和やかな葬式の軽さ

「コロナ禍」が、人為の創作であったことはアメリカのRFK.Jr保健福祉長官によって明らかになったばかりか、関与した人物たちへの「刑事捜査・起訴」が続いているし、ビル・ゲイツやらのはなしは昨日書いた。

これを、わが国では「CBS」以外ほとんどのマスコミが伝えない。

偏向報道をやっていても政治家が問題にしないのは、謀(はかりごと)の実行者が自民党だった疑いが強いからである。
偽であれなんであれパンデミックを利用した全体主義の推進は、「個人のアトム化」に尽きるので、最初にその最小構成単位である「家族の崩壊」を画策するのが常套手段なのである。

この意味で、小学生が行方不明となり、その義父が逮捕されるに及んだ事件報道が、やたらに熱心なのは、義父から「義の字」をわざと省いて、「父の犯行」という報道がはびこったのも、「家族崩壊」を視聴者にイメージづけるためのプロパガンダに利用したいからであろう。

浮かばれないのは、被害者の少年本人であるけれど、死人の人権を無視するのは左翼が左翼たる「唯物論」による。
亡くなればもう人ではなく、単なるモノとみる感覚こそが「人権」をいうものたちの「ひとでなし」具合なのである。

そんなこんなの「人為」で、マスク着用を強要させる医療機関がまだあるし、着用させられる方もかなりの「慣れ」となったのは、ただしく「躾けられた」というべきであって、もっと激しくいえば、「家畜化」されているのである。

わが国の場合、家族の上位にあたる社会単位は、「町内会」、「自治会」で、その上に「連合会」があって、地方行政(市町村役場)へとつながっている「地縁」がある。
また一方で、家族の「血縁」からの親族という単位もあるが、少子化で兄弟がいないと自動的に将来は「いとこ」もいなくなって、親族も自己崩壊するようになっている。

むろん、「相続税」のひそかな増税(2015年1月からの基礎控除の40%大幅引き下げ)で、かつて無税ですんだ「家」もおおくは課税対象になって、従前から2倍ほども課税対象者が増えている。

これをやっているのが、財務省というウソが蔓延し、首謀者の自民党は一切のドロをかぶらないようになっている。

国家は奪う、の実践がわが国でも着実に行われているのであるけれど、これも「家族の崩壊」を狙った「アトム化」のための政策であって、上の相続税の大増税をやったのは安倍晋三内閣であった。

まことに残念ながら、安倍晋三氏を「保守」というひとたちの勘違いは、勘違いではなくて、「アトム化」のためのウソ情報を一般国民に擦り込むためのプロパガンダなのであって、騙されつづけている国民の無惨が高市支持の高さにもあらわれている。

しかして、2月の総選挙から地方首長選挙で七連敗の自民党は、「高市人気」というウソのプロパガンダの化けの皮が剥がれだしたという意味で、良い傾向を示しているとは書いた。

それでも、一度破壊された文化・風習の回復は困難で、「葬式」もかつての賑やかな「お見送り」から、近親者のみの個人(アトム)的な少人数葬が一般的になってしまった。

ゆえに、町内会や自治会に連絡して、掲示板に「訃報」をだすことも珍しくなったのである。

これは、「村八分」も超える、個人=故人の一生と社会との分断が起きている、ということである。
いわゆる、近所づきあいにおける、遠くの親類より近くの他人、なる常識も、いまではすっかり過去のものとなり、都市部の人間関係もがまさに「砂漠化」したのである。

いまでも「遺跡」として発見される「墳墓」の研究で、その副葬品やらから「弔い」による文化価値をみいだすものが、現代の人物の墓のほとんどが数百年後、数千年後の発掘に耐えられない「軽さ」になっている。

つまり、人間が人間として物故した人物の人生をメモリアルして保存したいという感情すら退化していることを意味するので、原始時代も超えて動物化=獣に戻るようなおぞましい廃頽が現代文明の素顔なのであるとわかる。

有名女優の子息が、2億円もの相続税負担に耐えられないとして、相続放棄を決めたのも、そうした社会的な活躍をした人物の血縁否定ともとれて、生前の本人がどれほどの所得税を負担したかも議論にならない。

それでも、個人情報にあたる「有名税」として、かくたる状況を一般の赤の他人にしられて巷間の噂話になる格好の材料とされるのは、まことにお気の毒としかいいようがない。

これを、踏んだり蹴ったり、というのであるけれど、誰にでもやってくいる「アトム化」の悲惨がこれである。

ついには、相続をめぐる親戚縁者の「税逃れ」が一般的になれば、通夜での大ゲンカも稀となろう。

とにかく、財産をもって死去した後の、後始末、は、あればあるほどの地獄化となり、せいぜい法人化でもしておくのが防衛策となろうが、相続人が絶えれば何のことはない赤の他人か国庫に行くだけなのである。

それでもって、政治家の世襲をしている「家」では、なぜか相続逃れが常態化する「治外法権」があり、次の世襲を可能にしている。

こんなすったもんだを、「アカシックレコード」で記録されることが一般人のしるところとなれば、国家とは何か?も、もっと真剣に一般人がかんがえることになるのであろう。

それは、家族とはなにか?とおなじことだからである。

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