前に、2023年4月最後の週は、大荒れになるのだろう。

絶滅危惧種の町中華

「町中華」なのか「街中華」なのか?
「町」を使いたいのは、「町内」を強くイメージしたいからである。

テレビがないから情報番組というものを観ないのではあるけれど、研究テーマとしてブームの中にあることは、なんとなくしっていた。
けれども、空腹感をもって町や街を歩けば、たちまちにしてその貴重性を体感できるのが「いま」なのである。

ここであらためて、「わたし流」として勝手に定義すれば、日本人家族経営の小規模飲食店で、「中華料理」を標榜していること、だとする。
「広東料理」までは、許容範囲なのは、「上海料理」とか「四川料理」になると、たいがいが日本人の料理人ではなくなるからである。

かつて新宿区四谷に、「済南賓館」というズバ抜けて予約困難な町中華があったけど、こちらは「国宝級」だった。

なにせ、当時中国全土でも何人もいなかった「中国特級厨士」の資格を持つ日本人夫妻が腕を振るう店で、特に夫人の佐藤孟江さんは、戦争前に現地で育った日本人貿易商のお嬢様で、自宅で雇っていた料理人の、その幻の調理法の伝承者でもあったのだ。

よって、「ラーメン屋」ではないし、差別ではなく区別として、「日本人」としたいのは、「本場」とか「本格」とかとは一線を画すからである。

しかしながら、その「味」は、ちゃんとしていることが条件で、たいがいは店主が若くして小僧から修業した経験をもっている。
だから、この意味では「本格」なのは当然だが、いわゆる「外国の味」ではない日本の「中華」にこそ意味がある。

こないだ書いた、「横浜・伊勢佐木町」に、なんとわたしが定義する「町中華店」は一軒もないのである。
ただし、通りの延長にある、「お三の宮通り」に、ようやく一軒を見つけることができるが、こちらは、微妙にメニューの重心が「ラーメン」という恨みがある。

念のため、売りは、横浜名物「サンマーメン」で、4種類ものバリエーションがある、じつは名店だ。

一応、サンマーメンとは、醤油味ラーメンに肉野菜炒めの餡かけが乗ったものだが、変種として「塩ラーメン」の場合もある。
また、横浜市でなく、神奈川県が、いつの間にか「神奈川県名物」としているのが、横浜人からすると妙なのである。

だから、横浜市内では見かけないが、「県内」になると、店舗前に「神奈川サンマーメン」なる幟旗を散見するのは、県の予算で作ったものか?

この手の幟旗に、外国語表記は見たことがないので、インバウンド向けの予算ではないのだろう。
だが、漫画文化の世界的普及のおかげで、気の利く外国人は、平仮名とカタカナは理解していることがあるので、役人から「インバウンド向け」だと強弁されたら、そうかもしれない。

なにをもって「なりわい(生業)」とするのか?

むかしは、「手に職をつける」ことがとにかく重視されていて、職人ならばなんでもいいという風潮がふつうだった。
なので、高学歴でないといけないような職業には、それなりの身分の人の家の子がなる、というのもふつうだったのである。

これを破壊したのが、「学歴」で、学歴さえあれば、それなりの身分の人と同様な職業人生が送れるようになった。
それでもって、「猫も杓子も」みんな学歴の購入に邁進した。

この需要増に、学校経営者も悪乗りして、「儲ける」ために、学歴を大量販売したのだった。

職人は企業に入っても、「終身雇用」には目もくれず、働きやすい企業を渡り歩くのが、一人前で、あとからこれを、「渡り職人」といって、時代遅れの象徴にした。

職人にならずとも、商人になって、商店を構えることは親戚縁者の横のつながりで資金調達できたから、銀行の世話にならないでも開業できた。
あるいは、大店(おおだな)に丁稚から奉公して、評価されたら、「のれん分け」で商店主にもなれたし、場合によっては取引先からの援助で独立もできたのだ。

こうした人間の生活が、だんだんと遮断やら分断されて、社会が窮屈になったら、個人商店も衰退して、シャッター街がうまれだして、町中華の跡継ぎも絶えたら、それが自然淘汰とおなじようにみえるのである。

しかし、ぜんぜん自然淘汰なんかではない。
継続できない理由が、「店を持つことがリスク」になったからである。
それでもって、作業服よりもスーツ姿が「上位」に見えるように、まちがった教育をした。

そうやって、とうとう、「町中華」を探さないといけない時代になったのである。
すると、どこも繁盛店ばかり、という当然になった。

人間の味覚は10歳までに決まるから、町中華の味を子供に覚えさせないといけない。
そうなると、そのひとの生涯をかけて、何気だが、しかし、食欲として我慢できないのが一生続くのである。

なので、「M」がつく世界的ファストフードチェーンのハンバーガー屋は、とにかく子供をターゲットにする。

この意味で、町中華は、世界に類のない日本人のソウルフードとしての、まごうことなき「和食店」でもあるのだった。

リヒテンシュタインと藩制

「歌」とは危険なもので、おおくのひとが、無意識にヒット曲に影響されるものだ。
逆に、無意識に影響されるから、ヒット曲になるのかもしれない。
そこにはまた、宣伝という、売る側の思惑もあるのだけれども。

いまの若い世代はどうだかしらないけれど、歌謡曲がふつうだった時代に生きてきたので、耳についている歌詞はそれなりにある。
「歌謡曲」とは、たいがいが「恋の歌」だから、あんがいと「和歌」に親和性があるものだ。
それゆえか、「歌謡曲」が「Popular Song」という英語になっても違和感がある「和風」なのである。

恋を歌い出すと、人生の機微に触れることになる。

これがまた、日本でも「シャンソン」が流行った理由なのだろう。
なんだかしらないが、ふだんは明るいラテン系のひとたちは、いったん落ち込むと、哀愁を帯びて深刻になるのである。

