機械式の腕時計

「ドレス・ウォッチ」ということばがある。
また、腕時計を「ブレスレット」といいかえて、腕の装身具だと強調することも、貴金属や宝石でかざった時代からの伝統だ。
もっとも、機械式時計には「23石」とかと「宝石」が支点となる部品につかわれているから、機械の中でみえなくても宝石をつけていることになる。

水晶発振式の「クォーツ」が発明され、その画期的な精度で一世を風靡したのは70年代だった。
これは、世界最初の市販技術を開発した「セイコー」が、その特許を公開したからである。

当時はだれもが機械式時計の時代は「おわった」とかんがえた。
精度だけでなく、電池式だから竜頭を巻く手間もないし、自動巻きでも放置すれば数日でとまるものが動きつづける。
時報とともに「秒針」をあわせるのが、トレンドで、機械式の愛用者はこれをうらやましがったものだった。

ところが、たった十年でクオーツは「コモディティ化」してしまい、安物の代名詞になってしまった。
機械式にくらべて構造がたやすくユニット化できるので、いたるところに応用され、大量生産による恩恵がかえって価値をさげてしまった。

大正時代、機械式製麺機が発明されて、手打ちの蕎麦屋が絶滅の危機をむかえたことがある。
「蕎麦通たち」がこぞって機械で打った蕎麦がうまいと評価したから、市中のひとびとは「手打ち」をばかにするまでになったのだ。

新しい物好き、ということもあるが、はたして「蕎麦通たち」の味覚が鈍感だったかというと、どうやらそうでもない。
じつは、いまもむかしも蕎麦の味は「粉」できまる。
蕎麦の実を、丁寧に石臼で挽くのも熱でタンパク質が変質しないようにするためだ。

山形県村山市の「最上川三難所そば街道」の名店「あらきそば」のはなしである。
もっとも重要なのは、蕎麦の品種と製粉の技で、「打ち方」の優先順位がひくいのは「そばがき」を想像すれば腑に落ちる。

けれども、「つなぎ」をつかわない十割蕎麦をつなぐのは、蕎麦打ち前の「こねる」技術がないとできない。
蕎麦粉というのは、めんどうな物質である。

機械式製麺機では、大量に製麺できるぶん「粉」がよかった。
これが蕎麦通たちをうならせた理由だった。
しかして、機械式と手打ちの技術の差ではない。

そして、「粉」のコストをおさえればどうなるか?
それには小麦粉を足せばよいので、黒いうどんができる。
こうしていつしか逆転して、「手打ち」こそがうまい蕎麦に変化したのである。

なんだか腕時計の世界と似ているではないか。

いったん廃れたようにみえた機械式時計だが、ゼンマイが時を刻むという機構そのものに価値が回帰した。

機械式といえども世界には、一点一点の部品からすべて自社生産して、これらを一貫して組み立てている「時計屋」はあんがい稀少なのだ。
むしろ、駆動ユニットを専門会社から外部購入している「時計屋」が主流ともいえる。

すると、日本の大手「時計屋」は、その稀少部位にはまるので、国内よりも海外で評価されている。

時計の電池が入手困難な地域というのは、この地球上にはまだたくさんあって、そんな地域では「機械式」がこのまれる。
さいきんは「ソーラー発電式」もあるけれど、たいがいが過酷な環境におかれるから、根強いのは「安価な機械式」の需要だという。

むかし、小学生から中学生になるころ、「セイコー5(ファイブ)」という自動巻き時計を自慢していた同級生がいた。
当時は「自動巻き」すら珍しかったが、子どもにあたえられるほどの価格になっていた。

わたしが生まれて初めて自分の腕時計を買ってもらったのは、高校入学祝いだったが、このときはもっと珍しい「クオーツ」だった。

さいきんになって「セイコー5」が国内販売で新シリーズとなって復活した。
しかし、海外での「旧型」逆輸入モデルは、そうじて一万円という価格なのだ。

もちろん100万円以上の有名ブランド時計と比べるべくもないが、日常遣いでの「機能」という点において遜色はない。
むしろ、機械式というおそろしく細かいメカニックを、一万円で提供できることの方が驚きである。

そんなわけで、このシリーズの「コレクター」がいるのは、なるほど、である。
世の中には、作り手や売り手の意図せざる価値を見出すひとがいる。

そして、不思議なことに、そんなコレクターの「自慢」をきくと、たまらなく物欲に目醒めるひとがでてきて、一分野を築くことになるのだ。

その意味で、メーカーが意図する「国内新シリーズ」は、海外一万円シリーズのコレクターにとっては、たんなる「あて馬」になるにちがいない。
しかも、新シリーズの価格帯は三万円だという。

価値は価格で決まらない。

これは、主流経済学への挑戦でもある。

そんななか、高額な高級腕時計の「定額レンタル」も人気というし、中古品相場をにらむ「腕時計投資家」というひともいる。

奥が深いのが世の中である。

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