大臣になったら「勉強します」

毎度のことながら、新内閣が発足したり、内閣改造人事があったりすると、新任の大臣が記者会見することになっている。

このところ部数の解約が著しい新聞社は、組織的な命令で、全員に同じ質問をぶつける、という「恒例行事」を、内輪で楽しんでいるようだけど、それが部数解約の歯止めにも何にもならない不思議があって、質問させられる係にされた記者のロボットのような対応が、とにかく印象に残るようになっている。

このひともきっと、「一流大学」を卒業したいわゆるエリートなのだと、自他ともに認めているのだろうから、それが上からの業務命令に従う、サラリーマンの悲哀なのだといえばそのとおりだ。
しかし、こんな「晴れ舞台」で、実家では親や親戚が、記者の方に注目して観ているかと想うと、なんだか胸が痛むのである。

そんな異様な雰囲気の会見場で、「初入閣」という議員ほど、あたかも「謙虚さ」をアッピールしたいのか?どういうわけだか、「これから勉強します」というひとが絶えない。

似たようなことでは、新人が当選して、いきなり自治体の首長にでもなると、「行政手腕が問われる」とかなんとか、マスコミの上から目線が炸裂するものだ。

大臣は下から目線で、自治体だとマスコミが上から目線で書き立てるこうした、両極端なコントラストが、国民の脳に刷り込まれて、もう誰も反応しなくなった。

それならば、民間企業で新任課長が、「これから勉強します」と部下にいったらどうなるのか?
別段、これが課長ではなくて、部長でも社長でもおなじだ。

組織に、どうして、「管理職」が必要なのか?を問えば、「管理職とは何者か?」という問題を先に解かなければならない。

日本企業は、ふつう、新卒で採用されて、右も左もわからない新人たちが一斉にスタートラインを切って、あたかも「出世競争」がはじまると思い込んでいる。
目指すは、会社幹部で、できれば役員(取締役)への昇格=出世なのであろう。

大企業ほど、学歴社会だという思い込みもあるが、大学卒でなければはなから出世競争に参加もできない、とかんがえるのは浅はかの極みである。
実力が認められれば、高卒だろうが中卒だろうが、あるいは大学院卒だってかまわない。

ちなみに、国家公務員やらだと、これが逆転して、「高卒(大学中退)」で、つまり、大学在学中に「国家総合職」に受かって入省したら、先輩を数年抜いての上司になる。
院までいって、総合職に受かりました、では、学部の後輩にも年次で抜かれたことになるのである。

民間でむしろ、学歴だけで人材活用の判断をする企業体なら、将来不安となるのは今どきの企業間競争時代ならではなのである。
だから、『四季報』でも眺めてみて、取締役に高卒の文字を見つけると、本人の力量と会社の力量の両方をあれこれかんがえさせられるものだ。

しかして、そのような場合のおおくは、「専門職」としての評価なのであろう。

もう20年以上前になるけれど、香港の高級ホテルの人事制度を調べに行ったことがある。
とある企業では、サービス専門職のトップや料理人のトップは、「取締役待遇」としての処遇だった。
実際の取締役ではないから、法的責任はないけれど、「同格」としての報酬が用意されていた。

専門職をまっとうするための知恵だとの説明に、感動すら覚えたものだ。

不得意な財務やら法律論の知識は、専門職の最高峰を維持するには不要だからである。
むしろ、そんなことではなくて、後進の育成こそが企業体存続のための重要職務として指定されていたのである。

昭和の敗戦まで、家族主義がふつうにとられていた日本企業は、「企業一家」であった。
そこにいわゆる「ヤクザ=任侠映画」の素地がある。
まさに、「義理と人情」が、美しい道徳であった。

これが、無機的なアメリカ・スタイルになったのは、いまの日本経済の光と影の、影ばかりの原因だろう。
「アメリカかぶれ」の悪弊がみてとれる。

しかし、アメリカ・スタイルにだって少しはいいところもある。

それが、組織運営におけるセオリーの「MTP」だ。
これは、体系的でなおかつ、心理学の応用がふんだんになされている。

管理職とは、MTPを基準としたら、あんがいと職人技=専門職的なのである。
つまり、組織管理の専門職という意味でだ。

日本企業の場合、社内事情に通じた入社年次からの頃合いをみて、管理職にさせるので、管理職になってから管理職の教育をする企業もある。

これを、入社時から徹底させる企業と比べたら、競争にならないのは誰にでもわかるけど、やらない企業が多数あって、「わが社の人材はイマイチ」とかと嘆く幹部がいるのは、もうそれ自体が、「患部」である。

選挙に当選することだけが仕事になった、国会議員という世襲体制で、大臣になってから勉強しますが通るのは、世襲だからだし、これで問題ないのは、「党の専門部会」が、大臣に命令するからだ。
しかし、これを批判する立場の、「記者」が、管理職とは何かを知らないで社内昇格して管理職をやっている。

国民は、こんな阿呆に付き合えないと、そっぽを向くばかりだ。
新聞やテレビは観ないに越したことはないものの、国会議員はそうはいかない。

とにかく選挙にいかない国民が多数いることで、世襲ができてシャッポに据えともなんとかなるのである。

「国会議員世襲禁止法」とかを立案できるひとがいなくとも、まずは世襲議員以外に投票することからはじめないと、なにもはじまらないゆえんだ。