おそらく、落ちるところまで落ち込んで、きっと元気を取り戻すのではないか?
その意味で、関西圏はラテン系だとおもうのである。
古典芸能でも、「上方」と「江戸」では、おなじ演目でも表現がぜんぜんちがう。

その「粋」が、きっと「人形浄瑠璃」になったのだろう。

ただし、日本人としての統一性では、「浮き草人生」のごとく、あるいは、「時の流れに身を任す」ようなところがあって、どこか他人まかせなのだ。
これを、丸山眞男は、「イマ(今だけの刹那)主義」と呼んで批判した。

こんな性格にどうしてなったのか?
「縄文時代」から話をするひとがいるけれど、庶民のことは、あんがいとわからない。
貴族や武士の価値観や行動が、庶民と一体とはいえないからである。

学校で習う日本史なる教科が、歴史なのか?なんなのか?と問えば、社会科の延長にすぎないという意見に賛同せざるを得ない。
何年に何が起きたのか、を暗記させるのは、「史実」であっても「歴史」ではない。

現在から逆に歴史をさかのぼることはせずに、むかしから現在に向かって語る「ストーリー」が、「ヒストリー」になった。
本来は、現在の意味をしって将来に活かすはずのものを。

わたしが日本の「おおむかし」に疑問があるのは、たとえば、「口分田」の制度が、何事もなく広がって整備されたことだ。

ほんとうに誰も抵抗しなかったのだろうか?

でも、そもそもこの制度をやりたかったのは、朝廷にとって豪族の存在が邪魔だったからで、その筆頭格の「蘇我氏」を滅亡させた、大化の改新(いまは「乙巳の変」いっしのへん、という)であったという。

ところが、「三世一身法」を制定せざるをえなくなって、とうとう、「墾田永年私財法」にまでなって、今度は支配者たる貴族たちが、この制度から合法的に「荘園」にして、事実上の領地としてしまう。

なんだか、現代的な「法執行体系」が基盤として完成しているようにみえるのが、そうなの?とおもうのである。
もちろん、その基盤の重要要素が、「戸籍」の存在だ。

世界中を見渡して、「戸籍」がある国は、日本、台湾、韓国の三カ国でしかない。
要は、ぜんぶ「日本」なのである。

つまり、「戸籍」という、個人情報を国家に握られたら、古代人にして国家に逆らえなくなる?ということだ。
『マイナンバーカード』のヤバさが、ここにある。

さてそれで、いきなりだが、リヒテンシュタイン公国(人口39000人)に話題が変わる。

この国は、外交や防衛をスイスに委託しているから、ちょっと日本に似ている。
わが国も、外交と防衛をアメリカに委託して、これを、「吉田ドクトリン」なぞといっている。

しかし、わが国とちがって、おそろしく「豊か」なのだ。
1人あたりGDPは、157,755ドル(2020:世界銀行)で、日本の39,312ドル(2021年:世界銀行)とは、ケタ違いで比較にならない。

その原因のひとつに、「租税回避地:タックス・ヘイブン」としての特別がある。
不思議と、わが国と国交が結ばれたのは、1996年であった。

この国の政体は、「立憲君主制」だけど、完全なる民主主義国家である。
人口数からしたら、日本での「市」とか「町」にあたるのに、だ。
なお、国民は、中央政府が近いので、すぐさま「大臣」とも直談判できるのである。

ただし、リヒテンシュタイン公国の国民は、政府におねだりばかりする、けっして「乞食」ではない。
そんな国民教育をしていないのが、わが国との決定的な「分岐点」なのである。

なにをベンチマークにするのか?という、一種の「目標設定」で、どういうわけか日本人は巨大なアメリカを相手にしてきたけれど、このベンチマーク設定がそもそも間違っていないか?

明治からの中央集権(奈良時代への回帰)が、どうも怪しいのである。

この意味で、「藩」が覇権を争った戦国時代、戦を奨励はしないけど、「善政競争」が各地であったことに注目すると、戦国大名たちによる、生き残りのための財力を得るためにした施政に興味が移るのである。

その中の「圧倒」が、織田信長の、「楽市・楽座」であり、関所の廃止だった。
つまり、ハイエク的な、自由競争を、計画的に実施したのである。
御屋形さま(織田家家臣団の政府)が、計画経済を実施したのではない。

このことが、なんだかリヒテンシュタイン公国と似ているのである。

概ね日本は、人口が3000万人ほどであったのは、農地から得られる収量が、これ以上の人口を許さなかったからである。
だから、先進国最低の食糧自給率(3割台)ではあるけれど、人口が4分の1になると、だいたい自給水準になるのである。

ただし、耕作地を維持してのことなので、いまの「農政」は、「口分田」よりも稚拙なのであって、コオロギを食えとは、笑止である。

リヒテンシュタイン公国を眺めながら、「廃県置藩」を改めてかんがえたい。

トランプの安倍離れ

やっぱりね!

トランプ氏の「演技」が、とうとう「演技でした」と本人が打ち明けた。
それが、安倍晋三氏との「蜜月」である。

「大統領記録法」に基づいて、安倍氏から贈られた「金のゴルフクラブ」を、国立公文書館に引き渡す、と発表したのだ。
つまり、この物品は、トランプ氏個人に贈呈されたものではなくて、アメリカ合衆国大統領「職」に贈られたものである、という意味である。

そうなると日本人からしたら、この物品の購入代金は、日本国からなのか?安倍氏のポケットマネーからなのか?ということが気になるが、マスコミが報じないから、わからない。

これまで、このブログでは、トランプ氏と安倍氏の「なかよし」は、トランプ氏側からの一方的な押しつけだと論じてきたが、とうとう本人が認めてくれたので、「やっぱりね!」なのである。

なにしろ、大統領選挙期間中に、ヒラリー氏有利と観た安倍首相は、自らアメリカに出向いて(政府専用機で)本人と面談してしまった。

これは、アメリカの選挙法に違反する行為である。

選挙期間中に、候補者が外国人の要人(この場合は日本の安倍首相)と面談することは、アウトなのだ。
夫が大統領経験者で、自らも国務長官を務めた人物(元は弁護士だ)が、これが違法行為だとしらないはずはない。

本来ならば、選管が違法認定しないといけないのに、なぜかだんまりを決め込んだ。

せめて、対抗する共和党トランプ候補とも面談していれば、「公平」ともおもわれるが、もしやトランプ陣営から断られたかもしれない。
なにせ、違法だから。

すなわち、安倍氏のこの訪米は、ヒラリー氏落選によって、安倍氏の肝を冷やしたはずだし、わが外務省の役人たちも、「まさか?どうしよう!」と狼狽したはずだ。
でもその前に、まともなアメリカ国民には、この外国要人による選挙介入に嫌忌して、よりトランプ氏が有利になった可能性もある。

日本とおなじく、選挙民はバカだと信じていることが、裏目に出たのではないか?

