国際結婚が続いた「オカムラ家」だから、単純に「日系」とはいえないところが今様な人物である。
母のうまれたチェコで政治家になるには、紆余曲折・苦節の人生ドラマがあってこそ、ともいえるのだろう。
しかして、彼は例によってマスコミ(おおくが「極左」)から「極右政治家」なるレッテルが貼られている。
このひとの政治信条は、「自由」を基盤とした「直接民主主義」の実現にある。
ために、自身が創設し党首をつとめる政党名は、「自由と直接民主主義(SPD)」なのであり、チェコ共和国国会では第三党の勢力であるが昨年11月に下院議長に選出されたのである。
なお、SPDはマリーヌ・ルペンの「国民連合」と協力して、EU議会内での政党「国家と自由の欧州運動」を結成している。
なるほど、マスコミが嫌う要素がふんだんにあるようだ。
いまのEU(委員会)の政治信条が、グローバル全体主義=共産主義であることは明確なので、これを支持するマスコミからしたら排除されるべき政治勢力にちがいない。
つまり、EUの主流派には、「自由」や「多様化」の概念に、敵対勢力の「排除」がしっかりあるのが特徴の典型的で幼稚な全体主義なのである。
けれども、とっくに「ソ連」なき現代で、だれが共産主義運動に資金を提供しているのか?といえば、中共をひとつとっても「それだけ?」という壁にぶつかる。
むろん、ジョージ・ソロス(財団)を加えただけでもないだろうから、かつて「ソ連」をつくった国際金融資本グループがまだやっている、とかんがえる方が妥当なのである。
つまり、共産主義(運動)のスポンサーたちが狙うのは、共産社会ではなく、単なる身分の二分化にすぎず、大富豪たちの子孫だけが「人間」であって、それ以外を「家畜」とする目的がみえてくる。
まったく『家畜人ヤプー』の描いた世界が拡大する、ということである。
だから、いまや古い区分となった「左・右」という感覚も、おそらくオカムラ氏には通じないであろう。
「直接民主主義」を理想とする彼に、「左・右」なる区分は存在しないとおもわれるからである。
しかし、古代ギリシアにあった「直接民主主義」が機能したのは、「市民」が現代の「市民」ではなかったゆえのことであって、「奴隷制」があたりまえだった身分制度の上に「市民」が君臨していたのである。
労働を蔑む=遊んで暮らすことを理想とするヨーロッパ(貴族)の常識の原点がここにある。
国際金融資本グループ=大富豪たちは、自分たちが「古代ギリシア市民」だとおもいこんでいる病的な発想をしているのであって、それ以外を「奴隷」だとしても不思議はない精神病理がある。
すなわち、トミオ・オカムラ氏の政治主張は、そもそもがヨーロッパ的ではないから、そのまま「欧州懐疑主義」といえるのである。
はたしてこれが、日本的なものからなのか?父に流れる韓国的なものからなのか?はたまた母のヨーロッパ少数民族(ワラキア人)の血がそうさせるのか?はわからない。
一般に、直接民主主義ではなくて間接民主制(代議制)を採用してきたのは、専門的な知識のある代議士を選択することのメリットが大きいからだといわれてきた。
けれども、代議士がぜんぶ専門的な知識の保持者か?と問えば、そんなことはないし、ヨーロッパなら貴族に任せることの方便・欺瞞すら感じるところである。
だからといって、身分制が厳しいヨーロッパで、いまでも賤民扱いをうけている大多数の一般人による直接民主主義が多数の幸福をもたらすのか?については、難しい問題なのである。
フランス革命の悲惨な失敗が教訓となる。
また、「自由」という点で、「党議拘束」がある、たとえばわが国の自民党のような全体主義政党では、代議士に「(投票の)自由」がないのである。
つまり、順番として、向こう100年やら200年かけてでも、身分制からの脱却のための「教育」が不可欠となるのがヨーロッパの現実だろう。
戦後日本人が勘違いしている問題に、ヨーロッパでの「大卒」とは、ほぼ貴族階級の子女である現実がある。
この点で、ロシア革命による教育革命があったけれども、今度は「党員」の子女でないといけない、あたらしい身分制となっただけなのである。
結局は、「パンとサーカス」さえ与えればよいのだ、という愚民政策に戻る。
ワールドカップ・サッカーも、オリンピックも、はては老齢年金から各種補助金も、みなこの政策の賜なのである。
その愚民政策を真顔でやっているのが、自民党・維新の与党であることを、トミオ・オカムラ氏はどのように観察しているのか?興味深いことである。

