スリランカ政変の深刻さ

深刻なのはスリランカではなくて、わが国だ、という話である。

大統領辞任どころか「逃亡」にまでなったスリランカ政変の事態は、そのきっかけが、中国による「債務の罠」だったことは周知の事実だ。
重要港を、99年間も盗られてしまったことの「浅はかさ」は、政治家たちの「個人的欲望」がそうさせた。

これを、「売国奴」というのだ。

しかし、スリランカ人が「自浄能力」を発揮できずにいたのは、かつての大英帝国支配での「被支配者」としての「奴隷根性」が残存していたからでもあろうし、英国仕込みの「統治機構」が、盤石にみえたからでもあったろう。

この点で、「英国」を「アメリカ」に置換すれば、すっかりわが国にもあてはまる。

そんななか、ラジャパクサ兄弟による大統領職の独占は、まずは「兄」の時代に親中路線が確定し、弟が大統領になってから兄の首相就任で、確固たるものになった。

なんだか、プーチン氏とメドベージェフ氏の大統領と首相の関係に似ているけれど、真似っこしたのはスリランカの方である。
しかして、これをやらせたのは誰かと下衆のかんぐりをしたくなる。

当然だけど、日本経済がよかった時代は、日本人観光客がたくさんいて、スリランカ人の日本語学習熱も高まっていた。
この小さな島(人口は2000万人程度)の経済は、農業と鉱業(ダイヤモンド以外の宝石)それに、観光業だったからである。

しかし、それよりも「親日」なのには理由があって、白人国家群(いわゆる「列強」)からのアジア解放の「希望の星」が、大日本帝国だったからである。

混沌のインドを、その狡猾さ(=腹黒さ)で支配し、成功した大英帝国の東インド会社と、オランダの東インド会社はあまりにも有名だけど、「民度」でまさるスリランカ(セイロン)の統治には、英国人をして「間接統治」の実験台にしたのである。

なんだか、敗戦後の「日本モデル」の先行事例がスリランカにある。

これには、「大陸に近い島国」という「特性」も無視できない。
英国とヨーロッパ大陸の関係、台湾や日本と中国大陸との関係に似ていて、大陸に近い島国は、独立の維持に汲汲とするのが「常」なのである。

そうでもしないと、大陸国家に「飲み込まれる」危険があるからだ。

そして、往々にして、島国の民度は敵対する大陸国家よりも「高い」という特徴もある。
狭い島国ゆえの「智恵」が働くからである。

そんなわけで、スリランカ人は、日本への期待を敗戦によっても貫いて、「日本無罪論」を法的論拠に基づいて主張したものを、インド代表のパール判事が採用して、東京裁判での日本無罪論になったのである。

日本の保守層は、直接的な「感謝」をパール判事に向けるけど、スリランカ人はこれをおおいに不満に思っている事情は、インドとスリランカの関係が、大陸と島国との緊張関係にあるからである。

この日本無罪論は、スリランカの第二代大統領になったジャヤワルダナ氏の蔵相時代、サンフランシスコ講和会議においての演説にもあった。
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む(英語: Hatred ceases not by hatred, But by love.)」として、日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説を行ったのだった。

そして彼の「遺言」によって、角膜を、「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」が実行されて、群馬県の女性に移植されたのだった。
このエピソードは、スリランカ人でしらぬものがいないのは、小中学校で繰り返し学ぶからである。

しかしながら、日本の小中学生には「隠蔽」されているので、いまや日本人のおおくがこれをしらないで生きている。

さてそれで、弟ラジャパクサ大統領は、性急な農業政策を実施して、100%以上あったスリランカの食糧自給率を、実質的に激減させてしまった。

わたしは、この話には「裏」があったと疑っている。

じつは、習近平政権が、急激な「農業改革」を実施して、あんがいと「成功」しているという。
これが、「有機農法の普及」なのだ。

1億人の党幹部向けかどうかはしらないが、安全な食材の確保、という改革をやっているのである。
これを真似たかやらされたかはしらないが、スリランカも「有機農法」への強制的な転換が実施されて、肥料や農薬の輸入を禁止した。

それでもって、有機農法技術をしらない農民たちが、作物栽培に失敗して、とうとう主食の「米」も不足するに至ったのである。

これが、「食糧暴動」となって、大統領府を占拠するまでになってしまった。

ここでわが国の農業がでてくるのである。

欧米で使用禁止されている農薬やらが、わが国では「規制緩和」されて、とうとう、わが国の農産物は「ヨーロッパで輸入禁止措置」がとられるまでになってしまった。

日本の農産物を輸出して、香港やらで大人気だったのは、いまはむかし、のことである。
前述のように、国産の安全な農産物があるために、中国でも日本産はもう売れない。

ではいま、日本人はなにを食べているのか?
あるいは、なにを食べさせられているのか?
「食源病」という問題が、国民の健康を蝕んでいる可能性がある。

もしや、食糧不足に陥ったスリランカよりも、ずっと深刻な問題は、日本に「まとも」な食料がないことではないのか?
はたして、豊富に見える食品は、ほんとうに「食品」なのか?と追及したら、「飽食」の実態は、真夏の「怪談」よりも背筋が寒くなる話なのである。

さらなる恐怖は、とっぷりと浸かっている化学肥料と農薬を必需品とする農業なのに、世界シェアがあるロシア産原材料が「輸出禁止」になったため、来年分の肥料がない状態になっている。

原料がなければ工場も稼働せず、カネがあっても買えないことで、スリランカの失敗状態に追い込まれているのがわが国なのだ。
にもかかわらず、「圧勝」したという「与党の無策」は続き、来年にはわが国で食糧暴動が起きているかもしれなくなっている。

なお、本書によれば、アメリカ人は、食糧を「最低コストの武器」だと、伝統的に位置づけていることも、戦後の日本人はしらないで生きているのである。

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