そんな事情から、おそるおそるトランプ大統領と初会談に及んでみたら、なんと、トランプ氏から積極的ラブコールを受けたのである。
おそらく、安倍氏も外務省も、またまた驚かされて、「?」が脳裡に浮かびながら、「まぁいいか」になったのだろう。

この「浅はかさ」に、トランプ氏はホワイトハウスのスタッフたちと爆笑していたにちがいない。

なんだか、ネズミを捕らえた猫が、もてあそんでなぶり殺しにするかのようなものだった。
しかし、学歴エリートでしかない、外務官僚たちは、「結果よければ全てよし」と、自画自賛して、あたかもビクついていたことすら、忘れる努力をしたのである。

もちろん、学歴エリートでしかないから、すぐに忘れることができるのは、次の試験で間違えなければいいし、そもそも、自分たちが間違えるはずがない、という、一般人にはありえないほどの、「致命的な思い上がり」があるからだ。

なにしろ、子供時分から、必死で勉強してきたことだけしか、取り柄がないし、とにかく試験に合格(難関大学受験や外交官試験とか)したことの「実力」こそが、全人格的な優秀さの証拠だと思いこんでいる、阿呆たちなのである。

しかるに、その「学習の目標=カリキュラム設計=科目設定」自体が、GHQによる、日本人無能化計画によるものだから、やればやるほど「無能」になるようになっている。
そんな操作をされたことすらしらないで、アメリカと外交をしよう、なんて本気でかんがえているなら、やっぱり、絶望的な阿呆集団になるのは当然なのである。

だから、このたびのトランプ氏の行動は、安倍氏亡き後なので、第一に日本外務省(政府)に向けた「一撃」なのである。

ところが、この「裏」にあるのは、トランプ氏と敵対する、軍産複合体の民主党や共和党のなかのRINO(Republican In Name Only)たちだから、その手先に成り下がっている、自公政権も、「敵」なのである。

いまさらだけど、安倍氏はその自公政権のトップだった。

トランプ氏のビジネスマンとしての狡猾で巧妙な政治手法は、まさに、目的のためなら方便も辞さないことにあって、安倍氏との蜜月を演出したのは、安倍氏の政策を共和党寄りに見せさせるための手段にすぎなかった。

それで、阿呆なマスコミも、「アベがー」を煽って、あたかも安倍氏が「自民党の右派」にして、いまどき珍しい「保守派の重鎮」という、ウソを宣伝したのである。
対して安倍氏は、トランプ(=合衆国大統領)との蜜月を演じることが、かつての「ロン・ヤス」のごとく、自身の国内政治における強固な権力基盤にもなるから、こうしたウソに便乗したのである。

だから、安倍内閣の主要政策が、どんなに「社会主義的」でアメリカ民主党内の急進左派とおなじであって、ぜんぜん「保守とはいえない」にしろ、トランプ氏はお構いなく、日本をコントロールしているのは自分だと、ワシントントンの沼の住人たちにアッピールして利用した。

しかし、もはやトランプ氏も、明確に軍産複合体を「敵認定」してはばからなくなって、まともなアメリカ人から圧倒的な支持を獲得しているために、ナショナリストとしての仲間であるプーチン氏のロシアをいじめる、日本の政権と政府に対しても「敵認定」の発表をしたのである。

まったくもって、政府与党には災難だが、日本国民には喜ばしいことで、救世主なのである。

近未来の横浜・伊勢佐木町

いま、「横浜(エリア)」と呼ぶ有名観光地は、まず埋め立て地のことをさす。

JR横浜駅(3代目)もしかりだが、初代(いまの桜木町駅)にせよ、2代目(旧東横線高島町駅付近)も、埋め立て地にできたものだ。
寒村だったともいえる、小さな漁村だった「横浜村」は、石川町側から伸びた細い砂州(いまの「本町通り」)が海を蓋のようにして、野毛のあたりで切れていた。

つまり、桜木町駅横を流れる大岡川の河口から内側が、前方後円墳のような「内海」だったのである。
だから、京急上大岡までの西の縁(大岡川)と、山手の台地を東の縁(中村川)にして、その中央部の平地は、ぜんぶ元が海の埋め立て地なのである。

この大岡川と中村川の中央に、水抜きの川があったのを埋めて、いまは「大通り公園」になっている。
この公園の両側にある側道が、むかしの川の横を走る道である。

横浜駅を起点にする、JR根岸線が高架になって、桜木町から関内、石川町まで鉄橋なのは、その下が川(運河)だったからである。
この運河には、堤防の土手があり、その内側が元の海であったのが、根岸線が走る運河であった。

いまは、川が首都高になって、さらに先の山下公園までも埋めたてられた。
あたらしく陸になった、横浜スタジアムがある場所がはじめ、「横浜遊郭」だったとは前に書いた。
「横浜中華街」が、いまの地図だと斜めになっているのは、その先の海縁が波止場だったからで、さらに埋めたてられてできたのが、いまの「山下ふ頭」である。

