行ったことがない県

ふと、日本地図を見ていたら、行ったことがある場所がつくづく「少ないなぁ」と思えたので、書いておく。

全国的に目立たないという、北関東3県(群馬県、栃木県、茨城県)は、さすがに横浜に住んでいるから行ったことはある。
今どきの「テレビのバラエティ番組」で、「ビリの座」を常に争っていることがお気に召さない群馬県知事が、テレビ局に噛み付く、という「事件」があったのは記憶にあたらしい。

むかしから、犬がヒトを噛んでも「事件」にならないけど、ヒトが犬を噛んだら「事件」だといわれるような、「事件」だった。
「ポピュリスト」を絵に描いたような人物だけど、「知事」とは「領主」と同じだという勘違いは、その家庭環境と就職先(朝日新聞、国際協力事業団、国連開発計画に出向)にみることができるけど、職歴は短く、実父のあとを継いで参議院議員となったので、典型的「二世議員」であることも原因だろう。

なお、ここでいう「ヒト」とは、県知事という意味で、「犬」とは、テレビ局のことである。

大和朝廷が九州から関西にできるころ、北関東には「王国」があったという説が注目されて、東西文化のちがいの原点とも目されている。
関東平野の境目にある群馬県は、律令制で「上野国」となって、「下野国」がなったのは栃木県である。
元は「毛野(けの、けぬ)」として一緒だった。
なんだか、はるか古代のひとの「区分」の方が、よほど「今様」なのである。

それが、ケンミンショーのショーたるところで、「なるほど」と「アホくさい」がまじわって当然なのである。

ならば茨城県はといえば、「山海の珍味」が豊富な県で、海がない「毛野」とのちがいがここにある。
いってみれば、「自給自足」ができる環境なので、全国的に「目立たない」のではなくて、「内に籠れる」といえる。

困ったときには「歴史をたどれ」というのは、ほとんどすべての事象に通じる。

個人的には、絶対に行く用事がないと思って、福井県に行ってみたら、その一年後にご挨拶した方から呼ばれてまた出かけてしまった。
大雪の中、越前蟹を食しに山を越えることができたのは、地元のひとが運転してくれたおかげだ。
北陸の魅力は、たくさんある。

横浜という立地から、福井県を地図て見たら、本州中部の山岳地帯を挟んで「真裏」にあたる。
これが、絶対に行く用事がない、と思った理由だった。
たまたま「金沢」に出張したとき、北陸新幹線が「開業直前」だったので、行きは越後湯沢から、当時国内最速の在来線だった、「特急はくたか」を利用して、復路は、北陸本線の「特急しらさぎ」で米原にでて、東海道新幹線で新横浜に戻ったのだった。

北陸新幹線が敦賀まで延長で、この「特急」も、敦賀始発(止まり)になることが決まった。
無理矢理、新幹線に乗れ、という利用客の選択肢をなくす政策が「経済的」と判断したことの結果である。
京都からみたら険しい「山越え」をして、ようやくたどり着いた先が「越前」だったのは、わかりやすい言い方だ。
その「先」が、「越中」で、もっと先が「越後」とは、お見事である。

どんなに科学技術が進んでも、「地形」そのものを変えることはできない。

だから、むかしからの「街道」を「拡張」したり、「側道」としての「新道」をつくるしかない。
昨年開通した、「中部横断自動車道」も、武田信玄が「今川攻め」で通った道の「新道」である。

「ディスカバー・ジャパン」を合言葉に、「旅」を主張していた「大赤字の国鉄」が、なんだか「本分」を全うしようとしてあがいていたことが、懐かしくもある。
キャンペーン・ソングとして大ヒットしたのが、山口百恵が歌った『いい日旅立ち』だったけど、武田鉄矢は自身のヒット『思えば遠くに来たもんだ』も国鉄依頼だったと告白している。
確か大御所、加山雄三のキャンペーン曲もあったけど、検索しても出てこない。

「旅」を「移動手段だけ」にした民営化後のJ Rは、こうした意味でぜんぜん「新自由主義ではない」ばかりか、「機能化に特化する」のは共産主義的といえるのだ。
それが、「本分」に忠実だった「国鉄」へのノスタルジーになるのである。
ちなみに、「ディスカバー・ジャパン」には、日本旅行という「旅行」を大切にした旅行会社もからんでいた。
その「会社」も、とうとう「地方創生事業」に特化するというから、「機能化」に負けた感がある。

そんなわけで、行ったことがないのは、次の6県だということに気がついた。
四国の徳島県、愛媛県、高知県。
香川県は、出張で何度も出かけたけれど、それ以外の四国がない。
九州も同様で、佐賀県、大分県、宮崎県がない。

もちろん、行ったことがある県だって、詳しく知っている訳ではない。
ただ、あんがいと「自分の県」にも詳しいひとは少なくて、だいたい「過小評価」か「過大評価」をしているものだ。
それが典型が、たまたま群馬県知事だったということだから、これはこれで「民主主義の地元代表」ではある。