13日から26日まで、天皇皇后両陛下がオランダとベルギーを訪問されている。
「この時期」に、なぜオランダとベルギーなのか?
それと、首席随員が石破茂前首相で、以前までの河野太郎と交代したのもなぜか?をいろいろ邪推してみる。
まずは、自民党=アメリカ民主党の手先、だという「定義」にもとづけば、ヨーロッパ金融貴族との関係性に注目せざるをえない。
むろん、わが国のマスコミがこんなテーマで取材することはないから、ぜんぶがわたしの邪推である。
自民党の意志決定は、総務会、ということになっているが、いわゆる三役(幹事長、総務会長、政調会長)との関係とか、旧派閥のトップとかと、さまざまな人物たちがそれぞれ勝手に談合したり、独断したりと、伏魔殿状態の変な権力構造をもった組織なのである。
この意味で、だれがトップ・マネジメントなのか?すらわからないために、組織定義上の組織といえるのか?おおいに疑問がある「政党」なのである。
アメリカの政党も似ていて、そもそも「党首」すらいないのが、民主党、共和党の特徴である。
大統領すらこれにあたらないのは、議会優先の民主主義があるためで、連邦下院議長の権限と、連邦上院リーダーの権限のちがいすらわかりにくい。
明治維新で英国に支配(実質的に征服)されたわが国は、ためらいもなく議院内閣制を採用しただけでなく、海軍も英国式となる。
「薩長藩閥政治」をいうが、薩摩も長州も、英国との戦争(「薩英戦争」は1863年、「下関戦争」は、1863年から翌年)に完敗してから態度を豹変させたことをいわない不思議がある。
あれだけの「尊皇攘夷」が「文明開化」になったのに、だ。
なので、日米の政治体制を単純に比較することはできないけれど、二度目の征服を受けたわが国は、英国の手中からアメリカの影響下にはいったので、結果からも、「太平洋戦争」なるものは、日本利権(支配権)を英国からアメリカが奪うために有効だったことは確かである。
そんなわけで困ったことに、明治天皇から英国王室とは上下関係として深く、前に書いたように、英国の「官報」に、明治天皇も大正天皇も「(英国)元帥」の称号を受けていて、英国王の臣下と位置づけられている。
だが、表面上は、「世界最古の王朝」としての血脈=萬世一系があるので、獣的な野蛮から血脈の継続がないヨーロッパ貴族からは、一応、一目をおかれる、という位置づけとなっている。
だから、左翼は萬世一系が大嫌いで、男系を絶ち女系(天皇)にしてヨーロッパ貴族のような位置に落としたいのである。
その意味で、ご本人の意志を国民に示すことが不可能ないまの制度では、平成天皇の「退位」ぐらいしか自我を通すことができないのはずいぶんである。
それに、昭和天皇でさえもそうであったように、「側近」のロボットにされやすいのは、徳川将軍とおなじで「かごの鳥=情報遮断」にされるからであろう。
首席随員が石破茂や河野太郎だったというのは、ちょっと前なら「政治スキャンダル」である。
これら自民党内の左派が、なぜに首席随員なる、宮内大臣以上の立場に就けたのか?は、いよいよ政府・自民党内に、皇室廃止を目論む者共が潜んでいることの証左であろう。
なんにせよ、オランダはとっくに女系による血のグダグダで、ユリアナ女王(第五代オランダ国王:1909年〜2004年:ベアトリクス女王の実母)の王配ベルンハルトは、悪名高き「ビルダバーグ倶楽部(会議)」の創設者である。
しかるに、オランダとはいかなる国なのか?と歴史を辿れば、スペインの飛び地にして英国よりも早く「東インド会社」を設立して、アジアの富を奪いまくったことでいまも暮らしているのだし、農民から農地を奪うことで「脱炭素」が達成できると信じた狂気の国でもある。
むろん、英国とEU=NATOの事務総長のルッテこそは、その政策の張本人であった。
こうした人物を、マスコミは「保守政権」と位置づけていたのである。
そして、二番目の訪問国はそのEUの首都になった、ベルギーである。
この小国は、古代ローマが敷いた「ローマ街道」を堺に南北に分かれ、通りを挟んで南側がフランス語圏、北側がオランダ語圏、正確には「フラマン語圏」があり、その言語問題から「連邦制」になった国である。
だから、本来なら、ウクライナにおける言語問題に敏感なはずなのであるが、住民意志を無視するのがEUの本質であるから、いまのようになっている。
そんなわけで、ベルギーは歴史的にオランダ嫌いの国情なので、この二カ国を連続訪問するのはどんな意図なのか?やはり怪しいのである。
むろん、ベルギー名物のチョコレートも、西アフリカにあるコンゴ支配の歴史的産物であるから、褒められたものではない。
いったいぜんたい、このような「皇室外交」を企図したものは誰なのか?と問いたいのである。
まるで操り人形のような両陛下が痛々しいばかりか、日本国民の象徴がこのような扱いを受けることは、日本国民への侮辱なのである。
だが阿呆丸出しの石破や河野は、これ見よがしの虎の威を借る狐として傍若無人に振る舞ったにちがいない。
彼らを選んだ選挙区民の責任が、もっと強く追及されていいのにされないのは、わが国に民主義がないからでもある。