だから、横浜中華街が他の街並みから斜交しているのは、このエリアの方が先に「街」になったからである。

かつて、横浜を代表する大繁華街といえば、伊勢佐木町商店街だった。
この通りは、根岸線関内駅の桜木町駅側に寄ったところで、交わるが、ここに「吉田橋関所跡の碑」が建っている。

この関所が、いまでいう「イミグレーション」だった。

なので、海側が関の内だから「関内」で、外側を「関外」というから、この橋の海側にある「関内駅」の駅名は、正確である。
外国人居留区が「内」というのが、はじめの一歩から「倒錯」しているは、「治外法権」のなせる技なのである。

なお、関所は明治4年(1871年:廃藩置県の年)に廃止されている。

そんなわけで、伊勢佐木町通りは、吉田橋を渡ると、「馬車道通り」になって、砂州の陸地だった「本町通り」と交差して、そのまま「万国橋通り」と名前を変えて、新港埠頭に至る。

さて、『水道碑記』でも書いたように、むかしの日本人は、政府依存をしていなかった。
むしろ、みんな貧乏だったから、幕府も新政府も貧乏を恥じなかったのだけれども、じぶんたちの街はじぶんたちでなんとかするという気風があったのである。

それだから、持てる者は私財を投じて、「名を残す」ことをよしとした。

「伊勢佐木町」の町名由来には、いくつかの説があったけど、伊勢佐木町に本店を置く老舗書店「有隣堂」発効の、1989年の『有隣』で、神奈川県令中島信行が褒賞として銀杯を下げ渡すとする明治7年の書類等が発見され、道路改修費用を寄付した「伊勢」屋中村次郎衛、「佐」川儀右衛門、佐々「木」新五郎ら三人の屋号と苗字から「伊勢佐木町」となったことが判明した。

ちなみに、「吉田橋」も、「吉田新田」として海を埋めたてた、吉田勘兵衛にちなんでいるけれど、「玉川上水」とおなじ、4代将軍徳川家綱が、「吉田新田」と命名し苗字帯刀をゆるされている。

しかして、そんな伊勢佐木町ではあるけれど、いまや超先進の先取りで、寂れた街並みを闊歩して、自転車で横切るのは、なに人だかもわからないひとたちになっている。
中国語、朝鮮語はあたりまえで、何語かすらわからない会話が飛び交い、歩きながらの通話でさえも、日本語を聴くのは皆無なのである。

まもなく、店の看板も、日本人には読めない文字になるのだろう。

もちろん、中国料理だけでもバリエーション豊かで、いまや中華街よりも「本格的」なのは、お仲間の出身地域限定でも客がいるからである。

これが「現実」になったのである。

いまさら、どんな在留資格かを問うても仕方がないのは、自公政権だけでなく、民主党政権だって、「移民」の受入に熱心だったから、われわれの選挙で選んだことの結果なのである。
もちろん、棄権した多数のひとが、文句をいう筋合いはない。

いまや、先進的な社会見学の場(まもなく全国的あたりまえになる)として、この伊勢佐木町を全国中高生の修学旅行の目的地にする価値がある。

それで、横浜市役所を訪問して、これが歓迎すべきことだという「教育的説明」を聞いて、神奈川県警本部や所轄での、治安に関するインタビューなどを企画したら、こよなく社会勉強ができることだろう。

もちろん、横浜税関で、どんな物品の取締をして、氷山の一角としてどんな押収物があるのかも聴けば、「港ヨコハマ」の全国的影響力もアピールできるというものだ。

おそらく、現代的「アヘン戦争」を起こそうともしない、日本政府のグズグズに、生徒たちは唖然とするだろう。

時間をおいて、かならず君たちの地域も、このような状態(よろこばしい「国際化」)になるから、よく観ていってね。

万事休すのIMF「国際CBDC」

もうどうにもとまらない!

1973年(昭和48年)のヒット曲、『どうにもとまらない』(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一)の出だしは、「うわさを信じちゃいけないよ」だ。
それで、「あゝ今夜だけ あゝ今夜だけ もう どうにも とまらない」でしめていた。

この歌から、半世紀。
われわれは、個人としての自由な生活に終止符が打たれようとしている、といってきたが、とうとう、「打たれた」のである。

日本の将棋でいえば、「詰み」で、西洋の将棋チェスでいえば、「チェックメイト」である。

それが、14日、ワシントンで開催された、IMFの「国際通貨金融委員会(IMFC)」で、わが国からは、鈴木俊一財相と植田和男日銀新総裁が参加した。

この日付と、この二人の名前は、将来、「痛恨のおバカ」として試験にでるかもしれないから覚えておいた方がいいかもしれないが、IMFの意図通りの世界になったら、レジスタンスの地下情報になるにちがいない。

財務省と日銀の関係は、「別々」というのが、『新日銀法』(平成10年4月1日から施行)の主旨である。
つまり、この法律で日銀は、国家の子会社ではなくて、「独立した存在」だと決めたのだった。

しかし、日銀は企業コード(8301)をもつ、株式会社でもあって、その株式の半分を日本政府がもっている(といわれている)から、日銀法で子会社ではないといっても、そうはいかない。
「といわれている」というのは、日銀は一度もその株主構成を発表したことがない、「特殊な会社」だからである。

ほんとうは誰がどのくらい株式保有をしているのか?ぜんぜん、わからないのだ。

権威主義に染まっている日本人は、財務省の方が日銀の上位にあって、財務大臣の方が日銀総裁よりも偉いと思いこんでいるけれど、ほんとうなのか?

