予算が余ったから金券配布

偽ウィルスによる作られた病気の恐怖から、社会が過剰反応してどんどん異様な世界に変容している。

国内のこの原因には、「無責任」があると書いた。その「無責任」を推進して社会破壊を目論んでいるのが無責任なマスコミである。

誰も自分の店舗から「感染者」を出したくない。しかし、この「感染者」とは、PCR検査という極めてセンシティブで、かつ、時間の経過とともに「感度アップ」させてさらなる「陽性者を量産する」ように仕組まれているものに、まさに「機械的」に依存して、とうとう医師の診断よりも「信頼できる」という異常になっている。

これが、「無症患者」という変な患者も量産しているのである。PCR陽性が、そのまま感染者と判断されて、症状がなければ自動的に「無症患者」にしてしまい、二週間も隔離されるのだ。しかも、PCR陽性者の数ばかりを報道して、それから何人が発症し、何人が重篤化したのかをいわない。

これを煽り、あるいは「煽動」といわずになんというのか。破防法が適用されない理由を知りたい。

ひとはふつう症状があって医療機関に出向く。我慢強いひとは、よほどの症状でないと診察を受けないこともある。それでも、治ってしまえばそれでいいのである。医師という専門職は、症状を訴える患者の話を聞いて、いろいろな可能性の中から病気を特定するし、「念のため」検査をして可能性の確率的適合性を確認するのである。

そのために、医学生は他の学部以上に猛勉強させられる。診断=治療方針確立のため、人類が発見してきた「病気」を確率的適合性という膨大な情報からの抽出をできるようにしないと、一人前の医師としての「診断」ができないからである。それで、オックスフォード大学の研究で、AIが普及しても、医師は生き残る職業になっている。

だから、診断して病気を特定するのは専門職として医師の仕事で最も重要な「初期判断業務」なのである。これを、PCR検査の結果が優先されるという異常が、日常になってしまった。このことを「医療崩壊」というのだと書いた。

つまり、論理的に「無症患者」という者はあり得ない。けれども、「保菌者」としての可能性がほんの少しでもあるから、「無症患者」という概念が広がって、とうとう医師会すら「異常」といえずに、「診断」という最重要業務とその責任を放棄した。「医療崩壊」を医師会がとっくに認めた社会に我々は住んでいるのだ。

これは、プロっフェッショナルが愚民社会に負けたことを意味する。もう、心の底から根拠があろうがなかろうが、誰もが新型ウィルスの存在を「信じて」しまった。すなわち、「宗教化」したのである。

そんなわけで、われわれの社会が、ウィルス禍を克服するには、現代の「宗教改革」が必要なのだけれども、日本人は無宗教だと、これも宣伝されてきた無謀を「信じて」いるので、宗教がどんなものかを日本人は知らない。にもかかわらず、世界最強の「日本教」という宗教の信者なのである。

つまり、おそろしく不真面目でありながら、「信じる」ことを疑わない信者たちなのである。

自治体というおよそ宗教とは別世界でいなければならないひとたちも、日本教の信者であることに変わりはないので、その行動様式も「信者」としての類型に含まれる。精霊流しや花火大会がいかほどの宗教性を持つものであっても、「観光資源」という「思い込み」をするだけで、立派な予算がつく。

いったんついた予算は、必ず消化しなければならないのは日本の役所の役所たるゆえんだから、それが国家予算であれ地方予算であれ、役人の義務感は予算消化こそが正義に変容する。「Go Toキャンペーン」が止まらないのは、この理由しかない。大きなイベントを計画していた自治体にとっての「Go To」とは、中止したイベント予算をどうやって使い切るかになっている。

それで、自治体内限定の商品券という「金券」を、宿泊した宿を通じて配布するアイデアを考えついたのは、神奈川県県央の中核都市である厚木市だ。夫婦で2泊したら、10000円分の金券をもらった。翌日から有効とのことなので、宿泊料金に5000円を充てることができた。

厚木市民にはなんだか申し訳ない気分だけど、きっと市民が同意しているとも限らないから、まぁいいかと、やっぱり無責任が伝染するのである。

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