日本は「金融大国」になれない

他人の悲劇的な状況を横目に、そのひとたちが作り上げた繁栄の根拠となる業務を横取りしようとするのは、かなり「恥ずかしいこと」である。
むかしなら、「切磋琢磨」を宗として互いに研鑽しようという気概があったけど、バブルに浮かれて崩壊して以来、相手の敵ではなくなってしまった凋落を、ここぞと取り返そうとする態度は尊敬に値しないどころではない。

まさに、卑しい、のである。

しかし、その卑しさゆえに、相手の強みの本質すら理解していないのではないかと疑わざるをえない。
その本質とは、「自由」のことである。
もちろん、「香港」の成功は、華僑独特の「拝金主義」があったからでもない。

裏返せば、バブルの失敗こそに、日本人の「拝金主義」があったのだ。
その反省もなく、2007年のわが国は、9月のリーマンショックまで、「金融バブル」を経験していた。
そして、いまでも、年収の多寡で人生の「勝ち負け」を語る、「拝金主義」が横行している。まったく反省しないからである。

こうした、「拝金主義」にまみれたひとたちが、その罪を払拭するためにいう、「ポスト資本主義」や「新自由主義批判」こそ、安全地帯からの「偽善」なのである。
これは、アメリカでもっと盛んだ。

それが、東西海岸地域における、圧倒的な民主党支持である。
かれらこそ、根っからの「拝金主義」なのである。
じぶんたちが、いいひとで「ありたい」のではなく、いいひとに「見せかけたい」のだ。

そうやって、拝金主義がつくる歪んだ資本主義からの恩恵を、ぜったいに手放したくないし、じっさいに手放さない。
拝金主義だから、富の独り占めをしたいのである。
だから、本来的な資本主義である、「新自由主義」を徹底的に批判する。
新自由主義を、「歪んだ資本主義」といって歪めるのである。

つまり、「用語」の意味を勝手に都合よく「変換」してしまう。
これも、一種の「ルール化」なのだ。
拝金主義の多数派は、言葉の意味まで変えるのである。

もちろん、じぶんたちが儲かる仕組みにどんどん変えるのは、彼らがかかわるスポーツも同じだ。
勝てば人気がでて儲かるのなら、勝てるようなルールにする。
こうして、国際競技だってつくられている。

「スポーツ庁」の無意味とはこれであって、さらに国家が国民を縛るのは、まったく社会主義国同然なのだ。

日本が金融大国になる。
どこから、こんな発想がやってくるのか?
『待ちぼうけ』だろう。

それっぽい「金融業」があれば、ある日獲物がやってきて、たっぷり儲けさせてくれる。
そんな「カモねぎ」を待つこと20年。
いまだに現れないどころか、「金融業」が疲弊・困窮してきてしまった。

東京がダメなら、関西や九州で。
日本政府の発想の安易さは、スポーツ庁と同じでとめどをしらない。
国内で優秀と評価されている大学を出て、一度も社会で稼いだことがない役人が、「金融業界」に「店を開けさせる」けど、儲からないのは民間人がバカだと思っているからである。

業界人に「箸の上げ下げ」まで指導(じつは命令)するのは、客前に立ったことのない役人が臆面もなくやっている。
その役人を上手に出しぬく業界人が、視聴者の溜飲を下げるのはどういうことか?を、おなじ視聴者の役人は気にもとめない。

だって、それがお仕事なんだもん。

金融には二種類の機能がある。
・通貨の安定
・資金の融通

通貨の安定は、中央銀行たる日本銀行の業務である。
バブル後にできた、日銀を政府から独立させた「新日銀法」は、ほんらいバブルの反省の意味が込められていた。

これを、安倍内閣は、「旧法に戻す」と脅して、政府に従順させる画策と圧力を日銀にかけた。
もちろん、新日銀法は変えていない。なので、「正式に」政府には、「通貨の安定」を担当する部署も役人もいないことになっている。

いわゆる、「アジアの金融センター」とは、資金の融通の機能をいう。
1986年、イギリスのサッチャー首相が打ち出して、これを実行させたのが、「金融ビッグバン」だった。

ロンドンのシティがこれで復活したとはいうけど、「ウィンブルドン現象」も発生した。イギリス人のプレーヤーは誰もいないで、「会場」だけが活況だからである。
それでもよし、とするのがイギリス人だ。そうして、政府の規制を撤廃した。

厄介なのは、身も蓋も、中身もない「別物」に、「日本版」という名称を用いて、やっとこさ10年後に「日本版ビッグバン」をやって、それっぽく「見せかけた」ことだ。金融庁の規制と権限はしっかり残した。
「ガラパゴス化」は、携帯電話のことだけではない。

政府主導によって、どちら様の業界にも都合がいいように「調整」する。
だから、「自由化」のはずが、「不自由」になるのである。
かんたんにいえば、「妥協の産物」だ。
もちろん、自由化の「範囲」も狭くて、お国の都合である「税」を動かさないし、外国人の査証も出ない。

結局のところ、「出島」をつくるしかないのだけれど、21世紀につくるべきが「出島」となれば、いかに「鎖国」しているのかが国民にわかってしまう。
これが、「痛い」のだ。

さらに、国際金融のルールを日本人は自分から作れない。
政府がしゃしゃり出るし、なにせ、資本主義はいけないことだと「純粋に」思っているから、大陸の中国人にも劣るのである。

世界にない文系・理系の区別をやめて、「技術大国」にしないといけない。
でもやっぱり、この分野も政府が仕切っている絶望があるのである。

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