概ね「正解」を無料動画で解説してくれるから、なんだか便利な、高橋洋一教授(元大蔵官僚)も、ときたま情報操作をやるので、全部が全部「信じちゃいけないよ」になるのだけれど、その一つの例が、「日銀は政府の子会社です!」といい切っていることが挙げられる。

本質的(株主構成)からすれば、その通り、だけど、日銀法をどうするか?がある。
安倍氏は第二次内閣の看板「アベノミクス」で、いうことをきかない白川総裁に、日銀法を元の政府子会社に戻すぞ!と脅して、辞任させ、黒田財務省財務官を就任させたのだった。

この点で、安倍氏は、凄みがある政治家ではあった。

とはいえふつうは、こないだ就任したばかりの新総裁、植田和男氏(東大教授)を、もしも財務大臣が解任したいとおもっても、ぜったいにできない相談なのは、それが首相であってもおなじだからである。

なんと、いったん任命(内閣だけでなく、衆参両院の半数以上の同意が必要で衆議院の優越はない)したら、自分から辞めるといわない限り、だれにも辞めさせることができないのが「日銀総裁」なのである。

対して、財務大臣は首相が解任できるし、選挙で落選したら、政治的に職に留まることはできない。

この点で、神奈川県民は総じてバカだと認定されて、その神奈川県から選出されたのが、民間人のままでは格好が付かないからと参議院議員になったのが、竹中平蔵氏(慶大教授)であった。

もちろん、このひとを経済担当相にしたのは、そんなバカの集団の一部から選ばれた、神奈川県横須賀市の小泉純一郎首相だ。

さてそれで、そもそもIMFとは「やばい組織」で、実質的には、軍産複合体が仕切っている。
その実態を隠すために、トップの専務理事を支える「ナンバー2」に、日本の財務省から役人が「副専務理事」で出向しているのだ。

だから、IMFを仕切っているのは日本だとだれも思わないのは、大蔵省を解体して「財務省」にさせた、アメリカ財務省の傀儡だからであるし、FRBがその裏にいる。
このことは、「世界銀行」も同じ構造だと前に書いた。

さて、財務省より目立たない日銀の方が、やっぱり下だという根拠はどこにもなく、むしろ、通貨の話になれば、日本の通貨「円」を発行している日銀こそが、主役に躍り出るのは当然なのである。
つまり、日銀総裁の、「露払い」が財務大臣なのである。

それで、「CBDC」とはなにか?といえば、中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency)のことである。

この会合で、IMFが「途上国向け」のCBDCを促進するのを、日本も協力すると決めた。

つまり、
(1)IMFがCBDCを決めたことと、
(2)途上国向け支援をすること
のふたつが同時に決まったのだ。

わが国の「円」も、アメリカ「ドル」でさえも、中央銀行が発行するデジタル通貨なんてない。
自国でないのに、発展途上国に支援するとはなんのことだ?

念のために書けば、自由経済における通貨の最大のポイントは、「匿名性の確保」にある。

さいきんでは、だれが触ったかわからないお札が「不潔」だとして、電子決済(キャッシュレス)のなかでも「なんとかPay」を利用する、病的な潔癖症のひとが増えているらしいけど、それでもらえるポイントバックが、これまた「お得」という乞食がいる。
自分の端末あてにポイントが付くというのは、匿名性がないからだ。

病的で乞食なのは、お気の毒だけど、健常者には迷惑なのである。

なぜなら、匿名性がない決済が普及して、その方法だけが決済方式になった途端に、われわれの自由(「生存」も含む)が終わるからである。

誰がいつ、なんの目的(購入)でいくらを使ったという、情報だけではなく、しっかりスマホ端末の個人情報も盗られているから、そのひとの生活データがぜんぶ、システム提供者に把握される。
すると、この決済システムだけの世界になったら、システムが使えない状況のコントロールで、下手をすると命を失いかねない。

総ての決済ができないならば、ペットボトルの水さえ得られない。

本邦では、『ザ インターネット』とされたけど、オリジナルは、『The Net』(1995年)のこの映画の「先見性」を、改めて確認するといい。
当時は、クレジットカードが使用できなくなる、という表現で済んでいたけど、現実は、通貨そのものになる。

その使用条件が、政府に従順であること、という情報把握と合体したら、もはや全体主義社会が完成するのである。

すなわち、途上国から、IMFは人々の完全支配をする、と決めたのである。
そうやって、「次」は、日本の番になるということだ。

これを、「自分だけ 自分だけ」と乞食たちが使うことで、もうどうにもとまらないから、「万事休す」なのである。

「ミ♩」の発見

何度か書いてきたので、これからも現象として現れることが予想されるのは、SNSにおけるアルゴリズムで、「わたし向き」のサジェスチョンによる、情報提供があることだ。

今回は、突如、先月亡くなった坂本龍一氏の、NHK「Eテレ」の番組『スコラ音楽の学校』の第1回から第4回までの「バッハ」が登場したのであった。

わが家はテレビを観ないので、こんな番組があったこともしらなかったけど、調べたら、2010年4月3日放送開始とあるから、もう一回り以上も前のことになる。
なので、この学校の生徒として参加した、年長の高校生も、三十路になる。

だが、わたしにとって、坂本龍一という人物は興味の対象外であった。

一世を風靡した、「YMO」は、それこそ同時代的ではあった。
なので、シンセサイザーでだけ演奏した『デジタル・バッハ』の、LPレコードを買ったものの、やっぱりあの無機質感が気持ち悪かった。
一般的には、「新しい」からこそ、支持されたのだとおもうけど。

つまり、「新しい=進歩=よいこと」だったのである。

これは、「1970年のこんにちは~♩」と三波春夫が明るくて空っぽな歌を国民に焼き付けた、大阪万博のテーマ、「進歩と調和」の大延長線上にある価値観だ。

逆に、これを書いていて、じぶんは相当前の若い時分から、進歩思想と折り合いが悪かったのだと気がついた。

進歩主義こそが、社会主義・共産主義の基本をなす思想だから、あの大阪万博とは、じつは「社会主義の祭典」だったのである、と前に書いた。
アメリカ館が注目なのではなくて、ソ連館こそが、もっともテーマに合致した「参加」だったのだ。

これを、「全方位外交の勝利」とプロパガンダされて、国民は信じたのである。
ソ連がプロパガンダをしに参加したのでもなく、この万博の趣旨そのものが、真のソ連礼賛だったから、むしろほんとうは「シブシブ」でもソ連館があったのである。

