世界を決めるトルコの決断

5月28日の決選投票で、3期目の大統領に当選したのが、レジェップ・タイイップ・エルドアン氏であった。

このひとの当選に、一斉に恨み節を報じたのが、いつもの「西側メディアの横並び」なので、逆神としての基準からしたら、世界の一般人にとっては、ご同慶の至りなのである。
その恨みの地団駄とは、対立候補のケマル・クルチダルオール氏の得票率が、エルドアン氏とわずかなポイント差だった「惜しさ」を根拠にしている。

しかし、世界の覇者、アメリカ合衆国での度重なる選挙不正を観てきた、世界のまともな一般人からしたら、トルコの選挙に不正がない、とはかんがえられない。

なので、エルドアン氏の勝利とは、すでに開戦の火蓋を切った24年のアメリカ合衆国大統領選挙でトランプ氏勝利の期待が高まるほどの、操作不能の圧倒的勝利だった「はず」とかんがえるのが妥当ではあるまいか?

さて、トルコが注目されるのは、ヨーロッパ大陸とアジアを分ける境界線に位置するだけでなく、この両大陸のまさに境界であるボスポラス海峡で、内海の黒海とマルマラ海(地中海側)を南北に結ぶからである。

そのマルマラ海側にあるのが、イスタンブール(コンスタンチノープル)で、東ローマ帝国とオスマン帝国の首都であった。

東ローマ帝国が滅亡したときの、「コンスタンチノープル陥落」(1453年5月29日なので、今年は570年の節目にあたる)の悲劇(すさまじい掠奪)は、「阿鼻叫喚」と語り継がれている。

黒海の北端がウクライナで、大きくせり出すのが、クリミア半島である。
なお、ボスポラス海峡の西側は、ブルガリアとその南にギリシアがある。
有名な大河ドナウ川は、ドイツのシュバルツバルトに源流があって、中央ヨーロッパを横断してこの黒海に流れつく。

ブルガリアとルーマニアの国境も、ドナウ川なのだ。
しかして、この両国を渡るための橋が、たったの7カ所しかなく、どんなに仲が悪いかがわかる。
それがまた、バルカン半島の不安定さの証拠のひとつでもある。

もっとも「クリミア」で有名なのは、白衣の天使、ナイチンゲールだろう。
しかしながら、その実態は、英国政界のフィクサーだった。

そんなわけで、西側(とくに、英国とアメリカ)に都合のいい「お話し」がGHQの征服によって戦後の日本に蔓延したので、それを基にわれわれの常識が作られている。

「頭の体操」として、常識をうたがう、という作業は、たまにやっておくと意外な発見があるのにも根拠があるのだ。

立地でそこにある国家の性格は決まる。
これがいわゆる、「地政学」というもので、日本では戦後この研究はGHQによって禁止されていた。

その封印を破ったのが、倉前盛道亜細亜大学教授の名著にしてベストセラー、『悪の論理』(初版は、日刊工業新聞社、1977年)だった。

つまるところ、トルコは、地政学的に、「要衝」に位置するために、現代においても無視できないばかりか、いよいよその重要性を増している。
ロシアとも国境を接するからである。

トルコ人の親日は有名だが、それはなにも明治23年(1890年)の、エルトゥールル号の遭難を串本のひとびとが命がけで救ったことだけでなく、帝政ロシアに圧迫されていたのを、日本海海戦で日本がロシア艦隊を壊滅させたことの方がおおきい。

これで、トルコとフィンランドが親日になるし、いろいろあったポーランドも同様なのだ。

絶対平和主義のひとには残念ながら、「強い国」に対して敬意を払うのは、世界の常識なのである。
まぁ、絶対平和主義とは、自主独立を積極的に放棄する究極のマゾヒスト、属国奴隷主義でもあるけれど。

そんなわけで、今の時期(ウクライナ戦争中)の西側にとって、親ロとみなされているエルドアン氏の続投は都合が悪く、親ヨーロッパ(EUとアメリカ)のクルチダルオール氏に肩入れするのは、当然といえば当然でもある。

けれども、そのウクライナ戦争を仕掛けたのが、軍産複合体の欲の皮の厚いひとたちだとわかっているから、「西側=正義」にはほど遠い。

むしろ、「現地」のヨーロッパでは、コロナ禍と同じく、仕組まれた構造であることがまともな一般人にしれて、いまや「反ウクライナ」の気運の方が優勢なのである。
「知らぬが仏」状態でいるのは、またまた日本人だけとなっている。

こないだ書いた、ヨーロッパ議会での「ICS3」では、さらに、アメリカ(軍と国務省:悪辣なオバマ時代から)がウクライナで生物化学兵器を生産していたことが曝露され、デマと非難されていたロシア外務省が公式発表した内容と一致したから、ヨーロッパ大陸のまともな一般人の間で大拡散されている。

近代トルコ建国の父として、偉大なる政治家、と日本も含む「西側」で位置付けられているのが、ケマル・パシャ(いまでは、「ケマル・アタテュルク」という)だけど、このひとが何者だったのか?も、いまではトルコ国民のしるところとなった。

それが、当時の覇権国に対する、親英国一辺倒の「近代化」であって、その英国の世界戦略が、「パクスブリタニカ」による、ロシアの黒海封じ込め、であった。

つまり、ケマル・パシャは、英国と「握った」のである。

しかし、二度の世界大戦で、トルコは懲りずにドイツ側についた。

それで、トルコ語の表記にも、ドイツ文字がつかわれている。
英・米の悪辣に気づいたからだろう。

そんなわけで、今回のトルコの選択は、英・米の衰退をもたらすことになるので、焦る英・米の軍産複合体は、よりむき出しの悪だくみをしでかすかもしれない。
いつでも悪だくみしかしないひとたちではある。

こうした悪だくみをするひとたちを、いかにして排除するのか?が、まともな一般人による世界各地でとっくに起きていることなのである。

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