【2023年頭】日本語再考

謹賀新年
2023年、年頭にあたって

2017年10月31日からはじめたこのブログも、5年以上が経過して、おそらく年内に1700本を超えるとおもわれる。

よくも話題があったものだと我ながらおもうこともしばしばだ。
もとは、「思索の時間」という個人のかってな楽しみだったものを、どうせならとブログにしただけだった。

ちょっとアーカイブのようになってきたから、話題がダブらないかチェックすることもある。
言葉については、何度も書いている。
それが「母語」となると話は深くなるからだ。

要するに、人間は思考する唯一の動物で、その思考から文明も文化も生まれて、日々の仕事も生活も、ぜんぶが「母語」に頼っていることの確認になるからである。

このところ、日本語がやたら達者な外国人が増えている。
その中でも、「母語」が日本語だというひとたちがいるのは、べつに不思議なことではない。

片親が日本人で育った環境とか、幼少時に来日してそのまま成人になったとかの人生があれば、「母語」が日本語になっておかしくない。
日本語しかつかわない、ふつうの日本人がうっかり忘れてしまっていることを、こうしたひとたちがハッキリと自覚していることに新鮮味がある。

やっぱり一種の、アウトサイダーなのだ。
とはいえ悪い意味ではない。
外側から観察できる視点は、貴重だといいたいのである。

母語とは、かんたんにいえば、脳内で思考するときにつかう言葉である。
だから、どんなに日本語が巧くても、深くかんがえるときに、もしも英語をつかうなら、そのひとの母語は英語である。

すると、不思議でもなんでもなく、やっぱり文化的態度が英米人のものとなる。
日本語が母語だと、見た目ではどこからしても外国人の文化的態度が、どうみても日本人になるのは当然なのである。

そこに、言語のもつ力があって、人間が言語による思考と行動をすることの証左となっている。

これが支配者によって悪用されると、言語の入れ替え政策がおこなわれて、ある日「公用語」がかわる。
たとえば、台湾では日本語から中国語への転換強制が実施(1946年10月26日)された。

人間から言葉(しかも母語)を奪う、というのは、究極の自由剥奪なのである。

しかしながら、日本人がこれを「他人事」としている。
じつは、日本人も言葉を奪われたのだ。

それが、「旧仮名遣い」あるいは「歴史的仮名遣い」の禁止と、「新仮名づかい」の強要なのである。
かくいうわたしも、新仮名づかい「だけ」を教わったから、この文章も新仮名づかい「でしか」書けない。

明治に起きた「言文一致運動」の破壊もあって、江戸の庶民が愛読していた「滑稽本」でも、いまではスラスラ読むことができない。
その本に書かれている、行書体がもう読めないというだけではない。
「鑑定団」に出品される書画の多くが、そのまま読めないのだ。

つまり、外国語のように言葉による壁をつくって、過去の日本人が残した文書を、後世の日本人に読めなくした。

だから、「新訳」という「訳本」をみないといけなくなった。
ところが、その「訳本」の対象は、もう明治期の作品にまでなっている。
「旧仮名遣い」と漢字がそのまま読むのに難易度があるからだ。

このことをよくよくかんがえてみたら、作家のオリジナル日本語を堪能していないということに遅ればせながら気がついた。
昭和40年代、つまり高度成長期に、文庫本がつぎつぎと「新装版」になった記憶がある。

かつての表紙は、どの出版社も「パラフィン紙」だけだったのが、きれいな紙の表紙カバーになった。
しかし、中身も「新訳」として、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに訳したのを「新装とした」のだ。

たとえ文語でも、作家の脳内は「書くとき」には、ぜったいに文語で思考している。
あるいは、言文一致運動以降でも、まだ「旧仮名遣い」で思考しているはずだ。

そうでなければ、書けない。

いま、「旧仮名遣い」をあえて学ぶのは、国文学の学生に限られるような状況になったけど、昭和の敗戦までは、「旧仮名遣い」がふつうだったのである。

そんなわけで、今年のわたしにとっての「はじめ」は、旧仮名遣いへの挑戦である。
読者に旧仮名遣いで書いたものをお見せするという意味ではない。
ここで公言したものの、あくまでも個人的嗜好のはなしだ。

先ずは、こんな入門書から入門を試みたい。

なお、旧仮名遣いにこだわった作家としては、福田恆存が代表だろう。
このひとは、シェイクスピア全集の翻訳もしたけれど、もとは教員だった。
戦後になって、保守言論人の重鎮にまでなったけど、政治家ではなかった。

挫折しそうになたっら、上記をガイドにして踏ん張れればいいとおもっている。
しかしながら、ほんとうに今さらながら、旧仮名遣いの価値に気づかなかったのかと新年早々にして恨めしいのである。

この意味で、学校教育の日本語破壊は、かなり練られた意図があるとわかる。
最初のトリガーを引いたのはGHQであっても、実行して80年近く継続しているのは、日本人の教育者なのだ。

日本語の破壊とは、日本文化の破壊を意味して、日本人の破壊に至る。

その破壊された日本人のひとりが、ここにいる自分なのだ。
残りの人生で、ちょっとだけでも日本人を取り戻しておきたいものだと改めて思った元旦だった。

今年もよろしくお願いします。