けれども、社会主義やら共産主義を礼賛するひとたちが、公立学校の教師をやって久しいので、すでに後期高齢者となっている世代でも被害者なのに、進歩主義がどんなに浅はかで危険なものかをしらないでいる。

もちろん、日教組なる組織をつくったのも、GHQの命による、日本人破壊工作だったこともしらないひとたち(=むかし「全共闘世代」といわれていた)が、ただなんとなく齢を重ねて、後期高齢者になったのである。

この意味で、おめでたい世代なのだが、80年かけてもやめずに日本人破壊を続けていることの方が、よほど恐ろしい。

しかして、坂本龍一氏は、芸大(作曲科)修士の音楽家なのであった。

もちろん、西洋音楽の方面であって、邦楽は大学ではなくて、「家元」にあるし、もっと古い「雅楽」にいたっては、いまだに宮内庁式部職楽部が仕切っていて、ユネスコ世界遺産(2007年)になっているのに、大自慢するひとがすくないのは、おそらく「天皇制」なる共産党用語との兼ね合いが、政治になっているからだろう。

番組では、バッハをテーマにしながら最初に、グレゴリオ聖歌から、ガムラン音楽を生徒に聴かせたのは、坂本氏の「音楽」に関する専門家としての矜持がみえた。
われわれの耳は、明治以降、すっかり「西洋化」していることをさり気なく体験させたからである。

この意味で、「邦楽」は、まったく別の体系を形成している音楽なのである。
どんな募集をしたのかしらないが、全員が楽器をたしなむ生徒のなかで、独り、沖縄の三線で登場した中学生だけが「和楽器」で、シリーズの最後まで戸惑っていたのが印象に残るものの、この子の戸惑いこそが正しく、邦楽と西洋音楽を分けていた。

ただ、相手がNHKなので、穿ってみれば、「世界は一つ」にしないといけない、という子供への「教育」という余計な意図の方が先立ったのかも、と斜めから疑うのである。
それになんで和楽器が、沖縄の三線だけだったのか?というのも不満なのである。

音楽の体系とは、リズム(拍子)、メロディ(旋律)、それとハーモニー(和音)からなるのだが、邦楽やら東洋の音楽はあまりにも西洋から遠いのであった。

西洋で「音」を解析した初めては、「ピタゴラス(三平方)の定理」のピタゴラスだといわれている。
彼は、「ピタゴラス音律」という、弦の振動数の研究から得た「音律(3倍音)」をつくった。
それからいまの「平均律」が完成して、西洋音楽(クラシック)ができた。

「平均律」とは、1オクターブの音階を、振動数で「等分」して調整することをさす。
すると、振動数をプログラミングする、「テクノ」こそ、平均律の申し子なのだ。

むかし、「現代音楽」というクラシックのジャンルで、調性破壊をやったのを、「ポスト・モダン」といっていたのが、なんだかわらえるけれど、「調性=平均律だけ」だというのも思い込みになる。

西洋が、キリスト教(ローマ・カトリック教会)に染まっていたことを背景に、「リベラル・アーツ」ができて、当時の大学では、下級3学の、文法、修辞、論理と、上級4学の、数学、音楽、幾何、天文のあわせて計7教科を、「自由7科」ともいった。

音楽があるのは、「神の言葉」同然に扱われたからである。

グレゴリオ聖歌が単調なのに、徐々に「合唱」における、ハーモニー(和音)に注目されると、どの音と一緒になると心地よく、どの音と一緒になると違和感が生まれるかが理解されるようになって、「ド」と「ソ」しかなかった音階のなかに、音の厚みと心地よさが増す「ミの音」が発見された。

それでもって、「ド・ミ・ソ」を同時に出すことでの、「コード」ができた。

バッハは、人類の記念碑的大作、『平均律クラヴィーア曲集』で、全部の「調」(長調・単調あわせて24)を用いた、24曲の作曲をなんと2回もやって、48曲を残している。
けれども、歴史的に、バッハの時代の「平均律」は、いまほど厳密ではないというから、当時の調律でこの曲を聴いてみたいものだが、そんな演奏がみつからないのも不思議である。

さて、その第一曲目の、「プレリュード(前奏曲)」が、「ド」、「ミ」、「ソ」を繰り返し変奏するもので、のちにグノーがこれにメロディ(旋律)をつけたのが、有名な『アヴェ・マリア』である。

「ドミソ」ゆえに、この曲にはたいがいのメロディーが乗るので、坂本氏は生徒にすきなように作曲させている。

バッハ作品の多くが、いまでもジャズやロックに編曲されているのに、より複雑化したモーツァルトやヴェートーベンの編曲が少ないのは、完成度の高さゆえ、ともいえる。

民謡をアレンジした和楽器のロックバンドが生まれて、世界的な人気になってきたのは、坂本龍一氏らのおかげなのだろう。
ただし、やっぱり、地球は一つでも、世界は一つではない。けれど。

合掌

『水道碑記』が読めない恥

新宿の「四谷四丁目」交差点にある、巨大な石碑『水道碑記』(すいどうのいしぶみのき:玉川上水記念碑)の「碑文」が読めない。

理由は、「漢文」だからである。

この碑がつくられたのは、明治28年(1895年)だが、碑文にはその10年前の日付が彫られている。
これは、発起人が急逝してしまって、じっさいの建立に10年の時間を要したからだった。

なぜにここにこんな碑があるのか?を調べたら、「四谷大木戸」があった場所だったからである。

「大木戸」とは、江戸内外の境界における「関所」の役割があった施設で、この交差点の新宿御苑側にある、「四谷区民ホール」敷地には、「四谷大木戸跡(甲州街道)」の石碑が別にある。
東海道なら、「高輪大木戸」、中仙道だと、「板橋大木戸」がそれで、江戸市中には他に、「木戸」がたくさん設けられていた。

大木戸の「外」は、江戸ではないので、江戸市中とは、この内側をいう。
なので、いまは23区をもって「東京だ」というけれど、江戸時代の「江戸」は、ずいぶんと狭い地域のことを指す。

