忍耐の町内会・自治会

お正月気分もぬけてきて、4月からの新年度にむけた準備がはじまっている。
そのなかに、町内会・自治会の役員改選がある。
むかしは町内会のなかに老人部ともいえる老人会があったが、いまは町内会が老人会になってきている。

サラリーマンという商売をしていると、ご近所のことは専業主婦にまかせるというのが一般的だった時代とちがって、専業主婦が特別になったから、なかなか逃げられない。

高齢だが独り暮らしで仕事をしなくてはならず、おまけに持病がある、という条件がそろっていても、特別扱いしてはくれない厳しさも、「お互い様」という概念が適用されるからである。
かくも「平等」が、お気の毒をうむことを目撃することはない。

町内会・自治会の役員改選には、まずは末端の「班」から候補をえらぶ。
「班」は10軒ほどで構成され、ここから班長がえらばれる。
たいがいが回覧板の順番での持ち回りだから、班長には10年に一回なることになる。
それで、班長があつまって執行部を形成する役員を互選するのだ。

いつからできた仕組みかはしらないが、戦中の五人組から発展したのは間違いない。
五人組には互いに監視しあうという任務もあったというが、どこまで当局とつながっていたのかまでは調べていない。ご興味のあるかたにはお調べいただきたい。

明治にできた治安警察法による特別高等警察という国家警察があったが、戦後解体され、公安警察や警備警察、外事警察にひきつがれている。
それ以来、わが国には国家警察はないことになっているから、警察庁という役所は直接の捜査権がないため、妙に中途半端な存在である。

町内会・自治会の運営が、超高齢化という社会基盤の影響をうけないはずがなく、むしろ、その最先端の問題が発生する現場である。
だから、従来のような町内会・自治会が維持できるのか?という根本問題までも、その解決は待ったなしになりつつある。

この問題はおおきく二つあって、ひとつは人数確保という「形式上」のことで、もうひとつは、運営にかかわる「方法論」ということになる。
だから、議論にはこれらふたつのうち、どちらのはなしをしているのか、ちゃんと確認しないとたんなる「雑談」になってしまうおそれがある。

個人的に、10年ほど前にいちど役員をやったことがある。
そして、今般、持ち回りでふたたび役員候補になった。
あらためて、10年前に感じたことが、今回も同様に感じたのは、会議の方法が学級会以下だということだ。

たまたまだとしても、15名の候補から7人の執行部を互選する会議に、二時間を要した。
最後にのこった会長を決める方法は、あみだくじ、であった。

どうしてこうなるのか?をかんがえてみた。
その前に、事前に知らされていない情報があったことにも注目である。
それは、道具としてのパソコン所持の有無、であり、ワードやエクセルが使えるか?ということからはじまる。

二名ずつえらぶことになっている書記と会計の実務には、ワードとエクセルがつかえなければならないし、事実上、自分でパソコンを所持していなければならない、という条件情報が欠如していた。
けれども、町内会・自治会で購入しているパソコンもあって、このOSは「VISTA」だった。

古すぎる。
それで、これまで各年度で執行部にえらばれたひとたちは、共通のUSBメモリーを会計と書記が二個ずつ引き継いで自前のパソコンをつかっていた、という。

つかえないものを処分して、二万円程度のリース落ちビジネス・パソコンの中古でも購入しなかった理由はなにか?

印刷されている書記の仕事内容説明には、議事録作成のほかに防災組織班長の名簿作成もある。
個人情報にあたるものが、これでよいのか?という議論はなかったのだろうか?

さらに、議論がすすまない理由に、役員になったひとがでた「班」からは、別のひとが「班長」に繰り上がることになっている。
つまり、自分のうしろに他人がひかえているのである。
だから、班内の事情をよくしる候補は、責任を持って、役員に就任しない努力をするのだ。

また、会長経験者の業務説明に、市役所との「連携」というものがあった。
近年、市役所は町内会・自治会へ業務を振っていて、かわりに「助成金」をだすという。
つまり、役人の数はふえているのに、仕事は減らしていて、以前はなかった「おカネ」をくれるということだ。

これは、「連携」ではなく、「命令」ではないか?
案の定、経験談として、助成金をもらうから、住人側にいろいろと負担がふえているという。
自治体が住人に自治を強制するという、お笑いぐさが、まじめに議論になっているのだ。

町内会・自治会へのコミット方法がまちがっている。
小学校に設置した中古パソコンでもいいから、町内会・自治会へ支給することもできない。
役人の無能さは、底なしである。

どうするのかを観察したところ、その極めつけが、議事進行の方法についての、基本的な合意がないことだ。
「社会人」が集まっているのに、である。
どんな社会経験と訓練を受けてきたのか?まったくの疑問である。

まずは、役職に就任するということからはなれて、「この会議」の議長(司会役)を決めなければならない。
それもしないから、ダラダラと時間だけがすぎていく。

「遠慮深い」からではない。
上述した、役員に就任しない努力が、効いているのである。

その証拠に、「役員をえらぶ」という議題からはなれた個人の要望や意見が時間を浪費する。
こうしたはなしを制止して、本論に集中させることが必要だ。
つまり、逃げのための意見ばかりがでるからだ。
だったら自薦の時間帯をきめて、のこりはクジできめればいい。

そんなわけで、とにかく「忍耐」こそがもとめられるようになっている。

一人当たりの生産性が先進国でビリ、とうとう韓国にも抜かれた理由が、なんだか実感できるのだった。

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