マスクをして挨拶する感覚

「不気味なマスクの着用」について前に書いた。
顔認証の技術がすすんで、セキュリティー対策にも応用されるのは、来年の東京オリンピックでも宣伝している。

世界でもっともこの技術研究がすすんでいる国は、自由主義圏にいたらできない「テスト」が、できるからである。
かんたんにいえば、「個人情報」を保護するのではなくて「収集」するためである。

だれが、いつ、どこで、なにを、しているのか?
ついでに、なんで、がわかればもっとよい。
これを、監視カメラの画像から本人特定をすればよい。

ソ連が崩壊した理由には、国民監視のコストがかさんだことが、軍事競争の敗北に直結したからである。
外国との交渉は、外交の延長線上に軍事があるのは世界の常識だ。
けれども、その前の国内事情として、国民が政府の敵だというかんがえになったから、最優先したのであった。

いつ逮捕されるかわからない。
これは、ノーベル文学賞をとった、ソルジェニーツィンの『収容所群島』の書き出しのメッセージである。
理由は逮捕してからかんがえる。

こういう国を「全体主義」という。
それへの抵抗が、香港デモであるから、素顔のデモ参加者たちがいなくなって皆マスクで顔を隠すようにしている。
あれは、はたして日本製なのか?が気になるところだ。

アジアの国から、日本はまだ憧れをもってみられているらしく、若いひとたちのファッションに「マスクの着用」があるらしい。
女性なら、すっぴんを隠す効果もあるから、近所へのちょっとした外出なら、わざわざ化粧をせずともマスクをすればいいのは便利だ。

マスクといえば白だとおもったら、黒やその他の色もある。
乾燥注意報が連日発令される、冬の太平洋側は、喉のためにマスクをするひともおおいだろう。
就寝用のマスクさえあるから、機能分化しているのだ。

こういうわけで、日本のマスク文化は、理由はさまざまでも国内はもとより外国にも「輸出」されている。
さいきんでは「白人」でマスクをしているひとをみかけるから、このひとはきっと、母国に帰ると「変人」あつかいされるだろう。

「あちら」では、あいかわらずマスクは病院等に限定して着用するものだという「きまり」がある。
なので、この日本文化に慣れたひとは、日本への哀愁がつのるはずだ。

しかし、マナーということからすれば、人前で挨拶をするときに、マスクを着用したまま、というのはいただけない。

昨日、わたしの住む地域では、ウォーキング大会が開催された。
おもむろにスタートしないのが、わが国の文化で、大会責任者からの「挨拶」という「儀式」をする。
その後、路上での注意事項の説明があって、準備体操をしてから出発となる。

ここで、区役所の健康担当主任と、地域センターの保健士が「挨拶」をした。
ふたりとも「マスクを着用したまま」である。

これぞ「ザッツ・お役所」。
これは、個人的な感性という気がしない。
おそらく、このひとたちは「職場」においても常時マスク着用の習慣があると予想できるからだ。

むしろ、じぶんの汚れを外にださない、という意味で「丁寧なこと」という「倒錯」があるのかもしれない。

しかし、はなしを聴く側からすれば、声がこもって聞き取りにくくなるとおもわれるのは、公園でマイクがないなかの肉声によるからだ。
参加者の年齢が比較的高いことを考慮すれば、挨拶をする側から聴衆をみた瞬間に、マスクをとるのが「配慮」というものだ。

案の定、声がこもって聞き取りにくかった。
なにをいっているのかわからないが、聴く側もちゃんと聞く気がないから、おあいこか。
80歳にならんとする町内会長の挨拶は、声が通って聞きやすく、参加者への配慮に満ちていたのと対照的だ。

これはきっと、職務と権利がすでにわからない状態なのではないか?

それは、ふたりとも、急な坂道やながい階段で、マスクをはずしたからわかった。
息が苦しくなって、マスクが邪魔になったからだろう。

こうした態度を、みんながみている、みられている、という感覚も無いはずだ。
それでいて、休日出勤の手当をもらうにちがいない。
この手当の源泉が、参加者住民たちが負担する市民税や固定資産税なのに、それもわすれて、申請だけはわすれない。

衛生のプロだから、歯磨きに歯磨きペーストはひつようなくて、なにも付けずに磨けばよいと「指導」しているけれど、そんな不織布のペラペラのマスクでなにを防禦できるものかといえば、できるはずがない。

日本には医療用マスクの性能規格基準が存在しない。
これだけでも、マスク文化と相反するのだ。
ではどうなっているかといえば、ASTM(米国試験材料協会)が医療用マスクの素材条件を定めているのでこれを準用している。

すると、N95以上の機能があってはじめて「効果」があるのだ。
「99」や「100」になると、こんどは「呼気抵抗」もたかくなって、安静時でも息苦しさを感じるマスクになる。

けっきょく、たんなる「マナー違反」が、「専門家」によって、正々堂々とおこなわれているのだ。

嘆かわしい。

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