もちろん、神奈川県だった東京都下の三多摩(西多摩,南多摩,北多摩の3郡:27市4町1村)を、江戸とはいわない。

四谷大木戸が特別だったのは、玉川上水の「水番所」もここにあったからだった。

世界に冠たる百万人都市、江戸の上水道は、当時「世界の首都」に相当した、ロンドン・パリにもない、最重要かつ最先端の「都市インフラ」なのであった。

先にできたのは、「神田上水」で、「井の頭」を源泉として、「関口」に水門を築き、江戸城内はもとより、常盤橋から京橋に、それから銀座、馬喰となるルートと、掘留、箱崎に至るルートなどを巡らせた。

しかし、江戸の膨張はとまらずに、「玉川上水」をつくることになったのは、4代将軍家綱の時代で、総延長38里(約152km)、予算は、6500両であった。

この四谷からは、木製の桶(水道管)を埋めて地下水路としたのであるが、予算は四谷までで尽きて、これより工事を請け負った「玉川兄弟」は、私財を投じて完成させた。

玉川の姓は、この功績をもって将軍から直(じか)に賜り、ふたりは200石の武士にもなった。

詳しい、「読み下し」と「現代語訳」は、ネットにあるが、なぜか現地にはないのがうらみとなる。
なんだか、国宝の城とおなじ、不親切なのである。
もちろん、日本語での解説がないのだから、外国語の説明もない。

「ニッポン・すげー!」の観光名所のはずなのに。

だからかしらないが、「公共系」のHPも、なんだかおざなりなのである。
つまり、「観光」を担当するはずの、なんとか「課」とか、なんとか「協会」の役立たずが、そのままみえてくる「碑」になっていて、これらなんとか課とかに君臨する、なんとか庁も不要のムダなのである。

銀座の、「金春通り」のビルの間に、建設工事で掘り出された、当時の「木製の桶(水道管)」がしばらく放置されていたものだが、いまはなくなっている。
たんに棄てられてしまったのか?それとも、文化財としてどこかの博物館(たとえば、両国の『江戸東京博物館』)に保存されたのか?この情報も現地にはないのである。

電車の中とか駅の案内表示や放送には、日本語よりも外国語が優先されるヘンテコがふつうになる、病的な傾向があるけれど、歴史的な記録物についての解説を、かくも放置して平気なのは、やっぱり病的なのである。

いまの日本政府やら地方政府(ふつうに、「東京都」とか「新宿区」)の、グローバル・国際化の本音が、「日本」なる悪の根源を溶かして消し込む努力のことであるからで、それは、国民から栄えある歴史を忘れさせるという意図になるのだ。

つまり、悪意である。

この巨大にして長大なる、『水道碑記』の、題の揮毫は、徳川宗家16代当主の、徳川家達によるもので、文章の起案者は、薩摩人の肝付兼武(きもつきかねたけ)、清書は、書家にして貴族院議員だった、上州人の金井之恭(かないゆきやす)、さらに、石に彫ったのは当時の江戸三大名工のひとりという、酒井八右衛門というひとたちの分業でできている。

そして、いまだと車道側になるから危険で物理的に誰にも読めない、「裏面」には、この碑自体の建立経緯が刻まれているのである。

ちなみに、日本橋にある、『日本橋』の文字は、15代将軍、徳川慶喜のものであるけど、新政府から蟄居を命ぜられて、「ご隠居」となったので家達氏が徳川宗家となったのであるけれど、新政府に気を遣って慶喜氏との交流はなかったという。

むしろ、新政府の陰険な監視の目があった、ともいえる。

さてそれで、わたしは残念ながら、たいした教養もないために、この碑文の文字をみても、読むことができない。
130年前の「一流」が残したものが、読めない、ということに、この碑を前にして、改めて恥じるばかりなのである。

そして、ふつふつと、得体の知れない怒りが湧いてきた。
自分に対するものと、教育に対するものと、である。

省みれば、和歌も俳句も詠めないし、ましてや漢詩をつくることもできないのである。
あゝ、なんという無教養!

和歌にせよ、過去の名作を読んで味わうこともできないし、語彙がないから、詠めない。
もとより、漢文は外国語を、そのまま日本語として「読み下す」という、おどろくべき発明ではあるけれど、古文という日本語すら、ほとんど外国語扱いしてその文法を習うばかりであった。

どちらも、「テストに出る」目先の浅はかな需要に対処しているだけの学科に成り下がったのである。

学校教育が、国民の教養を育てないことに、改めて驚愕するし、もっと重要な、「感性」も子供から奪っているのである。
何にでも自己主張する、小学1年生が、たかが数年で、先生の問いかけにだれも手を挙げて発言しなくなるのが、その証拠だ。

自分の意見が、多数でない場合を想定しておじけづくように訓練されるからである。

教養がないものが、なにを観光するのか?を問えば、なるほど、「IR」なのだという、政府の施策の意味がよくわかるのだった。

「日本の鏡?」エジプト

「エジプト」と聞いて、縁のない国どころか、古代エジプトの、ピラミッドにスフィンクス、それとツタンカーメンの黄金のマスクぐらいしか思いあたらないひとが多数かもしれない。

歴史をさかのぼれば、エジプトの大転換点は、クレオパトラ7世の時代に、ローマによって滅亡されて以来、ずっとローマ帝国やオスマン帝国、大英帝国とかの、「属領」になってしまって、なんと再び「独立」したのは、1922年(大正11年)のことだったので、今年でやっと101年目になったのである。

縄文時代以前からずっとある、「日本」と比べると、ほぼ2000年もの長き間、エジプトは他国からの支配を受けていた「真逆=鏡面」なのである。

こうしたことから、日本人に理解が困難なのは、「歴史がない」ことの意味なのである。

つまり、2000年間、かならず外国から支配されてきたので、この間のエジプト人の歴史には、「代官」としての話しかなく、あとはみな、「本国」の事情に依存することになるから、「自分たち」の存在が歴史上もないのである。

