「ジャパン・ロス(Post-Japan Blues)」の深刻

日本旅行からの帰路からはじまる「喪失感」のことで、嵩じると本格的に「鬱」を発症するという笑えない深刻がある。

この精神状態をつくりだす原因は、旅行者の母国での生活における習慣や価値体系における「基準の移動」あるいは、「差異のおおきさによるショック」にあるとかんがえられている。

つまり、「急性アノミー(anomie)」の発症なのだ。

辞書によれば、アノミーとは、
社会学で、行為を規制する共通の価値や道徳規準を失った混乱状態をいい、心理学では、不安、自己喪失感、無力感などにみられる不適応現象、をいう。

つまり、日本での数日あるいは数週間の観光旅行で、外国人たちは一切気にとめずに生きてきた母国での「生活基準」が、ことごとく崩壊してしまうというのである。

その解消(治療)方法が、「日本再訪」となるために、24年度での訪日外国人旅行客のリピーター率は約65%にものぼっていて、再訪意向率では世界トップとなっている。
よって、二度目だけがリピーターではなく、もっと重症化して回数を重ねているひとが相当にあることを示唆している。

むかしテレビ東京の『和風総本家』(最終回は2020年3月19日)で、「日本という惑星」なる表現があったが、これは決して大袈裟ではなかった。
そして、昨今、外国人の日本語学習熱が高まり、一部の国では「第二公用語化」もいわれだしているという。

しかし、この現象を一括して日本人として手放しで喜べるのか?となると話はまた別である。

確かに、日本文化の高度さは自慢の対象となるが、日本人の全員が日本文化の継承者であるとはいえず、むしろ破壊者の側にある者の方が多数になっていないか?
しかも、「日本文化」とはなにか?も一緒に問えば、あたかも漠然としているのである。

このことは、感受性が強いがゆえジャパン・ロスを発症した外国人にはとっくに理解されている。
なので、彼らは東京・大阪・京都ではない、地方へと向かい、日本探し、をやって、自ら深みにはまっていくのである。

よって、来日の度に「基準が変わる」ことを経験している。

すると、都会から動けない日本人には、いつか外国人がみつけた、「核心的な日本文化」を理解できない者があらわれるにちがいない。
するといつか少数派になった、日本人から「ジャパン・ロス」が発症する可能性があるのである。

このような段になると、日本文化を探究した外国人から日本を失った日本への批難が殺到し、ひょっとすると外国資本が日本的施設の建設をして、日本的サービス設計に基づくビジネスをはじめるかもしれない。

現実に、アメリカでは日本の「甘味処」をアメリカ人経営者が再現しているし、オーストラリアでは日本の温泉旅館が再現されている。

これらはかつてあった無邪気な日本(風)趣味ではなく、本格的に研究された成果として営業しているのだ。
だが、ひとつだけポイントがあって、それはおよそ30〜40年前の「日本モデル」なのである。

つまり、バブル以前の文化基準、だ。

この意味で、われわれは、あたらしいビジネス・モデルとしての「昭和」を研究しないといけないことがわかる。

それは文化レベルの研究なので、単に昭和の儲けの仕組みとかではなく、昭和の「奇跡」のベールを剥がす作業なのである。
この作業からみえてくる、かつての常識の基準がズレるだろうことこそ、深刻な問題提起を日本人にもたらすのであろう。

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