それゆえに、残った分野は、イスラム教だけ、ということになって、「イスラム学」が盛んになった。

アラブ世界で最古にして最高峰とされ、いまもカイロにある「アズハル大学」(972年創設)のイスラム神学科を卒業すると、世界の「イスラム裁判所」の裁判官になれるほどの「(イスラム法の)権威」となるのである。

「国立カイロ大学」が、俗にいうエジプトの東大、なんてことはない。

仏教がわが国へもたらした、「知識」を再確認すれば、比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺は、創建当時における「最高峰」というべき「大学」であったのと、根本的なちがいはない。

さらに、延暦寺には、「鎮護国家」の役割もあって、日本が宗教国家だったことがわかるのである。
その比叡山を、信長が焼き討ちして、一向宗を皆殺しにしたし、島原で切支丹を切り捨てたのは三代将軍徳川家光だった。

以来、わが国のあらゆる宗教は、寺社奉行によって国家規制の枠にはめられ、明治になって、国家は「日本教」を発明して、キリスト(=神の子)として、天皇(=現人神)を位置付け、ヨーロッパがいまだにできない「四民平等」をあっという間に達成してしまった。

最高権威たる天皇の下に、元将軍であろうが、平等になっても、だれも文句はいえないので、資本主義の経済活動が、国民全員でできるようになったのである。
ゆえに、現人神の否定とは、日本人の根本からの否定を意図した、練られた政策なのである。

西洋かぶれして、カソリックとかがやった腐敗からはじまる、「政教分離」を、『日本国憲法』という新興宗教教典で文字どおりに適用させる強制をもって、近代成功の礎たる、「現人神の否定」という、宗教弾圧をやって、ずっとやめずにいるのが現代日本だ。

この教典を押しつけたのが、民主党が支配したアメリカという外国だったのだから、1945年の敗戦をもって、ローマに滅ぼされたエジプトのような歴史がはじまった、といえることに気づくのである。

エジプトは2000年間も続いたけれど、日本がどのくらいで再び独立を回復するかは、まったくわからない。
宗主国のアメリカと、世界情勢によって決まることだけはまちがいないのは、エジプト人がそうだったように、日本人だけで独立はできないからである。

それに、よしんば独立を果たしても、エジプトで革命があったのは、「王政」の腐敗に耐えきれなくなった事情があって、ナセルによって大統領制に移行(1952年)した。

それから、イスラエルと和平条約を結んだサダトが暗殺されて、はじめて陸軍でなく空軍のムバラクへと大統領職が引き継がれたのだけれども、そのムバラクがバカ息子に政権を譲渡しそうになったので、怒った国民が転覆した。

以来、グズグズが続いてしまっている。

なお、ムバラク政権の崩壊を、「カラー革命」の一種として、「アラブの春」ということに、わたしは賛同していない。
むしろ、ほんとうに「カラー革命」だったなら、ときの、オバマ政権でウクライナの「マイダン革命」を指揮したヌーランド(当時国務次官補で、現職の国務次官)を疑うからである。

ちなみに、ムバラクは国内の強い反対を押し切って、「湾岸戦争」にエジプト軍を出している。
もちろん、この戦争も、軍産複合体がやったものだから、ムバラクの選択は、「あっち側」につく、というものだったので、最後に彼は軍産複合体から裏切られて見棄てられたのである。

これを、諸国はみていた。
みない振りをしたのは、わが国なのである。

ナセルから、サダトの時代、エジプトは「アラブの盟主」として、「親ソ連」の国柄だった。
対イスラエルが、その大義であり、なお、盟主だったのは、4000万人の人口を擁する、アラブ圏最大の「大国」だったからである。

しかし、ソ連は武器を供与してくれたけど、食料や経済援助はしてくれなかった。

ナイル川沿岸とナイル・デルタが唯一のエジプト農業では、当時4000万人の人口を養えないので、深刻な食糧不足が大問題だったのである。
日本の援助で、ナイル・デルタはジャポニカ米(主に「コシヒカリ」)の一大産地になったけど、外貨不足のためにほぼ全部が地中海沿岸諸国に、高級ブランド「エジプト米」として輸出していた。

それで、サダトは、ソ連から乗り換えて、アメリカとヨーロッパの経済援助を選択したのである。

暗殺があっても、ムバラクがブレずにサダト路線を踏襲したのは、国民を食わせるためであったし、じっさいに欧米資本が流入して、南国ゆえと2000年の習慣でやる気なく、働かないエジプト人が、「Time is Money」をいいだしたのだった。

ところが、ソ連がロシアになって、混乱をおさめたプーチン時代になると、オバマ政権のアメリカが援助を政治利用して、軍産複合体政権ゆえに武器供与をするだけになって、逆にロシアが小麦を売ってくれるようになったのである。

そんなわけで、どうする?「シーシー政権」、となっているのが、いまのエジプトなのだ。

グズグズなのはバイデンのアメリカも同様で、なんだかしらないけれど、国防総省の機密文書の「写真」がネットに大量に漏洩した。
犯人たる若者が捕まったら、すぐさま起訴された怪しさがある。

この機密情報のなかに、エジプトのロケット弾工場で、ロシアへ輸出するための緊急生産開始(24時間フル稼働)を指示したシーシー大統領と、その指示を承った軍需大臣の会話(盗聴)記録もあったのだ。

エジプトは、「ロシア制裁」に加担しない、「多数派」だけど、ロシアからの小麦がないと、もう1億人を超えた国民生活が窮乏する。

しかして、中東を不安定にしたい(=あくまでも軍需を高めて武器を売りたい)バイデン政権には、エジプトの裏切りにどんな制裁を課すかの理由を獲得した意味となるので、さらに世界をエネルギー危機に追い込むのだろう。

日本の真逆をいくエジプトなのであるけれど、その逆風は日本にもやってくる。

あまりにも、「鏡」をみているようなのである。